第一章 20 : 四月二十一日(月) その一 死んだ方が楽に決まってる
オレは一方的な『組織の決定』というモノが大キライだ。
そもそも言葉の意味がまるで理解できない。学校だろうが会社だろうが、『組織の決定』というのは結局、その組織で権力を持っているヤツらの意見そのものじゃないか。
そして組織の構成員というヤツらは、ただ頭をカラッポにして、何も考えずに上のニンゲンの言葉に賛成するだけの首振り人形でしかない。偉いヤツらの言葉に、下っ端が反対できるはずがないからな。
そんなごく少数の偉いヤツらの意見を『組織の決定』だなんて表現するのは、ただの責任逃れに過ぎない。何か問題が起きた時に偉いヤツらの逃げ道として、責任の所在を曖昧にするための卑劣な手段だ。
だからオレのハートはジャストナウ――。
怒りに燃え上がっている。
「――そういうわけで、一年H組の寿々木深夜は退学処分とし、当学園から除名することが決定いたしました。処分の日付は今月の末日になりますが、こうなってはあなたもクラスに顔を出すのは辛いでしょう。ですので、早めに自主退学されることをお勧めいたします」
そう言われた瞬間、オレは思わず口をポカンと開けてしまった。
オレの目の前には今、小太りの日本人形みたいな三年生の先輩がお上品に座っているのだが、そいつが何を話しているのかすぐには理解できなかった。というか、まったくワケが分からない。とにかく、事の始まりはこうだ――。
月曜日の朝、オレはいつもどおり学校に登校して、何事もなく午前の授業を受けた。そしてやはりいつもどおり、菜々美と美空と一緒に昼飯を食べていたのだが、その時いきなり校内放送で呼び出しを受けたのだ。
はて?
いったいなんの用だ?
オレは校内に響き渡る自分の名前を聞きながら、眉を寄せて思案した。しかしどれだけ考えても、名指しで呼び出しを受ける理由なんてこれっぽっちも思いつかないし、心当たりもまったくない。
だからオレは首をひねりながら仙女会とやらの特別室に足を運んでみたのだが、するとなぜか四人の女子生徒が椅子の上でお上品にふんぞり返っていやがった。まあ、そのうちの一人は肩を落としていたので偉そうなのは三人なのだが、長テーブルに並んで座るそいつらは、部屋に入ったオレをじっとりとした目つきで見据えながら名乗り始めた。
真ん中に座るのは逢見というぽっちゃりした三年生で、向かって右側にいるのはひたすらうつむいている藤瀧という二年生。向かって左側に座る二人はどちらも一年生で、どちらの顔にも見覚えがある。
黒髪の方は入学式の翌日からずっと学校を休んでいる一年H組のクラスメイトで、オレの後ろの席の千条杏子だ。そして赤茶色の髪の方は、『レストラン・チヒロ』でオレに水をかけやがった甘崎由姫だった。
オレは甘崎由姫の顔を見た瞬間にイヤな空気を感じていたのだが、逢見という三年生が口にした話はそんな生易しいレベルではなかった。なぜかいきなりオレの退学処分が決定したと言い出したからだ。ほんとにもう、マジでワケが分からない。だからオレは混乱しながら訊き返した。
「あー、ちょっと待ってくれ。あんたたちが仙女会という組織なのは分かった。だけど、なんでいきなりオレが退学処分になるのかが分からない。今の話だけじゃ理由がまったく分からないし、そもそもなんでそんな重要なことを、オレと同じ生徒から言われなくちゃならないんだ?」
「当然です――」
逢見は澄ました顔のまま、お上品に口を開く。
「これは生徒同士の問題が、非常に大きなウェイトを占めているからです」
「いや、その理屈はおかしいだろ。生徒同士の問題ってのが何を指しているのかは知らないが、知識も人生経験も浅い高校生に他人を裁く資格なんかあるはずがないからな。しかも生徒が生徒を退学させるなんて、そんなバカな話があってたまるか。アンタはいったい何様のつもりだ? まさか頭の中まで脂肪とウンコが詰まってんのか?」
「汚い言葉は慎んでください。あたくしたちは礼儀正しくお話ししております。会話のマナーすら守れないというのであれば、話はこれでお終いです」
「はあ? なに寝ぼけたこと言ってんだよ。アンタが礼儀正しいのは言葉づかいだけで、やってることは暴力そのものじゃねーか。ヒトをいきなり呼びつけて、一方的に退学を通知して、理由を質問したら話は終わりって、それのどこが礼儀正しい態度なんだよ」
「――当然でしょ。そっちこそ何いってんのよ」
不意に甲高い声が飛んできた。見ると、お上品に茶をすすっていた甘崎由姫がオレをにらみつけている。
「ここは女子高よ? あんたみたいな男子が入学すること自体オカシイのよ。仙女会はそれを正そうとしているだけなんだから、あんたごときに文句を言われる筋合いなんかこれっぽっちもないんだから。むしろ、ちゃんと説明してもらえるだけありがたいと思いなさい」
「なんだそりゃ? つまりオレが男子だから退学させるってことか?」
「だからそう言ってるじゃない。同じことを何度も言わせないでよ」
「いや、それが理由だったらむしろ大問題だろ。そもそもオレに入学を持ちかけてきたのは学園側だぞ。それをいきなり退学って、どう考えてもおかしいだろ」
「その学園側もあんたの退学に同意したんだから、何もおかしくないじゃない。わかったらグダグダ言ってないので、さっさと出ていきなさいよ」
「おい、ちょっと待てよ」
オレは思わず甘崎由姫に手を向けた。
「オマエ今、『学園側も同意した』って言ったよな?」
「言ったわよ。それがなに?」
「同意したってことはつまり、学園側にオレの退学を持ちかけたのはオマエらってことだな?」
「だからさっきからそう言ってるじゃない。あんたってほんとアタマ悪いわね。いい? もう一度だけ言うけど、仙女会はこの学園をあるべき姿に戻そうとしているだけなの。全校生徒がそれを望んでいるんだから、どう考えたって正しいことじゃない」
「いや、どう考えても間違ってるだろっ!」
オレは思わず声を張り上げた。甘崎由姫の言葉はあまりにも自分勝手すぎる。オレは怒りに火をつけながら言い放った。
「オマエらホントなんなんだよっ! オレはけっこういろんなイジメを受けてきたけど、ここまで理不尽な扱いをされたのはさすがに初めてだ。オマエらホントにそれでいいのか? 自分たちが気に入らないってだけの理由で、ヒト一人の人生を破壊して本当にいいのか? 同じニンゲンとして本当に何も感じないのか?」
「あたりまえでしょ!」
うお! 信じられねぇ!
甘崎由姫がいきなり湯呑みの中身をオレにぶっかけてきやがった。
「そもそもワタシたちに不愉快な思いをさせたのはあんたが先じゃない! それが何で被害者面してるワケ!? どんだけ厚かましいのよ、このヘンタイっ!」
甘崎由姫は憎々しげにオレをにらみつけている。
オレは思わず呆然と自分の体を見下ろした。黒いセーラー服に、黒い染みがじわりと広がっている。幸いそれほど熱くは感じないが、顔にかかっていたら間違いなくヤケドになっていたはずだ。
「……おい、上級生」
オレは澄まし顔を続けている逢見に目を向けた。
「これがアンタの言う礼儀正しい態度なのか?」
「……あたくしは何も見ていません」
うーむ……。
今度はそうきたか……。
オレは心の底から驚いた。
これほどのクズを見たのは久しぶりだ。
自分の都合の悪いことには目をつむり、他人には自分の都合を押しつけまくるなんて、よくもまあ恥ずかしげもなくできるモンだ。ホント、なんなんだよコイツらは……。
オレは目の前にいる四人の女子たちを見渡した。どいつもこいつもきれいな髪に白い肌で、どこからどう見てもお金持ちのお嬢様だ。それなのに、どうしてこんなに性格が曲がっているのかまったく理解できない。ニンゲンってのは育ちがいいとこうなるのか? 心が歪んでしまうのか? まったく……。弱い立場になったことがないヤツってのは、本当に悲しいな……。
オレは深々と息を吐き出した。
胸の中の怒りが、いつの間にか虚しさに変わっていたからだ。
こんなヤツらと言葉を交わしている自分が虚しいし、思わず声を張り上げてしまった自分が虚しい。目の前で怒鳴り散らした甘崎由姫を見てよく分かった。声を荒らげるのは、相手をビビらせて黙らせようとする卑怯なやり方だとよく分かった。だからオレは心を落ち着かせて逢見に言った。
「……まあいい。とにかく『いきなり退学だ』なんて言われても、『はいそうですか』って受け入れられるモンじゃない。それぐらい、アンタにだって分かるだろ」
「だまりなさいっ!」
そのとたん、再び甘崎由姫が声を張り上げた。しかも今度はオレの足下に湯呑みを叩きつけやがった。陶磁器の割れる派手な音が室内に響き渡り、さらに甘崎由姫の甲高い怒鳴り声があとに続く。
「あんたの気持ちなんか知ったことじゃないわっ! とにかくっ! あんたの退学はもう決定したのっ! あんたがいると迷惑なのっ! あんたの顔なんか見たくないのっ! あんたが受け入れるとか受け入れないとかそんなことはどうでもいいのっ! いますぐ学園から出ていきなさいっ! それですべてが丸くおさまるんだからっ!」
甘崎由姫は千条杏子の湯呑みも引っつかみ、思いっきり床に叩きつけやがった。こいつはどうやらかなりヒステリックな性格らしい。しかも隣に座る千条杏子も、ニヤニヤと醜い笑みを浮かべている。逆の端に座る二年のセンパイも険しい表情でテーブルをにらみつけて、オレの方は見ようともしない。どうやらオレは、何も知らないまま敵地に足を踏み入れていたようだ……。
まったく……。完全に油断していたな……。まさか高校生になってまで、こんな理不尽な目に遭うとは思ってもいなかったぜ……。
オレはもう一度息を吐き出し、目線を下げた。
足を見ると、飛び散った湯呑みのカケラでストッキングが裂けていた。赤い血がわずかににじみ、垂れている。だけど痛みは感じない。今は胸の奥が重苦しくて、感覚がよく分からない。頭の中もぼんやりとして思考がうまくつながらない。
だけどとにかく、状況をキッチリ把握しないと前に進むことはできない。だからオレは顔を上げて、再び逢見に問いかけた。
「……えっと、逢見センパイだったよな? その、オレへの退学通知ってヤツを見せてもらってもいいか?」
「ええ、もちろんです。お気の済むまでお読みなさい」
逢見は澄まし顔でテーブルの上のペーパーを指でつつく。オレは湯呑みの破片を避けて近づき、ペーパーを手に取った。
見ると、その『通知文書』は、たしかに学園の公式文書だった。書式も四角張っているし、学園長のサインもある。理由については遠回しに書いてあるが、どうやら一年H組に所属する十三名の生徒が、オレの退学を強く希望したのが決定的な要因のようだ。そのうちの十二名は入学式以降の授業をすべて欠席しているので、オレの存在が授業妨害に当たると判断したらしい。
なるほどな……。
オレはペーパーを読んだとたん納得した。たしかにクラスの半数以上の生徒から『授業を受けられない』なんてクレームを出されたら、学園側だって無視はできない。そして『オレ一人』と『十三人の生徒』のどちらかを取れと言われたら、そりゃあ多い方を選ぶに決まっている。
まいったな……。
こいつはどうやら、オレの退学処分は本当に決定しているようだ……。
「これはさすがに、今から覆すことは不可能みたいだな……」
「ようやく分かっていただけましたか」
オレがポツリと呟いたとたん、逢見が上から目線で優雅に微笑んだ。同時に甘崎由姫と千条杏子も意地悪そうにニヤリと笑う――。
オレは一方的な『組織の決定』というモノが大キライだ。
そんなモノは結局、組織の上にいる未熟者たちの『好き嫌い』に過ぎないからだ。
そう――。
オレの目の前にいる上品ぶった女子どもは、ただ単にオレの存在が気に入らないから追い出したいだけなのだ。そして非常に残念ながら、今のオレにはコイツらの権力に抗うチカラはない。
だがしかし――。
この世というのは、大抵そういうものなのだ。
弱いヤツはいつだって叩かれるし、排除される。
そうしてどこかで野垂れ死ぬ。
強いヤツはいつだって調子にのるし、弱いヤツを傷つける。
そうしてシアワセに生きていく。
この世というのはその繰り返しだ。
この世というのは、そういう醜いセカイなのだ。
そして――。
その醜いセカイを作っているのは、フツウのニンゲンたちなのだ。
誰だって、ジブンより強いニンゲンに叩かれる。
そうして傷つき、ナミダを流す。
誰だって、ジブンより弱いニンゲンを排除する。
そうして傷つけ、あざ笑う。
それがフツウのニンゲンだ。
ジブンたちの醜さを、まともに見ようとしないフツウのニンゲンたちなのだ。
まったく……。
本当にくだらない。
この世は本当にくだらない。
ただ普通に生きているだけなのに。
どうしてこんなに苦い思いをするんだよ……。
ただ静かに生きているだけなのに。
どうしてこんなに悲しい思いをするんだよ……。
こんなに叩かれてまで。
どうして耐えなくちゃいけないんだよ……。
こんなに傷つけられてまで。
どうして生きていなくちゃいけないんだよ……。
もう、ほんと。
こんな辛いだけのセカイなんて――。
死んだ方が楽に決まってる。




