サヴォア家の旧領を訪問する・下
おはようございます。朝更新です。
気まずい、ということになって、都笠さんに連れられて会場を抜け出した。
夜の8時くらいだけど、電気がないからガルフブルグの夜は基本的に早い。
ただ、館の外の街にはまだ明かりがついているのが見える。
館の門を出て少し歩くと広場に着いた。
二階建ての小さな建物に広場はいろんな店に看板が掛かっているけど、その内の一つはまだ明かりがついている。
お酒と馬車のモチーフが掛かれた看板が掛かっている。酒場兼宿屋だろう。
入ってみると、案の定そうだった。天井が高いホールに机がいくつも並べられていて、2階には宿の部屋のドアが見える。
サンヴェルナールの夕焼け亭と似てるな。
もう8時くらいだから、お客さんはまばらだった。
机に適当に腰かけて女将さんっぽい人に注文を伝えると、木のカップにエールが出てきた。ちょっと赤味がかっていて濁っている。
酸味が強めで変わったエールだ。
エールを一気に飲み干すと都笠さんが大きくため息をついてカップをテーブルに置いた。
「落ち着いた?」
「まあね……でも実はさ、始めてじゃないのよね。直接言われるのは初めてなんだけどね」
もう一杯エールを頼みつつ都笠さんが言う。
「なにそれ?」
「準騎士にならないかっていうのが確か15件かな……あと結婚の申し込みが7件。全部手紙だけどね」
都笠さんがちょっとうんざりしたって顔で言う。
……いつの間にか、僕の知らないところでいろいろ起きてるな。
「でもねぇ……こっちで生きていく以上、身の振り方は考えないといけないのよね」
都笠さんが今度はゆっくりエールを飲みながら言う。
濁りがあって冷えてないけど、結構強めで飲みごたえがあるな。この地方のエールなんだろうか。
「一生、探索者ってわけにはいかないしね」
「まあ……確かに」
探索者はそれなりの危険も伴う。
だから、ある程度続けて名を挙げたりまとまった額を稼いだら引退してギルドで後進の指導に当たったり、どこかの貴族に仕えたり、門衛とかそういうもう少し安全な場所に動く。
社会保険や失業保険なんてものがある世界じゃない。
だから、世知辛い話だけど、こっちに留まるならその辺は真剣に考えないといけない話ではある。
まあ都笠さんならどこでも仕官できるだろうけど。
「風戸君は何か考えてるの?」
「僕は……当分はサヴォア家にいると思うよ」
今のところ生活に不自由はないし、他で仕官したらユーカが悲しむだろう。
セリエはついてきてくれるかもしれないけど、セリエもユーカも離れ離れになるのは嫌だろうし。
それに僕としても今更離れがたい。
都笠さんがカップのエールを飲んで軽く振った……どうやら飲み切ったらしい。
「すみません、もう一杯……」
注文しようと思ったんだけど……いつの間にかお店になかにはお客は一人もいなくなっていた。
来たときは何人かのお客さんがいたと思うんだけど、誰もいなくて静まり返っている
「もう閉店ですか?」
「いえ!どれだけでも!いて頂いて大丈夫ですから!」
壁の方で直立不動で立っていた女将さんが答えてくれるけど。
ただ、誰もいない店に僕等だけ居座るというのは、何となく気まずい。
日本のように閉店時間が決まっていてその前とかならいいんだけど、この世界はその辺は適当だ。
お客さんがいなくなったらそのまま閉店になる。
「じゃあ、帰ります。おいくらですか?」
「とんでもございません!お代など頂けません!」
「いや、そういうわけにはいかないでしょ」
「いえ、結構ですから」
「払いますって」
「そんなことしてもらっては……」
散々押し問答した末に、どうにか銀貨を押し付けて帰ってきた。
◆
「……とまあ、こういうことがありまして」
翌日、朝ごはんの時にその話をした。
そして、昨日の結婚云々の話には誰も触れようとしない。
朝ごはんはジャガイモのパンケーキだ。カリッと焼きあげられているうえに、細切りにしたジャガイモが混ざっていて歯ごたえがあって面白い。
この地方の伝統的なパンケーキらしい。
「スミト殿、スズ殿……どうもお二人とも自覚に乏しいようですが」
話し終わると、ヴァレンさんが分かってないなって感じの表情を浮かべて首を振った。
「……貴方方は破格の英雄なのです。いいですか?竜殺しであり、不死の討伐者なのですぞ。
塔の廃墟の龍殺し達の英雄譚は歌劇になっていて、知らぬ者は居らんでしょう。庶民からすればあなた方は四大公家と同等です」
「……そうなのか」
これまた僕が知らない所でそんなことになっているのか。
「うーん……でもさ、恐れられているのはいい気分じゃないのよね」
都笠さんが結構真面目な顔で言う……それについては僕も同感ではある。
「それに自衛隊でも、地元の人とはいい関係を築くのは大事だったし」
都笠さんが言う。
その辺はわからないけど、あれだけ露骨に敬遠されているのはいい気分はしない。
それに、目の前の戦いを切り抜けてきただけだから、英雄とかいわれても個人的には今一つ実感がないというのが正直なところだ。
◆
今回は、小型のラジカセを一台、渋谷から持ってきている。
もともとは相手の家の人にプレゼントするかとか、なんかの役に立つかな、と思った程度だったんだけど。
昨日の殺風景な酒場と、地方には娯楽が無いというダナエ姫の言葉を思い出すと、少しは喜ばれれる気がする。
夕方にもう一度そのお店を訪ねた。
ドアを開けると、仕事を終えたって感じの人たちが思い思いに食事をしていた。
時間の関係なのか昨日よりだいぶ多い。親子連れとかもいる。居酒屋と言うより街の集会場とかそんな感じなのかもしれない。
愛想よく近づいてきてくれた女将さんが固まって、視線が僕らに集中した。
賑わいが一転して静まり返って、緊張感が漂ったのが分かる。中央のスペースで立ち話をしていた人たちが席に慌てて戻っていった。
確かに恐れられている……というかここまで恐れなくてもいいと思うんだけど、
「あーあのですね……あたし達はもともとは貴族でもなんでもないので……みなさん楽しくやりませんか?」
都笠さんが言って僕に目配せする。
「管理者、起動。電源復旧」
ラジカセの再生ボタンを押すと、軽快なリズムのバイオリンとドラムの音が響いた。
ヨーロッパの民族音楽のCDだ。結構パレアでもウケがよかった奴だけど。音楽が流れて空気が少し緩む。
音楽は異文化コミュニケーションに役に立つのは、サンヴェルナールの夕焼け亭で音楽酒場が上手くいったので実証済みだ。僕らがグダグダとしゃべるよりよほど早い。
暫く待っていると、1曲終わったころには、遠慮がちな手拍子が聞こえた。
「ねえ、竜殺し様」
小さな女の子と男の子が親御さんの手を振り切って近づいてきた。
「踊っていいですか?」
「なんか……お祭りみたい!」
「勿論、どうぞ」
そう言うと、小さな子供たちが笑顔で音楽に合わせて踊りだした。
足踏みの音と手拍子が大きくなる。誰かが歌い始めた。ようやく空気が和む。
都笠さんが僕の方を見てニッと笑った。
「あの……竜殺し殿」
座ってみていると、50歳くらいのちょっと太った男の人が近づいてきた。
濃い茶髪はちょっと後退している。他の人たちより着ているものが少しいい気がするな。
「失礼でなければ……一杯注がせて頂いていいですか?」
「はい、ありがとうございます」
カップを差し出すと、手に持ったエールのポットからエールを注いでくれた。
ただ、恐る恐るって感じで手が震えている。
「そんな怖がらなくてもいいと思うんですけど」
僕等はそんなに取って食いそうに見えるんだろうか。
ここまでされると、逆に傷つくぞ。
「いや、なんというかですね……」
その人が何か言いたげにして言葉を濁した。頷いて言葉を促す。
「勿論……我が国の英雄様、と言うのもあるんですけど
飛竜や不死者を倒し、ソヴェンスキとの戦争でも戦果を上げた戦士様っていう話でしたから……もっと厳めしいというか怖い人だと思ってたんですよ」
その人が言った。
……なるほど、そう言う風に見られていたのか。