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そのとき、スマホの時間表示は午前0時12分だった

 報告書の提出ボタンを押して、会社の白い壁にかかった時計を見ると10時42分だった。

 雑居ビルの一角にある会社には僕以外もう誰もいない。今から満員電車に乗ることを考えると気が重くなる。

 パソコンをスリープにしてスーツを着たところでメールが来た。

 

「今新宿にいる。帰りに会えないかな?」


 彼女からのメールだ。こんな時間に来るのは珍しい。


「今、御茶ノ水。今から行くよ」


 電気を消して、タイムカードを打って、セキュリティをかけながら、手短にメールを打ち返した。直接会うのも久しぶりだけど。多分いい話じゃないな、と直感的に思った。



 新宿駅の地下街。クリーム色の床にはぶちまけたように情報誌が散らばっていた。

 僕はあまり読まないけど、壁のラックに入っているのはよく見る。アパートの特集雑誌、求人雑誌。エステとかそういうのはそもそも男には関係ないから見ないけど、グルメ系のはたまに見たことがある。何度かクーポンにはお世話になった。

 普段ならこんなに散らかっていることはない。散らかったらやっぱり僕らが寝ている間の夜に清掃員さんとかが片付けてくれていたんだろうか。


 スーツの内ポケットからスマホを取り出して見る。壁紙に設定したアナログ時計がさしているのは午前0時12分。

 メールボックスを開けると、最後にコーヒーを飲みながらメールを見た時には時間表示は11時25分だった。明日、お客さんとの所に直で行くこと、とかいう内容だった気がする。あれから1時間もたっていないのに驚く。

 新宿駅地下なのに、今はアンテナには圏外を示すバツ印がついている


 左に目をやると、壁には芸能ネタに疎い僕でも知っているアイドルの女の子の大きな笑顔の写真が貼られていた。

 普段は電気に照らされている広告スペースだけど、今日は電気はついていなくて、代わりに宙に浮かぶ光の球の白い光がその笑顔を照らしている。


 普段と違うのはもう一つ。今はその笑顔のど真ん中に杭のような黒いものが突き刺さっていることだ。杭には包丁のようなとげが無数にはえている。

 そして、目の前には天井ほどまである巨大な黒い塊、というか巨大な蜘蛛の胴体の残骸があった。

 壁に突きささっている杭はその長い脚の一本だ。断末魔で暴れた時に壁に刺さったらしい。


 地面に突っ伏している蜘蛛の上半身は人間の女のものだった……ように遠目には見えたけど。

 近くでみると目は真っ黒、裂けた口からは牙がのぞき、白い肌にはタトゥーのように黒い血管のようなものが走っている。


 切り裂かれた喉から黒い体液があふれ、ベージュの床からは白い煙が上がっていた。というか切り裂いたのは僕だけど。

 この煙をみる限り酸性溶液に近いんだろうな、とぼんやり思うのは職業病かもしれない。刺激臭がひどくなってきたのでスーツの左手の袖で覆って一歩下がった。


 右手をみると、僕の手が握り締めているのは三銃士とかに出てきそうなクラシックな長銃ライフルだ。

 龍をモチーフにしたような飾りが槍のような銃身に彫り込まれ、先端には長めの波打つような銃剣がついている

 ずっしりと重いけど、重さ的にはいつも使っている工具箱と同じくらいだ。ちょっと握るには径が太いところが違和感はあるけど。硬い感触が指先に伝わってくる。


 警戒を解かないまま蜘蛛を眺めていると、黒い渦巻のようなものが現れた。海の渦とかのようなものがそのまま宙に浮かんでいる感じだ。

 黒い巨大な蜘蛛の体が分解されるかのように、こんな表現は滑稽だけどポリゴンが崩れるかのようにボロボロと解けていき、その中に吸い込まれていった。


 蜘蛛の体が跡形もなく消えた後には、そこらじゅうに散らかった雑誌、砕けたガラスと無数の切り傷が入った壁、体液でただれたように変色した床、蜘蛛が暴れて荒れ果てた、としか形容できない新宿の地下道が残された。

 恐ろしいほどの静寂が満ちる。たぶん危険は去った……と何となく思う。

 

 そう。ここは新宿駅のはずだ。普通モンスターなんかでないし、この時間なら電車に乗ろうとする人がいくらでもいるはずなのだ。

 うしろに視線をやると、どう見てもサラリーマンには見えない、コスプレをしたかのような革の鎧を着た短い金髪の男がしりもちをついたまま僕の方を見ていた。

 

「……なんなんだろうね、これは」


 独り言を言っても返事は返ってこなかった。

 そういえば今日の中央線の八王子行の終電は確か零時40分ごろだったと思う。まだ余裕があるな……そもそも電車が動いているかが怪しいけど。

 唐突に崩れかけた天井から電灯が落ちてきて、ガシャンと音を立てた。


 つい2時間ほど前、僕は御茶ノ水の会社で残業して、今日の報告書を書いていた。

 1時間前は元彼女とすぐそこのどこにでもあるチェーン系のカフェでコーヒーを飲みながら、予想通り別れ話を切り出されていた。

 そして今はこのありさまだ。


 ……何もかも、現実感がなかった。



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