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卵とパスタとセリエの手料理

 この話は都笠さん視点です。

 2019年夏コミで発行されたレジェンドノベルズ第?巻のために描いたショートエピソードです。

 起きてカーテンを開けると太陽の明るい光が差し込んできた。時間的には9時ごろって感じだろうか。

 パレアは全体的に天気が良くて過ごし易い。窓をあけると軽く風が吹き込んできて爽やかな朝の空気が頬に触れた。


 少し体を伸ばす。

 異世界ガルフブルグの生活も大体慣れてきたけど、ベッドの硬さだけはどうにも慣れない。木の寝台に厚いとは言えない布団を敷いて寝ているだけだから仕方ないけど、いずれは風戸君に頼んでマットレス一式を持ってきたいところだ。

 睡眠の質は体調にかなり関わってくるから、寝具ってのは結構重要なのだ。


 椅子に引っ掛けたままにしていた部屋着、というかジャージに着替えて外に出る。

ドアを開けるとがらんとしたホールが見えた。天窓から光が差し込んできていてホールは明るい。

 サンヴェルナールの夕焼け亭はミュージックバーとして夜だけの営業になっているから今は静かなものだ。


 ぼんやりとホールを見下ろしていると、ドアが開いてセリエが入ってきた。いつも通りの黒いメイドドレスに白いエプロン。ユーカも一緒だ。

 大きめのトートバッグのようなものに野菜とか腸詰めとかチーズが入っている。買い出しがえりかな。


「おはよう、セリエ」

「おはようございます、スズ様」

「おはよう、お姉ちゃん!」


 上から呼びかけたら、セリエがあたしの方を見て頭を下げてくれた。ユーカが元気よく挨拶してくれる。

 ホールに降りると厨房の中からは包丁の音が聞こえてきた。ヴァレンさんはもう起きて仕込みをしているらしい。

 あたしも料理ができないわけじゃないけど。ガルフブルグの機材には慣れてなかったから邪魔になるだけなのが分かって、今は手を出さないことにしている。


「あら、ユーカ。それは卵?」

「うん、そうだよ」


 ユーカが木で編んだ加護に入れているのは白い卵だった。

 卵。日本ではスーパーでどれだけでも見れたけど、実は卵はパレアで見る機会はあんまりなかった。

 半熟オムレツとトロトロオムライス大好きだったから、結構これは不満だったする。

 材料がないのはどうしようもないとあきらめていたんだけど、全然ないわけじゃないのか。


「仲良くしているお店の方に分けていただいたんです」

「へぇ」


 6個ほどの卵。日本のより少し大きいかなって感じだ。


「で、どうするの?」

「はい、サヴォアの地方でつくる料理を久しぶりに作ってみようかと」


「へぇ、どんなの?」

(ヌイユ)というものです」

「美味しいんだよ!」


 ユーカが嬉しそうに言う。食べたことがあるらしい。そういえばセリエが料理しているのはあまり見たことがないな。


「見てていい?」

「はい、勿論です」


 そういってセリエが厨房に入って行った。



 厨房の中ではヴァレンさんがいつも通り野菜スープを作っていた。朝ご飯代わりに一杯貰って焼いたばかりのパンを一口かじる。

 パンは口に近づけるとふんわりと焼きたての匂いが漂う。カリッとした歯触りとふんわりと熱を帯びた中の白い部分の柔らかさのコントラストがたまらない。

 独特の酸味のようなものとか焼きムラもあるんだけど、それも手作りの味って感じがしていい。 


 スープは香味油を垂らしてあるから適度にこってりしていて、野菜ベースのラーメンのスープっぽい。優しいだけじゃなくて昼への力が湧いてくるような感じだ。

 ヴァレンさんは厳つい見た目とは裏腹に……なんていうと悪いんだけど、料理は繊細だ。

 パンをほおばっていると、簡易なワンピースとエプロンに着替えたセリエが入ってきた


「では始めます」


 そう言ってセリエが大きな器の中で麦粉と卵と香味油を混ぜ合わせた。

 瓶に詰めた緑色の野菜のペーストを手際よく加える。ペーストからはほんのりとニンニクのようなにおいが漂ってきていた。

 作る手順はトマトとかホウレンソウを混ぜたパスタっぽい。


 なんでも、この世界ではパスタに類するものはあまりないらしい。

 これの理由を考えてみたんだけど、どうやら卵の確保がかなり難しいこのが原因のようだ。

 パスタ生地は卵を使うけど。鶏を飼育するにはそれなりのスペースが必要なせいか、パレアみたいな大都市だと逆に新鮮な卵をたくさんというのは手に入りにくい。

 実際、鶏の声もあまり聞こえない。


「卵ってあんまりないの?」

「パレアでは少し手に入りにくいですね。離れたところの方が卵が手に入りやすいんです」


 粉を丸く練りながらセリエが答えてくれる。

 都市から離れて暮らす田舎の方が逆に鶏を身の回りで飼っていて卵が手に入りやすいってことらしい。

 街道も整備されてはいるけど石畳のところはごく一部。それに盗賊が出たり、封緘(シール)の範囲外だと魔獣に襲われることもある。

 流通にトラックを使って大量輸送なんてことも出来ないから地方から大量仕入れってわけにはいかないだろう。


 でも、ということは、地方にいくとパスタに類するものはあっても不思議じゃないのか。

 かの有名なミシュランガイドも元は地方の訪問すべきレストランの紹介本だったっいうけど。この世界でも地方の美味しいものが食べたければ現地に行くしかないってことだ。

 いずれ名物料理の食べ歩きをしたいわ。


「最近は鶏を飼う場所が少しづつ増えていまして、卵も手に入りやすくなっています」


 こねる手を休めてセリエが言う。結構重労働なのか、額には汗が滲んでいた


「へぇ?なんで?」

「塔の廃墟の本がたくさん入ってきて、それを見た人が卵を欲しがっているんだそうです」

「塔の廃墟では卵はあったのかね?」


 仕込みを済ませたらしいヴァレンさんが声を掛けてくる。


「ええ。まあ珍しくはなかったですよ。スーパーじゃなくて、えーっと、市場で普通に売ってましたし」

「……信じられんな、まったく」


 ヴァレンさんが首を振る。まあ食材についてはガルフブルグと東京じゃ比較にならない。

ただ、パレアの近郊には土地は十分に余っているわけで、お金になるなら養鶏場を作る人がいてもおかしくない。

 そうなるとガルフブルグの食生活にも変化が生じるかもしれない。オムライスはコメが無いから無理でもオムレツが食べたいわ。



「できました」


 セリエが手際よく練り上げた生地は野菜のペーストを練り込んだためかちょっと緑がかっている。

 小さ目のザルのようなものにその生地を詰めて、セリエが華奢な体全体を使ってそれを上から押す。荒いザルの目から押し出された記事が皿に落ちて来た。


「へぇ、こんな風に作るんだね」

「はい」


 下の皿に落ちているのを見ると、親指くらいの長さのショートパスタっぽい感じだ。

 こういうパスタはイタリアにもあった気がする。包丁とかで切って麺状のするのより楽なのかな。


 皿に落ちたのを手際よくゆでながら、竈にフライパンを置いて玉ねぎのような野菜を炒める。

 それに塩とオイルに漬けた魚、あたしの感覚からするとアンチョビっぽいものを加えていく。炒めた玉ねぎの食欲をそそる香りが厨房にふんわりと漂って、隣にいるユーカが待ち遠しそうに喉を鳴らした。

 

 茹で終わったものをお湯から取り上げて、玉ねぎとアンチョビのソースの入ったフライパンに入れると、ソースから湯気が上がる。軽くソースで煮るようして、セリエが皿に盛りつけた。

 この辺の手順はあんまりパスタと変わらない。まあ料理は似たようなやり方に落ち着くのかもしれない。


「貰っていい?」

「あたしもいいかな、セリエ」

「はい、勿論です」


 ユーカが先に一口食べて満面の笑みを浮かべる。セリエが渡してくれたフォークで、茹でたての熱いパスタを口に運んだ。

 ちょっとザラついたパスタの表面に熱くトロリとしたソースが絡んでいる。たっぷりのソースの玉ねぎの香味と甘み、アンチョビの苦みと塩気が口いっぱいに広がって、喉に抜けた。


 ソースはシンプルだけど生地に野菜が練り込んであるからか、小麦と野菜の風味が漂ってきて複雑な味になっている。

 生地の表面はプルンと柔らかいけど、噛むと芯があって美味しい。噛み締めると、時々ちょっと歯応えがあってパッと辛みが広がるのもまたいいアクセントだ。野菜のペーストには何かの種も入っているっぽい。

 食感も面白いし、味付けも食べ飽きない料理だ。強いて難点を言うなら、なんか見た目が芋虫みたいでちょっとアレなところかな。



「で、これは風戸君には食べさせてあげないの?」

「え……でも」


 とりあえず一皿って感じで作ったパスタがほんのりと机の上で湯気を立てている。

 あたしの問いかけに、セリエが一瞬嬉しそうな顔をしたけどすぐにうつむいてしまった。


「どうかした?」

「……これは田舎の料理です。こんな料理がご主人様の口に合うか……塔の廃墟の食べ物はどれも美味しいですし」


 せっかく作ったのに何を言っているんだか。美味しそうな香りが厨房からホールまで漂っている。


「風戸君!いい加減に起きなよ!」


 吹き抜けの三階に呼びかけると、ちょっと間があって、いかにも寝起きっていうか疲れたって感じの風戸君が出てきた。

 昨日はアーロンさん達と一日中槍の稽古をして、そのあとはリチャードやほかの探索者達と酒盛りになったらしい。


「おはよう……今何時くらい?」

「もう11時くらいよ、寝過ぎじゃない?」


 ガルフブルグではもうすぐ昼の鐘がなるころ、とか言うけど、あたしたちの間だと時間で言い合うほうが通りがいい。

 太陽光発電型のデジタル時計を使ってるから一応時間は分かる。


「さっきからなんかいい匂いがするね」


 風戸君が部屋着のまま階段を下りてきた。セリエは何かアタフタしている。


「大丈夫だって。あたしも風戸君とおなじ東京の人間なのよ。あたしが美味しいんだから風戸君も美味しいって思うわ」


 あいかわらずセリエは不安げな顔だけど。


「それに、男なんてねー、良くも悪くも単純なんだからさ。私の故郷の料理です、貴方のために作りましたって言って出してあげれば、それだけで大喜びよ」

「あの……でも……」

「それにさ、好きな人と一緒にご飯食べれば、誰だって嬉しいでしょ?セリエもそうじゃない?」


 そう言うと、セリエの頬が真っ赤に染まった。


「いえ……好きなどではなく、ご主人様はご主人様ですから……好きなんて、あの、私」


 俯きながらセリエが口の中でもごもごとつぶやく。


「ほら、準備しなさい。温かい方が美味しいんでしょ?」


 そういうとセリエがフォークとかスプーンを用意し始める。それを見届けて厨房を出た。


「セリエが手料理作ってくれたってさ」

「へえ、そりゃ嬉しいな」


 風戸君がすれ違って階段を下りていった。邪魔者は退散。

 三階から見下ろすと、風戸君が美味しそうにパスタを食べていて、セリエがそれを嬉しそうに見守っていた。

 何か話しているみたいだけど聞こえない。でもなんというか幸せそうなのは分かった。

 ……まったく、奥手と草食系の組み合わせは始末に負えないわ。


 料理のモデルはビーゴリ・イン・サルサ。

 ビゴリはイタリア・ヴェネト州の手打ちパスタです。


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