微睡みに笑う黄昏 ④
チェスターと名乗る黒猫と共に、レイスはとある街へとやって来ていた。
街の名は『トワイライト』別名:黄昏の街と謂われているとても穏やかな街。
王都より西へ少し進むと、この静かなる街へと辿り着く。ここは主に機械製造に於ける技術開発が盛んに執り行われいる近代都市であり、街の周囲には多くの研究施設が点在していた。
「この街では機械人形技術の研究なんかも行っているのか?」
「ボールトン社は城壁の中ですよ……君達2人が貴族街へは行けないと言っていたので、そっちは後で私が助手を連れて調べておきます。此処はどちらかと言うと、装備や霊星術関連の研究及び、開発が殆どです。常に霧で覆われているこの国では、研究施設をあっちこっちに点在させる事は現実的にとても厳しいですからね。基本的に霧の存在しない場所が好ましいとされていますが、王都の敷地面積にも限界があります。況してや、貴族街の霧が晴れているのは、王都中央に聳える、かの“白式装:アルブム城塞”が多大な影響を及ぼしているとか。そして、その効力に酷似した影響を及ぼす場所が、此処──トワイライトという訳です」
くるりと振り返り、チェスターは人差し指を立てて自慢げに笑って見せた。
「何故、霧があると研究に影響が?」
「何で、何で?」
パトリシアも興味津々に飛び跳ね、キラキラと瞳を輝かせながらチェスターを見つめる。
世界の理である霊素の知識は、世間に余り深くは知られていないのが現状で、況してや貴族でもない2人にその学がある筈もなかった。
物心がついた頃には、自然と扱えるようになっていた霊素の存在を真に理解する事もなく、ただそこに当たり前に存在する霧と同じ様な感覚で、無意識に認識しているだけなのだろう。
「この国を覆うこの霧は所謂──星灰。要するに星屑=死骸の事ですね。霊素に干渉する星灰は人体に影響を及ぼす事はありませんが、微少な変化すらも研究や精密な機器類には御法度です。つまり、大気に飛散している霊素の濃度が濃い場所で、この霧が発生していると言えます。その干渉を防ぐ為に王都では人工的に濃度を抑えている様ですが、此処トワイライトではその現象が自然的に起きている、とっても珍しい場所なんですよ」
小難しい話をするチェスターにパトリシアは膨れた顔で頭を抱え込んだ。
「ん〜……」
「ハハハッ、ちょっと難しかったですかな?」
「前にも聞いた様な……幽霊が見えるのは霧の濃い場所だって、誰かに教えてもらった事がある。その時に、同じ様な話をされた気が……あれは一体、誰だったんだろうか? 確か、僕がまだ……」
朧げな過去を振り返り、レイスは記憶の片隅に仕舞われた1人の存在を微かに思い出す。過去に幾度か話をして、あらゆる事を教えてくれたあの優しかった存在。その不確かな記憶に何故だか少し、心が虚しくなった。
「まぁ、レイスの言う通り、幽霊が具現化出来る程の霊素濃度の中では、仮に研究施設を構えた所で精密な研究なんて早々上手くは行きませんよ。だからこそ、研究者達は濃度が限りなく低い場所を選び、そこに研究施設を構えているのです。最も、この国の地下施設が使えたのなら彼らもそれ程、苦労はしなくて済むのでしょうけれど……」
チェスターは得意げに尻尾を揺らし、再び歩み始めた。
街の中を歩いていると、確かに王都の様な明るさがあり、霧も然程濃い様には見えない。
チェスター曰く、この街では霧の濃度変化に一定の周期があるらしく、今は視界が良好に見渡せるほど晴れているというのに、今が最も霧が濃い高濃度周期に当たると言う。
「着きましたよ。此処が目的の研究施設──技巧義肢開発センターです」
* * * * *
【技巧義肢開発センター:Artificial Limbs開発技術部門】
「あら、可愛い猫ちゃんね!」
そう話しかけて来たのは、研究服を着た銀髪の女性だった。
数日は風呂に入っていないであろう髪はボサボサにかき乱れ、曇った丸メガネをかけた色白の女性。研究服の裾も油だらけで、ニッコリと笑いかけるその顔にも、油がしっかりと付いている。
「あなた達、こんな所で何をしているの? ウチに何か用事でも?」
「あの……」
急に職員に話しかけられ、慌てるレイスは咄嗟にチェスターを見ると、何故だか猫の様な素振りをして誤魔化していた。
いや、猫なのだから反応的には間違っていないのだけれども、連れて来た当の本人がお腹を撫でられて戯れている姿に一抹の不安が過る。
(どうする? 此処が何の研究施設なのかも知らないし……チェスターはこの女に無力化されている! パトリシアに至っては羨ましそうにチェスターを見つめているし、ここは僕が……)
「あら? その腕……そう、何だ早く言ってよ! 義手を見に来たのね?」
「えっ!? あ、そ……そうです。左腕の義手を……」
「そっちの子は妹さん? あれ? でも、瞳の色が貴方とは違うわね……」
「あはは、母方の遺伝で……僕は父に似ているとよく言われます」
「──あっ……!」
レイスはパトリシアの瞳を隠す為に帽子を咄嗟に抑えた。ジーンズ生地のバケットハットはパトリシアの顔を覆い隠し、ビックリしたパトリシアが慌てたように声を上げる。
「この猫ちゃん、こないだも違う子と来ていたけれど……彼と君達は知り合いなのかしら?」
「彼?」
女性の曖昧な発言に首を傾げるレイスは、何の話をしているのか分からないまま彼女の後をついて歩き、研究室へと向かっていた。
道中にチェスターが眼鏡の少年と以前ここへ来ていた事を聞き、先ほど言っていた助手の事だろうと話を聞き流したレイスはパトリシアの手を繋ぎ、はぐれない様に女性の後を黙ってついてゆく。
施設内部は研究服に身を包む職員がウロウロとしており、各研究室を除いてみるとどうやらここでは機械義肢の開発研究を行っている施設である事が分かった。
手足を失った星騎士が主な顧客である事と、一般向けにも開発提供がされているらしく、その機能は多岐に渡るという。
一般の人であれば凡そ、生活の補助程度の機能で十分だという女性は、何故か楽しそうに話していた。星騎士の顧客ともなると、修理からメンテナンスに至るまで専属の技師に就職する技術者も多いのだとか。
「私はね、いつかその腕を見込まれて星騎士長の専属技師になるのが夢なんですよ! 凄いんですよ!? 貴族様の専属なんて言ったら、ウチの両親もたまげます! きっとね……これなんて私が最近研究している試作品なんですが……身に付けた者の姿を曖昧に誤認させる最新技術です! どうですか? 今は試作品なので腕輪ですが、この技術を技巧義肢に応用して、潜入捜査などにも役立つ筈です……」
「へぇ~、凄いですね! 見た目を偽れるんですか?」
「いえいえ、認識を誤認させるだけです。見た目は何も変わりません。ただ、身に付ける者を相手の都合のいい解釈に偽るだけ……ここに居るのが当たり前だと、相手が勝手に思い込むだけです! 常識の刷り込みに近いですかね? 敵アジトに潜入した際など仮に見つかってしまっても、怪しまれる事なく対処できるでしょ? ただ難点なのが、目視じゃないと効果がないって事と、相手がこちらを既に知っている場合には何故か効力を失ってしまうんですよね……」
「はぁ~、み、認められるといいですね」
レイスは渋い顔で愛想笑いをする。
(それって実用的なのか? いや、でも僕の事を知らない相手になら……追われている身としては保険程度にはなるのかも知れないな)
そうこうしているうちに研究室へと辿り着いたレイス達は、機器類の散乱した小さな部屋へと入ってゆく。そこは、実に取っ散らかった汚い部屋で、彼女が実にだらしがない性分であるのかが窺い知れた。
「あ~、ごめんね。散らかってるけど……その辺に適当に掛けて」
「あ、はい……さっきの試作品って、僕の義手に応用出来たりしますか?」
レイスが彼女の試作品を機能の候補にしている事を知った彼女は、嬉しそうに両手を重ねて振り返る。
「えっ!? そ、それは勿論! 何ならこの試作品も差し上げますよ!」
「あ、ありがとうございます」
そして、彼女は鼻歌交じりに資料を探し始め、奥の部屋へと向かう。
「チェスター……本当にここで合っているのか?」
レイスは彼女に聞こえない様に小声でチェスターに話しかけた。
「心配するな、ああ見えても彼女の腕は一流ですよ。君が彼女とやり取りをしている間に私はこの施設内を調べて来ます。後、君の義手代は必要経費で落としておきますから……好きな義手を選ぶといい。君のその左腕のお陰ですんなりと施設内部へ入れたんですからね。というよりはそもそも、君の腕を直す事を目的としていた訳ですが……これからの事を考慮すれば、安いモノです。君には私を護衛して頂く必要もありますし、情報提供のお礼も兼ねて!」
「チェスター……それならもう1人、義手を必要としている奴がいるんだけれど、そいつも護衛に加えて僕と一緒に手術を受けさせてもいいかな? 今、孤児院に居るんだけれど……」
「私は別に構わないよ」
風変りな黒猫が、何処となく素敵な紳士に感じたレイスはその優しさに甘え、自身の義手を選び始める。
その表情は期待と希望に満ち溢れ、アレクに良いお土産が出来たと浮かれている様子だった。
そして、チェスターは職員の目を盗み、スッと部屋を飛び出してゆく……。




