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「粉雪」

ネクタイ

作者: さわいつき

 白地に紺のピンストライプ入りのワイシャツに、薄ピンクのネクタイ。茄子紺色のスーツ。軽く梳き上げて固められた髪に、無精髭の一本すら生えていないこざっぱりとした顔。見かけだけならば文句なしの、完璧なビジネスマン。しかもそれなりに人目を引く男前。さらには仕事できますオーラなんてものまで漂っている。

「おい」

 植え込みに腰掛けているわたしに、そのビジネスマンが声を掛けて来る。当然ながら相手にするはずもなく、わたしは手元の携帯電話でメールを打ち続ける。

「こら」

 これが夕方か夜ならば援交かとも思われるその行動に、昼間とはいえそれなりに周囲の視線が集まっていた。

「おい、そこの女子高生」

 あくまでも無視を決め込もうとしたけれど、生憎この辺りには女子高生らしき姿はわたし以外には見受けられない。仕方なく、顔は上げずに視線だけを上に向けると、かなり高い位置に相手の顔があった。

 無駄に背が高いため、こういう体制だと圧迫感を感じてしまう。

「もしかして、わたしの事ですか」

「もしかしなくても、お前しかいないだろう」

 仕方なく顔を上げて見ると、先程まで涼しげだったその顔にはでかでかと「不本意」という文字が張り付いているような気がした。その程度には不機嫌さをあらわにしている。

「援助交際なら、間に合っていますから」

「誰が援交なんかするか。それこそ間に合っている」

「だったら何ですか」

「こんな所に座り込まれては、仕事の邪魔だ」

 こんな所と言われて、改めて自分のいる場所を確かめる。主要道路に面したビジネス街の舗道。ガードレール代わりに設置された「都市緑化運動推進」などと書かれた植え込み。それを囲っているブロックがちょうど腰掛けるのにいい高さで、そこにいる限り舗道の端で歩行者の邪魔になっているわけでもない。

 目の前に聳え建つビルのショーウィンドウまでの距離は三メートルはあるだろうし、一体何の邪魔になると言うのか。

「なに。オジサン、何か因縁つけたいんですか?」

「誰がオジサンだ、このガキ」

 むきになって人の事をガキ扱いする辺り、充分オヤジを自覚しているという証拠だろう。

「お前がここにいる事自体が邪魔」

「なんですか、言いがかりですか」

「短いスカートからそのぶっとい脚を晒すな。パンツを見せるな」

「ぶっといって何ですか、失礼な。これでも美脚で有名なのに」

 こう見えても、学校一の美脚で通っているのだ。スカートから覗く脚線美、が男女問わずあろうことか一部の教職員にも受けているらしい。ちなみに下にはちゃんと見せパン(見せてもいいパンツ)をはいているから、見苦しくはないはずだ。

「どこで有名だか知らんが、ここでは全くの無名だ」

 ああ言えばこう言う。不機嫌そうなその顔からは、先程の仕事できますオーラさえも感じられなくなっていた。

「そんなもの、見せられるほうが迷惑だ。さっさと」

 彼の言葉は、携帯電話の呼び出し音で途切れた。着メロではない。恐らく携帯の機械に最初から組み込まれている電子音だと思われるその音が、なんとなく新鮮に感じられる。

 わたしに背を向けて電話に出た彼は、背筋がぴんと伸びている。さらには言葉も丁寧で切れのいい口調だ。日頃のくたびれっぷりなんか全く感じさせないどころか、むしろ男前の度合いが五割増なその姿に、意味もなく湧き出て来る不快感を覚えた。

 いつもは無気力な目が、珍しく生気を帯びたりしているのも腹立たしい。

 植え込みから腰を上げたわたしは、お尻についた埃を軽く払い、男の前に回りこんで思い切りあっかんべをしてやった。

 途端にむっとした顔をするけれど、電話中だから何も言えまい。それをいいことにさっさと歩き出したわたしは、けれどすぐに腕を掴まれて引き止められた。

 彼はさらに二言三言何かを言って、携帯を切って上着の内ポケットに戻す。

「ちょっと待て」

「お仕事の邪魔、なんでしょう。帰りますから、離して下さい」

 掴まれた腕を軽く振ってみても離れそうにはなく、仕方がないのでそのまま歩き出そうとした。

「だから待てと言っているだろうが」

「会社の人に見られますよ。変な誤解をされると困るんじゃないですか」

「何の誤解だ」

「だから、援交とか」

「俺が? お前と援交?」

 不機嫌さに歪んだ顔はそのままに、器用にも口元だけで笑っている。

「なんで自分の彼女と援交しなけりゃならんのだ」

「知らない人が見たら、ただのジョシコーセーとサラリーマンでしょ。いちいち説明して回る気?」

「勝手に誤解させていればいい。そんな事より、なんでここにいるんだ」

「会いたかったから来た。って言っても信じないかもしれないけど」

 元々平日は仕事が忙しくて会えないのだけれど、ここのところ週末もなかなか会う事ができずにいる。離れていてもずっと信じているわ、などといい子ぶっても寂しいものは寂しいので、こっそりと顔を見に来たのだ。もっともビルから出て来てくれないと顔を見る事ができないためにここに居座っていて、全然こっそりじゃなくなったのは計算外だったのだが。

 彼の顔から表情が消えた。実はこれ、びっくりしている時の顔なのだけれど、知らない人が見たらただの無表情。もちろん「彼女」であるわたしはちゃんと分かっている。

「お前、俺の会社、知っていたのか」

「名刺。貰ってたから、その住所を見て探した」

 つき合い始める前に貰っていた名刺を、ちゃんと財布の中に入れておいたのだ。

「そうか」

「じゃあ、顔も見れたし、帰る。お仕事の邪魔してごめんなさい」

 そう言って歩き出そうとしたけれど、やっぱり掴まれた腕はそのまま。

「腕、離してくれないと」

「少し早いが、時間があるうちに昼飯でも食おうと思って外に出た」

 彼の口角が、にやりと上がる。

「夜は無理だが、今なら少しだけ一緒にいてやれる」

 わたしは思わず彼に抱きつきたい衝動に駆られたが、ここが公衆の面前さらには彼の勤務先の前だと思い出し、必死に耐えた。

「ネクタイ」

「は?」

「似合ってるよね」

「そうか?」

 初めて出会った時と同じ、薄ピンクのネクタイ。

「仕方ないから、つきあってあげる」

 あの時と同じわたしの科白に、彼の口元が苦々しげに歪むのもまた、あの時と同じだった。

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