星が導く夜明け ⑤
「──お嬢ちゃん、生きてるかい?」
そんな時だった、見るからに酔っ払いの男が2人。その頬を赤らめ、酒瓶を片手に話しかけてきた。
少女は燻んだ瞳で見上げると男たちはニヤリと笑みを浮かべ、徐に少女の上へと覆いかぶさる。別に抵抗する気も、逃げる気さえも、今更少女にはなかったのだろう。ただ男たちにされるがまま少女は衣服を剥がれ、小さな影を死んだ様な目つきで見上げていた。
「このガキ、上玉だぜ。身なりは小汚ぇが、顔はここらじゃ見ねぇぐらいにべっぴんだなぁ」
「俺にも後でヤらせろよ!」
「分かってるって、そう急かすなよ。それにしてもこんなガキが悲鳴一つ上げねぇとは、世も末だねぇ。嬢ちゃん、こんな事しておいて何だけどよぉ、人生そんなに捨てたもんじゃないぜ」
少女には男が話している言葉の意味が理解できなかった。
結局のところ綺麗事を並べているに過ぎない。そう内心では思い、こうして夜道で通りすがりの幼女を襲っている醜悪な大人に、そもそもそんな人生論を偉そうに言われたくもなかったのだ。
(このまま死んでも別に構わない。仮にこの男が同情で助けてくれたとしても、所詮は自分が襲ったという事実に苛まれて、罪悪感で利己的な親切心を働かせたに過ぎないのだから。まぁ、そんな一寸の望みもない親切は訪れる訳もないのだろうけども……)
少女は男の酒臭い吐息に、そっと顔を背けた。
少女は寝そべり、全身の体温が雪へと溶けてゆく様に身体は次第に冷たく、意識さえも朦朧とし始めていた──と、その時だった。
唐突に男の悲愴な叫び声が聞こえる。
「ぐっがああぁああ! う、腕が!」
「何だ、このガキ。クソッ……何処から湧いて出た」
「その子を離せ。さもないと、次は首を斬り落とすぞ」
「分かった、そいつは好きにしろ……だから、頼む。見逃してくれ」
少女の顔にポタポタと生暖かい血が垂れ落ちる。まるで果汁を搾ったかの様に流れ出た赤い血とは対象的で、男の顔は真っ青に血の気が引いていた。
後ろの男も青ざめた様に慌てふためき、少女をその場に残して一目散に逃げて行く。
2人の男が姿を消して間もなく、少女と同い年くらいの男の子が、にこやかな笑みを浮かべて少女の顔を覗き込んだ。
その手には血に染まるナイフが輝く。
「大丈夫かい? 女の子がこんな夜遅くに出歩くもんじゃないよ」
「…………」
(何とも胡散臭い子供だ)というのがこの時、少女が彼に抱いた最初の印象である。
襲われている少女を助けたにしては不自然な程、和かに──平然と話しかけてきた彼のその瞳には、曇りのない絶対的な正義というのだろうか。そういった暴力でさえ、正当化させてしまう強い意思が垣間見えたのだ。
「行く当てがないのかい? それなら家に来るといいよ。家は街外れの小さな教会なんだけれど、君くらいの女の子もいるし、暖かい部屋に、温かいご飯もある」
ニコリと笑いかける彼の言葉に少女のお腹が“ぐぅー”っと返事をした。
「ハハハッ──お腹が空いてるのかい? なら、尚更だ。おいでよ!」
彼の差し出した手に少し間をおいてから、戸惑いながらも少女はそっとその手を握りかえす。すると、彼はとても嬉しそうに自身の上着を少女の肩に掛けて微笑むんだ。そんな少年の気遣いにどことなく、悪い気はしなかった。
これまで出会ってきた誰よりも優しく、彼の心が真に美しいのだと感じられたからだろう。
これまで幾度も向けられた軽蔑の眼差し。あの冷たい視線に生きる事さえ、許されないのだと思っていた少女の心は、水面を掬い上げる様な少年の優しさに救われたのだった。
「──俺は、レジナルド・J・ハーグリーブズ。ミアにはロブって呼ばれている。あぁ、ミアってのは教会にたまに遊びに来る女の子でさ……さっき言っていた女の子の事だよ。君も特別に俺の事はロブでいいよ。それで、君の名前は?」
少し間をおいて、少女は歩き始めたと同時に名を語る。
「僕は、あ……ァ──ィス……レイス。只のレイス」
「レイスか、いい名前だね。これから、よろしくレイス」
少女にとってレジナルドの笑顔は、正直に言うと苦手であった。眩しすぎるというのか、濁っていた瞳にはその光が強過ぎるのだと視線を逸らす。
穴の空いた靴から見える赤い指先を見つめ、少女はレジナルドの少し後をわざと遅れて歩いた。
レジナルドは少女を気にする様に何度も振り返り、その真っ直ぐな笑顔で少女を見つめる。その笑顔を見る度に、少女は嫌悪と共に目線を落とし、その歩をゆっくりと進めるのだ。
(偽名で名乗ったからなのか、何だか気が引けるな)
少し進んでから、ふと何気なしに後ろを振り返った少女。その背後には少女達を見つめるあの小さな黒い影が、まだそこで立ち尽くしていた事に不思議と笑みが溢れた。
(彼にも、あの黒い影が見えているのだろうか?)
そんな事を考えながら、少女は影を残してレジナルドの後を追う。
* * * * *
「ただいま」
「…………」
レジナルドと共に教会へとやって来た少女は、その暖かい部屋の温もりに、自身の手足や身体がジンジンと痛み始めた事に驚きを隠せずにいた。
今まで全くと言っていい程に痛くはなかった筈の身体が、暖かい部屋の中に入った途端、熱を帯びる様にして全身が痛む。
感覚が戻って来た証拠なのか、血流が全身に巡って行くのがわかった。
少女が身体を抑えていると、レジナルドがヒョイっと身体を持ち上げて暖炉の近くまで運んでゆく。お姫様抱っこと言うのだろうか。人生で初めて人に持ち上げられたと言うのに、些か少女の中では複雑な感情が渦巻く。
「あ、ありがとう……」
「あぁ──気にしなくていいよ。今、ミアを呼んでくるからここで暖まっているといい。何か飲むかい? それより、ご飯の方がいいか」
そう言うと、レジナルドがお湯の入ったマグカップと真っ白なクリームシチューを持って、キッチンの方から戻って来た。
湯気の上がる温かそうなクリームシチューは、トロットロッに溶けた具材と上にまぶしてあるパセリが、絶妙に食欲をそそる見た目をしている。ここ数日、何も食べていなかった少女にとって、それはヨダレが止まらなくなる程に贅沢なご馳走で、優しいその香りは少女の鼻腔を刺激する。
「食べる前にお湯を少しづつ飲んで、胃を慣らした方が良いと思うよ。あの寒空の下、長時間に渡って歩き続けて来たんだろ?」と、レジナルドは和かにマグカップを手渡した。
暖炉の前にクリームシチューを置き、レジナルドは少女の痛々しい手足をチラリと見た後、何処かへと立ち去っていく。少女はその表情に少し引っかかっていたのだが、目の前の香りにすぐご馳走へと目が移った。
そして、少女は言われた通りにお湯を少し流し込んで、染み渡るその温もりに瞼を閉じる。鼻をくすぐる美味しそうな匂いが更に強く香り、躊躇なくトロけた肉を口いっぱいに頬張った。
「はふぅ、はふっ……」
分かってはいたが、想像よりも遥かに熱かったクリームシチューを口の中で転がし、ゴクリと吞み込む。その瞬間、少女は皿を持ち上げ、口いっぱいにクリームシチューを勢いよく駈け込ませる。
無我夢中で頬張るクリームシチューに、暖かい暖炉。全身がポカポカと温まり、まるで生きている事を許されたかの様な優しい夢心地に浸る少女。
(……美味しい)
身に染みる様に身体は温まり、満たされるお腹に突然──大粒の涙が溢れ出した。
「えっ……⁉︎」
少女は戸惑いながらも、止めどなく溢れでるその涙と共にクリームシチューを頬張り、鼻をすする。
涙の入ったクリームシチューは少し塩っぱかったけれど、今まで食べた何よりも、本当に美味しいと少女は涙を流しながら、口いっぱいに頬張った。生きていて良いんだと思えるほどに慰めるその味が、燻んだ瞳を涙で滲ませる。
(生きていて、本当によかった)
これ程の幸福が訪れて良いものかと自身の頬を摘み、その痛みに笑みが自然と溢れた。
(痛い……フフッ……よかった。本当に、よかった。本当に……美味しいよ……)




