鳥籠に囚われた傀儡 ⑥
その頃、フロドはレイスの行方を捜し、屋根の上を走り回っていた。
「どこに居るんだよ、レイスの奴。ビビりな癖に人一倍、正義信の強い奴だからなぁ。他人のもめ事に首を突っ込んでなきゃいいけど……逃げ足だけは速いからな、堕天や他の連中にやられているなんて事はまずないだろうけれど」
屋根から屋根へ足に霊素を纏ったその跳躍は人の身体能力の常識を容易に上回る。それが所謂──星の加護と呼ばれるモノであり、星教徒の多くがその術によって身体能力の向上を可能にしていた。本試験に於いて、唯一使用を許可されている霊星術の基本技能の1つ。
「おい! そこのお前、止まれ!」
「んっ?」
不意に呼び止める声が聞こえ、足を止めたフロド。声の方へ目線を向けると、慌てた様に手招きをする太めな男とその背後には数人の受験者達が集まっていた。
「早く、こっちに来い!」
(罠か? いや、そんな風には見えないが……取り敢えず、警戒はしつつ話だけでも聞くか。レイスの居場所も知っているかもしれないしな)
彼らが身を隠していたのは街の中でも一際目立つ大きな資料館の3F。その窓からフロドを必死に呼び止めていたのだ。正面入り口にはバリケードの様に建物の瓦礫がいくつも積み重ねられ、恐らく彼らは籠城をしているのだろうとフロドは察した。
フロドが物凄い跳躍で3Fの窓へと跳び上がり、部屋の中に入ってみるとそこには5人程の受験者達が狭い一室に固まっているではないか。1人は怯え切った様にソファーの上で震え、ソワソワと歩き回る者や手傷を負い悶え苦しむ者もいる。
「危ない所だぞ! あんな屋根の上を跳んでいたら、いつ奴らに襲われるか」
「奴ら? あぁ、そういう事か……君達、リタイア組か」
辛辣な言葉を呟くフロドに1人の少年が噛みついた。
「あ゛ぁ! リタイア組だと? テメェ、何様のつもりだ! 奴らを目の前にして同じ事が言えんのかよ! 見た事も戦った事もねぇ癖に偉そうな事言ってんじゃ……」
不意にマントを広げ、失くした左手を少年に見せると察したのか少年は口をつぐんだ。
「試験前の事だ。この顔の傷も奴らにやられた。だから何だって話だが、星騎士ってのはあんな奴らを狩る仕事だと知らない者がこの世の中には多い。貴族の栄光だとか、国の繁栄の為だとか、世界政府に搾取された者達は何も知らずに死んでゆく。それが今の世の中で、世界は残酷なんだと実感する」
「だから、どうしろって言うんだよ! 俺達に何が出来る。闇雲に戦った所で奴らの餌になるのがオチだろうが!」
ムキになる少年はフロドの胸ぐらに掴み掛り、自身がまだ誇り高き貴族である事を主張する。ここに居る全員が権力を有する貴族の生まれで、悲劇も苦難もなくこれまでずっと強者として生きてきた。
「リタイアする事を咎めやしない。それが生き残る為の最善策なら、俺は誇りを持ってリタイアするべきだとさえ思う。けど、抗う事を諦めたモノに称賛も今の現状を打開する機会だって与えられやしないさ。それが嫌なら命を懸けて抗い続けろよ。俺はこの世界の真実を追い求める。だから、こんな所で腐ってる場合じゃないんだよ」
「真実って……あんなバケモノがこの世界には沢山いるのか? 教団はその事実を知っていて何故、隠しているんだ? 中央貴族の奴らは……この事実を知っているのか?」
貴族である筈の自分達ですら、知り得なかった情報を庶民であるフロドに教えられたという事実。少年の中で風向きが少し変わった様に感じる。それは、教団に対しての疑念。
「さぁな。俺も知らないけど、少なからず教団は奴らを狩る為に世界政府が組織した騎士団だ。今じゃ国防を担う役割をしているが、その実態は得体が知れない。奴らの存在も謎なまま死にたくはないだろう? 俺は知りたいんだよ。家族を殺したあのバケモノが何なのか、何故、世界政府は奴らの存在をひた隠しにしているのか」
「……何だよそれ。ふざけんな! お前はあんなバケモノと対峙して、左手まで失ったっていうの未だに星騎士を志してんのかよ! どんな神経してんだ……」
少年の中で揺れる葛藤。誇り高き貴族の性。
貴族に生まれ、貴族として育ち、貴族として家名を守る。その為には君主が教団に属さねばならない。跡取りが試験で逃げ出したと親族に知れれば、家名に泥を塗る事と同じ。一族の恥さらし。
「すまなかったよ。アンタの言う通りだ。真実を知らないまま、生き恥を晒すぐらいなら、俺は勇敢に立ち向かって名に恥じぬ生き様を通す! アンタ、名前は? 俺はジョゼフ・キール。ダミアン・ド=キール家の長男だ。宜しくな。」
ジョゼフはフロドの手を握り、協力を申し出る。
「俺はフロド=バーキンスだ」
「宜しくなフロド。あそこで怯えてんのがハンナ。歩き回ってる奴がフリッツ。足を怪我しているのがベンでお前に声を掛けたコイツが……」
「リファネスだ。デブって言うなよ」
本人が言うように巨漢ではあった。フロドは少し困った様に笑い、リファネスの食べている物に目をやる。腰袋に詰められた非常食なのだろうか、リファネスは常にその袋に手を入れて白い豆粒の様な何かを食べている。
「変な事は言うなよ。コイツ、常になんか食ってないと落ち着かないんだと、それよりベンの容態が悪いんだ。フロドは治癒術が得意だったりしないかな?」
「少しなら、ちょっと見せて」
そう言うとフロドは悶えるベンの元へゆき、血の滲んだ布をめくる。傷口は抉れ、溢れ出る血にフロドが両手を当てると霊素を流し込み、みるみる傷口が治ってゆく。
霊素操作に長けるフロドは治療に対して優れた才を持ち、その類稀なる博識は日ごろの読書から得た知識であった。故に戦闘向きではない事を本人が一番理解している。
「あ、ありがとう。痛みが和らいだよ。俺はベンだ」
「良かったな。ベン、ありがとよ。俺達の中に治療術を扱える奴が誰も居なくてよ。俺はフリッツ。宜しくなフロド」
「宜しく」
「私達、またあの怪物と戦うの? 嫌だよ! 私は……死にたくない。あんな酷い死に方……嫌だ。こんな鳥籠に囚われて、私達……まるで傀儡だわ」
フロドの登場によって和みつつあった空気を裂くようにハンナが呟く。誰しもが理解していながら口にはしなかった事実をこの場の全員に突きつける。目の前で死んでいった仲間達がどんな殺され方をしたのかフロドには痛い程、よく分かった。
「無理して戦う必要はないさ。俺も戦闘は苦手なんだ。支援タイプだしね。だけど、ここに籠城して、生き残れたとしても教団は合格者以外をどうするかなんてわかりゃしないだろ? 本心で言えば、そこまで星騎士にこだわりがある訳じゃない。ただ死にたくはない。だから抗うし、合格だってする」
「合格者以外は殺されるの?」
不安そうにフロドを見つめるハンナ。他の連中も驚愕した様にフロドを見つめる。
「まぁ、可能性の話だ。そういう事を平気で出来る様な連中だって事。ここ数百年、あのバケモノについて多くの人間が知る機会すらもなかったんだ。それは即ち、教団の徹底的な秘密主義による画策なんだろうよ。得体の知れないバケモノ。名は堕天──世界の闇に蠢く悪意だ」
「堕天……」
「この鳥籠に堕天が捉えられている事を考えても、教団には奴ら以上の実力があり、知識があり、教団でしか知り得ない情報が必ずある。俺達は鳥籠に囚われた傀儡じゃない! 囚われているのはあのバケモノ達の方だろ! あくまで俺達は狩る側だ」
フロドの演説に奮起した一同が互いに目を合わせ、意思を固める。
「よし! やるか!」
「なら助けに行こうぜ!」
「うんそうだね。助けなきゃ」
「ベンは大丈夫そうか?」
「あぁ、もう動けるよ」
「ところで、金髪のポニーテールで小柄な奴を見なかったか? レイスってんだが、俺の仲間でよ。集合地点にも来なかったからずっと捜してるんだけど……」
フロドがレイスの名を出すと突然、全員の表情が青ざめ──曇る。
「フロド……今、レイスって……」
「仲間なのか?」
「あぁ、同じ孤児院で育った家族だ」
嫌な予感。全員の表情から察するにレイスの事は知っているのだろう。少なくとも名を教え合うくらいには共に行動をしていたんだと理解する。そして、現状この部屋にレイスの姿はない。
「悪い……レイスは……死んだよ」
ハンナが呆気に取られているフロドの手を握り、最大限の配慮と優しい声でそっと呟く。
レイスは死んだ。
この資料館の内部には今も堕天が蠢き、彼ら5人は他の仲間たちを見殺しに籠城を続けていたのだった。そして、彼らが見殺しにした仲間の中にレイスもまた含まれていたのだろう。




