ガルフブルグの貴族の事情。
翌日。気になること、というか、籐司朗さんとの話でちょっと思うところが有ったので渋谷に戻ることにした。
門のあるラポルテ村に向かう途中、馬車に揺られていると、なぜか大型のピックアップトラックが馬車に曳かれてパレアの方に運ばれて行った。
管理者がなくてもキーがあれば車は確かに動くけど、それなら馬車で運ぶ必要もないし。あれは何に使うつもりなんだろうか。
今回の渋谷行きの目的は情報集めだ。
昨日の籐司朗さんの話、貴族の権力の強さのことを聞くと急に心配になったことがある。
込み入った話になりそうなので、セリエとユーカはとりあえず、スクランブル交差点の食堂でまっていてもらうことにした。
◆
ギルドに行くと、元スタバの一階は人であふれていた。
コアクリスタルの換金をしている人、空いたスペースで商人らしき人と商談をしている人とか、たくさんの探索者がいる。前に来た時より各段に賑やかになってるな。
カウンターの奥を覗くと、目当ての人、フェイリンさんがいた。
「あらぁ、スミトさん。今日はどうしたんですかぁ?」
「副ギルドマスター、というかフェイリンさん。すこし時間貰えますか?」
僕の知り合いで一番情報に通じていそうなのは、ギルドのお偉方であるこの人だろう。
貴族の話題ならジェレミー公でもいいんだけど、あまりオルドネス家に借りは作りたくないし、フェイリンさんなら貸しがあるから話を通しやすい。
「構いませんよぉ。どうぞこちらへ」
フェイリンさんが手招きしてくれて、カウンターの中に入った。
裏手のバックヤードっぽいところを改装した副ギルドマスターの部屋に案内してくれた。今は机と椅子と小さ目の棚があるだけの簡素な部屋だ。
奨められるままに椅子に座った。カフェテーブルとイスのセットは多分スタバのものをそのまま引き継いで使ってるっぽい。見覚えがある。
暫く待っていると、ギルドの係員の子がティーパックのお茶を出してくれた。
壁にはどこかの旅行ガイドから持ってきたっぽい大判の東京の地図と、それの渋谷から新宿にかけてのエリアを絵地図にしたものが貼られている。
「スミトさんの世界の人は凄いですねぇ。こんな詳細な地図を作れるなんて」
絵図は恵比寿から新宿までを結ぶ山手線の線路を中心にして、大きめの道や注意書きのようなものが書き込まれていた。
中央線の線路も書かれているところをみると、次は中央線沿いに探索を進めるのだろうか。
いつか御茶ノ水の僕のもとの会社にいけたりもするかもしれない。
「今度文字を教えてくださいよ、スミトさん」
日本語は話すのは割と楽だけど、漢字とひらがな、カタカナに加えてアルファベットまで混ざっていて読み書きは結構しんどいと聞く。
でも地図とかは読めた方がそりゃいいだろうし、青看板が読めるようになるだけで探索は捗ると思う。
「いいですよ。まあそれはさておいてですね」
「はいはい。なにかお話しがあるんんですよねぇ。お伺いしますよぉ」
「まず、あの原宿の襲撃についてなんですけど」
先日の原宿で襲ってきたのは、ユーカが狙いだったのか、ベル君たち狙いだったのか分からないけど、少なくとも追剥ではなかった。あれは誰の差し金だったんだろうか。
「あの件は子供を連れてこい、と言われただけだったみたいです。
依頼主も失敗した時点で姿をくらましてますからぁ……」
それ以上の情報はないらしい。これについてはあまり期待してなかったからまあいい。
「なら次ですが。ラクシャス家について教えてもらうことはできますか?」
新宿で起きたことは伝えてあるから、フェイリンさんが合点がいったという顔をする。
目下、僕たちにちょっかいかけてきそうな筆頭はラクシャス家だ。しばらく音沙汰がなかったからなんとなく目を逸らしていた問題なんだけど。
新宿でのことを思うに、恨まれていることは間違いない。ガルダは倒せたけど家自体は無くなっていないはずだ。なにかまた仕掛けてこないとも限らない。
「私の知ってることだけになりますけどぉ、それでよろしければ」
「それでいいです」
僕の言葉に頷いてフェイリンさんがお茶を一口飲む。
「ラクシャス家はガルフブルグ4大公、バスキア公の旗下の貴族ですねぇ。
そこそこの高位の貴族で、主につかさどっていたのは宮廷儀礼のはずです」
「宮廷儀礼ってなんです?」
「王様や貴族に接するときの挨拶や口上、服装とか歓待の仕方とか、まあそういうのですね」
「……そんなのが上位貴族の仕事なんですか?」
礼儀作法とかマナーはもちろん大事だけど。高位の貴族が司るほど大事なものなんだろうか。
「ああ、スミトさんの世界には貴族はいなかったんでしたっけ?」
「ええ」
フェイリンさんが、なるほど、という顔をする。
「そういうことだと、わかりにくいかもしれませんねぇ。
貴族社会においては貴族同士の付き合い、王様への謁見、他国の使節との会談とか、正しい儀礼が必要な場所はいくらでもあるんです。
礼法に反するふるまいをすれば、相手の国に侮られたり交渉が壊れて戦争になったりしますしぃ。
旗下の貴族が無礼なふるまいを犯せば主家のほうまで王への覚えがわるくなったりしますからねぇ」
なんとも堅苦しいというかなんというか。
でも、そういわれてみると。僕だって社会人一年目は名刺の出し方とかまできちんと仕込まれたし、ちょっとしたマナー違反で取引がダメになってしまうこともあると口を酸っぱくして言われた。
こっちの世界じゃマナー違反一つで戦争にまでなりかねないなら……確かに大事だ。
「ただ、あの家は今は没落しています。何年か前に後継者の一人息子が戦死してるのが原因ですねぇ。
サヴォア家の当主が指揮を執った戦いに観戦武官のような形で参加していた時に起きた、ときいています」
僕もセリエとユーカが奴隷に落ちた大まかないきさつは聞いている。
ガルダがユーカの身柄に拘ったのは……あまり考えたくないけど、直接手を下したいとかそういうことなのか。
ただ、意図的に最前線で孤立させたとかならともかく。
家を断絶させ、家族を奴隷に落とし、そこまでしておいて今もなおしつこく絡んでくるのは、逆恨みというか執念深すぎると思う。
僕が黙っていると、フェイリンさんが話をつづけた。
「……その息子の戦死が、サヴォアの当主の不手際なのか、それとも不幸な事故だったのか、それ以外の何かなのか……それは分かりません。戦場でも運に見放されたら、あっけないくらいに簡単に人は死にますからね。
いずれにせよ、貴族社会では血脈が大事ですからぁ、だから跡取りが失われるというのはとてつもなく大変な事なんですよ」
僕には逆恨みにしか思えないけど……相手には恨む理由はある、ということか。
「あと、現当主は相当にお高く留まった人と聞いてます。
だから普通なら後継者が死んでもほかの貴族家から養子をとるなりして家の存続をはかるんですけどぉ。それもうまく行かなかったそうです」
「ん?じゃあ、あのガルダは?」
あいつはラクシャスの名を名乗っていた。てっきり息子か何かだと思っていたんだけど。
「ガルダはもともとは探索者です。
私は直接面識はありませんが、かなり腕の立つ魔法剣士だったそうですよ」
「え?マジで?」
フェイリンさんがしれっと驚くべきことを言ってくれる。
強かったのは身をもって知っているが、探索者だったってのは初耳というか、凄く意外だ。
「はい。
あの新宿の件を聞いたあとに調べてみたんですが、彼はラクシャス家の庶子だったらしいですねぇ。
ダークエルフとのハーフで、長子が戦死した後にラクシャス家に引き取られたのだそうです」
「何で彼を後継者にしなかった……」
と言いかけて、聞くまでもない気がした。
この世界でダークエルフとのハーフがどういう扱いなのかは分からない。でも、家柄だのなんだのに拘るのなら、庶子という時点でアウトなんだろう。
フェイリンさんが僕を見て、その通りとでも言いたげに頷いた。
元探索者なのになぜあんな高慢な物言いになったのか……と思ったけど。
あいつにとっては父親に認められることというか、貴族であることがよりどころだったんだったのかな、となんとなく思った。
高貴な貴族は下々の者を見下していいって感じだろうか。でも方向を間違えた結果あんなことになったわけだけど。
「……私がしってるのはこの位ですねぇ。参考になりましたでしょうか?」
「ええ、とても。ありがとうございます」
お茶を飲みほして、立ち上がった。後味が少し苦い。久々に日本の紅茶を飲んだ気がするな。
「所で……ラクシャス家がまだ僕らにちょっかいかけてくる可能性はあると思いますか?」
我ながら変な質問だとはおもうけど。
合理的な、という意味ではこれ以上ラクシャス家が僕らに構う利益はないと思う。ユーカを殺しても彼の息子は帰ってこない。
でも、恨みとか憎しみが理屈じゃないなんてことは僕にだってわかる。
それに、サヴォア家のことはさておいても、僕自身がガルダを刺し殺している。
あの場ではああするしかなかったし、あの場には僕等しかいなかったから、直接知る者は僕ら以外にはオルミナさんしかいない。
オルミナさんがラクシャス家にチクらない限りは具体的な真相がわかることはないはずだ。なんとなくあの人は喋らなそう、とは思うけど。
ただ、過程はどうあれ僕等が帰ってきてガルダが帰ってこなかったって時点で何がおきたかはお察しだ。
後継者にするつもりはなかったとしても、さらに恨みが深くなっていても不思議じゃない。
僕の質問に少し首をかしげて、フェイリンさんが考え込む。
「……何とも言えませんねぇ。
ラクシャス家はこのままいけば今の当主の代でなくなるかもしれませんし、現当主はそこそこ高齢ですからぁ……最後に家名を傷つけてまで無茶をするかと言われると……」
後継者を失い家名がなくなるかもしれない、そして自分も高齢……失う物がなければ無茶をやってくる可能性はあるかもしれないし、なにもしてこないかもしれないってところか。
「……あの二人を手放す……というのは?」
フェイリンさんが割とまじめな顔でいう。
「たぶん、スミトさんにとってはそれが一番安全だと思いますよ」
「それを僕がすると思います?」
まあ確かに僕の安全だけ考えるならそれが一番かもしれない。でもいまさらそのつもりはないな。
「いえ。全然思いません。ただ」
「ただ?」
「バスキア家はオルドネス家はあまり仲が良くないんです。
ご自身に自覚があるかはわかりませんが、スミトさんはこの世界の探索でオルドネス家に多大な貢献をした形になってますからぁ……このままだと危険度は増すかもしれません」
下手をすれば、ラクシャス家だけじゃなくてその上にまで疎まれていかねないってことか。
別に意図してオルドネス家に貢献してるってわけじゃないんだけど。
「……スミトさん、御気を付けて」
「ありがとう」
「まだまだギルドの為に働いて頂きたいのでぇ」
「はいはい、わかりましたよ」
話が漠然といている上に相手が貴族では……具体的にどうできるわけじゃないのが痛いところではあるけど。
ガルフブルグは貴族のホームグラウンドみたいなものかもしれないし、東京は人の目が届かないところは無法地帯だ。どっちにとどまるにしても、警戒はしておかなくてはいけないことは間違いない。
3章はあと一話で終わります。幕間風の話です。