第27話 鎖
暗い、昏い闇の中。
ずっと、ずっと、その暗闇の中で胸がうずいていた。
それはまるでひたすら雨水を待つひび割れた地面のように、ただただ喉の渇きを潤したかった。
――また、虫が体中を這いずり回るかのような、いやな、うずきが襲い掛かってくる。
ああ、このしがらみを解いてしまいたい。
ダメなのは自分が何よりもわかっているし、理解もしている。それが、自分が一番嫌いな姿だということも。
けれど。
衝動に似たそれは、まるで無抵抗な自分を殴りつけるかのように唐突に襲い、防ぐ術がなかった。
人間は愚かで弱い。すぐに己の欲望に従おうとしてしまう。
人間は愚かで弱い。しかし、それはある意味では賢く強いのだ。
ちょうとそれはコインの表裏が空中で入れ替わるように、『強さ』『弱さ』とはその意味をあっさりと変える。
風に舞う、木の葉のように誰にもわからないし、制御なんてできない。
――つまりは、そう。そう言うことなんだ。
身体がうずく。檻の中の獣が動き始める。どうしようもない。当たり前で当然で、絶対ではない"それ"。
身体を縛る鎖。
それは自ら課した戒め。
絶対に外したくない。絶対に姿を現せてはならない。
ああ、でも。どうしても、今のままでは――――
……声が聞こえてくる。とても近くで、力強くて、自分という存在を支えてくれた優しく張りのある声。
それは今や、とてもとても悲痛なものだった。
助けなくてはっ!
けれど、身体は酷く重く、身動き一つできない。
これは、何なのだろうか?
ああ、身体が――そうか。
もう、"人の"活動限界が来てしまったのか……
少し視線をずらす。
すると体中が無数の鎖で縛られていた。
他でもない、己で己を縛るための鎖。外すには、鍵が当然必要なのだが、それは自分自身の意思。しかし、それは自らを押さえつけるひどく重たい石。いや、紙一重な石の重みでもある。
動くには――助けに行くには、鎖を外すしかない。
――いやだ!
声が脳裏に響く。
大丈夫。分かっている。他の誰よりも、そう、他ならぬ自分自身が。
けれど、このイタミ。胸が、頭が、身体が、心が。うずきに侵食されるように、ジワリジワリと飲み込まれていく感触。
ああ、ダメだ。お願い、やめて……っ!
衝動とは、ある種の暴力のようなものだ。
突然襲ってきて、そして、一方的に受けるしかない。
人間という生き物は、己の欲望に勝つことは決してない。人間だけでなく、生き物である以上、それは変えられぬ世界の真理。
飼いならすことはできても、決して殺せないのだ。大抵の場合、逆に食い殺されてしまう。
――ああ、鎖が邪魔だ……
動きたい。思いっきり、身体を伸ばしてみたい。何物にも縛られず、己の思うがまま、ただ欲望のままに。
当然の欲求。当たり前な欲望。
すべてはコイン。そして、すべては無数の"表裏"の集合体。
"それ"に裏があるように、表には"それ"がある。ただ、その裏の表が必ずしも、同一の"それ"であるわけではない。
一つだけからは一つしか生まれない。
だが、一は全であり、全は一であることに変わりわない。
単純明快な解は、それ故に複雑難問と化す。
――ダメだっ!
思考と思考の衝突。理性と欲望の抗争。それは尽きることのない争い。
ダメだ。でも、やらねば。そんなの見たくない。しかし、動きだしたい。動いてみたい。どうなってしまうのか、それは自分が一番よく識っているはずだ。だが、外さねば彼女が危ない。けれど、それは果たして正しいのだろうか。いや、間違っている。だが、けれど、しかし――――
思考は巡り、螺旋を築きあげる。
暗い、昏い闇の中、光がおぼろげに灯る。
女の姿が、罠にかかった彼女を愛でている。それは、ひどく背筋が、ぞくり、とした。体中が、ぶるぶると震える。
女が何やら、耳元で囁いていた。
続いて、彼女がびくりと震える。
ああ、なんてことなのだろう。この動けない身体が、ひどくもどかしく、恨めしい。
女の長い舌が、彼女の頬を撫でると――――その首筋に顔をうずめようとした。
――その瞬間、わかってしまった。
茶番な舞台は幕を閉じる。
『弱い』モノは、『強い』モノに喰われてしまうのが、自然の摂理。
狩人は捕らえた獲物を決して、逃がしはしないのだ……
思考はそこで終了した。頭の中で、何かが弾け飛び、真っ白になって暗転した。
受験が終わりました。
これから徐々にペースアップして更新できればなーと思います。
僕はご存知の通り、びっくりするぐらい遅筆なので、頭の片隅にでも、どこか適当な場所に置いといてやって下さい。
完結は必ずさせます故、何卒宜しくお願い申し上げます。