鳥籠に囚われた傀儡 ③
「クソッ……クソ。僕は臆病者なんかじゃない。止まれ、何で震えてんだよ。これじゃあ、何も変わってないじゃないか。ミアとの約束を果たすんだろ! しっかりしろよ、この足」
自問自答を繰り返すレイスは、扉の内側からひしひしと伝わる重圧に怯えていた。レジナルド達と分かれ1人67番扉の前に立ち、葛藤の渦に沈んでゆく。
『──これより第二試験を開始します。開錠!』
ジェリスの合図と共にゴゴゴゴゴッと、重々しく眼前の扉が開いた。それと同時に鳥籠の中へと一斉に走り出す受験者達。己が夢の為──その瞳に一切の揺らぎなし。
しかし、レイスだけがその場に立ち竦み、動けずにいた。中から伝わる嫌な雰囲気はまさしく堕天そのモノであり、メファリスと共鳴していたレイスはこの時、初めてある事に気が付く。
その禍々しき堕天が放つ霊素の異質性。不気味な程に肌をチクチクと刺すその膨大な質量と恍惚な悪意に愕然と絶望の色を浮かべた。
視認する事もなくただ──感じる。ただ、感覚的にこの模擬都市の内部で、あてもなく徘徊するその個体数を一寸の狂いもなく正確に把握した。そのモノの現在位置から質量に於ける個々の個体差に至るまで、レイスの肌はそれら全てを感じ取っていた。堕天であるメファリスと共存するレイスにだけが認識できるその感覚はまさに──共鳴と呼ぶべき堕天のそれに相違ない。
「22体いる……それにその内の2体は、怪物だ……出会ったなら間違いなく確実に殺される。それに、僕の身体が変だ。急にどうしちゃったんだろう。メファリスの影響が出始めているのか? それよりも、ヤバいってこの試験。何なんだよこの試験内容は、僕らを餌にでもするつもりなのか教団は……」
レイスが迷い踏みとどまっていると突然、扉が次第に閉まってゆく。咄嗟に中へと足を踏み入れたが最後、固く閉ざされた扉にレイスは後悔をそっと拭った。
「閉じ込められた……どうする? 取り敢えずは皆と合流するのが先決か。集合地点の中央を目指して、どうにかするしかないけれど……この感覚があれば、もしくは……」
「みぃつけた! やっぱり小心者は扉から動けないと踏んで正解だったな」
不意に声のした方へと視線を向けると、そこには1人の貴族が不敵な笑みを浮かべて立っていた。大鎌を持った長身の男。見るからにガラの悪そうな面持ちで、レイスを見つめている。
(仲間殺し! 奇襲は考えていなかった訳じゃないけれど、堕天の存在に気を取られ過ぎた。本来なら中央まで一気に駆け抜けていく算段だった筈なのに、不意に堕天の存在を肌で感じられる様になったせいか、出遅れたのか)
咄嗟にトンファーを右手に取り出して、瞬時に身構えるレイス。失われた左腕はマントで覆い隠し、手負いだという事を相手に悟られぬ様に警戒する。
「奇襲とは随分と臆病なんだな。そんなに標的との接触が怖いのか?」
「扉の前からずっと動けずにいる貴様とは違うさ。ポイントは多いに越した事はないからな。どうせ標的に殺される命だろうが! 俺が態々ポイントとしての価値を見出してやるって言ってんだよ。ありがたく死んどけッ!」
大鎌を振りかぶり、真っ向から突っ込んできた相手に対してレイスは地面についたトンファーを起点にふわりと舞い上がる。両の足に纏った霊素が青く燃ゆり、揺らめく。
「遅いな……その程度じゃ、アンタは生き残れないよ」
「なっ……」
レイスは男の頭上を飛び越えて、冷静を取り戻す。そして、男には目もくれず、集合地点である中央へと駆け出した。その速さは森で見せたモノとは別格で、障害物の木々もなく直線的な道のりはレイスのスピードを更に加速させるのだ。
(現状では中央付近に堕天はいない。このまま全員と合流できれば、サポート点でポイントは稼げる。無闇に単独での戦闘は避けた方が賢明だろうな)
「──きゃああああああああ!」
その時だった、左後方から女性の悲鳴が聞こえた。レイスの足はピタリと止まり、脳裏にエミリアが過る。まるで過去を悔いる様にトンファーを強く握ると意を決し、悲鳴の方角へと一心不乱に走り出した。
分かってはいた。全員を助ける事はほぼ不可能に近い。しかし、レイスはそれでも向かわずにはいられなかった。胸に抱いた後悔の念と無慈悲な世の中に怒りを覚え、レイスは向かう。
そこに堕天がいると知りながらも、その禍々しき霊素に向かってひた走る。
≪ヅライ……クルジイ……タベタイヨ≫
「来るなっ! ふざけんな! 喰われてたまるかって!」
少女は茶髪のロングヘアーを1つに纏め、その手に持った薙刀を堕天に突き立てる。少女は初めて見るバケモノに驚愕し、腰を抜かしてうろたえるのみであった。一代で財を成したモルド家の才女リズベットは地方に生まれた貴族の出であるが、教団を志すと決めたその日から日夜、鍛錬に勤しむ日々を送っていた。
それなのに突き立てた薙刀は1.5m程の距離を絶えず保ち続ける他ない。今にも堕天の爪や牙が、リズベットを切り裂こうと襲い掛かって来る。
「なんて力なのよ。押し込まれる……」
じりじりと建物の外壁に押し付けられてゆくリズベットは懸命に薙刀を握り、助けが来る事を切に願う。もしくは違反をしてでもこの場を乗り切る他、残された道はない。
「固有能力も性質変換も使えないんじゃ、こんなバケモノ倒せる訳がないじゃない。死ぬくらいならいっそ、受験資格を失ってでもやるしかない」
≪──キャアアアアアアアアアアアアアアアアアア≫
突然の奇声。その瞬間、鼓膜から血が流れ落ちる。目の前が眩み、全身の筋力が緩んだ。薙刀はいとも簡単に弾かれ、リズベットと堕天の間が徐々に縮まってゆく。
(何……? 急に力が、目の前がぼやけて見えない。音も聞こえない……殺される! 嫌だ! 死にたくない。動けっ! こんな訳も分からないバケモノに喰い殺されたくなんかないよ!)
リズベットには見えていなかったが、その時堕天はリズベットの悲愴な表情にニンマリと笑み浮かべて大きな口を開けていた。確かに感じるその息づかいにリズベットの背筋が凍る。
体を両側から鷲掴みにされ、動く事すらもままならないリズベットにとってはもう既に死んだようなモノだった。失意の淵で下半身が濡れる──失禁したのだ。
(もうダメだ……死んだ。こんな死に方って……お父さん、お母さん……ごめんなさい。私、碌な娘じゃなかったよね。ごめんなさい……ごめんなさい)
「──うぅおおおおおおぉ!」
雄叫びと共に堕天の右側頭部へと霊素を纏ったトンファーが衝突する。物凄い勢いで殴り掛かったその一撃は空気を歪め、堕天を穿つ。
吹き飛んだ堕天は幾つもの建物を突き抜けながら、砂塵を巻き上げて30mは後退しただろう。
「はぁ……はぁ……ま、間に合った、みたいだね」
「…………」
リズベットはぼやけた視界でレイスの背中を見つめ、誰かがそこにいて、その誰かが自身を救ってくれたという事実に安堵する。その姿も、その声も、虚ろな世界にかき消されていたのだが、不思議とリズベットには英雄の様な後光だけが見えていた。
「大丈夫かい?」
「あ……ありがとう……」
感極まるリズベットは大粒の涙を零して、震えたその手をレイスの背中にそっと当てた。




