世界を変える者たち
バスキア公視点です。
文中の距離の単位リーグはキロメートルに変換して読んでください。
「この度の戦後処理として国境に置かれたソヴェンスキの城壁の50リーグの後退を要求します」
ルノアール公が言って、停戦協定の天幕に僅かなどよめきが走った。
明かり取りの隙間から太陽の光がやわらなく差し込んできているが、言った内容は柔らかさの欠片も無い。
ソヴェンスキの使者たちが顔を見合わせる……50リーグの後退はかなり強気の要求だ。
ガルフブルグとソヴェンスキの間の国境線近くに張られた巨大な天幕。王が列席しているのも前と同じだ。
ただ、あの時とはかなり雰囲気が違うが。
ガルフブルグとソヴェンスキの国境線には、緩衝地帯としてそれぞれの関所と国境の砦にはさまれた無人の土地がある。
ここに兵を入らせると実質的に宣戦布告扱いとなる。
国境を完全に接しているのは、いつでも攻め込めるが、いつでも攻め込まれる状態なわけで、相互にとって好ましい状態ではない。
だからここに限らず10リーグほどの緩衝地帯を設けている国境線は珍しくない。
ソヴェンスキの国境線を下げさせれれば緩衝地帯も変化する。こちらの国境線をその分押し出せる。そうなれば国境線から町や村への距離を遠くすることができる。
だから万が一戦争になりかけてもこちらは余裕をもって対応できる。
「無論これだけではありません……賠償金については後日調整しましょう」
畳みかけるようにルノアール公が言った。
「50リーグの後退に……さらに賠償金ですと?それは横暴が過ぎますぞ、ルノアール公」
ソヴェンスキの使者が険しい口調で言うが。
ルノアール公がこちらに視線を向けた。意図が伝わってくるから頷いて返す。
「それでは戦争継続となりますね。我が方の兵はいつでも行動可能のまま国境線の砦に留まっています」
そういうとソヴェンスキの使者が言葉に詰まった。
ソヴェンスキは戦争そのものでかなりの犠牲が出た上に、塔の廃墟への強襲作戦もスミトたちに阻まれて失敗した。
虎の子の司教憲兵を多数失い、戦意は相当落ちているという話は斥候から伝わっている。
今戦端を開けば、国境を越えて攻め入ることも可能だろう。
「ガルフブルグの慈悲深き支配者、ガレフ3世よ。このような正義に反することを許してよいのですか。
我らは隣国でしょう。このような高圧的で横暴な姿勢は後日に禍根を残すとは思われませんか」
そう言うと王が首を傾げて考え込んだ。
ルノアール公が王に一瞬不安げな視線を向ける。余計なことを言わないといいんだが、流石に王の発言までは制止できない。
「うーん、気持ちは分からなくもないが……我が国は国是として、こちらから国境を侵すことは無いからね。今回の戦いは君たちが仕掛けてきたのだろう?」
そう言うとソヴェンスキの使者が沈黙した。
「決闘を仕掛けたものが傷を負ったからといって、相手に不満を言うのはおかしなことだ。
それをしなければ怪我もせずに済んで良かったんだからね。子供でも分かる話だろう。違うかい?」
そういうとテント内が静まり返った。沈黙に困惑したのか、王が少し困ったような顔でこっちを見る。
確かにその通りではある……ただ、普通ならもう少し儀礼的に婉曲な感じで……アスマの言葉を借りるなら忖度して話す内容なんだが。
良くも悪くも何も考えてないからこそ出る発言だな。今回はこっちに利したが。
ソヴェンスキの使者がすがるような眼でルノアール公の方を向く。
「まさしく正鵠です、我が王よ。聡明であらせられます」
「そうだろう?」
その視線を無視してルノアール公が大袈裟に礼をした。褒められた王が何やら嬉しそうに笑う。
ルノアール公が強い交渉役になったからか、王が問題発言を飛ばしても付け入られるスキがなくなった。
使者の顔が青ざめる……この条件を飲まされたら、こいつは処刑されかねないな。
「ですが、我々も無慈悲ではありません。使者の貴方の立場というものもある事は理解しています」
ソヴェンスキの使者が何か言うより早く、ルノアール公が打って変わって猫なで声のような柔らかい口調で言った。
「こちらが今から出す条件をのんでもらいたい。
そうすれば50リーグの後退を30リーグに変更しましょう。こちらには何人か司教憲兵の捕虜もいる。それも引き渡します」
ソヴェンスキの使者が少し安堵したような表情を浮かべてルノアール公を見る。
「……その条件とは?」
◆
今回の交渉は終わって、ソヴェンスキの使者は引き上げていった。
さすがに今回は襲ってくるような無茶はしないだろう。一応アスマやジェラール達が警戒はしているが。
「いい落としどころだったな」
「ええ、そうですね。上手くいって良かったですよ」
天幕の外でルノアール公が穏やかな口調で言う。
こちらが主導権を握って進められたからってのもあるが、風が妙に心地よく感じるな。
しかし、交渉の時は硬軟取り混ぜてって感じのいい交渉役だが、話していると温厚で柔和で気弱さを漂わせていて、昔と変わらない。
だが、交渉の時にはあの自信なさげでオドオドしていた昔の面影は全くない。
別人かと思う位に変わったが……何がこいつを変えたんだろう。
「ソヴェンスキは応じるでしょうか……」
「ああ、応じるだろうさ」
不安げな口調でルノアール公が言うが。
此方が出した条件である、スミトが望んだ二人の引き渡しは上手くいくだろう。
此方は捕虜に取った司教憲兵と兵士達を返す。それに国境線の下げ幅も緩和してやる。
それに対してあいつらがすることは二人の不信心者の引き渡しだ。得失に差がありすぎる。
まあ相手が相手だけに、確実に実行されるまで油断はできないが。
「見事な手腕だった。ルノアール公」
50リーグの後退はかなり過酷だ。俺から見ても厳しすぎるほどに。
30リーグ下がらせられれば十分な成果だろう。それだえけ下げれば、またソヴェンスキが事を起こした時に余裕をもって防衛線を引くことがができる。
確かに今もう一度戦争になれば国境を破るくらいはできるだろう。しかしそうすればこちらにも犠牲は出る。
強気に出過ぎてもダメだ。勝てる戦いであっても、やらないで済むならそれに越したことは無い。
追い詰めて圧力をかけたあと、相手に話す間を与えずこちらから条件を出しそれを飲ませる。
完全に交渉を決裂させて戦闘再開にならないように持って行ったのといい、絶妙の展開させ方だったな
「ありがとうございます」
ルノアール公と握手をする。
視界の端に黒いタイトな塔の廃墟の衣装に身を包んだ軽戦士風の女と灰色のローブを着た子供が見えた。
あれはルノアール公に仕えることになった塔の廃墟の住人だったな。ルノアール公も彼女に気付いたらしい。
「では僕はここで失礼します、オルドネス公」
ルノアール公が言ってその女の方に歩み寄っていく。
「やあ、シヅネ、アトリ」
ルノアール公が声を掛けて、きびきびとした動作でその女が礼をする。
「どうだった?」
「上手くいったよ。強く出て大きく引き、相手に花を持たせるやり方がよかったようだ」
「お見事ね、オーギュスト様……でも調子に載っちゃだめよ。有利な時の交渉なんてイージーモードだからね、不利な状況でなし崩しに妥協を引き出せる人が良い交渉役よ」
「相変わらず手厳しいな」
親し気なやり取りが聞こえてきた。
タカヤナギとか言ったか……話を聞いているとなんとなくわかる。こいつがルノアール公を変えたんだろうな。
後ろの子供がルノアール公と何か話していた。
「失礼します、我が主」
後ろから声が掛かった。アスマか。
「近くに敵はいません。使者の馬車はまっすぐ帰っていきました」
「よし……アランに王陛下をお送りする馬車の準備をしておくように伝えろ。その後は下がって休んでいい」
アスマが頭を下げてそのまま跪く。間をおいて立ち上がるとまた一礼して一歩下がり踵を返した。
完璧なガルフブルグの礼節だな。
……ニホンとやらからきた連中は皆不思議だ。
スミトのように妙に無欲な奴、アスマのように何かの目的を秘めていそうな奴、色々いる。
何を考えているのか分からないこともある。
だが、スロット能力だけじゃなく、それぞれが俺たちとは全く違うものを持っていて、それぞれが周りに影響を与えていく。
そういう国の民なのか……一度行ってみたいもんだが。
次に来る奴はなんとしても俺の旗下に加えたいもんだな