鳥籠に囚われた傀儡 ④
耳の奥が針を刺す様に痛み、世界から忽然と音が消えた。
リズベットにとってその事実は、この試験の終わりを無情にも告げる報せであり、残酷にもこの先の試験に於いて、生き残る術はないとさえ思わされる程に深刻な状況である事を理解する。
限られた可能性は目の前の小さな背中にただ縋るのみであった。
「ありがとう……助けてくれて、本当にありがとう」
「君、大丈夫かい? 怪我は……耳から出血しているみたいだけど、聞こえているのかな?」
リズベットはレイスの話す言葉が理解できない。鼓膜が破れ、何かを話してはいるのだろうけれど、その意味を理解するにはあまりにもこの世界は静か過ぎる。平衡感覚もままならないまま目の前のレイスがこちらへ向かって必死に何かを伝えているのにも関わらず、リズベットはぼやけた視界でその影を見つめている。
「無理か。聞こえていないとなると、このままにしておく訳にもいかないしなぁ……立てるかい?」
「ありがとう……助けてくれて……」
そっとリズベットの手を引き寄せ、腕に肩を回すレイス。
リズベットも直ぐに移動するのだと察し、足に渾身の力を込めて立ち上がった。リズベットにとってレイスの存在が実に英雄的であった事だろう。その腕は細く、体付きも到底星騎士に慣れる様な体格ではない。
恵まれない資質に貪欲な姿勢がレイスの背中を大きく見せている。リズベットにとって、その背中は強い意思と確固たる信念が垣間見え、実際よりも頼もしく思えていた。
「さぁ、肩を貸すから早くここを移動しよう。いつまたアイツが戻ってくるやもしれないし、他の連中とも出来れば遭遇したくはない。僕はそれ程、強くはないからね」
レイスが弱気な発言を呟きながら、聞こえてもいないリズベットを担いで歩いて行く。あのバケモノが戻ってこない事を切に願い、少しでも遠くへ。この試験に於いて気の休まる場所などありはしないが、それでもバケモノの居ない場所は幾度か気が楽になるだろうと堕天の位置を特定するレイス。
恐怖に奮い立ち、今度は助ける事が出来たのだ。この結果を無駄にする訳にはいかないとレイスは感覚を研ぎ澄ませながらゆっくりと歩いて行く。それが、例えいばらの道であろうとも、見捨てるという選択肢はレイスの中に存在しないし、もう後悔はしたくはなかった。
鋭敏な感覚は堕天の位置を正確に割り出し、受験者達の霊素に至るまで把握するとやがて、背後に迫る1人の存在に気がついた。
(左も右も交戦しているみたいだけど……クソッ。さっきから後方をついて来る影も気になりはするが、堕天との遭遇を避けない事の方がよっぽどリスクを負うだろう。ここは一度、後方の奴を待ち構えてやり過ごすか……)
そっと近くの物陰に身を隠し、リズベットにも音をたてない様に身振り手振りで伝えるとリズベットはコクリと小さく頷いた。
そして、レイスの目線の先をジッと見つめるリズベット。
少しして1人の少年が現れる。先程レイスと交戦していた貴族の少年だ。大鎌を片手に颯爽と現れた彼は徐に立ち止まるとレイス達を見失ったかの様な素振りで、辺りをキョロキョロと見渡して大鎌を勢いよく振り回す。
(あの貴族、僕らの事を狙っているのか? いや、気配は悟られていない筈)
「おい! 隠れてないで出て来いよ! 腰抜けが人助けなんてしてんじゃねぇぞ! 今すぐ2人共殺してやるからよ、10数え終わる前に大人しく出てこい!」
大鎌を構え、今にも斬りかかりそうな少年はニヤリと笑みを含ませて、カウントを数えだす。
「10! 9!」
(彼女の存在も知られているのか……どうする。ここは僕がおとりになって彼女だけでも逃がすべきだろうか? それとも彼女を背負ってでも、更に遠くへ)
「8! 7!」
(時間がない。彼女の状態を考えれば、取るべき選択肢は1つ)
「6! 5!」
(位置がバレていないならこのまま少し、様子を見る! 逃げるのなら、バレた後にでも大丈夫だろう。彼の足はそれ程速くはなかったし、彼女1人背負った所で追いつかれる心配も……)
「4! 3!」
「フフッ……」
少年の背後で不敵に笑う少女。
「あ゛っ? 何だお前?」
カウントを止めた貴族の背後に突如として現れた不気味な少女は、藍色の髪に手足を包帯で巻いた幼気なその姿を見て、受験者の中にいたであろう微かな記憶がレイスの中に過る。気にも止めていなかったその存在がレイスの中で沸々と不安へと変わり、その存在が異質である事がハッキリと分かってしまう。
(何だあれは……まるで、バケモノだ!)
先程まで一切の気配も感じなかった少女から溢れ出す殺意・悪意・憎悪。そして、試験開始に感じた異様な狂気に満ちる霊素。その存在が今、レイス達の目の前に姿を現した。
「ああぁぁっぁあ! 滾る! 食べてもいいかい? 良いよね? 質の良い肉をこうも目の前にチラつかされては我慢が出来ないよ! 食べたい! 食べだい! ねぇ、この辺りに他の人間もいるのかな? 誰かに話しかけていたみたいだけど? 君、オイシイ? ねぇ?」
「何なんだよ、お前! 気持ちが悪いな。ヤル気なら相手になるぜ……ぇっ」
刹那。
レイスが瞬きをした次の瞬間、少年の持っていた筈の大鎌が、少年の首をスパンッと綺麗に刎ね飛ばし──鮮血の血飛沫と共に宙を舞う。それを残酷と言うには余りにも呆気なく、それでいて優美な放物線を描く大鎌に真っ赤な雨が降り注ぐ。
少女は不敵に笑みを浮かべ、その身を天に伸ばして鮮血を浴びる。
その全ての所作が洗練された無駄のない動きであった事に、リズベットもレイスもただ茫然とその光景を眺め、美味しそうに貴族の身体を貪っている少女に見惚れる。
獣とはまるで違う、知性と狂気に満ちた異質な存在。
「あぁ、まだ喰い足りないなぁ……誰かそこに……イルヨ、ネェ?」
一瞬、レイス達の方へ向けられた殺意に2人はすかさず身を隠した。視線を落とし、一切の息をも殺す。
(殺される! 何なんだあの少女は……まるで堕天じゃないか! 受験者にあんな奴が紛れているなんて気が付きもしなかった。ずっと一緒だったのに、何故気が付かなかった? 息をすれば殺される! 動いたら殺される! 勇気とかそんな類の話じゃないぞ!)
「やっぱり、気のせいなのかな? こいつは誰と話していたんだろ? まぁいいや。次に行こ、次々!」
少女は貴族の骨だけを残し、大鎌を持って姿を消した。まるでメファリスを彷彿とさせるその異様さにレイスは身を竦めて震え、気配が遠ざかるのを確認した後、レイスは大きく息を吐く。リズベットに目線をやると悲愴な表情を浮かべて小動物の様に愕然と怯えていた。
「…………っ……」
「はぁ……はぁ……はぁ……冗談じゃない。あんなのが気配もなく現れるなんて想定外過ぎるんだよ。こんな試験を続けていたら、命がいくつあったって足りやしない! どうすればいい。ポイントどうこう言っている場合じゃないだろコレ」
完全に意気消沈する2人はその場に留まり、動かない身体を必死に落ち着かせる。目の前には貴族の骨だけが残り、震えた身体を互いに寄せ合う事で何とか平静を保っていた。
植え付けられた恐怖は骨の髄まで染み渡り、生存意識のみが2人をただ生かし続けていた。恐怖と言う名の生物に備わった生き残るための生存本能である。




