誰もが持つ誇り
【朗報】18連勤終わる。
「あの蛇が酸の煙を吐いたときはさ、あのライフルを構えてたんだ」
暗い廊下を、銃のライトと、部屋に備え付けられていた懐中電灯で照らす。
都笠さんが、等間隔で細い釘のようなものを廊下の床に差している。何してんだろう、これ。
「あれは重いからさ、小回り効かなくてね。狙いをつけてたから逃げられなかったのよ」
「そうなんだ……」
「やばい、って思って時にはセリエがあたしをかばってくれてたんだ……あたしの防御切れかけだったから危なかったんだけど……でもねぇ」
廊下を曲がったところでもう一本角に釘を刺す
「……その状況で撃ったの?」
目の前でセリエが倒れた時に冷静に狙いを付けたってことか。
僕には真似できるかわからない。というか、あんまりな気もするんだけど。
「……なに?泣いてセリエに駆けよればよかったの?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
何となく非難がましい口調になってしまったらしい。都笠さんがこちらを振り返った。
「……あの子が体を張って作ってくれた機だわ……あの場であたしがやることはあのくそったれな蛇の頭をフっ飛ばして確実に殺すことよ。
外したらそれこそ自殺もんだわ」
僕を睨むように見る。
「……絶対に無駄にはできない……何があってもね」
よく考えれば、直接守られたのは僕じゃなく都笠さんだ。僕以上に色々思うところはあるだろう。はっきりしたゆるぎない口調に言い返すことはできなかった。
なんか時々軽薄というかお気楽な感じがするときはあったりけど、こういうときはプロフェッショナルな自衛官って感じがする。
というか、追い詰められた時の精神力がスゴイ。僕が同じ場面にいたら……動揺してうまく動けたかは分かない
なんとなく何かいえる空気ではなくなってしまった。黙ってフロア全体を見回って、非常階段の場所を確認し、そこにも釘のようなものを突き立てる。
「さっきから何してるの、それ?」
「ああ、見てて。
【警告。ここより先は自衛隊の管理地。許可なく立ち入りは禁止します】」
都笠さんがつぶやくと、釘が白い淡い光に包まれた。
「今の何?」
「あたしのスキルよ。駐屯地。このラインを超える奴がいればわかるの」
さっきの張り詰めた感じは無くなっていつもの調子で教えてくれる。
「へえ、そんなの持ってたんだ」
「まあ、来たのがわかるだけなんだけどね。ないよりはいいでしょ?」
肩をすくめて都笠さんが言う。
今は魔獣がいつ表れてもおかしくない状況なわけで。
敵のど真ん中での野営は新宿でやって以来だけど、いつ魔獣が来るかもしれない、と思いながら休むのは、気分的にあまり休んだ感じがしない。奇襲を受けにくいってだけでありがたい。
部屋に戻ろうとしたとき、廊下の向こうから走る足音が聞こえてきた
「ユーカ?」
「お兄ちゃん!セリエが目を覚ましたよ。行ってあげて!」
◆
部屋に入ると、セリエがベッドの上に体を起こしていた。
「大丈夫?」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
まだ顔色は良くないけど、口調はいつもの通りだ。
「ご無事ですか?スズ様」
「セリエのお陰でね。ありがとう。助かったわ」
二階の溶けて曲った手摺とかの惨状を見る限り、当たり所というか、食らい方が悪ければジェムを使う以前に即死の可能性もあった。
あんなデカい魔獣相手に一人も犠牲者が出なかったのは幸運だったと思う。
「あの、ご主人様、私、お役に立ちましたか?」
「うん、勿論」
「本当ですか?」
「本当だよ」
ちょっとセリエがうつむいた。
「あの……でしたら……」
「うん?」
「ご褒美を頂けないでしょうか、あの……」
セリエが上目づかいで僕を見る。
さっきの傷はもう綺麗に消えていて、いつも通りの白い肌。ほんのり紅潮しているのが薄明りの下でもわかった
「……あー、うん」
ちょっと後ろを見たら、いつの間にやら都笠さんはいなくなっていった……気を効かせてくれたのだろうか。
「いいよ、おいで」
ベッドの端に腰掛けると、セリエが嬉しそうに笑っていつも通り体を摺り寄せてきた。この辺の仕草はトイプードルとかが体をする寄せてくるのに似てる気がする。
「ご主人様……頬に傷が」
「ああ、そう?でも僕は大丈夫だから」
指で頬に触れると、ちょっと皮膚が荒れた、というかざらついた感じになっていた。
酸の息をくらった時のやつか。でもこんなのどうってことない。
「でも……」
「いいから」
抱き寄せると、セリエが目を閉じた。
最近はセリエはキスするときに普通に目をつぶるようになった。
僕としては見つめられたままキスするのは気恥ずかしいからありがたいってのもあるけど。
顔を見ていないと怖い、と言いっていたセリエの心の傷とかが癒えてきたんだろうと思うと嬉しい。
しかし……キスをねだられるのはもう何度目かわからないけど、この瞬間はいつまでたっても慣れない。というか多分永遠に慣れない気がする。
深呼吸して気持ちをおちつけて、唇を触れ合わせた。セリエの体がきゅっと強張って、そのあと力が抜ける。
なるべく優しく舌をからませながら獣耳をなぞるようにマッサージする。最近はこれがセリエのお気に入りだ。なんというか、犬をあやしている気分になる。
ちょっと息が荒くなって、舌が震える。静かな部屋にセリエの息遣いがだけが小さく聞こえた。甘い吐息が頬に触れる。抱きしめた手の中で体温が高まった感じがした。
いつもよりゆっくりキスをして、唇を離す。
「無茶させたね。痛かったでしょ」
「はい……でも、スズさまはご無事でしたし」
セリエが顔を寄せてきた。こつんと額がぶつかる。
本人は満足げだけど、あの時感じた絶望感を思うと……同じ場面はもう見たくないところだ。
「それに、奴隷は主人をお守りするものですから……お役目を果たせて……」
「でもね、あんな無茶はもうしないでほしい」
セリエの言葉を遮った。
奴隷だから体を張るのは当然、とか思っているのかもしれないけど、セリエやユーカを盾にしたくはない。そんなブラック企業まがいのことはしてほしくない。
セリエが息をのむ小さな音が聞こえた。
「どうしたの?」
「あの……それは、お守りするのを……やめろということでしょうか?」
「うーん、そういうわけでもないんだけど……」
今のこの気持ちを言葉にするのはちょっと難しい。無茶はしないでくれ、と言うのもよく考えれば変な話なのかもしれないけど。
僕をおいて逃げろとでもいいたいわけじゃないんだけど、どういえばいいんだろう。
「お言葉ですが……よろしいでしょうか?」
「うん。いいよ」
さっきまでのキスの余韻に浸っているちょっと蕩けたような表情は消えて、真剣な表情になっている。
「そのお言葉には……従いかねます」
「え?」
セリエがはっきり僕の言葉を拒絶するのは珍しい気がする。
「どうして?」
「……私、旦那様をお守りできませんでした。奥様も……何もできませんでした」
ユーカのお父さんとお母さんのことか。
「痛いのは……怖いです。
でもあの時感じた痛みに比べれば……ご主人様やお嬢様、スズ様をお守りするためなら、傷の痛みなんて……何ほどのこともありません」
胸に縋りついたまま絞り出すような声でセリエが言う。
「大事なお方をお守りできなくて、取り残されるのは……もう……嫌です」
僕はそんなに守らなければいけないほど弱く見える?と聞こうとして辞めた。
聞いた限りでは、セリエはスロット能力が分かってすぐにユーカのお父さんに従って戦場に出たらしい。そして、奴隷になった後も何年も探索者とともに戦っていた。
それに比べればまだこっちの世界に来て1年もたっていない僕なんて頼りなく見えるのも無理はない。
「……それに、私はご主人様に魔法使いとして買われてお仕えしています。
私はそのことに誇りを持っています。ですから……」
「……」
「これからも、お守りします」
堅い決意を感じさせる声だ。この気持ちに相応しい主人と言えるのか、僕は。
「それに、今はご主人様が優しくしてくださいますから。奴隷の身分には余る幸せです」
セリエが僕を見つめる。その目を見て分かった。
多分言うだけ無駄だ。この世界の奴隷がみんなそんなことを考えているとは思えないけど、セリエはそう思っているし、それを誇りに思っているっていうなら。僕から何が言えるだろうか。
「わかったよ……でもセリエが傷つくと僕も怖いからさ、それは覚えておいて」
「はい、ありがとうございます」
セリエが嬉しそうに笑う。
その笑顔が重いというか、後ろめたいというか。僕の意図は半分も伝わっていないだろうな。
「じゃあもう休んで」
「はい」
セリエがベッドに横になったのを見てベッドから立ち上がった。
自分の大切な人が傷を負う、自分はそれをどうすることもできない。
セリエがユーカのお父さんやお母さんを見送った時、どう感じていたか、それは今、痛いほどによくわかった。
久しぶりのシビアな探索で改めて思い知らされた。死と隣り合わせであること。
ガルフブルグで魔獣狩りをして、荒事にも多少は慣れてきた。心構えもできてきた。自分で言うのもなんだけど、少しは強くなったと思う。自分の身は守れるようになった。
でも、自分以外の誰かが傷つくのは、胸が切り裂かれるように苦しい。
今まで幸いにも僕は身内や友人が亡くなったことがなかった。だからこの心の奥を抉られるような感覚、喪失感というのか絶望感というのかわからないけど、それを味わうことが無かった。
「心構えだけじゃ足りないぞ、スミト。
強くなれよ。仲間の骸の前で泣きたくなければな」
「それに、お前が弱けりゃお前の仲間がお前の死体の前で泣くことになるかもしれないんだぜ」
訓練のときアーロンさんとリチャードに言われたことが実感をもって胸に刺さった。
強くなったからと言って、今日のアンフィスバエナを一撃で仕留めるとかはできなかっただろうけど。
それでも。
◆
ドアを開けると廊下にはユーカと都笠さんがいた。
ユーカが僕と入れ替わりで小走りに部屋に入って行く。
「ライエルさんがそろそろカリカリしてるかもよ、行きましょ」
「うん」
「どうしたの?」
「強くなるためには、まず自分の弱さを知るのが第一歩だっていうのは何のセリフだっただったかなって」
「はあ?」
「……いや……強くならなきゃなって思ってただけだよ」
いまさらこんなことを認識するなんてあきれるくらいおめでたい。
けど。セリエやユーカを盾にするのが嫌ならば。僕が強くならなきゃいけない。
「そうね。あたしもね」
都笠さんが少し驚いたような顔をして、表情を引き締める。
「……今回はたまたま回復アイテムみたいなのがあったからよかったんだけど。
あれがもし無かったらと思ったらゾッとするわ」
「まったく同感だよ」
「それにさ、問題はね。
多分あの子は、回復アイテムがあるから怪我をしても大丈夫、とか思ってあたしをかばったんじゃないないことなのよね」
「……僕もそう思う」
さっきのセリエの目を思い出す。そんな計算をしてはいないことは間違いない
ジェムがあろうがなかろうが同じことをしたんだろうと思う。そして、次も同じことをするだろう。
「ほんとはそういうの、良くないのよね。
だってさ、一人を助けるために他の一人が死んだら、結局同じなわけだしさ」
「うん」
「でも、それはダメだって言っても聞かなそうだしね、あの子」
「そうだね」
「それにさ……あたしにだってプライドってもんがあるのよ。
プロの自衛官が年下の女の子に心配されて、守られてるんじゃかっこつかないわ。そうでしょ?」
都笠さんが拳を突き出してきた。拳を軽く合わせる。
僕にだってプライドはある。セリエが誇れる主でありたい。
そのためには。強くなりたい、じゃない。強くならなきゃいけない。