星騎士と霊星術師 ⑥
怪しく陰る三日月に──笑う黒猫は、走り出したレイス達の背中を見つめて煙の如く、その姿を消してゆく。
薄ら笑みだけを残して、月夜に嘲笑う。
「さぁ……数奇な運命に踊るがいい……」
そして、月光の下へと降り立ったレイス達はジェリス率いる星騎士の部隊を潜り抜け、一目散に走り去ろうとしていた。
「──各員! レイス・J・ハーグリーブズを捉えろ!」
迫り来る星騎士達の猛攻をギリギリでかわしながら、足を止めようとしないレイス達。
瞬く間に街の外へと逃げてゆく。まるで、風に舞う葉のようにスルリと見せるその動きは、森育ちの柔軟なそれだった。
ランドールもその動きになんとか付いて行き、背に捕まるパトリシアが星騎士達からの攻防を阻止している。
「レイス! 突破は出来たが、この先どうする? きっと孤児院には既に手が回っているぞ!」
「俺もこのまま逃げ切れるとは思えねぇ! 相手はあのジェリスだぞ! それにお前がぶっ飛ばしたあの人は自分で大隊長だと名乗っていた。察するに教団側は最低でも一個大隊を俺たちの追跡に使っているって事だ。たかだか逃亡犯1人と堕天のチビ助1人にだ!」
「逃げろぉ!」
「引き返そう……サジを助けないと」
レイスは急にピタリと足を止め、後ろを振り返る。そこには既に追手の姿はなく、吹き抜ける風が頬を撫でるようにそよいでいた。
湿った冷たい風に不穏な空気が混じり、カロンの言葉だけが脳裏に引っ掛かっている。恐らくはレイス達と関わりを持ったが為に、サジの両親は殺されたのだろう。
だとするならば、サジが生かされている理由もジェリスの気まぐれに過ぎないのだろうと察する。今、戻れば助けられるやも知れない。
「ダメだ……俺達が戻って何が出来る? 助けられないんだよ! 分かってるだろ! 俺達はまだ、強くないんだよ! 大隊長を仮にでもぶっ飛ばせたからと言って、俺達が急に強くなった訳じゃねぇ……」
「……そうだね。サジ、ごめんなさい! 行こう、向かうは北方の極秘研究施設! 僕らは前へ進もう!」
無情の決断──アレクは今更、戻る事の無意味さを身に染みて理解していた。
そして、レイスもまた間に合う筈のない状況を理解し、罪悪感を胸に前へと進む事を決意する。
拭えない殺意を押し殺し、穏やかで優しかった日常に背を向けた。向かう先は、北壁の知将が統治するという残雪の都=エボーラ……。
* * * * *
一方、追跡を止めたジェリス率いるカロン大隊は、未だにサジの家に留まっていた。
「クソッ……逃げられたか! まぁいい、行き先は分かっている。それよりも、カロン大隊長! 何を遊んでんですか!?」
「あぁ、すまん、すまん。楽しくなっちゃって……逃げられてしまったか。さぁ、仕切り直して、我々も北方へ向かうぞ!」
カロンの飄々とした態度にジェリスはため息を吐きながら、サジの自宅へと引き返す。両親を殺し、1人娘を置いてきた後始末をする為、静かに玄関の扉を開ける。
「パパ……ママ……何で……何でこんな事に」
「すまないな。上からの指示なんだ……あの少年と関わりを持った者を生かしておく訳にはいかんのだそうだ。悪く思うなよ……恨むならレイスを恨め。私だってこんな……」
泣き崩れるサジが顔を上げ、ジェリスの哀れみに満ちた表情を見つめると、恐れおののき震えた手で必死にしがみついてきた。
「殺さないで……死にたくない! まだ、死にたくない! 私は立派な技術者になって星騎士様にこの身を捧げる為、今まで必死に生きてきたんです! 教団の為なら何だってします!」
「……ならば、レイス達の情報を教えろ……何を知っている? 情報を提供すれば、助けてやらんでもない。私が有益だと判断できれば、上にとり合ってやる事も出来る……さぁ、選べ……」
サジは頭部のない両親の骸を見つめ、生唾をゴクリと飲み込んだ。
今、自分の生死を握っているであろう目の前の星騎士は自身の両親を殺し、命令だからと冷酷に人を殺す事が出来る人間なのだろう。そしてサジは生き延びられるであろう最適解を探していた。死に物狂いで、生にしがみつきながら、乾いた口はジェリスを説得させられる為だけに饒舌な語りを始める。
その姿がどれだけ滑稽だろうと、恥辱にまみれていようとも、両親を殺した星騎士に生命をこう為、こうべを垂れて歪に笑みを浮かべていた。ただ……その行為が唯一、助かる道なのだと信じて醜くも、生きようとしていた。
「ぎ、義手を……義手を造り、手術を行いました! 性能から彼らの面談や、手術資料に至るまで何でもあります。私の知る限りの情報を提供致します! だから、どうか……私を殺さないで下さい! 今後の人生も全て捧げます! 私が助かる道の為なら……何でもしますから……こ、コイツら馬鹿な夫婦が勝手に……匿ったんです! 私は何も知らずに手術を……! 星騎士様……私に、ご慈悲を……」
血に染ったその手は恐怖に震え、両親の屍に歪んだ感情が溢れ出す。こんな死に方だけは絶対に嫌だと呼吸が荒ぶり、丸眼鏡にくすんだ瞳が生命を渇望していた。その醜い笑みに自分自身さえ、偽りで塗り固めようと必死になっていると、ふと我に返る。
『サジは俺の自慢の娘だからな。この歳で技術責任者に選ばれるとは、父さんも鼻が高いよ』
『技術者も大変ね。身体には気を付けなさいよ。偏った食事ばかり食べていないで、たまにはちゃんと家に帰っておいでよ。いつでも温かいご飯、用意してあなたの帰りを待っているんだから』
「……パパ……ママ」
不意に思い返す両親との穏やかな思い出に突然、溢れ出した涙は止めどなく零れ落ちるのだった。それは、嘘で塗り固めようとした自分への後悔と、死んでしまった両親との──小さな約束事であった。
『技術者たる者は、自分が造り出した物に沢山の愛情を注いでやるんだ。愛のない技術者は自分を裏切る……サジ、よく覚えておきなさい。お前は私達の娘だから、分かるだろ? こんなに愛されて育ったお前が人に……その技術に、優しく出来ない訳がないんだ。決して自分だけは自分を裏切るな……上手くいかないからって、自分の技術を裏切るなよ』
『サジは優しいから……きっと、パパに似たのね。器用な所は私譲りだろうから……どんなに辛くても、どんなに苦しい選択を迫られても、絶対に自分にだけは嘘をついちゃダメよ? 後で辛くなるのはサジなんだからね? ママはサジが素直に笑っていられるだけで、とっても幸せなのよ』
不意に優しかった両親の言葉が、サジの胸を締め付ける。技術者が心血を注ぎ込んで造ったモノを第三者に情報を開示する事は、最低最悪の行為であると自覚しながらも、縋らずにはいられないこの状況に……嘘までついて、大好きな両親を愚弄した。
両親が夢を追う為にどれだけの協力をしてくれていた事か、家に技術室やリハビリの施設まで増築し、私の夢を叶える為だけに色々なモノを2人は犠牲にしてきた。
それなのに……サジは偽り、嘘を重ね、技術者としてのプライドすらも捨てようとしていた。
(でも……死にたくないよ……)
「どうした? 早く資料を渡しなさい。そうすれば……」
「わ、渡せません!」
震えの止まらないサジはジェリスを真っ直ぐに見つめ、立ち上がる。このまま生き延びたとて、自身に明るい未来などありはしないのだと悟り、それならばここで両親と共に死ぬ事を選択したのだった。その決意は技術者の両親に育てられた者の本質か、死地に立ち悪意に染まる事を踏みとどまった者の善良な心か……。
「私は……サジ=トレイヴォ! 立派な技術者になって、いつか……」
最後の言葉を言い終える間際に突然、サジの首が刎ねられた。
ジェリスの背後には全身を黒の鎧で覆う星騎士が立っており、その姿を見たジェリスは身を引き締める様に姿勢を正す。サジの首を刎ねたその黒騎士は、本来ならば戦闘の本隊として戦の中枢を担う主力部隊。
「少年の身柄はどうした?」
「すみません、取り逃がしてしまいました。しかし、行き先なら既に情報を得ています。奴らは北方の極秘研究施設へと向かっている筈です。どのように移動するのかは不明ですが、我々の方が先に到着できるでしょう」
黒騎士が率いる本隊は50人以上の星騎士と精鋭らしき手練れが5人。その迫力はあのカロンでさえ、息を呑むほどであった。
「そうか。それでは我々が直接出向こう」
「そんな!? 本隊が動かずとも、我々だけで捕えてみせます! 何故、あの少年にそこまでするのですか?」
たかが逃亡犯1人に教団本部の主軸でもある第一師団が、動いている事実にジェリスは疑問を抱いていた。
この国の統括を担う熾天卿に、四方を治める智天卿──そんな彼らに継ぐ第三位。
それが、中央機動部隊──座天卿率いる中央師団である。
7人の師団長の1人にして、黒騎士と名高いその存在は、教団の中でも謎に包まれており、彗星の如く現れた英雄だと呼ばれていた。
嘗て、白霧の国の王が暗殺された一件で、名を挙げたと言われている星騎士だ。あの混乱の中で賊から王妃を守り抜いたとされているその実力は、次期四大天とまで言わしめている。
そして現在、その王位を継いだ元・第一王女の推薦もあり、その胸には7つ星が与えられていた。
「あの少年は──運命の輪を握っている」
その言葉に誰もが黙り、第一師団がレイス達を追う為、船着場へと向かうのを見送った。
その後、ジェリス達がサジの家での事件処理を行っていると、不意にサジの遺体だけが忽然と姿を消した。
まるで、独りでに何処かへと歩いて行ってしまったかのような……。
月夜の晩に死んだはずの少女が、街の中を亡霊となって彷徨っている。
不敵な笑みを浮かべて……そして、煙の如く、その姿を消した。
薄ら笑みだけを残して、月夜に嘲笑う。




