プロローグ
3月23日(水) PM 1:20
学生達は春休みに入り、積もった雪は陽光に照らされてその姿を消していく。
そんな春の兆しの見え始めたこの日、あまり通りの無い高速道路を、中程度のボストンバッグを後ろに載せた大型バイクが走っていた。
乗っているのは、黒いレザージャケットとジーンズを着た大柄な男。
時速100キロ以上のスピードの中、フルフェイスの奥の彼の目が、流れていく看板の1つを捕らえた。
『龍杜市まであと1km』
その看板が彼の後方へと消えていって間もなく、降り口が見えてくる。
なれた動作で減速車線に入るとブレーキをかけながら緩やかに下っていき、料金支払い所へと入っていった。
高速を降りると、彼はすぐ近くにあるコンビニへと入っていき、入ってすぐの駐車場にバイクを停めた。
そして、誰かを探すようにあたりを見回すとなぜか肩を落とし、疲れた動作でヘルメットを脱いだ。
まず、フルフェイスのヘルメットから解放されたのは、先のほうを浅黄色の布で縛ったお下げの状態に編みこまれた長い後ろ髪。
続いて、野性的ではあるものの整った顔立ちが現れ、たてがみを短くしたような髪があらわになった。彼は年齢は20代前半の青年だった。
また、たまった疲労を吐き出すかのように溜息をつく口からは、やや発達しすぎではないかと感じるくらいの鋭い犬歯が見え隠れしている。
青年は、軽く肩などを回した後、大きく伸びをした。
「くう~~~~~~っ、長かったぁ~~」
全身から、パキパキ、と骨の鳴る音が聞こえてくる。青年は伸びをはじめとして、全身のコリをほぐすようにストレッチを始めた。
その青年のすぐ脇に1台のハリアーが止まった。青年がストレッチをやめると、その車の運転席側のドアが開き、中から1人の女性が姿を表した。
年は30代前半ほどで、髪はショートカットのやや長身の女性である。その女性は青年の姿を足下から頭頂部まで舐めるようにみると、満面の笑みを浮かべて、
「久しぶりだね、陸斗ッ!」
「うごっふ!?」
やけに腰の入った正拳突きを青年に叩き込んだ。
陸斗と呼ばれた青年は、いきなり突きなんぞ食らう羽目になるとは思っていなかったらしく、ろくな防御もできずにその腹に一撃を貰い地面に崩れ落ちた。
「おお、イイのが入った~~♪」
女性は地面にうずくまった陸斗を見て、さも嬉しげな声をあげた。
タイミングが悪いことに、陸斗も声をかけようと息を吸ったときに突きが入ってしまったため、腹筋を締めることもできずにモロに食らってしまっている。
「あ、挨拶と同時に攻撃を仕掛けるの・・・・・・は、勘弁してください。特に息を・・・吸ったときを狙うのは、マジでやめてください」
「そんなの油断しているあなたが悪いのよ。人生常に戦い、隙を見せたら痛い目にあうわよ」
「えぇ、そうですね。現在進行形であっていますから、その意見には本当に賛同します」
息も絶え絶えになりながら女性に抗議をする陸斗。しかし、彼女は全く気にしていないらしく、カラカラと笑い声を上げてさえいる。
「いや~、こんな豪快な性格だから美しくても男が寄ってこないのかしらね~」
自分で美しいといっているのもどうかと思ったが、事実美人の部類である以上それを突っ込むのは後が怖いので言葉を呑み込む。かわりに別のところに突っ込みを入れておく。
「いや、気にしてるんなら直したらどうでしょう」
「性格だから無理」
即答だった。爽やか過ぎる笑顔で楓子は言い切った。その答えを聞いた陸斗の顔が、非常に疲れたものになる。
「そんなんだから、まだ結婚できないんじゃないんスかねぇ?」
思わず陸斗の口からこぼれた言葉に、楓子が不機嫌な目つきで睨み付けると、彼はあわてて目をそらした。
「ったく、その生意気な所は全然変わってないわね。まぁ、いいわ。今からアンタが寝泊りする場所に連れて行くから、ちゃんと付いてきなさいよ」
そう言うと、ハリアーに乗り込みエンジンをかけた。その様子を傍目で見ながら、
「うぃ」
と、返事を返すと、陸斗は再びグローブをはめ、ヘルメットをかぶりバイクに跨った。そして、エンジンをかける。
ドドン、という音と共にマフラーから排気ガスが吐き出される。
調子を見るかのように、軽くアクセルを吹かすと、先に駐車場から出て行った楓子のハリアーの後を追うようにバイクを走らせた。
PM 1:50
車を走らせる事、20分。陸斗は、とある山の中へと連れて来られていた。
(へぇ、結構いいところだな。自然は多いし、だからと言って田舎って雰囲気もない。それに何よりも、清廉な気を感じる・・・)
陸斗はバイクを走らせながら、流れていく景色に感嘆していた。
一応山の中なのだが、自然を損なわないように上手く整備がされている。
自然の中に身を置くことを好んでいる陸斗にとっては、この環境は絶好だった。
しばらく走っていると、案内するように走っていた楓子のハリアーが、ウィンカーを出して、とある建物の近くに止まった。
「ここか?」
陸斗も、それに習い路肩へとバイクを止めると、ヘルメットを外し、目の前の建物を見た。そして、感心するような声を上げる。
「お、楓子おばさんが選んだ割には、いいアパートじゃないか」
どこかペンションを思わせるような綺麗なつくり、建物自体もそこそこ大きく、さらには広い庭まである。
バイトで、しかもただで止まれるにしては立派過ぎる気すらしてくる。
(――あ?)
ふと、陸斗の頭にひっかるものがあった。あまりにも普通に感じてしまったために、気づかない何か。
だが、それがこの状況に対してある異常を訴えていた。
陸斗は冷静に、自分のいった言葉を反芻する。
(楓子さんが選んだ割には、いいアパート・・・)
再び、頭に何か引っかかるような感覚。
その感覚は、1度目よりもはっきりと感じ、その言葉の中に原因があることを彼に確信させた。
そして、もう1度陸斗はその言葉を反芻してみた。
(楓子さんが選んだ割には、いいアパート・・・!)
陸斗は弾かれたように、目の前の建物に顔を向ける。
屋根は明るい赤色に染められ、壁はコンクリートではあるものの清潔感のある純白に染められている。
そして庭は誰かが使うのだろうか、ちょっとしたバスケットのゴールがあり、その奥には花壇も見えている。
アパートにしてはどこか立派過ぎる気がする。これでは、アパートというよりかは寮や下宿のようなものではないだろうか。
――いや、間違いなく立派過ぎるのだ。
(・・・なんか、嫌な予感がする)
唐突に、第六感が危険度Aランクを警告する。
冷や汗が頬を伝い、背筋が寒くなる。動悸も嫌な感じに早まってきている。
なにかが、おかしい。なにか、噛み合わない。陸斗の頭に、次々と現状を危険だと判断する情報が浮かび上がってくる。
ちょうど、楓子はその建物の中へと入っていて、外にはいない。
(生き残るコツは引き際を間違えないこと・・・。逃げるなら、今だな)
これまでの彼の経験からそう判断を下すと、素早く脇に抱えていたヘルメットをかぶり、エンジンをかけた。
そして、すぐにアクセルを入れてこの場を離れる・・・ハズだったのだが・・・、ガクン、と衝撃がくるだけでバイクは全く前へ進もうとしなかった。
代わりにアスファルトにタイヤが擦り付けられる甲高い音だけが聞こえてきた。
(まさか・・・・・・)
陸斗の頭にとんでもなく非常識で、とんでもなく恐ろしい想像がよぎった。
それは、普通に考えてしまえば不可能なことである。
だが、彼にはその想像が限りなく正しいことであることがわかっていた。
(楓子おばさんがバイクを掴んでる・・・)
あきらめろといわんばかりに、確認もしていない後方のビジョンが脳裏に浮かんでくる。
しかし、それを振り払うかのように、もう一度アクセルを強く入れた。
だが、一瞬だけ前に出るような気配はあったものの、何かに引っ張られているように、それ以上動こうとはしなかった。
それでも、陸斗はアクセルを緩めようとはしなかった。
(いやだ・・・、俺は絶対に自由を手に入れるんだ!!)
フルフェイスの中、陸斗は滝のように汗を流しながらも、強く決意する。
アクセルを全開で入れる。メーターが跳ね上がるが、それでもバイクは前へ動こうとしない。
しかし、諦めない。何度も何度も、アクセルを入れる。
そのやり取りを、10数回繰り返したころ、背後から一言、威圧的な声をかけられた。
「いい加減に諦めようね・・・!」
静かではあるが、とてつもない圧力を持った楓子の一言。
フルフェイスのメットすら意に介さずに声が響いてきた瞬間、陸斗の決意と自由は木っ端微塵に吹き飛ばされた。
がくんと首を落とし、力無くバイクにもたれかかる陸斗。
さすがに、その姿にさすがに罪悪感を持ったのか、楓子が慰めの言葉をかける。
「まぁ、今まであんたにやらせてきた事が事だから、疑われても仕方ないけどね。今回はまだ、まともだから。ほら、2週間だけの短期だし、そんなに落ち込まない。上手くいけばハーレムだし」
何気に最後の方は小声である。陸斗は聞いちゃいないので、結構どうでもいいことなのだが。
楓子は、もたれかかっている陸斗のヘルメットを外すと、ヘッドロックをかけてバイクから引き摺り下ろす。
陸斗の体は完全に脱力仕切っていた。それを無理矢理立ち上がらせて、楓子は言った。
「ほら、陸斗。腹くくってシャキっとしなさい」
「腹くくる前に、首を括らせてください」
陸斗は即答した。彼にとっては、彼女は疫病神に近いといっても過言ではない。
今まで、彼女に紹介された仕事はどれも、様々な意味での危険が伴うものであり、ろくな目に会ったことがない。
今回も、ある情報と引き換えでなければ、引き受けるつもりなどは全くなかった。
「首括るのは別に構わないけど、いいの? 有力な情報をあげるのに、目的も果たさずに、死んじゃったら浮かばれないわよ?」
「・・・・・・・・・」
軽口のような楓子の一言。だが、陸斗には思いのほか効いた様だった。
彼は1度ピクリと身を震わせたかと思うと、黙りこくって俯いてしまった。
俯く直前に見えたその表情は、無表情。色々なものを押し殺した無表情だった。
その様子に、楓子は疲れたような溜息を1つ吐くと、真剣な表情になった。
「今の君、危うすぎるよ。絶対といっていいほど、あたしからの仕事は受けようとしないくせに、情報をちらつかせれば食いついてくる。その真偽を確かめようともせずにね」
「・・・・・・・・・」
「君は焦っている。このまま、事件を風化させられることを恐れている。本家付きのいけ好かない連中どもの企みを暴けるタイムリミットが迫ってきているのを感じている。そして・・・」
そこで一呼吸。ちらりと、うつむいたままの陸斗を見る。
「君自身が、復讐心を忘れてしまうことを恐れている」
そう陸斗に問い掛けた。その口調は先程までの、陽気なものではない。詰問するような強い口調である。
対する陸斗は、聞いてるのか聞いてないのか分からない様子で、ただ沈黙しているだけだ。それを気にせずに楓子は話を続ける。
「1つ言わせてもらうわよ。死ぬ気で何かするのと、死ぬつもりで何かをなそうとするのは違うからね。君は今、後者の方へと向かってる。あたしは、そういうのは許さないからね。何かをなした後、何も残らないなんてのは許さないからね。もう、身内を失うのは嫌だからさ・・・」
最後の方は懇願するような口調で、楓子は言い終えた。陸斗は滅多に見せない、彼女の真剣な姿に俯せていた顔を上げていた。
その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいる。
「ありがとうございます・・・」
「んじゃ、わかったところでちゃちゃっといくわよ」
「了解です」
楓子の言葉に、短く答えると陸斗はその後ろを付いていく。
この後に待っている大騒動のことなど、まったく知らずに・・・。