黄金色の昼下がり ③
【孤児院=MOTHER LODGE】
──ジジジイジジジッ。
にぎわう子供達をよそに突然、玄関のベルが鳴った。
こんな時間にそれも雨の中、森の奥にあるこんな小さな孤児院だ。誰がどんな用事なのだろうか? そんな事を考えていた小さなオルティスとニフロの2人は、席を立ったアマンダの後をひっそりと追う。
玄関の扉を開けたアマンダから少し距離をとって、背後の階段から眺めるように様子を伺う小さな2人。土砂降りになった雨の中で、ひっそりとたたずむ男が見えた。
黒い傘を深く差した男は、その傘で顔がハッキリとは分からないけれど……黒い制服に身を包み、役人らしきたたずまいから教団の人間である事が推察できる。
世界政府『星十字騎士教団』の十字架の紋章を左胸に輝かせ、その十字架には8つの星が刻まれていた。教団の星騎士にのみ与えられる騎士の称号。
エミリアが星騎士の本を普段、読み聞かせしたりしてくれる事もあり、2人はその事を知っていた。
街にいる鎧の衛兵達がその胸に刻まれるのは1つ星だと聞いていた事からも、男が教団の中でも指折りの星騎士である事は明白の事実である。
そんな男がおもむろにカバンから取り出したのは小さな小包1つ。古めかしいボロボロの包装紙で包まれた小包は、アマンダに手渡され、何やらヒソヒソと長らく話をしてから深々と頭を下げる男。
そして、雨の降り頻る霧の中へとその男は消えてゆく。
「何をもらったのかな?」
「お菓子かな?」
アマンダは小包を持ったまま自室へと向かい、戻ってきた時にはその手に小包は持ってはいなかった。自室に置いてきた小包が気になったオルティスとニフロの2人はアマンダに駆け寄り、色々と質問を繰り返すようにアマンダを見上げる。
「何を貰ったの?」
「良いもの?」
「誰だったの?」
「どんな人だった?」
「お菓子なら後で食べてもいい?」
「あの人は教団の人?」
しかし、アマンダはニッコリとほほ笑むだけで、2人の頭を優しくポンポンと撫でて質問には一切答えなかった。
* * * * *
≪ レイス…… ≫
その夜、子供達が寝静まった頃。
何かの物音に目を冷ましたレイスが、ベッドから起き上がる。
そして慣れた様にフワッと翳した右手に霊素をまとわせ、暖かく淡い碧色の小さな光をその手にともした。
体内からあふれ出る霊素はレイスの右手を優しく包み、部屋の中をほんのりと明るく照らす。
誰かの声が聞こえた様な気もしたが、部屋には誰も居る気配がない。
ギーッ……
ギーッ……
ギーッ……
「うぅーん」
まだ眠気の残るレイスはそのまぶたを擦りながら、物音が廊下からする事に気が付き、聞き耳を立てて様子をうかがう事にした。
廊下の床板を軋ませている様な不気味な音が、こちらに向かってゆっくりと近づいて来る。
レイスはそっと部屋の扉に耳を当てて、息を潜めながら、その音が近づいて来るのをジッと待った。
ギーッ……
ギーッ……
ギーッ……
すると音はレイスの部屋の目の前で、ピタリッと止まる。
耳を扉に当てていたレイスの心臓が徐々に早くなっていくのに対して、焦りと不安が段々と込み上げてきた。硬直したままのレイスの表情は次第に強張り、額から尋常ではない程の汗が噴き出している。
──コンコン!
ノックの音で咄嗟に背後に仰け反ったレイスは、少し距離をとり、扉をジーッと見つめたまま生唾をゴクリと飲み込む。
ベッドの脇に置かれた時計にふと目をやると、針はちょうど深夜2時を指している。
幽霊の類をまったく信じてはいないレイスにとって見えている幽霊は、存在していないモノとして認識していた。
霊素体である幽霊は、彼ら“星の子供達”にとって当たり前に見えるモノなのだが、レイスは死者を見る事に対して、一種の精神障害なのだと考えていた。不安定な心や宗教理念による思想などにおいて齎される幻聴・幻覚の類だと思っている。
所謂──ただのビビリであった。
「大丈夫……大丈夫……ただの錯覚だよ……ハハッ……」
──コンコン!
そしてまた、扉をノックする音が響く。
トントン……
ドンドンッ……
ドンドンドンドンッ!
鳴り止まないノックは次第に大きくなり、レイスは額から流れる汗を拭ってさらに扉から距離をとった。
完全に怯え切った様子で、全身が凍えた様に震えている。
そしてノックの音がピタッと止むと、今度はドアノブがキーッとゆっくり回り始める。
右へ……左へ……キーッと金属が軋む不快な音が、何度も回る度に部屋の中に響き、レイスの鼓膜を震わせる。
「──ア、アレク……? ダン? カフラスなのか? ふざけるのも大概にしろよ。今、何時だと思ってるんだ」
今にも飛び出しそうな心臓を左手でおさえながら、扉に向かって話しかける。
しかし、返事はない。
淡い光をともした右手を扉に向けるがその薄明かりは、ゆらゆらと体の震えに比例して、レイスの不安をただただ物語っていた。
少しして何も物音がしなくなると、レイスは恐る恐る近づいて、その扉をゆっくりと開く。
目の前には暗闇が広がり何も見えない──右手を翳しているのにも関わず、暗闇は暗闇のままレイスの目の前を黒く染めていた。
そして頭上から微かに聞こえる息づかいに何かが目の前にいるのだと気が付いたレイスは、ポタポタと目の前に垂れ落ちる何かに反応して、咄嗟に右手を頭上に翳す。
すると、大きくて真っ黒な体表の何かが、紅蓮のまんまるい瞳を不気味に見開いて、瞬きもせずにこちらをジーッと見下ろしているではないか。
ソレは鋭い牙を赤く染め、涎なのか赤いドロッとした液体をレイスの顔に垂れ流しながら、口角をキュッと不気味に吊り上げて、ただニンマリと笑みを浮かべて立っていた。
「…………」
咄嗟に視線を下すと不意に、ソレが持っているモノに気が付く。
ソレの長い腕がだらんと垂れ下がり、大きくて鋭い爪と細長い指に掴まれた無垢な存在──惨たらしく内臓を抉り喰われたのか、ポッカリと空いた空虚なおなか。茶髪の編み込まれた可愛らしいおさげに、生気のない蒼白な表情のエミリアが、足を掴まれたまま死んでいる。
引き摺られて来たのだろうか? 廊下には暗闇の奥からずっと続いている血痕が、チラリと見えた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
息が詰まる。夕食の時にはお調子者の兄妹、ザックとナルバをいつものように叱り付けていた、あのエミリアが今やただの人形と成り果て、足を握られたまま死んでいる。廊下には臓物や千切れた肉片が無造作に転がり、酷い光景がレイスの脳裏に焼き付いて忘れられない。
意識が朧げでふらりと体勢が崩れると不意に、ソレが大きな口を開いて叫ぶ。
≪キャァァァッアアアアアアアアアアアアアアア──≫
目の前のソレがこの世のモノとは思えない奇声を唐突に発すると、驚いたレイスは腰が砕けるようにして後ろへと倒れ込んだ。閉じてしまったまぶたを慌ててすぐに開くとソレは、レイスの鼻先が触れるかどうかという程の距離に、その顔を近づけて──囁くようにそっと呟いた。
≪──ネェ、アソボウヨ……≫