25話 炎の正体
現世に住む魔物は、大昔に魔界より襲来した魔物の子孫という言い伝えがある。
魔力を活動エネルギーとしている彼らは、現世では弱体化しているとされる。現世の魔力は魔界の純魔力よりも力が弱いからだ。
魔界に存在する純魔力を常時取り込んでいる魔界の魔物よりも数段劣るのが現世の魔物だが、それでも現世に彼らの天敵はいない。
現世において、すべての野生の頂点に君臨するはずの魔物。
それが逃げているというのは、恐らく現世の生物ではない何かに出会ったからだろう。
「ガガジヂガズダギ!」
もう聴き慣れた魔物の奇妙な鳴き声。猫の魔物もゴブリンも同じような鳴き声だったような……魔物は皆そうなのだろうか? 後でダーリアに聞いてみよう。
「ほら、ミミカの言う通りトロールなの。少しは信用してほしいの」
結局、様子だけ見に来てみた。危なそうなら即時撤退をするという条件で、余裕があるなら狩りは続行する予定。
「僕のことを調べようとするストーカー幽霊の言う事なんか、あんまり信じたくないなぁ」
「……にしても様子がおかしい。トロールは基本的に群れでいるはずなのに、一匹でしかもあんなに走り回るような魔物でもないんだよ……」
緑色の肌に丸々と太った身体。そして豚のようなでっぷりとした顔。
確かに走り回るのはおかしいと思えてしまう風貌の魔物だった。
「まぁそんなことはどうでもいいでしょ。僕たちに気が付いてないみたいだし、さくっと不意打ちでやっちゃって」
「……君の提案なんだから、少しは自ら動こうとしようよ」
「なんであんな巨躯の豚野郎に僕が突撃しなきゃいけないの? 僕じゃあほぼ勝ち目ないじゃん、無駄な事は嫌いでしょ?」
「本当に、少しも成長しようっていう気力がないよね、君ってヤツは」
他人を使って楽ができるなら、それに甘えさせてもらう。僕自身が動くのは逃げる時だけだと断言できる。
「リムフィ、ダーリア……何となく聴くけれど、トロールは何から逃げてるの?」
ミミカの問いに、僕は答えられない。
トロールが何から逃げていようが知ったことではないから、僕はトロールしか見ていなかった。しかし、ダーリアはほんの少し関心があるらしい。
「トロールっていう種族の魔物よりも、さらに強い魔物からじゃない? それ以外に魔物が逃げるとなると、天変地異レベルの自然災害くらいしかないよ」
ダーリアの返答は、魔物についての知識が浅い僕でも、それっぽいと思える答えだった。
説得力がある。魔物でない、他の生き物にも当てはまるからだろう。
「だよねぇ……見る限り何もないのに。なんでな……ッ!?」
刹那。
僕らの視界が、オレンジ色に染まる。
次の瞬間、火炎が空に広がっていった。
あまりにも唐突で、欠片も予兆がなかった。僕とダーリアは呆気にとられるしかなかった。
空に浮いていたミミカの悲鳴を、ただ呆然と聞いているしかできなかった。
「ぎいぃぃぃぃぃ!? 何ッ熱ッ……!?」
ミミカは炎に耐えきれなかったようで、空から落ちてきた。降りてきたのではなく、墜落。幽霊少女の落下は滅多にお目にかかれないだろう。
貴重な瞬間をみたおかげで、僕とダーリアはハッと我に返った。
「おいおい、僕にはさっぱり何のこっちゃわからないんだけど!?」
「ミミカが熱がったってことは、あの炎は魔術的なモノだろうね……私だって、こんなことは初めてだよ」
空の炎は広がっていく。青空にオレンジ色のインクをぶちまけたかのように、急速に広がっていく。止まらない。
「本当にどうなってんの!? 太陽でも落ちてきたか!?」
「冗談言うなよ。とにかくこれは紛れもなく緊急事態だから、即退却だよ」
僕は了承する。ミミカは炎の熱で地面に落ちてきてなお、苦しんでいる様子。
「……いつまで熱がってる? 置いてかれたくなければさっさと復活しなよ」
のたうち回る半透明の少女、ミミカ。無情にもダーリアに蹴飛ばされる。
不意のダメージで傷ついているところに蹴りを入れる。泣きっ面に蜂とはまさにこのことだ。今だけはミミカに同情しようと思ったけど、少しざまあみろとか思ったり。
「何も蹴ることないの!」
「ダメージの状況はどう? ちなみにどんな返答だろうとも、身体の再構築は完了ということにするよ」
「……ダメージの回復は終わってるの。歪だけど、魔力が満ちてるおかげで再生速度もいつもより速い。でも、この炎をまともに喰らうのはやばいの」
「二人とも、とにかく逃げよう。そんな話は後だ」
僕がそう提案したころには、真上の空は赤色だった。夕暮れにはまだ速いし、何よりも赤みが強すぎだ。
僕とダーリアは猛ダッシュで山を駆け下りていく。
ふもとまで距離がある。あの炎がいつ牙を剝いてくるかも、何もわからないこの状況。不明点が多すぎるために、逃げることも最善かどうかわからないのが、僕の心を不安にさせた。
「あの炎の直撃が、やばいってのはどういうこと?」
走りながら、ダーリアは上空を飛行するミミカに問う。ミミカは余裕そうにしていた。炎の監視役とされているが、真面目にやっているのだろうか?
「君はああいう魔術的な攻撃なら、完全消滅はしないはずだよ? ぱっと見ただけだけどさ、君を消滅させるような魔術ではないはずだよ」
魔術による攻撃だろうと、ミミカは魔力そのものであるが故に、この現世に生命がある限りは復活ができる。光だろうと炎だろうと関係ない。僕に匹敵する不死身ぶりだ。
ただ魔力そのものを消滅させるようなモノは、ミミカそのものを消し去るというモノでもある。明確な弱点が存在する。例とするなら、ダーリアの使った魔封石だ。たぶん今も所持しているだろう。
「あれは魔術と呼ぶにはとても差別的というか……命への敬意がなかったの」
ミミカ。どの口がそういうことを言うのか。よくもいけしゃあしゃあとそんなことを宣えるものだ。魔物どもの死体を操っていたくせに。
「……あれは純魔力による炎だったの。ぶっちゃけて言うと、魔界の炎がどこかで噴出しているとしか思えないの……」
「だとしたら、純魔力がばら撒かれてることになるよ。現世の魔力が浸蝕されてしまうよ」
「身体への過度なダメージも、たぶん純魔力の浸蝕が影響してるの。ダーリアはもちろんとして、リムフィもどうなるかわからないの」
話に全くついていけなかったから、とりあえず夢中で逃げていた僕に唐突に話をふるのはやめていただきたい。
純魔力による浸蝕ってなんだよ。専門家が、どうなるかわからないって言うのはナシだろ……など等、様々な僕の思いがひとつに集約されて、声になる。
「よくわかんないからさっさと逃げるんだッ!」
さっきから危なげなワードがぽんぽんと二人の口から発射されるものだから、僕の心は落ち着くことは出来ない。押す、駆ける、喋るの三重奏。
「あの炎の正体は純魔力ってことでいいのかな!? ミミカの話を聞くに、相当危険なんだよね!?」
ダーリアとミミカの会話の断片しか聞いていないし、そもそも純魔力をよく知らない。避難中なので簡潔に説明していただきたいところ。ダーリアさんよろしく。
「そうだよ。私達の住む現世じゃない、魔界の力が純魔力。魔力は現世の魔力を浸蝕し、増殖する。純魔力に浸蝕されたが最後、理性を失った魔物になるか死ぬかだよ」
「なるほどね! 僕って大丈夫なのかな!?」
「ミミカがよくわからないなら、私にだってわかるわけないよ。気になるならあの炎に飛び込んでみたらいい。一発で大丈夫かどうかが判明するよ」
「絶対嫌だ! 痛そうだし!」




