最終話 朝日
「おはよう」
意識を取り戻し、目を見開くと至近距離に真琴さんの顔があった。
「――!」
ただでさえ動いていない思考が、完全に機能不全を起こす。
「おはよう、眠り姫さん」
真琴さんが、苦しげな表情のまま、口角を吊り上げる。
その額には大量の汗が浮かんでおり、荒い息が顔を撫でた。
「えー、とぅ……」
なんとか頭を回転させる。なんでこんな事になってるんだろう?
と言いますか、あれ、なんで私気を失ってたんだろう?
「――あ」
記憶が甦ってくる。
禍神の女との闘ったこと。
手も足も出なくて、ボロボロになったこと。
それで止む無く神格化したこと。
真琴さんと協力して、女の封印に成功したこと。
そして――私が死んだこと。
そう、私はあの後確かに死んだのだ。完膚なきまでに、完全に。
なのに今、こうして生きている。生きながらえている。
――違う。
息を吹き返させられたんだ(・・・・・・・・・・・・)。
このシチュエーションは、少し前に私と真琴さんで演じたばかりだ。
その時と絶対的に違うのは、役者の立ち位置が違うこと。
それが意味することは、つまり――
「真琴さんッ!」
私は急いで身を起こし、真琴さんの身体を支える。
信じられないほどの高温だった。見るからに焦燥しきっている。精気が一気に枯れ、衰弱していた。
かっと頭が熱くなった。何をやってんだこの人は。いや、なんてことをしてくれやがったんだこの人は! 自分の命を私に分け与えるなんて(・・・・・・・・・・・・・・)……!
真琴さんの肩を支えながら、思わず声を荒げる。
「真琴さん、あなた、自分が一体何をやったのかわかって――」
「とぅりゃああああ!」
可愛らしい声が聞こえたかと思ったら、私はそこから吹っ飛んだ。
何が起こったかわからず、吹っ飛ばされた先で、天井を見上げながら目を白黒させる。
そんな私を見下ろすように、雪ちゃんが立った。
「ダメだよーひかりん。せっかく生き返らせてもらったのに、命の恩人を怒鳴るなんてマネしちゃぁ」
にんまりとした顔で雪ちゃんは言う。
「ふざけないでください!」
私はすぐに起き上がるべく、上体を起こそうとした。しかし、それは雪ちゃんに踏みつけられて、あえなく失敗する。
「あのね、ひかりん。それをひかりんが言うのは、お門違いだと思うよ」
「どういう意味ですかっ! さっさと足を退けてください!」
体重がかかり、息が詰まる。
雪ちゃんは続ける。
「あのさぁ、まっこん助けるために、あっさり自分の命を削ったくせして何言ってんの?」
「それは――だって、仕方がなかったから」
「仕方がないとかで、自分の命と引き換えに人様の命を救うとか、ひかりんは何様のつもりなのかな?」
「…………」
思わず押し黙る。確かに、私が怒るのは筋違いな話し、なのだろう。
「言っとくけど、まっこんはちゃんと、仕方がないとかそんなバカみたいな理由じゃなくて、すべてを理解した上で、自分の意思でやったんだからね? ひかりんごときが反論しちゃダメなんだよ?」
「え……」
目を見開く。そのままゆっくりと、真琴さんへ視線を移す。
崩れ落ちそうになってる上半身を支え、だらりと頭を下げていた真琴さんの顔が上がる。
玉のような汗を浮かべながら、それでも真琴さんは不敵に笑った。
「勝手に死んでたところ悪いわね。でも、ヒカリもわたしの命を勝手に救ったんだから、これでお相子よね」
かくんと真琴さんの首が落ちる。
「……おかげでわたしもあなたも、四十歳になる前に死ぬらしいわ。まっ、そんなことはどうでもいいけど」
「どうでもいいって……」
呆然としたまま、言葉が漏れた。
真琴さんが再び顔を上げ、真っ直ぐ私を射抜いた。
「わたしをあなたの『剣』にしといて、無責任に死ぬなんて絶対に許さないわ。ちゃんと責任とってもらうからね」
そして、真琴さんは笑った。
「ざまあみろ」
そう、晴れ晴れと言い切る。
「……」
そんな真琴さんを、私は茫然と見ることしかできなかった。
私の犯した罪が、重くのしかかってくる。
私は、白羽真琴という少女の命、そしてこれからの人生すべてを狂わせてしまった……。
人一人の人生すべての重みが、すべてのしかかってくる。
私は、なんてことを、してしまったんだ――。
「いやん、女の子からの責任とって発言とか、男冥利に尽きるね、ひかりん♪」
雪ちゃんが頬に手を添えながら、身体をくねらせる。
「それで、当然ひかりんは責任とるんだよね?」
「…………せきにん」
責任。
私が、しでかした罪の、責任。
この矮小な私ごときでは、とても償えないような大罪。
「まさか、取れないとか言わないよね?」
雪ちゃんがにやりと笑う。
「…………一人の命と、その人生の責任なんて、どうやって取ればいいんですか……」
「知るわけないじゃん」
お化けの皮を被った悪魔は、一刀の元、あっさりと私を突き放す。
「それをどうするのかが、これからのひかりんの人生でしょ?
「…………」
――そうだ。私は、これからの生涯を賭けて、真琴さんに償わなければならないんだ。
でも、その方法が全然わからない。どうすれば良いのか、それすらもわからない。
「大丈夫だって」
けたけた愉快そうに、私を踏みつけた悪魔が笑う。
「女の幸せなんて、男のはずのひかりんなら叶えられるでしょ」
「え」
私は藁にもすがる思いで、雪ちゃんに尋ねる。
「どうすれば、私はどうすればいいんですかっ!?」
「結婚しちゃえばいいんだよ」
何を言われたのか、理解できなかった。
「………………へ?」
「だ~か~らぁ。結婚しちゃえばいいんだよ。ていうか、女の子が『責任取って』って言ったら、それしかないと思うよ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 結婚!? 私と真琴さんがですか!?」
あまりの申し出に、声が上擦った。不謹慎にも、真琴さんとの新婚生活の妄想が頭をよぎる。
仕事から帰ってきた真琴さんを、私が玄関まで迎えに行って、それからまずはお帰りのキスを一回。それから一緒にご飯を食べて、あーんなんかしちゃったりして、それから――て何を考えてんだ私は! ていうか、なんで私が真琴さんを出迎えてるの? 立ち位置おかしくない?
「あっ、でもひかりん女の子みたいだから、はた目から見たら百合に成っちゃって、日本じゃ結婚できないね」
「いや、ちょっと待ってくださいよ。見た目についてはもう諦めてますが、生物的に私は男ですから!」
「じゃあ生物学的に男でも、ひかりんの心は女の子なわけだね」
「どこがですか!」
不名誉すぎる雪ちゃんの言葉に、私は即座に否定する。否定しとかないと、本当にそう思われかねない。
雪ちゃんは、にたりとした笑みを崩さず続ける。
「だって、そんなにも女々しいんだもん。中学女子かみたいなんだもん」
「なにいってんですか! この女装という責め苦を堪え忍び、未だグレずにいる私の肝の据え方は、もう逆に男前でしょう!」
「じゃあ、男前なひかりんは、女々しいこと言わずに女の子とすぱっと結婚して、ばすっと幸せにできると?」
「当然です!」
「じゃあ、まっこんを幸せにできるね!」
「当然です!……あっ」
気づいたときにはすでに時遅し。目の前の雪ちゃんの笑みが、耳元まで裂けたものに変わった。
「当然、男には二言はないわけだよね、ひかりん?」
「……」
私が答えられずにいると、それを無視して雪ちゃんは、私から足をようやく退かす。
負荷のなくなった上体を、私は起こす。まんまと踊らされた……。言質を取られた上に、これを否定すると私の数少ない男としての尊厳もなくしてしまいそうで、なんかもう、なにも考えたくない……。
「まっ、別に難しく考える必要もないんじゃない?」
私にくるりと背を向け、ガイ子さんとジン太くんの元へ向かいながら、雪ちゃんが口を開く。
「他人の人生なんて、ナイフ一本あったら簡単に変えられるしね。結局、どんな幸せを作るかなんじゃないの?」
「……雪ちゃん」
私の声は雪ちゃんに届かなかったようで、雪ちゃんはガイ子さんとジン太くんに話しかけて、ケタケタと笑いだした。
それを見て、私は立ち上がる。いつまでも、ただ座り込んではいられないと思った。
そして、真琴さんの側へ歩み寄り、真琴さんの身体を支える。
「大丈夫ですか?」
「……平気よ」
気丈に真琴さんは言い切る。しかし、どう見てもぐったりとしているし、目の焦点が定まっていなかった。
武術もハイレベルに拾得している真琴さんなので、体力は当然かなりのものだと思う。けど、命を渡す際に消費する体力は、そういった体力ではない。
強いて言うならば、精神的な体力。肉体よりも、さらに高次の位置にある体力。
真琴さんの今は、その体力の著しいほどの消耗による、著しい衰弱だ。
私は両手の平で、そっと真琴さんの身体に触れる。このままにはしておけない。そのまま、ゆっくりと気をそそぎ込み始める。
すると、ゆっくりと真琴さんの息が整い始めた。
「獅子さん、狛犬さん」
背後にいる、石像のように静観し続けている二匹に問う。
「なぜ真琴さんに方法を教えたんですか?」
声に怒りと苛立ちはなかった。ただ、私は聞かなくてはならない。なぜなら、この二匹には、魔を退け、平穏を護ることが使命だからだ。その守護者が、護るべき人間の人生を、意味もなく変えるはずがない。
だから、そこには必ず必然があるはずなのだ。私は、それを聞く義務があった。
「無論、お前に死なれては困るからだ」
狛犬が厳かに口を開いた。
「先ほどの戦いで、祠が破壊され、封じていた禍神が、すべて世に放たれた。奴らはすべて、封じねばならぬ」
感情の起伏を感じられないまま、狛犬が言う。それに併せて、今度は獅子が口を開く。
「そして、これを封じることができんのは、神寺の本家の血統以外はおらへん。つまり、神寺光、ただ一人なんや」
「……なぜ、私だけなんですか?」
狛犬が答える。
「神寺の咎だからだ」
「神寺の、咎……」
小さく反芻する。そんな私をよそに、獅子が茶化すように言った。
「なんで神寺に『女爾生呪』なんてもんがあると思うとんのや。行いによる罰、代償やねん」
「祖先の過ちは、同じ一族にしか購えないのだ」
「…………そう、ですか」
真琴さんに気を送りながら、それだけしか返事ができなかった。
頭と胸の中で、何度も何度も租借する。
「わかりました」
そして、私は腹を括った。
今の現状こそが、これからの私の人生なのだろう。私は今この瞬間から、これにすべてを捧げなくてはいけないのだ。
祖先の過ちは子孫が正すものであり、また自らの過ちは生涯を持って償わなければならない。
咎を背負い、目の前の人の幸せを築いていくことこそが、私の人生。
そう、腹を括った。
「……ありがと。もう、大丈夫よ」
真琴さんがそっと私の手に触れ、優しく押し返してくる。そのまま真琴さんは立ち上がろうと力を入れるが、すぐにふらついてしまった。私は慌てて真琴さんの手を取り、支える。真琴さんは、ふらつきながらも、しっかりと立ち上がる。
ふと、周りが明るくなった。
明かりの元を辿ると、東から太陽が昇り始めていた。
暗く冷たい、絶望の終わり。温もりと活力にあふれる、始まりを告げる日の出。
その朝陽を真琴さんと一緒に眺め、浴びる。
「もう、朝ですね」
「そうね……」
「長い夜でしたね」
「ほんとにね」
顔を見合わせ、二人でくすりと笑いあう。
「ねえ」
そして、真琴さんは妙に清々しい顔で、私の目をはっきり見て、その言葉を告げる。
「おはよう、ヒカリ」
朝陽よりも眩しく、なによりも美しく、そして昨日よりも力強い笑顔。
その顔に目を細めながら、私も、言うべき言葉を彼女に返す。
「おはようございます、真琴さん」
きっと、私も今笑っている事だろう。
何度沈んで夜がこようが、太陽必ずまた昇る。
絶望の夜が終わり、希望の朝が来る。
それぞれ死に、そして新たな生を授かった私たちの、最初の朝が来た。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
終わり方が完全に
「俺たちの戦いはこれからだ!」
ですが、決して打ち切りではございません。
ございませんッ!(迫真
こんな終わりですが、ほとんどこれを書き始めた時に想定していた着地点だったりします。
ええ、嘘偽りないガチです。
ところで、実はこの『最終話』を更新しても、まだあと1話このお話は続きます。
完全なる蛇足、おまけが1話ございます。
それは本日の19時に投稿いたしますので、よろしければ最後までお付き合いください。
このお話冒頭に出てきたあの人が、物語の間、どこで何をしていたのかがちょろっとわかります。
よろしければ是非。