異世界の日本風ダイニングバーにカレーを食べに行こう
今回は幕間というか余談っぽい話です。
「ねえ、風戸君、面白いお店が出来たの知ってる?」
唐突に都笠さんが声を掛けてきたのはそろそろサンヴェルナールの夕焼け亭の開店時間の迫った6時の鐘がなるころだった。
ただ、面白い店、というのは余りに漠然とし過ぎていて返事に困る。
「いや、それだけだとわからない。どんなところ?」
パレア、というかガルフブルグでは口コミで猛スピードで情報が拡散していくこともあるけど、いわゆる情報誌的なものはない。だから、口コミを聞けないと全然情報が入ってこなかったりする。
「今日は準備終わったら暇でしょ?行ってみようよ」
今日はダンスの日なので机は壁際に移されていて、そこに簡単な料理や飲み物が置かれている。
ダンスの日は外にまでお客さんが来て賑やかになるので、机や立ち飲み用の樽とかを店の外に並べる。この時は男手がある方がいいので僕も手伝うのだけど、そのあとは余りやることがない。
というか、最近は商売繁盛の甲斐もあってわりと人手が確保できているから、僕や都笠さんが不慣れなホールスタッフに駆り出されることはほとんど無くなった。セリエはいまだに手伝いをしているけど。
「どんなとこ?」
「まあ行ってみればわかるって」
まあこの後は何もなければ、ホールから流れる音楽を聴きながら部屋で賄いを頂くだけなんだよな。まあいいか。
「セリエ、ちょっと今日は出かけてくるね」
「はい、ご主人様」
セリエに言伝をして都笠さんと一緒に外に出た。店の外には開店前だというのにお客さんが結構来ている。今日も賑やかになりそうだ。
とりあえず都笠さんについて広場に向かって歩く。
広場にはいつの間にか車が置いてあった。この間、運ばれているを見た、大型のアメリカ製ピックアップトラックだ。
周りには人だかりが出来ている。動かさないのだとしたら、何かの商売の看板みたいなものかな。
「こっちよ、風戸君」
都笠さんが呼んだので、車から目を離して声の方に向かった。
◆
都笠さんにつれていかれて着いたのは、旧市街の広場から少し路地に入ったところにある店だった。
犬の顔を象った木の看板には渋谷、と漢字で書いてある。
「……なんじゃこりゃ?」
「要は、渋谷の店をまねたお店なのよ」
……なんだろう、この、海外でショーグンとかゲイシャとかフジヤマとか書かれた日本語の看板を見た時のような感覚は。
「なんというか、海外のインチキ日本食のような感じなんだけど」
「それがね、案外本格的よ。まあ入りましょ」
そもそもどういうのが本格的なんだ、と突っ込みたいところなんだけど。
そんなことを考えているうちに都笠さんがドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
ウェイターのスーツ姿の人間の男がにこやかに挨拶してくれる。
ざっと店内を見回すと、かなり頑張って渋谷の店をまねたんだろうな、という感じだった。
東京から持ってきたらしき、四角いカフェテーブルとカラフルなソファシートが整然と並べられている。
店の奥には大きめのカウンターが設えられていて、その背後にはバックバーがあり、いろんな酒瓶が置かれていた。
カウンターの上からはグラスが吊るされている。この辺は日本のおじゃれなダイニングバーで見かける光景だ。
天井からはこれまたシェード付きのおしゃれなコアクリスタルのランプが吊るされていて、御丁寧に足元にも間接照明風にランプが置いてある。
店内の照明も少し控えめにしてあるあたりなんか芸が細かい。
机に置いてある皿も渋谷のどこかの店からまとめて取ってきたっぽい、店のロゴ入りの真っ白な皿だ。
「結構気合入ってるでしょ」
「たしかに……」
内装だけみれば渋谷のダイニングバーとかに見えなくもない。
酒もすべて門の向こうからの持ち込み品らしい。バックバーに並んでいるのは、見慣れた日本のラベルの張られたビールにワイン、海外のウィスキーとかだ。
すでに何人かのお客がいるけど、皆がスーツとかいわゆる東京からもちこまれたであろう洋服を着ている。
いわゆる放浪願望者ばかりなのか。こういう店だからそういう客層になるのは仕方ないのかな。
日本のダイニングバーのような内装で、お客さんもスーツ姿や洋服姿なので、なんというか現実感がなくなるというか、此処がガルフブルグなのかどうなのかわからなくなる。
ただ、微妙に違和感があるのが、店員さんの衣装だ。
男性はスーツ姿で、女性はビジネススーツか高校の制服っぽい衣装を着ている。揃いの衣装を用意できなかったのだろうか
男のスーツは微妙なサイズのおかしさが目に付くけけど。全体的に背が高くて体格がいいせいか、サイズのズレを置いておけば中々に似合っている。
女の子もスーツが多いけど、時々女子高生っぽいブレザーのような制服姿の子もいる。何ともちぐはぐだ。
獣人の女の子が主に制服を着ているようだけど、ちょっと小柄なのが制服に合ってる気がする。
「可愛いよね」
「……そうだね」
「やっぱ制服はロマン?」
「そういうわけじゃないけどさ」
とりあえず空いたテーブル席に座る。
ガルフブルグの椅子は堅い木の椅子に薄いクッションを入れただけのものがほとんどだから、ソファシートの柔らかさが懐かしく感じる。
「そういえば、都笠さんはここは来たことあるわけ?」
「勿論よ……っていってもまだ3回目だけどね」
座ったところで、チェックのミニスカートとおしゃれなブレザーっぽい制服を着たネコミミの女の子が、シャンパングラスのような細長いグラスに入った透明な液体を運んできてくれた。
「いらっしゃいませ。まずはこちらをどうぞ」
「これは?」
「ブルフレーニュ公直轄地産の針水。果実漬けです」
よく見ると、炭酸のように細かい泡が上がっている。
「針水?」
「まあ、飲んでみなって」
都笠さんに言われるままに口をつけると、レモンのようなさわやかな風味とちょっと強めの刺激が舌を刺した。
炭酸水だ。コンビニでよく飲んだ有名ブランドのよりはちょっと炭酸の刺激が強くて、レモンというか果汁の風味が濃い。
「……レモン炭酸?」
「なんかね、もともとは炭酸水の湧水は針水っていわれてて嫌われてたんだって。
でも、東京からいっぱい炭酸系のドリンクが入ったもんで飲まれるようになったんだってさ」
「なるほど」
これも地球の影響か。食文化も変わってしまうのか。
たしかに飲みなれない人にとっては炭酸水は針を刺されるような感じだし、受け入れられなくても仕方ないかもしれない。ちょっと炭酸がきつめなのも影響していそうだけど。
そしてブルフレーニュ家か。
「ちょっといいですか?」
「はい」
ウェイトレスのお姉さんを呼び止める。ぴょこんとがった黄色っぽい毛の耳の獣人で、OL風のリクルートスーツに身を包んだウェイトレスさんがにこやかに答えてくれる。
セリエより耳が大きくて尖ってる。犬耳、というか狐って感じだな。
「この水は何なんですか?」
「はい、ブルフレーニュ家の領地であるレーヌ渓谷で汲んだ水です。
それを氷室で冷やしてお出ししています」
「どうもこのお店、ブルフレーニュ家っていうか、あのお姫様がやってるみたいよ」
「……なるほどね」
とすると、店舗アドバイザーはあの籐司朗さんだったりするんだろうか。そうだとしたらこの中々に再現度が高い理由もわかる気がする。
しかし、あのお姫様、高嶺の華のお嬢様って感じだったけど。こういう店をやってます、といわれると、いきなりなんというかミーハーな感じに見えてしまうな。
◆
とりあえず黒板に書いてあるメニューのうちいくつかを見繕って頼んだ。黒板にメニューを書くあたりも演出の一環なんだろうか。
料理はガルフブルグでよく出てくるような、野菜炒めや肉のグリルだったけど、普段と違うのは胡椒とかの香辛料が使われてることだった。
日本の調味料を使っているのか、炭酸水のように現地で見向きもされなかった食材が日本の文化の影響で使われ始めているのかはわからないけど。
「今日はさ、久しぶりにカレー食べてみない?」
都笠さんが言う。それはなかなか魅力的な提案だ。
二つとなりの席の身なりのよさそうなお客さんがカレーを頼んだらしくて、店内にほんのりカレーの匂いが漂っている。この匂いにはなんというか抗いがたい魔力がある。
しかし、問題は値段だ。日本から持ち込まれたレトルト食品は、リチャードの話によれば随分値段が高くなっているらしいし。
「いくら?」
「確か……700エキュト」
価格を聞いて仰天した。700エキュト?
「700エキュトって、あんた」
8万円くらいだぞ、ちょっと待てや。レトルトカレーで8万はどうなんだ?
「まあいいじゃない。久しぶりにカレー食べようよ。割り勘にするからさ」
「まあいいけどさ。僕も食べたいといえば食べたいし。
ていうか、都笠さん、お金あるの?」
「そりゃもう」
そういえば、最近は都笠さんは暇なときは隊商の護衛とかをして見分を広めつつつ、稼いでいるらしい。なんとも活動的。
「つーか、元自衛隊員でしょ。材料そろえてカレー作ってよ」
「カレーは海自名物。あたし海自じゃないもーん。あ、お姉さん、カレー食べたいんだけど」
「はい、しばらくお待ちください」
注文を受けたさっきの狐耳っぽい獣人のウェイトレスさんが厨房の方に行って、しばらくしてワゴンを押してきた。
「どれになさいますか?」
ワゴンの上にはいくつものカレーが並んでいた。どこにでもある有名メーカーの物やコンビニのPB品、僕も見たことのないパッケージもある。
……いったいどれだけこっちに入ってきてるんだ。
「どれにする?」
「あたしはこの間食べたからさ、風戸君、選びなよ」
「……値段は変わらないの、これ?」
「うん。大体同じみたいよ」
日本だと結構値段の差はあるんだけど、こっちに持ち込まれた時点でレトルトカレーというくくりで統一されてしまうのかな。
しばらく迷ったけど、赤いパッケージの、野球選手をモチーフにしたイラストが書かれたビーフカレーにすることにした。これは見たことはあるけど、食べたことがない。
「それでは少しお待ちください」
狐耳のお姉さんが頭を下げてワゴンを押して戻って行った。
◆
待つこと5分ほど。
湯気の立ったガラスの器と、白い柔らかそうなパンを入れた籠を乗せたワゴンが運ばれてきた。
狐耳のお姉さんが、お湯の中に入っている銀色のパッケージを慎重に取り上げて丁寧に布でお湯をふき取り、腰に下げた金の鋏で慎重に封を切る。
ほんとに金の鋏で目の前で開けてくれるのか。リチャードが言ってた通りだけど、仰々しい仕草に笑ってしまう。
深皿にカレーが注がれて、ふんわりとなつかしい匂いが漂った。
日本にいるときはちょっとコンビニに行けば200円くらいで買えたのに。こっちではなんと8万円相当。食べるのはたぶん数カ月ぶりだ。
「さ、食べよう」
「そうだね」
付け合わせの柔らかい白パンを浸して一口食べると、懐かしいカレーの辛い味が口いっぱいに広がった。鼻を抜けるスパイスの香りがたまらない。
しかもこの一口が幾ら分なんだか……などと思っている僕はやはり貧乏性なのかもしれない。
「……炊き立てのご飯、欲しくなるよね」
「それは……本当に同感だわ」
パンも悪くないけど、こういう時は米が欲しくなる。
「風戸君の管理者で電子ジャー動かせないの?」
「やったことないけど……たぶん動かせる」
米がこっちに入ってきてるかは分からないけど。この味を久々に味わってしまうと……面倒でも探してやってみるのもいいかもしれない。炊飯器は新宿あたりに行けばあるだろうし。
二人で1パックだとすぐに食べ終えてしまった。
気分的にはもう一つ、といいたいところだけど、値段を考えるとちょっと気が引けるのでやめておく。
そのあとは、かき氷のような氷を使ったデザートが出て食事は終わった。
ちなみに、勘定を見て青ざめた。随分高くついてしまった……少なくとも東京で食べたどの食事より高かった。会社の接待でも見なかったぞ、こんなの。
でも、なかなかおもしろかった。今度はセリエとユーカもつれてこよう。
◆
「ご主人様、お休み前に失礼します」
その何日か後、セリエが深刻な顔をして僕の部屋に来た。
もう寝る前っていう時間で、この時間にくるときはキスをねだってくることが多いんだけど、そういう雰囲気じゃない。ちょっと残念なような。
「どうしたの?」
「あの、ご主人様……お聞きしたいことが……」
「なに?」
心配事を抱えてますって感じの顔なんだけど、僕が居ないうちに何かあったんだろうか。
「あの……」
「うん?」
「……私のこの服……お気に召しませんでしょうか?」
「は?」
セリエは普段のロングスカートのメイド衣装っぽい服だ。気に入らないなんて言ったことはなかったはずだけど。
「……いまのこの服はサヴォアの旦那様に与えていただいたものです。
それをずっと着続けているのは……ご主人様に失礼にあたるのではないかと」
「いや、別に気にしてないけど」
「それに、あの……このような……セイフク姿の方がいいんじゃないかって」
差し出されたのは雑誌の1ページと思しき写真だった。
多分雑誌のグラビアか何かだろう。制服姿の女子高生がさわやかに笑って映っている。どっから持ってきたんだ、これ。
「……やっぱり、元の世界の衣装の方がご主人様にとってはよろしいでしょうか?」
「いや、そういうことは……」
ないとは言わないけど、今の衣装も可愛くて好きだ。
「……足を出すのはちょっと恥ずかしいですけど、ご主人様はこういうのがお好みなのですよね?
そういうことでしたら……」
「あー」
なんでこんな話になったのか……は察しがついた。あの女……
「あの……ご主人様?」
「いや、そのままでいいよ」
「……本当ですか?」
あくまで心配そうに聞いてくる。
冗談のような内容だけど。セリエは大真面目に聞いてきているので、きちんと僕の意思を伝えないといけない。
「本当です。だから気にしないでいいよ」
「はい。ありがとうございます」
セリエが安心したような顔で頭を下げて出ていった。
しかし。
世間ではメイド衣装もミニスカになってるけれど。
それが悪いとはいわない。セリエのミニスカ姿も見たくないとは言わない。
でも、体のラインがほんのりわかるタイトな感じのロングスカートのメイド衣装もいいんだと、声を大にして言いたい。
なんでもミニにすればいいってわけじゃないと僕は思う。
これで3章は終わりです。読んでくださっている方、改めてありがとうございます。
4章のさわりだけは早めに(早いとは言ってない)書くつもりですが……4章は舞台を東京に移して、六本木での探索になる予定です。
なお本文中の趣味嗜好はあくまで主人公・風間澄人君のものであり、筆者の物とは無関係であることを強調しておきます。