第33話 刀と鏡と勾玉
ただ護られるのには飽きた
何も出来ないのには飽きた
もう負けるのには、飽きた
まずい……このまま押し切られる……!!
そう内心焦りながら、紙一重で女の攻撃をかわしていく。
しかし、戦場は明らかに私に不利だ。これだけの手傷、すでに私の体はダメになってるかもしれない。
それでも"神格化"して、無理やり全身の力を振り絞る。
女の爪はまだ刺さったままだ。たぶん、肺をやられている。
それでも負けるわけにはいかない。
刹那の交差。
私と女は互いに距離をとる。
「そんな体でよくぞ我が攻撃を受けておるものだな」
女は余裕そうにほほ笑む。
対して私は息も絶え絶え。その上体の自由が徐々に効かなくなってきている。
ふと気づけば、ここは中庭だった。
私ははっと気づく。なんだこの霊感は。
それはまるで、神社の社をくぐった、現実世界から剥離された空間そのものではないか。
視線を走らせる。
大桜が満開の花弁を咲き誇らせている。
その樹の下には、初めて見るにも関わらず、どこか懐かしげな祠があった。
しかもそれは、三点の結界で守られていた。
私はあれを知っている……?
「ヒカリ!」
その声とともにこちらに駆け寄ってくる影が見えた。
真琴さんだ。
聞き間違えるはずがない声に私は動揺した。
彼女は走り寄ってくると、私と肩を並べる。
その手に持っている『刀』。まさか……!!
いやしかし、それがまさに本当ならば、私がしなくてはならないこととは……。
「ヒカリ、ここはわたしが受け持つわ」
「え、ちょ、何言ってんですか!」
真琴さんが正眼に『刀』を構える。その瞳には強い力が宿っていた。
「ヒカリ……本当は分かっているんでしょう? 貴方がしなくてはならないことを」
女から目を逸らさずに真琴さんは静かにそう告げた。
そうだ、もう分かっている。
これは私の使命。責任。運命。
「無茶だけはしないでくださいね……」
そう言うと、私は『鏡』の方へ向かって駆けだした。
「させるものか」
女が突如糸を放出させる。それは相手を絡め取る糸ではなく、射殺すためのもの。
鈍い音が響く。
振り返ると、真琴さんがその糸を受けていたところだった。
「くっ……!!」
私は自分の力に怒りを覚える。なんて滑稽だ。
だが。
私は首を横に振る。
私にはそれを為す使命がある。
真琴さんはそのために危険を冒してくれたんだ。私はそれに報いらなければならない。
「獅子さん、結界を頼みます!」
「応」
獅子さんが守護式神として、『鏡』の代わりに置き換わる。
私は『鏡』を手に取り、女と真琴さんの方向へとんぼ返りする。
『鏡』がきらめく。
その光が女を照らす。
その瞬間、女は巨大な蜘蛛に姿を変える。三十八メートルはありそうな、巨大な蜘蛛の姿だ。
真琴さんが小さく悲鳴を上げる。
『忌々(いまいま)しや八咫鏡め……』
くぐもった声で女だった化け物は呟く。
そう呟くや否や、化け物はその恐怖を駆り立てる八本の脚を動かし、私のもとへ駆けだした。
「そうはさせない!」
真琴さんが、勇敢にも突進してくる化け物にひるまず立ち向かう。
「はあっ!!」
ガキン、と鈍い音を当てて化け物の脚は停止する。
『天叢雲剣か……。小癪な!』
女はそう言うと八本の脚、糸、毒針を用いて真琴さんに襲いかかってきた。
真琴さんはそれをかろうじて受け止めながら、必死に戦っていた。
真琴さんが作ってくれたこの数分。無駄にはできない。
『高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以て 八百萬神等を神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて――』
詠唱を開始する。
詠唱が完了するまで、最低でも五分はかかる。
真琴さん……
どうか、どうかご無事で――
◆
手汗がヤバい。体も震えいる。
わたしは手に握った『刀』を改めて持ち直す。
目の前には女だった巨大な蜘蛛。対峙しているだけで、恐怖で身がすくむ。
『そちと油を売ってる時間はない』
女はくぐもった声で言う。
「残念だけど、わたしの相手をしてもらうわ」
精一杯の軽口。
心臓がバクバクと高鳴り、汗で『刀』が滑る。
『刀』を握り直す。
状況を正確に把握しろ。
目の前には化け物となった女。後ろには術式を完成させようと、言霊を紡いでいるヒカリ。
何が何でも後ろに下がるわけにはいかない。
やはりここは先に手に打つのが定石。
覚悟を決めろ。
「はあっ!」
女に向かって駆けだし、空に舞う。上から攻撃を加えるのだ。
風がびゅうびゅうと吹き、私は女の元へと落下する。
ガキンと金属と金属がぶつかったような音が響く。
――硬いっ。
『ふん、造作もない』
女がくぐもった声を言うが早いか、わたしは跳ね飛ばされる。
地面になんとか着地する。
普通に攻撃したんじゃ、全然効果がない。どうしよう。
――と思考した直後、女の刃物のような糸が放出させる。
「くっ!」
避けられない。避けたらヒカリにあたってしまう。これは甘んじて受けなくてはならない。
『刀』の刃で受け止める。と同時に、凄まじい圧力がかかり、わたしはまた吹き飛ばされる。
地面に落ち、ごろごろと転がる。
ヒカリの詠唱が、一瞬戸惑う感じで、言葉が濁った。
何をしてる。早く立ち上がれ。ヒカリの術式が完成するまで耐えるんだ。
わたしはそう自分を鼓舞し、立ち上がる。
『邪魔だ、虫ケラ』
轟々と音を響かせて女がヒカリの元へ向かっていた。
――まずい……!!
「行かせないわ!」
慌ててその進路に割って入る。
怪物の前足がわたしに襲いかかってくる。
それを『刀』で受ける。
すごい衝撃だ。腕が折れてしまいそう。
膝が砕ける。地面に杭を打っているかのような状況だ。事実、少し地面が凹んだ。
女だったモノはわたしを押しつぶしてヒカリの下へ行こうとしていた。
それだけはさせてはならない。
わたしはヒカリの時間稼ぎだ。
今までなにもできなかった。
これがわたしに貸せられた、使命だ。唯一、この場でできることだ。
だから、わたしは負けられない。負ける訳にはいかない……!
いったん沈み込んだ反動を利用し、わたしは『刀』を跳ね上げる。
それを行うだけの力が、何故かあった。
それはこの『刀』の力なのだろうか?
――否、今はそんなことどうでもいい。
「はああああ!!」
『刀』がまるで意思を持っているかのように、素人のわたしが扱っているにも関わらず、申し合わせたかのように怪物の脚の節を切り抜く。
ほとんど抵抗を感じることなく、女の脚の一を切り落とす。
悲鳴が轟く。
女だった化け物はよろめき、後ろへ下がった。
『おのれ小癪な……』
女が怨嗟の呪詛を呟く。
女の切られた脚から緑色の液体が吹き出す。
――気持ち悪い。
背筋が嫌な感じでぞくぞくする。単純なる嫌悪。
それは当然、生き物を傷つけたからによる嫌悪感ではない。人間じゃない化け物に対する、絶対的なる嫌悪感。気持ち悪い。吐きそうになるのを懸命に堪える。
『そこを退いてもらうぞ、虫ケラ』
と、女の姿が揺らぐ。それはやがて二重になり、三重になり、数刻で20体以上になった。
何が起こってるの!?
わたしは慄き、一歩後ろへ下がる。
蜘蛛は今や、30体以上にもなっていた。
後ろからヒカリの詠唱が聞こえてくる。
『罪出でむ 此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 末打ち断ちて 千座の置座に置き足らはして――』
戸惑い、不安な声色で、素早く、しかし慎重にヒカリは詠唱を紡いでいる。わたしは、化け物がどう手を打ってこようと、ここを死守しなくてはならない。改めてそう感じた。
『虫ケラよ、あの小僧を殺してからそちのことはゆっくりいたぶってやろう』
背筋も凍る声色で女だった蜘蛛は言う。
本体はどれ?
わたしは忙しなく前方の蜘蛛の大群を睨む。
どれが本体なの?
わたしは焦る。
予告もなく、蜘蛛の大群はこちらへ向かって駆け出してきた。
――まずい! こんな数、防げない……!
と、わたしの頭の中に突如映像が流れた。
蒼い竜だ。
いきなりのビジョンにわたしは混乱を隠せなくなった。
大群の動きがスローモーションで見える。なんなの、これ?
どくん、どくん、と胎動が腕から伝わってくる。これは、この『刀』の意志?
蒼い竜が、その厳しい視線をわたしに向ける。
何かを伝えようとしてるの?
わたしは焦りながら、"彼"の意思を読み解こうとした。
滝が水面に落ちた時のような、奔流が流れてくる。
清廉なる力の渦にわたしは呑み込まれる。
イメージ。
イメージだ。それがわたしの内側へ流れ込んでくる。
清流の奔流。
ただ、これだけだ。
そしてわたしは理解する。
「消えろおおおおおおおおお!!」
体を限界まで捻り、横薙に『刀』を振るう。
清流が爆発する。命の息吹を運ぶ奔流が竜のホウコウのごとく轟く。
『刀』の先から勢いよく"力"が迸る。
それは一本の清流となり、女の作り出した影たちを呑み込んでいった。
女の影が次々と切り裂かれていく。影どもはブレ、霧のように掻き消える。
と、その中の一体が宙に舞い、わたしの攻撃を逃れた。あれが本体か。
『國つ神は高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ――』
ヒカリの詠唱ももう終着点に向かっているようだ。
ヒカリは高らかに言葉を紡いでいく。
あと少し……
あと少しで……
そうわたしは安堵のようなもの感じた刹那、化け物は空中にいながら、四方に糸を張り巡らせ始めた。
それらは一瞬で中庭を覆い、"蜘蛛の巣"ができあがる。
まるでわたしたちは蜘蛛の巣に捕らわれた昆虫のようだ。
女だった化け物が、自ら作りあげた糸の上に乗る。強靱なその糸は、キョクウが乗ったにも関わらず少し揺れただけで元に戻る。
女の姿がまたブレ始める。
そして今度は、ヒカリのいる祠を中心に、四方に広げた"巣"の上に、彼らを取り囲むかのように影を生成した。
わたしは焦る。どうすればいいの!?
「ヒカリ!」
わたしはヒカリの下へ駆けだした。
ヒカリの詠唱速度がまた早くなる。彼も焦っているのだろう。目で、わたしにこれ以上近寄るなと訴えていたが、それを無視してわたしは彼の下へ行く。
雪ちゃんとジン太くんとガイ子ちゃんたちは、三人ともふるえながら互いに抱き合っていた。そんな彼らを護るかのように狛犬と獅子は、ちょっと近寄れないぐらいの厳しさで佇んでいた。
化け物の数は、先ほどの比ではない。50体はいるだろう。
影どもができたとき、わたしは糸が揺れるのを見た。
それはつまり、"影"と言えど、実体を持っていることがわかる。
質量があるのだ。それもこの50体あまりの軍団全部に。
ほとんど絶望的だ。
「どうすればいいの!?」
わたしは叫ぶ。
「主人の詠唱は佳境だ」
狛犬がそれに答える。
「時間にして、あとおよそ三分と言ったところやな。それまで持ちこたえるんや」
獅子が続けざまに答える。
あと、三分もあるのか……
それは、絶望的なまでに長い時間だ。この状況で、わたしは果たして、あとどれだけの時間を稼げれるのだろうか。
だが、やるしかない。
わたしはヒカリの近くに立ち、『刀』を正眼に構える。といっても所詮は付け焼き刃。ダメダメだ。
それでもわたしは全身全霊で相手の出方を伺った。
『虫ケラが』
全包囲から同時に声が轟く。
『下等生物どもが、我をここまで手を焼かせおってからに。万死に値する』
これで決める気か……!!
背筋が凍り、手から『刀』が滑り落ちそうになる。
だが、あと三分。それだけ押さえることができれば、わたしたちの勝利だ。
負けられない。負けてはならない。
わたしは『刀』を握る手に力を込めた。
『大海原に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く 遺る――ゴホッ』
その時だった。ヒカリの詠唱が止まったのだ。
焦りながら後ろへ振り返る。
ヒカリが、口から血を吐いて、前かがみで荒い息をしていた。
彼の胸元から血が大量に吹き出す。よく見ると、その胸には五本の鋭い"爪"らしきものが食い込んでいた。
「はあ……はあ……くそっ……」
ヒカリの口から悔しげな吐息がこぼれる。
なに! なにが起こったの……!
「ちっ、"神格化"の時間切れかいな」
獅子が憎々しげに言う。
時間切れ?
「あと、あと、ちょっとなのに……くそっ!」
またボトボトと胸から大量の血液がこぼれ落ちる。
『はっ!『ははは!『はは!『はははははは!『はははははははは!!』
四方のあちこちから女の化け物の声が響き渡る。
『傑作だ。まことに、これこそ傑作だ!』
女が言う。
『これでそちらの悪足掻きは終了か。まったく、いらん時間を無為に過ごした』
ヒカリが崩れ落ちる。わたしは慌てて彼を受け止める。
「ごめ……んな……さい……真琴……さん……」
小さくうめくようにヒカリ呟く。もうひとりで立っていられないようだ。
『さて、終いにするか。せめてもの情けよ。肉片一つ残らず綺麗に食ろうてやろう』
四方から哄笑とともに女が口を開く。
まずい、このままだと確実に喰い殺される……! なんとか逃げなくては!
『死ね』
一斉に化け物どもがこちらに来る。
ダメだ、逃げられない。わたしたちの悪足掻きもここまでか。
何度目かの絶望とともに、わたしは目を閉じた。
《八尺瓊勾玉よ!》
獅子と狛犬が同時に叫ぶ声が聞こえた。
お久しぶりです。
また嘘をつき、今日まで長らく更新できず、申し訳ございませんでした。
これからラストスパートでございます。
行進が遅くなった代わりに、実は今日まで、地道にコツコツと書き溜めておりました。
その甲斐あって、ラストまで書き上げることに成功しました。
なので、今日から4日間連続更新をしたいと思います。
まず、次話は明日の18時に更新したいと思います。
是非とも最後までお付き合いくださいませ。