兄妹の絆 ③
メルティ・ローム=ヴァクデウス──怪蟲を扱う暴食の罪人が、船首にてレイス達一行を待っていた。
罪人で構成された堕天組織『焔』の大幹部にして、ジェゼフを大罪人に仕立て上げた張本人でもある彼女は藍色の髪を靡かせる。レイス自身はジェゼフにそれ程の思い入れがある訳ではなかったものの、あの一件でメファリスも大罪人の1人である事を知らされたレイスにとっては、この幼気な少女に以前から興味を抱いていた。
それは、メファリスの事を知る唯一の手がかりが、この不気味な少女であるからだった。
「ここで、何をしている!? メルティ……」
「おや? 意外と冷静なんだね。他の方々はお初ですね……僕はメルティ・ローム。握手は結構! それと、そこの君。君はこちら側の存在だろう? 大罪人ではないが、その器としての資質は大いにある。レイスと同じ……いや、それ以上か……」
メルティはギョロッと大きな瞳を見開き、パトリシアを見透かす様にして笑みを零す。包帯や傷さえなければ、可愛らしい少女であるだろうその存在は内に秘める怪物によって、その根本的な思想すらも無に帰す。
紛れもなく彼女は怪物で、その同列としてジョゼフやメファリスが存在するという事の意味をレイスは強く噛みしめていた。
「パティはレイスの味方だよ! お姉ちゃんもレイスと同じ感じがするけど、少し違う。お姉ちゃんは……怖い……」
「ありゃ、何だ!?」
「気をつけろ! 堕天だ……入団試験を襲ったって言うのはお前だろ? メルティ……名前は知っていたが、こうして面と向かって相対してみると、本当にバケモンだなぁ……」
ランドールとアレクが目の前のメルティを見るや否や、その怪物性に恐れおののく。目の前に巨大な怪物でもいるかの様な威圧と、不気味なまでに漂う気味の悪い静寂。それが、どれ程の恐怖なのかは、その場に立った者にしか分からない事だろう。
咄嗟に構えるアレクとランドールの2人を見て、不敵に笑うメルティはお腹さすりながら──舌舐めずりして見せた。
「感性の強いのが多いね。参ったなぁ……別に争うつもりはないんだけど……腹も減ったし……」
「動くな! それに、僕もメファリスを君に渡すつもりは毛頭ないよ。協力だってするつもりもない。君は教団に潜入し、ジョゼフを堕天化させ、あの場にいた人間を殺そうとした悪人だ。パティにだって一切、手は触れさせない」
「大丈夫だよ。そんなに警戒しなくても……君達には何も危害は加えたりしないさ。それに、彼はそういう星の下に定められた運命を辿っているだけ。傲慢の彼女もそうさ……そう成るべくして、そう成っているに過ぎないんだよ。大罪人は誰かに影響を受けてなるモノじゃない。君にも多少なりとも彼女の声が聞こえるんだろ? 彼女の感情が、憎悪に塗れたドス黒い悪意が……それに、その子は好きにすればいい。別に全ての堕天が我々の傘下に下るとも思っていないよ。彼らもそれぞれに感情があり、意思がある。その子が以前の記憶に囚われず、君を慕うのも彼女の意思であり、悪意による影響だろう。本来なら、母親に依存する年頃だろうけれど、母親は……そうか、死んだのか? 我々は無慈悲に殺されるだけの存在ではない……我々にだって大切な人や、すべき事があるんだ。メファリスにも……その子にも……いずれ、君にも理解する日が来るさ……堕天を人として接する君になら、きっと訪れる。そして、既に君は彼女と共鳴しつつある。器としての資質が逆に彼女の成長を蚕の様に手助けをしているみたいだ……だとすれば、そうか、そうか、それでいい。まぁ大した事じゃない……さぁ、本題に入ろう」
そう言うと、メルティは仕切り直すようにパンッと手を叩き、立ち上がった。
「おいおい! 俺の船に勝手に乗り込んでんじゃねぇぞ!」
その時だった、出航の準備を終えたジーバが甲板へとやってくる。見慣れない少女と話し合うレイス達を横目に、船長としての意地を見せようと威勢を見せた途端、ジーバの体を大量の怪蟲達が覆い尽くす。
「わあああああああぁっぁぁ!」
「やめろ! メルティ! 彼が必要なんだ!」
咄嗟にメルティの腕を掴んだレイスが激昂して睨みつけた。途端、ジーバから離れてゆく怪蟲達にレイスの力も次第に緩んでゆく。
「分かったよ……」
「おい! おっさん大丈夫か!?」
「こりゃあ、しばらく起きないな」
「起きろぉ!」
気絶するジーバをよそに話を進めるメルティとレイスは、今の一瞬で互いに何かを感じ取っていたのだろうか? まるで共鳴するかの様に他には一切の興味も向けず、淡々と話を進める2人をアレク達は静かに見守っていた。口を挟む隙すらもないくらいに2人の悪意は実に似ている。
「本題は──ジェゼフの回収を君に協力して欲しいんだ。このまま教団に預けておく訳にも行かないんでね。メファリスは彼女が君から離れようとしない限りは今後一切、こちらからは何もしないと約束する。そこの彼女にも特に何もしない。その条件でジョゼフ回収の協力をお願い出来ないかな? 最悪、彼は殺される事もなく、死ぬまで実験体として非人道的な扱いをされ続けるだろう。我々としても大罪人の1人である彼が組織に必要不可欠なんだ。本来、大罪人と謂われている悪意の起源は7人の兄妹から始まっており、その悪意は遺志に基づき、適した人間の元へと還る。絆は死を超え、世代を超えて今の時代にも兄妹は着々と生まれている。それがジョゼフであり、メファリスであり、この僕だ。僕には兄妹を探し出し、集めるという重大な役割がある……それに、黒様は教団が言うような怪物ではない。寧ろ、彼こそが聖人であると僕は思っているよ。世の中の黒膚病感染者の多くを死の運命から救って旅をされている。君なら僕達の事を理解してくれると思ったから、こうして態々待っていたんだよ。まぁ……君が丁度、その施設へと向かうっていう情報を手にしたからなんだけどね」
「そうだね。確かに偏見はないよ……君に対しても一個人として単に嫌いなだけだ。出会い方にも問題はあっただろうけれど、それでも君を信用する事は出来ないだろうな。君はまるで、僕を仲間か何かだと思っているみたいだけれども、僕にその意思はない。メファリスは確かに君の兄妹としての絆があるのかも知れない……それは君と出会った時から薄々、感じていたよ。それはでも、僕とは関係のない事だ……」
「関係ならあるさ。言ったろ? 君は彼女と共鳴し始めていると……つまり、いずれ君の意思は彼女に呑み込まれる。正しく言うなら、傲慢そのモノに支配されてゆく。悪意からは逃げられない。例え、君が善良な心を持ち合わせていようとも、悪意は誰の心にもある至極まっとうな感情の1つだ。ジョゼフ回収に協力してくれるのなら、君の中からメファリスを取り出してあげる事も厭わない。そうすれば、君が悪意に侵食されてゆく事もなくなるし、メファリスも自由となれる。どうかな?」
「断る! メルティ……君には協力出来ない。僕の事なんてどうでも良いんだよ……それと、ジョゼフには悪いが彼の実験結果次第ではメファリスを元に戻せる可能性だってあるんだ。そんな貴重な研究を僕は邪魔出来ない。教団も気に入らないが、それは別に君達も同じ事。何を企んでいるのかは知らないが、僕が味方になるなんて幻想は諦めてくれないか?」
その返事に顔色を変えたメルティがそっと、忍ばせていた小さな怪蟲をレイスの首元へと飛ばす。針のついた怪蟲が一瞬でレイスの首元へと刺さると、急にレイスの様子が変わり始めた。
「あっ……グッ……僕にな、何を……」
「テメェ! レイスに何をした!?」
崩れ落ちるレイスを咄嗟に支えたアレクが、メルティを睨みつける。メルティはニヤリと笑い、見下すように宙へと舞い上がった。
「僕の悪意をね……増幅する悪意に抗えるか見ものだよ。ジョゼフを渡してくれれば悪意を抑え込んであげる。何なら、先程の条件を承諾しても良い。分かるか? これは最早、協力ではなく……脅しだ! ジョゼフを回収し、僕に引き渡せ……然もなくばレイスはいずれ直ぐに傲慢に呑み込まれる事となる。時間の猶予はないよ。次第に悪意は全身を巡り、傲慢が目を覚ます」
* * * * *
そう言い残し、姿を消したメルティの言葉通り、道中でも幾度かレイスの容態は悪化していった。
そして、現在──ユア達を前に暴走するレイスは傲慢と化したメファリスの意思に乗っ取られ、純然たる悪意に染まる。ジェリスさえも驚愕する程の禍々しい霊素に覆われ、黒蛇を纏うその姿は正に──生贄。
張り詰めた空気はレイスの奇声によって切り裂かれ、その声は駐屯地にいる全ての星騎士に聞こえていた。
≪キャァァァッアアアアアアアアアアアアアアア──≫
そして、その奇声に身を竦ませる小さな兄妹が、暴走するレイスの姿を目の当たりにする。
丁度、逃げてきた先──そこで待ち構えていたモノは、嘗ての家族であるレイスの異様な姿と、その背後で不気味に抱きしめているメファリスの意思であった。あの日……孤児院から命からがら逃げだしたザックとナルバの兄妹は覚えている。ジュリアを抱いた修道女アマンダに連れられて、霧にむせぶ夜を駆けたあの日の事を……。
目の前でオルティスとニフロの双子が殺された──光景を……。
まごう事なき悪意の旋律──恐怖した怪物の奇声を覚えている。




