第26話 鈴の音が伝える胎動
そして辿り着いてのは、どこにでもある普通のファーストフード店。
ちなみに、もちろん私は初来店。
そもそも友達のいない私にとっては、この寄り道すら初体験だったりもする。
店員に連れて行かれ、真琴さんと向かい合わせになるように座る。結局こうして、真琴さんから逃れらないまま今に至っている。
正直、ふかふかのイスに座っているにも関わらず、まったくリラックスできない。
これは、なんですか……?
今更ながら、本当に今更ながら、そして何より気持ちを改めて私はそう思う。
「付き合ってもらっちゃってごめんね。今日は奢るから、なんでも注文しちゃってよ」
「は、はぁ……」
向かいで真琴さんが言いながらメニューを手渡ししてくる。なんとも言えぬ居心地の悪さに、私は軽く俯きつつ返事でもない返事で答え、彼女からメニューを受け取る。
とりあえず、メニューを開いてみる。当然ながら、商品の写真と値段、それからカロリーなんかが表示された文面が映る。
しかし、私にとってはここは初めての場所で、そもそも外食の経験さえないからどうしたらいいのかさっぱり分からず、困り果ててしまった。
ちらっと、向かいの真琴さんを見やると、彼女もまたメニューをとても楽しそうな表情で眺めていた。心なしか、鼻歌さえ聞こえてきそうな気さえする。
そんな感じで真琴さんを密かに観察していたら、ふいに真琴さんは顔をメニューから上げる。
ピタッ、と視線が合う。
「ん? もう決まったの?」
「あっ、い、いいえ、まだ……です……」
「そう。気にせずなんでも頼んじゃってね」
「はい……」
真琴さんは楽しそうに、私はおずおずと、二人してメニューへ戻る。それから今度はなんとかメニューを選んでみる。
そもそもがそもそも、私はこの店の何がオススメだとか何が有名だとか、何にも知らないのだ。第一、食欲すらないので食べたいものすらない。だから、あんまり量がなくて、金銭的にも大丈夫だと思われる食品から適当に選ぼう。あとは野となれ山となれ、です。
「もう決めた?」
「は、はい。一応……ですけど」
「了解。――あっ、スミマセーーン!! 注文お願いしまーすっ!」
私の答えを聞いた真琴さんは近くにいた女性の店員さんに声をかける。嬉々とした表情で、店員さんに向かって片手を大きく上げている。すると、それに気付いたらしい店員さんが近くに寄ってきた。
「お待たせしました。ご注文をどうぞ」
腰にあるポーチから何やら機会を取り出すと、店員は笑顔で訪ねてくる。それになんとなく私は委縮してしまい、小さくなる。
「あなたから注文して」
「え?」
「ほら早く」
不意すぎる振り。
そんな無茶苦茶なっ!?
「えと……あの……その……」
焦りに頭がパニックに陥る。焦れば焦るほど先ほど目を付けたメニューが見つからなくなる。焦っちゃダメだ焦っちゃダメだ、と自分に言い聞かせる。店員と視線が合う。顔の筋肉の収縮率的に若干不自然な笑顔が私を見つめていた。心臓がどくどくと激しく脈打つ。早く何か言わなくちゃ。真琴さんにも、店員さんにも申し訳ない。早く、早く、何か注文しないと。何か、何か、何か、何か。
「あ、あの、何かくださいっ!」
「……は?」
「何かと言えば何かですっ! 何かくださいっ!!」
「はっ、はい?」
店員さんが目を大きく見開き素っ頓狂な声を上げる。
そこで私は我に返る。
「あ、いえ、その、あの、その、だからその、あの」
……自分の愚かさに失神してしまいたくなる。
けれど今ので頭は完全に冷えた。背筋とか、体中冷え冷えとしてしまったのだけれども。
「……これを、お願い、します……」
俯きつつ、メニュー内のとある写真を指差す。和風パスタ。山菜がふんだんに使用されているみたいで、とてもヘルシーそうだ。そう言えばで選んだ、初パスタ。
恥ずかしさのあまり、穴に埋まってしまいたい気持ちに駆られる。
「か、かしこまりました」
引きつった作り笑いがきつい。店員さんは手元の機械に何かしらの操作を加える。
「ふっ、ふふふ、ふふふふふ」
噛み殺した真琴さんの笑い声。
ますます私は小さく委縮する。
もうお願いしますから帰らせてください。
「そちらのお客様のご注文は?」
「じゃあ、私も同じものをよろしくお願いします。あっ、ねえあなた」
笑顔でさらりと自然に店員さんと対話していた真琴さんがこちらを見る。
「ドリンクバーはいらないの?」
「そんなこと、言われましても……」
残念ながら、それが何を指すのかがわからない。当たり前のように訊かれたということは、それが普通なのかな? だんだん自分の無知度に腹が立ってくる。
しかし真琴さんはそんな私を察したのか、にっこりと笑って店員さんの方へ振り返る。
「それじゃ、セットで二つ、ドリンクバーもお願いいます」
「かしこまりました」
再び店員さんが機械を操作する。
「ご注文は以上でしょうか?」
「はい、それでお願いします」
「かしこまりました。では、少々お待ちください」
そして手を前で軽く添え、きっちり60度で一礼すると店員さんは私たちから離れ、厨房へと向かって言った。
「……ふぅ」
思わず本気のため息をつくと、ぐったりと後ろのイスに倒れこむ。体の内側が熱い。熱がじわりじわりと内側からこみあげてくる。掻いた冷や汗も合わさり、とにかく気持ち悪い。
「それでは、そろそろお伺いしてもよろしいですか?」
しかし、おかげでもう嫌な緊張はしなくなった。気持ち的には最悪ですが、そろそろ訊いてもよい頃。身体を起こし、対面の彼女をうかがう。
「どうして、私をここまで連れてきたのかを」
すると彼女は、今まで楽しそうにしていた表情を少しだけ曇らせる。
「……そうね」
テーブルの上に両肘を置き、手を組むと、目線の少しその合わせた手へと下げる。
反対側に座っている私は、姿勢を正して静かに待っていた。
「その前に少しだけ話を聞いてもらえないかしら」
ぽそりと、それでも決して小さすぎることのない声で彼女は言い、にっこりと笑った。
「こう言ってしまったら誤解やら語弊やら、それこそ所詮私みたいな人種はこんなものかと思うかもしれないのだけれども」
そう前置きをすると、少し心痛が声色に滲んだような声で真琴さんは話し始めた。
「私……私ね。これまで一度も――ただの一度も自分から『友達になりましょう』なんて、そんな陳腐なセリフを言ったことがないのよ」
ふふ、と軽く鼻を鳴らして、彼女は少し悲しそうにほほ笑む。
「だって、そんなこと言う必要がなくてね。いつもいつも、私は自分から望まなくったって、いっぱいの『お友達』が寄ってきてくれてね。ただ、じっとその場所その場所、気がつけば誰かしら何かしらいてね。とにかく、小さい頃から私の周りには、優しくて賢くて頼もしくて、かっこよくて綺麗で楽しくて面白くて、そして、飽きなくてすることがいっぱいあって周りには見渡す限りの人がいて遊ぶことは尽きなくて除け者にされたことはなくていじめられたこともなくてどこへ居ても何をしていても声をかけられて――――そんな風に私のもとには、いつのまにかいつも自然と人の群れができていたわ」
「……」
無造作に真琴さんは目の前にあったコップを持ちあげる。そして、なにかを水に写して、それを転がすように――弄ぶかのようにコップの中の水を揺らす。その目は、水を通した向こう岸を眺めているようだった。
「楽しかったわ。得も言われぬほどに。みんなみんな『お友達』。私がなにもしなくても、望まなくてもみんなみんな私のもとへ来てくれる。『お友達』になってくれる。だって、それは『私』だから。私がみんなに必要とされてるから、みんな私のもとにやってきてくれるんだ。私がみんなに一緒にいて楽しいと思われてるから、みんな私のもとにやってきてくれるんだ。私がみんなに愛されてるから、みんな私のもとにやってきてくれるんだ。私は凄い。私はみんなにとってかけがえのない存在なのよ。私のもとには人が自然と集まってくるのよ。だから、私は凄いんだ、っね」
コップを机に置き直して、真琴さんは視線を私に戻し、少し口元に笑みを浮かべる。その目の奥には、寂しげな陰りが見えた気がした。
「でもね、ある日私は気付いちゃったの。どうしてこんなに私の周りには子どもも、ましてや大人の人たちがこんなに私の元にやって来るのか、その理由って奴をね。『そうなんだ。みんなみんな、『私』を見て、友達になってくれたんじゃなくて、『私の家柄を見て』友達に成るように大人に言われて、あるいはそうすることで自分に利益を求めて『友達』という関係を望んでいたんだ』ってね。気付いてしまったら、もう自分ではどうしようもなかったわ。不意に、ひとりで真っ暗な井戸の底へ突き落されたような気分、とでも言えばいいのかしらね」
そこで一端言葉を切ると、しばし私たちの間に無音の沈黙が訪れた。店内の喧騒が、今はとても遠い。
私は、真琴さんの言葉を反芻していた。それは果たして、本当にひどい事なのだろうか――と。
利害関係。打線的な付き合い。本音の隠した欺瞞に満ち溢れる会話。
それは、確かに気持ちのよいものでは決してないだろう。それはわかる。関わりたくない、遠ざけたい、むしろ忌諱したいものだということは。
それは理解できる。理解できているつもりでは――いる。
けれども、それはこれまで”一方的な悪意しかほとんど受けたことがない”私にとって、それは特別ひどいことだとは到底思えなかった。
むしろ、欲張りだという憤りすら覚えてしまう。
真琴さんは、視線を斜め下に移して、それでも続けた。
「本当はね、みんながみんなそんなつもりで『友達』になってくれたわけじゃないって、思ってたの。信じていたかったの。それでも、一度そう思ってしまったらもう自分ではどうしようもなくてね。――――全部、自分で何もかも壊してしまったわ」
呟くように言ったその瞳は、光を失っていた。最後の一言に、場が確かに冷えたのを私は知覚する。例えそれが、比喩的な意味合いであったのであろうとも、それはもうそれだけで十分だった。
真琴さんは、本当に表情の豊かな人だと思った。
怖気づいていたり、泣きそうになったり、必死だったり、強気だったり――怯えていたり。
「私は……」
少し青ざめた唇を震わせ、絞り出すように真琴さんは口を開く。
――もう、我慢できなかった。
「だから、」
真琴さんを遮り、口を開く。
「だから、それがどうして私をここに連れて来た理由と繋がるのですか?」
知らず、切り捨てるような口調になっていた。
「どうしてって……」
私の問いかけに、真琴さんはびくりと肩を震わす。
私は今、珍しく少し怒っていた。
自分の元に多くの人が利益や打算で近づいて来ていて、それを気付き、結果疑心暗鬼に陥り、自分から関係を壊しておきながら、ひどく落ち込み傷つき、何故、そんなにも被害者面をしているのだろうか。
今まで信じてきた人たちに、悉く裏切られたからなのだろうか?
今まで信じてきた毎日が、ありもしない幻だと気がついたからだろうか?
今まで信じてきたものすべてが、音を立てて崩れ落ちてしまったからなのだろうか?
これらの価値が、いかに大事なのかは――わかる。
それこそ、自暴自棄になってしまうようなことだということは、想像に難くない。
同情の余地だって、あるのかもしれない。あるとは思う。
――それでも、”私には”。
“私にはそんな幻を、幻だと知っていながらも見ることしかできなかったのに”。
確かに、真琴さんの経験は辛いことだと思う。あまりにも、辛すぎることだとすら思う。
でも、だけれども、それでも真琴さんの言う『楽しかった毎日』は全部が全部、夢現の出来事だったのだろうか。それらはすべて、夢だったのだろうか。
それだけじゃ、絶対にない。
「真琴さんが、これまでどのような体験をされてきたのかは、よく分かりました」
過去は変えられない。人の思惑も決して変えられない。
たとえ真琴さんが言うことが、真実だったとしても、それが過去、自分との関わりすべての裏切りだったとしても。
「とても辛い体験だと思います」
過去は、確かにそこにあったはず。
幻でも夢でもなく、確かに、肌で感じられるほど身近に。それは決して夢現ではない、現実の世界での話のこと。
「ですが、だからと言って、相手のすべてを、過去を、過去の自分の思い出すべてを否定することはよくありません」
過去は確かに変わらない。
それは、過去に自分が抱いた気持ちとて、決して例外ではない。
その気持ちを抱けるだけの経験があったことは、決して夢なんかじゃない。
相手の自分に対する裏切り行為は、それはそれとして受け取ることに、なんら疑問はない。
けれども、だからと言って自暴自棄になって、過去、自分が相手に抱いた気持ちすべてを否定するのは、それは絶対にしちゃいけないことだと思う。
「人はみな、何かしら思って、感じて、周りの人々と接し合っているのではないのですか? 真琴さんも、周りの人々に対して、希望や願い、苛立ちや不快感を持って、それでもなお接しているのではないのですか?」
私は真琴さんの、怯えるような瞳を強く見据えて続ける。
八つ当たり的に私は続ける。
それは同時に、私のずっと探していて、ずっと切望しているものでもあった。
「それって、きっと"普通"なことだと思います。打算的な付き合いが、嫌なのは理解できます。過去、自分が相手に抱いてきた気持ちが、裏切られたら辛いことも理解できます。でも、それって当り前、"普通"なことなんじゃないんですか? 自分が相手に向けた想いを、相手が自分の思った通りに受け取ってくれているかなんて、誰にもわからない。どんなに願っても望んでも、本当の意味で自分を理解してくれる人なんていない。自分がこのような想いを相手に向けたからと言って、相手が自分と同じ想いを返してくれるなんて、そんなことはありえません。どんなに、自分のことを好きになって欲しくても、そう心から願ったとしても、相手が自分を好きになってくれるなんてことは、決してないんですよ」
過去のこれまでが蘇る。
小学生時代のこと。
中学生時代のこと。
私の今までのこと。
そこには、人との繋がりを求め、願い、渇望して止まない自分がいた。
「でも、過去がどうであれ、その時の自分の気持ちは――それがたとえ刹那的なものであっても、確かな疑いようのないものなんじゃないんですか?」
変態だと罵られた。
気持ち悪いと吐き捨てられた。
頭がおかしいと後ろ指を差された。
こっちに近寄るなと石をぶつけられた。
異質な物を見るかのような目で見られた。
それでも私が、ただの相手の目に"女の子"として映っている間だけは、"友達"として受け入れてもらえていた。
なんでもない会話をした。
なんでもないことで笑い合えた。
なんでもないことがとにかく嬉しかった。
なんでもないことなのに、自分が彼らの仲間の一員でいられたような気がした。
それらは、自分が"女装している男"という事がばれるまでの、ほんの刹那的な幻ではあったのだけれども、それでも幻とはいえ、私が感じた気持ちは嘘なんかじゃなくて、それは確かに本当の気持だった。
罵られたら、辛かった。
吐き捨てられたら、心が引き裂かれるかと思った。
後ろ指を指されたら、自分のすべてが否定されたような気がした。
石をぶつけられたら、とても痛くて、一刻も早く彼らの前から消えてしまいたいと思った。
異質な目で見られたら、そんな目で私を見るなと、心の中で誰にも聞こえぬ声で泣き叫んだ。
それでも、たとえ"女装男子"という事柄がばれるまでの刹那的なものであったとしても、私は小学生の時も中学生の時も、とにかく楽しくて嬉しくてしょうがなかった。
こればかりは、絶対に嘘なんかじゃない。まぎれもなく、私の中にある真実。
だから、すべてを否定している嫌いがある真琴さんが、どうしても許せなかった。
それが、どうしようもない、八つ当たりだったとしても。
自分なんかよりも、よっぽど恵まれた時間を過ごしてきたはずなのに。
自分なんかよりも、よっぽど恵まれた生活を送れることができるはずなのに。
私には彼女が羨ましくて――だからこそ許せなかった。
あなたは、人と繋がることのできるチャンスに、私よりもはるかに恵まれているはずなんだ。
「それなのに過去を否定して、過去の自分を否定して、周りの人々全員を拒絶して。それなのに、そんな――自分が一番不幸だと言っている被害者面をいつまでもしないでください」
切り捨てる様に、私は真琴さんに言い放った。
真琴さんは眉を顰め、今にも泣き出しそうな顔で、唇を固く引き結んで俯いてしまっていた。
視線が合う事は、もうない。
沈黙。
机の下で、真琴さんは両手を強く握りしめているようだった。身体が、わずかに震えていた。
少し前までいた教室の中よりも、数倍、十数段上を行く、ひどく重たい沈黙。
お店の周りの音を遠くに置き去りにして、無音の重圧を感じながら、私たちは時を刻む。
「……そう、ね。確かにその通りだわ」
しばらくして、真琴さんが静かに口を開いた。
そして、顔を上げ、多きく深呼吸をしたのち、私を強い目で見つめた。
「それらを踏まえて言わせてもらうわ。あなた、私と友達になってくれない?」
ノドが詰まった。
まさかこんな展開になるとは。
私がとった行動は?
――そして、世界が歪んだ。
継続して、定期的に更新したいのでけれども、なかなか難しいものです。ほんとスミマセン;
なんか最近、拙作書き始められたのにまたスランプになったしまったようですorz
一応ストックは作っているので(少量ですが)、あと二、三話は大丈夫かと思われますが、今後もどうぞよろしくお願いいたします。