副都心線トンネル内での戦い
ホームドアを超えて線路に降り立ち、あたりをライトで照らした。
当たり前の話だけど、地下鉄の線路に降りた経験なんてものは僕にはない。
このご時世にそんなことしたら30秒で駅員がすっ飛んできて、1時間後にはツイッターあたりで晒しものになってしまうだろう。
でも今はそんなことをする人もいない。
壁の広告や路線図がライトに照らされて見える。
今まで何度も来たことがある副都心線渋谷駅ホーム。普段は電気で明るく照らされているけど、暗闇に包まれていると全然違う所に思える。
線路に立って天井を照らす。
普段ホームに立っているとあまり感じないことだけど、線路に降り立つと天井が高く感じる。
コンクリートの壁と暗闇がずっしりと圧迫感をもって迫ってくる。
ライトで足元を照らすと、太いレールが二本伸びて、枕木が並んでいる。
枕木の下はくぼんでいる。線路を歩くというよりも、木を横に渡した吊り橋を歩くような感じだ。
歩きにくいことこの上ない。まあそもそも地下鉄の線路は人が歩くようにはできていないから当然か。
これでは距離以上に時間かかりそうだ。
「あっ」
「足元に気を付けて」
バランスを崩したユーカを抱きとめて、セリエとオルミナさんに注意を促す。
ホームは結構高さがある。二人が慎重に線路に降りてきた
ライトでトンネルを照らすと吸い込まれそうな闇が広がっていた。
地下鉄なら2分で着く次の明治神宮前駅が本当にあるのか不安な気分になる。
「【私の名において命じるわ、光よ灯りなさい】」
オルミナさんが何かを言ったと思ったら、光の玉がオルミナさんの手元に現れた。何かと思ったら、今のは呪文か。
「その見かけない灯りより、こっちのほうがいいでしょ?」
光の玉がオルミナさんの手の動きに従ってふわふわと飛び回る。
何というか光の精霊みたいだ。一方向しか照らせないマグライトに比べればこっちの方が圧倒的に便利である。
流石魔法って感じだな。
「ありがとうございます。じゃ、行きましょうか」
足元に注意しながら歩き出した。
◆
地下鉄のトンネルなんてものをまじまじと見る人は少ないと思う。勿論僕もだけど
副都心線のトンネルは駅から歩き始めてしばらくは四角かったけど、途中から円筒のような形に変化した。
何か意味があるのか……は僕にはわからない。地下鉄なんて乗ってるときはスマホいじってるか、路線図や吊広告を眺めているくらいだし、トンネルの形の違いなんて考えたこともなかった。
「すごいですね。これをそのキカイというので人間が掘ったのですか?」
セリエがひんやりしたコンクリートの壁にふれながら言う。
「ドワーフの坑道もここまで広くないし壁がキレイになってないわぁ
誰が作ったのかしらないけど、たいしたものね」
オルミナさんも驚いた様子だ。
ユーカは声も出ないようだ。ぽかんとした顔で天井を見上げながら歩いている。足元に気を付けてほしいんだけど。
地下鉄のトンネルは、いわゆるファンタジー世界のダンジョンと比べてもすごく見えるらしい。
「あら、壁に穴が開いてるわ。こっちは行ってみないの?」
ライトに照らされた壁に大きなアーチ状の入り口が開いていた。
階層地図表示によると作業用の連絡通路っぽい。
今は目的とは関係ないし。おそらくその先に行っても大したものはないと思う。
「線路に沿って行きましょう。今は関係ないんで」
「あら、そうなの?いいものがあるかもしれないのに、もったいないわね」
RPGなら枝道の先に宝箱があるかもしれないけれど、この世界はそんなものはない。隅々まであさるのはあまり意味がない。
渋谷駅を出てゆっくりとしたペースで進んでいたところで、何か音が聞こえた。
かしゃり、かしゃり、という何か軽くて硬いものが触れ合う音、というか足音っぽい。
「なにかいる?かな?」
ライトで暗闇を照らす。
「うわっ」
「……ひっっ」
ユーカが小さく悲鳴を上げて僕にしがみついてくる。
ライトに白く照らされたのは骸骨だった。スケルトン、というやつだろうか。
マグライトに照らされて浮かび上がる骸骨はなんというか、リアルホラー映画だ。一人だったら腰を抜かしてしまいそうだけど、今はそんなみっともない姿はさらせない。
ざっと照らすと4体の骸骨がこちらに向かってゆっくりと歩いてきていた。
手には細身の曲刀とボロボロの丸い盾を持っている。
「あれはスケルトン?」
「そうです……大して強い魔獣ではありません」
普段は冷静なセリエも流石にちょっとおびえた感じで声が震えている。
スケルトンは雑魚と相場が決まっている。僕一人で大丈夫だろう。
「僕が相手する。下がっていいよ」
ユーカを下がらせて銃剣を構えた。
暗闇の中からライトに照らされたスケルトンが、無機質な足音を立てながら迫ってくる。
「いくぞ!!」
大きく声を出して気合を入れる。
流石に怖くないと言ったらうそになる。けど、ここで怖がっているわけにはいかない。
先頭のスケルトンが右手に持った曲刀を振り上げ、そのまま振り下ろしてくる。
スケルトンの動きはのろすぎて眠ってしまいそうではあるけど、とにもかくにも足場が悪い。
足元に気を付けながら踏み込み、一体目の胸を銃床で殴りつけた。あばら骨がばらばらになり崩れ落ちる。
右のスケルトンの頭に銃剣の切っ先を突き刺すと頭蓋骨が真っ二つに割れた。続いて左のスケルトンの首筋を銃床で殴る。鎖骨と首の骨が砕けスケルトンが倒れた。
最後の一体。そいつがこちらに歩いて剣を振り上げたところで……足を枕木の間にひっかけて転倒した。 足元に転がったスケルトンがゆっくり起き上がろうとしている頭を銃床で砕く。なんとも締まらない決着だな、これ。
足元に崩れ去ったスケルトンの周りにいつも通り黒い渦が現れて、残骸が消えていく。小粒のコアクリスタルが残った。
案の定大した相手ではなかったけど……シチュエーションがシチュエーションなだけに、ほっと溜息が出た。
◆
スケルトンを倒してしばらく歩くと、明治神宮前駅に着いた。誰も居ない寒々としたホームが魔法の明かりに照らされる。
「一休みする?」
「あたしは大丈夫よぉ」
「あたしは大丈夫だよ、お兄ちゃん」
「休むほどではないかと思います」
一回戦闘があったとはいっても、出発してからたいして時間もかかってない。
「じゃあそのまま行こうか」
僕が言うと皆がうなづく。
明治神宮前駅を素通りしてそのままトンネルに進んだ。
再びトンネルに入りしばらく歩いたところで。進行方向でパチッと何かがはじけるような音がした。
流石の僕もいい加減何度も聞いたら覚える。これはゲートが開く音だ。何か来る。
銃剣を構えて気を引き締める。
「ゲートです。ご注意ください、ご主人様」
オルミナさんが手を前に差し出すと、光の玉がふわりと前に飛んだ。
ゲートが空中に浮いていて、黒い稲妻のようなものを放っている。ゲートから黒い影が飛び出し、トンネルの右の壁に張り付いた。
体長1mほどの猿のような姿の魔獣だった。
何だろ、これ?少なくとも僕は初めて会う魔獣だ。
「背むし猿です。動きが早いですから注意してください。
爪に毒を持っています」
背むし猿が歯をむき出してこちらを威嚇する。そして壁を蹴って左の壁に飛び移った。
次に枕木の上に飛び降りると、そのまままっすぐ上に飛び上がり天井に張り付く。
目まぐるしく壁や天井を飛び交う。たしかに速い。スゴイ身軽さだ。
アクロバティックに飛び回り、すきを窺う、というタイプのようだけど。でも、僕ならば目で追えないほどではない。
飛びかかってくる、という行動さえわかっていれば、コースを読み、一撃で仕留めればいいだけだ。
此方から仕掛ける必要はない。落ち着いて迎え撃つ。
仕掛けてこないこちらにしびれを切らしたのか、天井から左の壁に飛び移った背むし猿が左の壁を蹴りこっちへ飛んできた。
所詮は頭は獣同然か。
銃剣を構えて待ち受ける。タイミングを合わせて踏み込んだところで体が前につんのめった。
枕木の間に靴のつま先が引っかかった。バランスが崩れる。右足を踏ん張ってかろうじてひっくり返りはしなかった、が。
奇声を上げながらハンチバックが爪を振ってくる
攻撃は見える……が、バランスが崩れては避けられない。
そういえば、まともに魔獣の攻撃をくらうのって初めてだなー、痛いのか、やっぱり。
ていうか、そりゃ痛いに決まってる。痛みに備えて歯を食いしばった。
「お兄ちゃん!」
ユーカの悲鳴が聞こえる。
ざっくりと長い爪が肉を切り裂く感覚があった。左腕から血が噴き出す。
一瞬後に焼けつくような痛みが襲ってきた。傷口が火をつけられたように痛む。これが毒の効果なのか。
「っくそ……」
燃えるような痛みを歯を食いしばって耐える。
背むし猿が壁を蹴って天井に張り付き、なにか笑みのような表情を浮かべる。むかつく顔だ。
足元にさえ気を付ければどうってことはない相手だっていうのに。
けがをした獲物をくみしやすしと見たのか、背むし猿が天井からまっすぐこっちにとびかかってきた。
「舐めるな、このサルがぁ!」
十分に引きつけて銃剣を横に薙ぎ払う。
血しぶきと甲高い叫び声があがり背むし猿が壁にたたきつけられた。壁にどす黒い血の跡が残り、地面に転がった死骸が黒い渦に飲まれて消えていく。
倒しはしたけど……左腕全体が燃えるように痛み、ほとんど動かせない。
だけど、腕ですんでよかった。バランスを崩したところで首とかを切られていたら、回復どころじゃない。
順調に行っていたから意識しなかったけど、これはゲームじゃないんだ
アーロンさんにも言われたが、一瞬のミスが死につながることだってある。気を引き締めないと。
「ご主人様、大丈夫ですか?」
「あんまり大丈夫じゃない。腕が動かない。回復できる?」
「勿論です。失礼します」
セリエが力の入らない僕の左腕を取った。
「【彼の者をむしばむ災い、我が祈りによりて正に帰さん、斯く成せ】」
呪文を詠唱しセリエが毒を吸い出すかのように傷口にキスしてくれた。
燃えるように痛む傷口にやわらかい感触が触れて、そこからじんわりとあたたかい感触が広がっていく
左腕を燃やすような痛みが急速に和らいだ。
「はあ……」
思わずため息が漏れる。左手に指先の感覚が戻った。手を握ったり開いたりして動きを確かめる。
「これで毒は消えたはずです。傷も治しますね」
「ああ、よろしく」
「【彼の者の負いし傷は、我が祈りによりて癒されるもの、斯く……】」
もう一度セリエが僕の腕を取って傷口にキスしようとしてきたときに、オルミナさんが口を開いた。
「セリエちゃん変わってるのね、そんな風に解毒や回復を掛ける人は初めて見たわ」
「えっっ……」
唇が傷口に触れる寸前でセリエがはじかれたように顔を上げる。
魔法の明かりで照らされたセリエの頬が赤く染まってる。
「ふつうは手をかざすとかそういう風にするのにね。セリエちゃんはいつもそういうふうに解毒をつかうの?」
「いえ、あの、その……ご主人様、ガルフブルグでは毒を受けたときにこのようにして毒を吸い出すのです。
ですから。そのようにしただけでして……」
キスして掛ける回復魔法なんてあるのかと思ってたけど。まあいいか。
「でも、そういう風だと、ちょっと困ったことになるんじゃない?
例えばお腹とか、足の付け根とかに傷を負った時とかは……」
オルミナさんは明らかにわかってからかってるなぁ。
「あの……その……そういうときはですね」
あたふたしてるセリエも可愛い、と言いたいところなんだけど、
それはいいから早く治して……まだ血も出てるし、痛いんです。