邂逅
その日、メドリジェの街は大いに賑わっていた。普段から内陸の街でありながら、多数の商人達が商売をしたりする交易街として世間的にも知られているこの街だが、今日の賑わいは普段以上のものとなっている。
明後日に迫る、この街独自の祭り、『満月祭』の準備の為だ。
「ベグ、南門から救援要請です。どうも、馬車が脱輪してしまったとの事。何人か連れて対応に迎ってください」
「了解!」
「ハモン、サズ。見回りご苦労様。戻ってきてすぐで申し訳ありませんが、小休憩を取ってからすぐ、ムロタイさんの店に向かってください。場所取りでトラブルが起きています」
「アイアイ、マム」
「団長殿。祭りに使うお供え物の数に不備が…」
「…差異が九以内ならなんとかなります。改めて数えてみて、それでも十以上足りない場合は、すぐにいつもの商人に補充を要請してください」
円形の街であるメドリジェの中心近くにある、メドリジェ駐在騎士団本部では、満月祭が近づいている事もあり、市民からの要請や苦情、トラブルの対処に大忙しとなっていた。
そんな大騒ぎの騎士団を纏め上げるのは、やや暗い色寄りの長めの銀髪を、後頭部で結い上げている女性。
的確に騎士団所属の騎士達に指示を飛ばしていく彼女だが、その端整な顔には目に見えて疲労感が見て取れる。
フィリエ・オブライトは、一通り部下の騎士達の部署を見回ると、そのまま団長室に戻り、椅子に深く座り込む。
そして、特に意識したわけでもなく、彼女は溜め息をついてしまう。
と、そんな時に、団長室の扉を叩く音がする。フィリエは慌てて姿勢を正すと、「どうぞ」と促す。
「お疲れ様です、団長。朝から働きづめですし、この辺りで休憩を取られては?」
入ってきたのは、フィリエのそれに良く似た髪質の銀髪に、やや赤みがかった目をした、温和そうで整ってはいるが、どこか幼げな顔立ちの青年。彼は両手に一つずつ持ったカップのその片方を、「熱いのでお気をつけて」と言いつつ、団長であるフィリエに差し出す。匂いから察するに紅茶なのだろう。湯気の立つコップを、フィリエは慎重に手に取った。
「ありがとう。…それと、今は二人きりだし、楽にしてくれて構わないわよ、バート」
「え?えーと…いいの、かな?」
「いいから。なんなら、団長命令って事にしておくから」
「じゃ、じゃあ、遠慮なく」
一瞬躊躇した青年、バートは促されるままに、近くの椅子に腰かける。
躊躇してしまう辺り、職務に忠実であろうとする意志が強いというべきか、単純に真面目と呼ぶべきか。
「もうすぐ、満月祭だね…」
「ええ。それも、今度の月は四年に一度の蒼月。そりゃ皆、熱が籠るわよね」
「蒼色って、なんだか涼しげっていうか、熱さとは真逆のイメージがあるのにね」
「ホント。フフッ」
そんな他愛のないやり取りをしばらく続けていると、ふと、バートがハッとした表情をする。
「どうかした?」
「あ、いや、えっと…」
何やらもじもじとしだすバートを見、流石に怪訝そうな顔にならざるを得ないフィリエ。しかし、それを問い詰めようとは一切しない。それは、バートという弟のような存在を良く知るが故の優しさ。
かれこれ、十八年程の付き合いになるか。フィリエの家に養子として招かれたバートに、フィリエは『お姉さん』としてバートと接してきた。その為、バートの事であれば、大抵の事は分かってしまう。
バートは酷く内気な性格をしており、昔からの幼馴染である自分に対しては特に顕著であった。フィリエの顔を見る度に顔が真っ赤になり、慌てて顔をフィリエの方から逸らすのだ。丁度今のように。
それから、数分は経過しただろうか。
ようやく踏ん切りがついたらしいバートが口を開く。
「こ、これから行く見回り、ぼ、僕も一緒に行っていいかな!?」
声が上擦りながらも、バートは勇気を出して声を張り上げる。途端に、バートの心臓の鼓動が早まり、血液を身体のあちこちへと早急に送り込む。相も変わらず、その顔は真っ赤なままではあるが。
「…ええ、いいわよ」
にっこりと微笑むフィリアの返答に、バートが思わずガッツポーズしてしまい、結果、更に赤面する事になるのは、また別の話。
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「はぁ…別にあんなに囃したてなくたって…」
「あら、どうかした?」
「い、いえ!別に何も!」
あの後、他の騎士団員からめいいっぱい囃したてられながら、フィリアとバートは見回りに出発した。
先程の事を思い出しているのか、コロコロと表情の代わるバートを見、フィリアは柔らかく微笑んだ。
「それにしても、貴方とこうして歩くのも、なんだか久しぶりな気がするわね…」
「そう、ですね」
「もう、そんなに畏まっちゃって。さっきまで普段通りだったじゃない」
「そ、そうおっしゃられますが、ここ外ですよ…」
「あら、恥ずかしい?」
「団長!」
冗談だって、と言いながら微笑むフィリアの脳裏に思い起こされるのは、幼い頃の記憶。
元々メドリジェ出身であったフィリアとバートは、いつも一緒であった。あの頃は、いつもバートが虐められ、そんなバートをフィリアが助けていた。同じ出身の人間でも、バートには何か別の血が混じっていたのか、その目が他のメドリジェ出身者とは違う赤い目だった為に、それを出しにして同年代の男の子達がよく虐めていたのだ。
助けられる度に謝るバートに、フィリアも「そんなに謝ってちゃダメでしょ!」と、よく怒っていたものだった。
あの頃のバートは今よりも気弱で、それでいて街の男の子達の誰よりも軟弱だった。
今でこそ一介の騎士として、この故郷メドリジェの駐在騎士となったバートだが、かつての彼はそれこそ、努力する事を拒むような少年だった。努力をしたところで無駄だと思っていたから。
だから、幼き日から根っからの努力家であったフィリアは、そんな弟分の態度に我慢ならず、しょっちゅう彼に怒っていた。その結果として、バートはフィリアと共に努力を積み重ね、ついに騎士となったのだ。大人になる頃には、かつてのいじめっ子たちも流石に鳴りを潜めていたが、それでもフィリアは、バートの事を誇らしく思っていた。そう、姉貴分として。
フィリアがそんな風に思い出していると、バートが何やら顔を逸らしながら、フィリアに話しかけてくる。
「そ、そういえば今回の満月祭、露店として参加する店がかなり多いみたい、ですね」
「そうね。…それに、店の種類にも幅が出来てるみたいだし。あ、魔術書も売ってる」
「露店で魔術書、ですか…」
バートの言う通り、今年度の満月祭に参加する露店の数は普段の数倍にも上り、普段なら手軽に食べられる食事やくじ引き等が主なところに、今回はファッションや小物、更には誰にでも扱える魔術書の販売と、幅広い品揃えを誇っている。
魔術とは、神秘の力たる魔法を、努力の積み重ねによって再現する事に成功したものである。世間一般において魔法使いと呼ばれる存在は、実のところかなり希少である。正確に言えば、如何なる人間でもその素養、あるいは力の根元自体は存在するのだが、そこから魔力と呼ばれる力を引き出し、魔法を行使する術が分からないのだ。
人々はその魔力の根元の解明、及び魔法の才能が無くとも行使できる術を知ろうとした。それはいつしか、哲学に近い学問たる魔法学となり、大陸中でその研究が盛んになった。だが、その試行錯誤の多くは、ことごとく失敗に終わった。
そんなある時、一人の魔法学者が別のアプローチで実験、検証を行っていたところ、偶然にも複雑な術式を書き取った紙で、魔法に近い現象を発生させた。
その学者が如何なるアプローチを行ったのか、それは誰にもわからない。だがその学者は間違いなく、世界に革命をもたらした。
後に発覚した事だが、どうやら魔法には人間の意志の力、あるいは強いイメージが必要らしく、魔法使いの多くは強い独創性を持ち合わせている事が分かった。先の学者の場合、「魔法を再現したい」という強い願いを紙に書き取った事で、そこから魔法現象を起こしたとされている。
しかもその術式が書かれた紙を別の人間に持たせ、それに強く念を込める事で、術式を書いていない人間でも魔法現象を起こせる事が分かった。これがやがて人間の創りだした魔法の技術、魔術となり、術式の書かれた紙は消耗品の書物、魔術書になったのだ。
閑話休題。
魔術書というものにも、実に様々な種類が存在し、今回露店で売られているのは家庭において役立つ部類の魔術書であり、騎士団が取り締まるようなものはなかった。物を温める為の火の魔術や、飲み水等を産み出す水の魔術であれば特に問題はないが、これが姿を消すような魔術であったなら、即刻取り締まっていたところだ。一応、露店販売規定にも書いてあり、万が一の事もある為、騎士団も確認してはいるだろうが。
「なんだとこの冷やかし野郎!」
と、そんな時。ここから少し離れたところから、街の賑やかさにも負けない程の怒鳴り声が、フィリア達の耳に入る。そのしゃがれた声には、二人とも聞き覚えがあった。フィリアが生まれるよりも遥かな昔からメドリジェの街で食事処の店主をやっている、この街のちょっとした有名人だ。有名と言っても、良い意味ではないのだが。
「落ち着いて落ち着いて!争っても意味ないッスから、ね?」
「うるせぇ!その態度!なんか気に食わねぇ!」
「流石にそれは横暴じゃあ…って、流石に刃物はヤバいッスよ!暴力反対!」
どうも、若い男と争っている…というより、店主が一方的に怒鳴り散らしているようにしか聞こえない。この店主に限って言えば、いつも通りと言えばいつも通りなのだが。
事情を察した二人が通りの人込みを掻き分けながら現場に急行すると、小規模ながら人だかりができている。
「すいません、通してください」と民衆を掻き分け立ち入ってみると、通りに面した店の一つで、白い布を鉢巻にして巻いた壮年の店主が、やや黒ずんだ革のコートに身を包んだ青年の胸倉を掴んでいるではないか。
「ちょっとちょっと!何やってるんですか!?」
慌てて二人の間に割って入るバート。だが、店主はその手を離そうとしない。
「ええい!邪魔するんじゃねぇ!今この悪党を成敗してやろうとだな…!」
「ちょ、だから違いますって!結果的に冷やかしになっちゃっただけじゃないッスか!」
「てめぇは黙ってな!」
「いいえ!そういうわけにゃあいきやせんよ!俺だってね、悪人なんて言われてちゃ、黙ってらんねぇッス!」
「なぁにぃ?」
徐々にヒートアップしていく二人を前に、逆に気圧されてしまうバート。「これもう僕無理なんじゃないかな?」そんな言葉が聞こえそうな程の涙目になりかけていたその時―
「…そこまでです」
―堂々とした態度で割って入ったのは、フィリア。凛としたその佇まい、そして纏う独特の空気に、元から争う気が無かったらしい革コートの青年はともかく、頭に血が昇りきった店主も、流石にその手を離してしまう。
「…何があったか、話してくださいますね?」
若干後ずさる店主を見据え、フィリアはにっこりと微笑んだ。