星が導く夜明け ③
誰もが3時間の耐久試験とばかり思っていた問いが、丁度1時間のタイミングで変わり始めた。
『問.静かに顔を上げろ』
問題用紙に『問.動くな』とだけ書かれていた文字が消え、新たに浮かび上がる指令の様なモノ。瞑想に浸る受験者には気づきようもない仕組みであった。根気よく耐え抜いた者だけが目にするその問いは、まさに幻覚のようである。
(文字が変わった⁉ どうなってる? 幻覚か? いや、これは紛れもなく変わった。従うべきか? それともこのまま動かない方が正解?)
もうその判断をする気力すら、受験者達には残っていない事だろう。
レイスは半信半疑ではあったが生唾をゴクリと飲み込み、そーっと顔を素直に上げた。すると、想像していたよりも受験者の数が減っている事に驚く。
試験開始時点では1000人以上の受験者が席に座っていたにも関わらず、現在レイスの目の前には100人程の受験者しか見当たらない。
さらに、隣に並んで座ったはずのレジナルド・フロド・ユア・アレクの姿さえも消えていたのだった。
まるで狐につままれたかの様に不思議な感覚で目の前を向くと、試験管であるジェリスがニッコリと微笑み、壁に掛けられた大楯に目線を移す。
そこには『星の導きに準ずる者達』と記され、教団のシンボルマークが刻まれた青銅の大楯にクロスする2対の星剣が飾られている。
(星の導き……。星騎士の準ずるモノ……。もしかして、霊素の事だろうか)
レイスは徐に問題用紙に手を当て、霊素を注ぎ込む。すると次の瞬間、問題用紙に術式が浮かび上がり、レイスの体を音もなく吸い込んだ。
* * * * *
「やっぱり、遅かったなぁ。レイスは」
目を開くとそこにはアレクがニヤリと笑みを浮かべ、レイスの目の前に立っていた。唐突の出来事に周りを見渡すレイスに対して、レジナルドもフロドもユアもその場でレイスを見つめている。
「えっ……と、合格?」
「さぁね。取り敢えず、待機かなぁ」
「俺達も結果はイマイチよく分からないんだ。ただ、問題用紙に吸い込まれて、ここに飛ばされただけ。今の所、レイスを含めても50人くらいしかまだ来ていないし、普通に考えれば合格なんだと思うよ」
先程のホールとは部屋の雰囲気もガラリと変わり、シンプルで整頓された綺麗な一室。その中におよそ50人程の受験者が、何らかの術式によって飛ばされて来たようであった。
「でも、他の受験者は? 僕がここへ来る前、ホールには100人くらいしかいなかったよ」
「恐らく声を出したり、動いたりした不合格者は違う場所へ飛ばされる仕組みなんだろう」
「それにしても、何でアレクまで僕より先にいるんだよ」
「何だよ。悔しいのか?」
「たまたまでしょ。試験開始前にあんな面してたヤツが、あの問いに答えられる訳ないもの」
「なっ……そういう、ユアだって俺より後に来たくせに!」
「何よ! どうせ問題用紙を燃やそうとでもしたんでしょ?」
「おいおい、いくらアレクでもそれはしないだろ」
「…………えっ、何か言ったか?」
((( 燃やそうとしたんかッ! コイツ! )))
「因みにレジナルドが一番早かったみたいだよ。俺は10番目くらいだったけど。他の連中も先に来ていた奴らは皆、要注意人物だろうね。この先、どんな試験があるか知らないけれど、ライバルの情報は少しでもあった方が有利だからね」
「それなら、俺の後にすぐ来たあそこの3人は、先ず間違いなく知っておいた方がいいだろう」
そう言ってレジナルドが暖炉の近くに集まっていた受験者に目を向ける。そこに居たのは大聖堂内で噂をしていた、あのいかにもな貴族3人組。
1人は派手な服装に目つきの悪い猫背。左眉にピアスを2つ付け、橙色の髪をセンターで分けている。貴族達の中でも群を抜いて位の高そうな雰囲気を放ち、腰に差した剣はまさに一級品。その価値を知らないレイスたちですら、その神々しい眩さに息を呑む。
「何だッ⁉ テメェら、ジロジロ見てんじゃねぇぞッ!」
不意に視線を向けたもう1人の少年が唐突に威勢を放つ。怪訝そうな表情に黒髪をサイドで編み込んだ貴族らしい髪型。気品溢れる柄物の服装は、少年が特権階級である事を知らしめるには十分すぎる程に派手やかに彩っていた。
「やめなさいよ。こっちが恥ずかしいわ」
白髪の三つ編みに豊満な谷間を露出する、美しい少女は威勢を放つ少年をなだめ、冷たい視線をレイス達に向けた。まるで愚民を見下すかのように哀れみもなく、ただ軽蔑の眼差しで不快な表情を浮かべる。
ここにいる誰もが、場違いな5人の存在に疑問を呈している事だろう。受験する事への自由参加はあるにも関わらず、これまで数多くの下層階級が入団試験を受験してこなかったという事実。
そこには、教団外部での私的な圧力に関わってくる事だ。
庶民は貴族と対等ではないという当たり前な価値観が、根強く染みついているという事実に他ならない。そして、ここにいる誰もが、5人の受験に対して参加は認めていたものの、5人揃って一次試験を通過したという目の前の現状に苛立ちを隠せずにいる。
「何だかさっきより、雰囲気が悪いわね」
「貴族の中でも特権階級の連中が多いんだろう。この場に俺達がいる事自体、気に食わないんだよ。特別な存在である自身の価値と俺達みたいな孤児が同じ部屋で同列にされている事がね」
「特権階級って何だ?」
「貴族の中でも自身の家系によって与えられる、生まれながらの貴族。それが所謂、特権階級制度。貴族の子は貴族として生まれ、貴族として育てられる。だから、教団の人間もその大半が特権階級であり、彼らには生まれながらにして教団とのコネクションが存在する」
「まぁ、入団試験に合格しなければ、宝の持ち腐れだけどね」
アレクの疑問にレジナルドが丁寧に答えた後、フロドが皮肉な言葉を吐き捨てた。特権階級に対してフロドは昔から気に食わないと言っていた。生まれながらに不平等なこの世の中も、理不尽に捨てられた自身の身の上も全てがフロドにとって不運でしかなかった。
「けれど事実、特権階級制度は俺達のような下層階級の人間にとって、大きな障害でもあるんだ。例え入団試験に合格したとしても、教団に属せば晴れて俺達も貴族の仲間入り。それが、不平等と言われる所以の1つでもある。元々貴族である特権階級の連中は、親や親族による強大なコネクションを有し、教団内部でもその絶大な権力は大きな影響力を持つんだ」
「実力主義なんて言われてはいるモノの実状、上層部各位は特権階級によって大半が固められているんだ。それに、現在この国で最も権力を有している国儀最高権力の元帥ですら、前任の息子。幼少の頃より英才教育を受けて、後継ぎにと育てらえた彼らとはそもそも、住んでいる世界が違うんだよ」
レジナルドの話を遮るようにフロドは、さらに皮肉を続けた。それ程までに彼らとは相容れないのだろう。
それぞれに抱えた過去を振り返り、5人は世界の実状を考える。
そしてレイスもまた、白髪の少女が向ける軽蔑の眼差しに、とある日の出来事を思い浮かべていた。
* * * * *
雪が降り積もり、夜空を彩る星々が少女の足元を照らす──金色の長い髪はボサボサに縮れ、凍える様な極寒にも関わらず、少女はボロボロの衣服に穴の開いた靴を履く。
古ぼけた布切れを1枚だけ羽織り、震えるその小さな身体には、既に感覚がない。手足は霜焼けで赤く染まり、吐く息は少女の行く手を白く、霧と蒸気に相まって遮るのだ。
「……はぁ……はぁ……」




