兄妹の絆 ②
膨張するレイスの霊素から姿を現したメファリスの意識は、虚ろに背後からレイスを抱きしめて離さない。その表情は不気味に笑みを浮かべ、瞳を紅蓮に輝かせていた。
聞き慣れないバケモノの啜れた声で囁くメファリスは、レイスの耳元でニヤリと笑い──誑かしている様にも伺える。
レイスに巻き付いた黒蛇はまるでメファリスの意思に従い、宿主である筈のレイスを拘束する様に締め上げていた。
「め、メファリスなの!? 本当に……目を覚ましたの?」
「おい、様子が変だぞアレク……」
「レイスまた、どうにかなっちゃったの?」
「まずい……ユア……それ以上、近づくなっ!」
ユアが驚きを隠せずに近づこうとすると、咄嗟にアレクが覆い被さる。
振り下ろされたメファリスの爪に切り裂かれながらも、間一髪の所でユアを助けたアレク。1秒でも動き出すのが遅ければ、ユアの首が飛んでいても可笑しくはなかっただろう。
「くっ……」
「あ、アレク……馬鹿じゃないの!? って、アレク……アンタ、何で……」
心配そうに見つめるその視界には、酷く抉れた傷口から大量の血液が溢れ出していた。鮮血の赤がユアの両手を生暖かく染め上げ、次第に青白くなってゆくアレクの表情に自身の立場さえ忘れてしまう。
「何で、私なんか庇ったのよ! ホント……馬鹿じゃないの? 早く、医療班に見せないと……」
「ユア……よく聞け! アマンダ達が、この近くの極秘研究施設にいる筈だ……レイスの暴走も以前より、かなり深刻化してきている。時間がないんだ。俺達に協力してくれ!」
小声でそういうアレクの言葉には、ここ北方へと辿り着くまでの道中にレイスが暴走するまでの原因があったのだった。それは、北方へと向かう為の移動手段を模索し、アレクの故郷でもある霧の都へと立ち寄っていた時の事。
* * * * *
【霧の都:アシュクトゥール】
サジの家を出てしばらく森の中を彷徨い続けていたレイス達は、ようやく城壁近郊の街まで辿り着く。別名:ネオン街とも謂われているその街は、アレクとカフラスが幼少を過ごした貧民街。
「相変わらず廃れているなぁ……」
「ジーバさんの酒場に行ってみようよ。あそこなら北方までの足が見つかるかもしれない」
「ジーバって……」
ランドールがギョッとしたのも無理はない。ジーバの酒場と言えば、貴族嫌いの荒くれ者が集う場所で以前、ランドールも店を追い出されそうになっていた経験があった。その時はレイスに助けられ、大事には至らなかったものの、あの時の冷たい視線や高圧的な態度に身が竦む。
「ランドールもジーバのおっさんと知り合いなのか?」
「知り合いというか……今回は僕とアレクで行ってくるから、ランドールはパティを見てて」
「えぇえー!? パティまた、お留守番?」
「あそこは物騒な所だからね? 俺と一緒に居ようね!」
つまらなさそうにむくれるパトリシアの機嫌を取りながら、ランドールは胸を撫で下ろして森の中に身を潜めた。正直な所、街には一切近づきたくはないものだ。街を歩いている大人達の多くが怪しげな商売を生業とし、子供達でさえその殆どが犯罪に手を染めている物騒な街なのだから。
そうしなければ、生きてはいけない劣悪な環境がそこには現実として存在する。
「それじゃ、船か何か移動手段が見つかったら、迎えに来るよ。それまで、パティをよろしくね」
「分かっているとは思うが、森からは出ない方が良いぞ! 戻ってきたら殺されているなんて事のないように、くれぐれも気を付けろよ」
「行ってらっしゃい!」
「お、おう……」
元気よく手を振るパトリシアに比べて不安が隠し切れないランドールは、挙動不審に街へと向かう2人を見つめる。まるで、我が家に帰ってゆくかの様なその背中に一種の逞しささえ感じていた。
そうこうして、ジーバの酒場の前までやって来ると2人は懐かしそうにオンボロな看板を見上げる。
「ジーバのおっさん、まだ店を畳んでなかったんだな。とっくにくたばってるかと思っていたが……」
「誰が、くたばってるって?」
酒場の前でレイスと思い出に浸っていると、背後から野太い声が聞こえる。
「ジーバのおっさん! 元気そうじゃねぇか!」
「こないだは、どうも」
「おう! アレクとレイスじゃねぇか!? どうしたんだよこんな街で? また、教団の任務か?」
「えっ? 何、言って……」
「ちょっ……!」
咄嗟にレイスがアレクの首を掴み、小声で事情を説明する。すると先程のランドールの一件がそういう事になっていたのかと、腑に落ちた様に話を合わせ始めたアレク。その饒舌さは流石と言うべきか、この街で育ってきただけの事はある。
「そうそう! 俺達、教団の極秘任務で北方へ向かいたいんだ。教団の組織として動いている事がバレると、少々厄介でね。そこで顔見知りのおっさんに足を用意して貰えないかと相談に来たんだよ。あの例の……分かるだろ? 報酬もタンマリ貰えるぞ。それも、役所を通さずに裏で流通するモノだ。申請は要らない……なっ? うまい話だろ? 協力してくんねぇかな? ちょちょっと北方までコッソリ俺達を運ぶだけで良いんだよ。例のアレなら……楽勝だろ?」
「な、何でお前達がアレの存在を知ってんだよ!? まさか、昔……クソッ。仕方ねぇ……教団に協力するのは構わねぇがな……その例の……アレは、教団には内密にしてもらえねぇかな? ハハハッ……まさか、お前らが教団に入団するとは思ってもみなかったものでね。アレがバレると、ちとヤバいんだわ」
「例のあれって何?」
「さぁ? 俺も知らねぇ……カマかけたら、向こうが勝手にビビっただけだよ。ジーバのおっさんは昔から隠し事の多い人だったから、密輸船の一隻や二隻、持っていても可笑しくはねぇと思ったけど……こりゃ図星だな」
慌てた様子で北方までの足を了承したジーバを見て、まんざらでもない顔をするアレクは根っからの悪人だとレイスは思った。普段は馬鹿で戦闘狂のアレクだが、こういった悪知恵だけはカフラスに負けず劣らず、ずる賢い。
そんなこんなで北方までの足を手に入れたレイス達は、密輸船の隠し場所でもある森の中へと向かっていた。途中、極秘任務だと言いジーバには一切の事情も説明しないまま、ランドールとパトリシアの2人と合流をする。
そして、ジーバが案内した先には森の奥にある洞窟を更に進み、地下に続く大きな倉庫へと案内された。それは、古ぼけた酒場の亭主が管理しているとは思えない程の巨大な地下格納庫である。
「おいおいおい! 何だよこの馬鹿デケェ倉庫は!?」
「教団もビックリだね……裏ルート処の騒ぎじゃないよ。ジーバさん……こっちが本業か」
「おっきい!」
「物資やら武器やら、本当に様々なモノがあるな。逆によく見つからないものだね」
「こ、ここは俺の倉庫じゃねぇよ……俺が保有しているのは密輸船の一隻だけで、ここは裏社会のドンが取り仕切る裏港つってな、政府にも公認されているとか噂はあるが……俺達みたいな小物はバレれば即、没収。港自体は政府も黙認する安全地帯だとしても一歩、国を出れば立派な密輸船。捕まれば刑務所行き確定」
「なるほど……裏社会のねぇ……」
そこは、広大な地下都市の端──政府黙認の不法地帯。
地上の法律やルールが適用されない悪党どもの巣窟。
それが、この国の地下に広がり、現世とは異なる社会を形成していた。
まさに、虚ろな──浮世。
「教団も、世界政府も介入出来ない中立区域……その地下都市全土を治めているのが『黒双の義賊』と謂われる名高い盗賊の頭領さ。世界中に領土を持つと言われている絶対君主。世界政府にも顔が利き、教団の一個師団を1人で壊滅させたとか……世界三大勢力の1つとも謂われているが、実際にその姿を見た者は少ない」
「さんだい勢力?」
パトリシアが難しそうに首を傾げていると、レイスが優しく頭を撫でて答える。
「三大勢力ってのは世界の均衡を保つ為、互いに手を出さないと条約を結んだ三つの組織の事だよ。つまりは仲良くしましょーって事!」
「良く知ってんな! さすが、教団に受かるだけの事はあるぜ! そう、三大勢力はそれぞれ──
・世界政府:星十字教会
・各国王家:十二環会議
・地下都市:黒蝶の鳳蝶
──の3つの組織によって成り立っている。その均衡を壊そうとしている革命軍なんかもいるが、そういう連中もどちらかと言えば、ここの地下都市に分類されるだろうな。因みにお前らが所属する教団の星騎士は世界政府直下に配属されない限り、その国の王家に属するってのも条約を結んだ際に決められた軍規条約の1つなんだぞ」
「はいはい。ウンチクはその辺で良いよ。おっさんは話し出すと長ぇから……それで、おっさんのしょっぼい密輸船は? 何処にあんだよ。ちっさ過ぎて見つかんねぇなぁ……」
「お前……相変わらず失礼な奴だな……」
ジーバの話を切る様にアレクが船着場を見渡していると、目の前のオンボロに目が止まった。
「まさかねぇ……」
「それだよ! おい……何だ!? 文句でもあるってんなら、連れてってやんねぇぞ! これでも大枚叩いて購入した大事な飛空艇なんだぞ! 俺の大事な大事なモンロ号だ!」
「モンロって……」
その名に苦笑するレイスは目の前のオンボロ船に辛辣な目線を向けた。
そして、渋々乗船する事となった一同はジーバの船に入ってゆくと、不意に嫌な悪寒を感じとったレイスが慌てた様子で船首へと向かう。
その唐突な行動にアレク達もついて行くと、そこには見慣れない不気味な幼女が船首の甲板に腰を掛けて待っていた。
「おや? 思ったよりも早かったねレイス……」
幼気な容姿に傷だらけの手足。包帯を巻いたその姿に思わず、アレク達は固唾を飲んで固まってしまう。藍色の髪がそよ風に揺られ、漆黒に染まる大きな瞳がレイスを不気味に見据えていた。
「メルティ……!?」




