第一話 自分ではない、他の誰かと君は行く
「ねえ、あなたには夢ってある?」
「私はね、お嫁さんになるのが夢なの」
「誰よりもその人のことが大好きで、何があっても、ずっとずっと愛してあげるの」
「みんな馬鹿にするけど、私は決めてるんだ」
「絶対に後悔なんてする訳ない。だって――――――」
「だって、それは自分が本当にやりたいことなんだもん」
「なら、それが一番いいに決まってる」
「……、でしょ?」
森の中を一人の幼い少女が歩いている。少女は何かを探す様に辺りをきょろきょろと見渡しながら、焼きたてのアップルパイを入れた籠を揺らして木漏れ日に笑顔を向ける。
小さな体で森の奥、たったの一人でさ迷って。赤みがかった色をした双眸と、短めの白い髪を差し込む光に輝かせていた。
何かを探して。誰かを探して。少女はそこに来た。
何百という年月を過ごした大木が作り出す木々の空間。巨大な一本の老木を囲むように木が並び、長く広がった枝葉たちが太陽の光を遮っていた。幻想的な森の広間。少女はそこで、探していた彼の姿を見つけた。
「こんにちわ」
木々の間から抜け落ちた木漏れ日を身に受けて、彼は森の広間に横たわっていた。大きな大きな一匹の鹿。大きく枝分かれした二本の角と、その間に小さなもう一本の黒い角を頭に生やし、少女の十倍以上の体を持っていた。巨大な鹿は少女を見ると、ゆっくりと顔を伸ばして彼女の顔に近づけた。
「元気?」
少女は鹿の頭を小さな両手で優しく撫でる。すると、鹿は気持ちよさそうに両目を伏せた。
「今日はお菓子を作ったから、持ってきたの。鹿さんも食べるかなって思って」
少女が籠から差し出したアップルパイは香ばしく甘い香りを漂わせ、鹿は少女が驚かないように小さく口を開けた。アップルパイの底紙を取って、少女は伸ばされた鹿の舌にアップルパイを乗せる。鹿が舌を引っ込めると、鹿は満足そうにぶるると喉を鳴らした。
「美味しい?」
尋ねる少女に鹿が頭を横からこすり付けると、少女は嬉しそうに笑った。
「あはは。よかった」
何者にも邪魔されず、一人と一匹は幻想的な森の広間で共に過ごした。
少女は笑う。
純真で穢れなく、花か月のように美しく。朗らかで、切なく、愛おしい。
暖かな幸福感に包まれながら、鹿は口に残るアップルパイの風味を噛み締めた。
とても甘くて、どこか酸味がかった味だった。
エレゲイア・ファントリア
第一話 自分ではない、他の誰かと君は行く
森に囲まれた石の砦。一面の緑に浮かび上がるかの如く存在する灰色の砦の中に、一つの王国が栄えていた。近年、隣国との戦争の末、国の財政は激しく悪化してしまったものの、国の一部を隣国に明け渡すことで国中が戦火に包まれることなく事は収まった。
そんな明け渡された国の一部。砦の外側に位置する小さな村。そこでは今、結婚式が行われている。溢れかえる花々と飾り付けられた民家、鳳の紋章が施された教会の前に並べられたテーブルと集まった国民たち。村の全てが新郎新婦を祝福していた。そして、彼も。
式場の華やかさから離れた茂みの奥で、一匹の巨大な鹿が結婚式を見守っていた。誰にも見つかることなく、静かに。
「ラヴィー!おめでとう!ラヴィ!」
お酌をして回る花嫁に声をかけるのは彼女の友人たちだ。幸せな笑顔を浮かべる花嫁は、白い髪に赤い瞳。ウェディングドレスを輝かせ、新郎とテーブルを回る彼女はラヴィといった。
「ありがとう。私もう、嬉しくて死んじゃう……」
涙ぐみながら来賓の席に丁寧に挨拶していくラヴィは隣の新郎と腕を組む。幸せそうに微笑みあう二人は、最後に特別に飾り付けられたテーブルへ向かう。そのテーブルに座るのは、このファントリア国の国王と女王、そして二人の息子である王子である。
「本日は本当にお忙しい所をありがとうございます。まさか、来て頂けるなんて……」
細身の男、新郎のライナーが国王一家に恭しく礼をし、ラヴィもそれに倣う。
「いやいや、こちらこそお邪魔してすまないね。いい式だったよ。おめでとう、二人とも」
「ありがとうございます」
他の来賓にするのと同じように、ラヴィが彼らの杯に葡萄酒を注いだ。王子の杯に酒を注ぎ終えると、王子がラヴィに声をかけた。
「おめでとうございます。そのドレス、とても良く似合っていますよ」
「あ、ありがとうございます!よろしければ披露宴も楽しんでいってくださいね」
照れ笑いを浮かべて新郎と共に離れて行くラヴィを王子は見つめる。
「随分お若いですね、あの花嫁は」
酒を飲み干し、ぼそりと言った王子に女王が答えた。
「まだ十六だそうよ。新郎さんは二十二ですって。いいわねぇ、お若い人同士」
「へえ、そうなんですか……」
王子は空になった杯を揺らしながら、華々しく祝福される花嫁と花婿を見ていた。
結婚式は終わりを迎え、続いて宴が始まった。まだまだ興奮は冷めやらぬ。ラヴィは幸福の真っただ中、愛する人と共にいる喜びに笑顔を絶やさずに。白い髪を舞う花びらになびかせて、感謝と幸福感を胸に、彼女の愛するライナーと永遠の愛を誓ったのであった。
ラヴィは薬指にはめられた、朱い宝石で飾られた婚約指輪を空にかざす。ライナーはそんな彼女に気が付いて、そっと彼女の肩を抱き寄せた。
「ラヴィ、愛しているよ。ずっと」
「……、うん」
頭を彼の体にすり寄せて、ラヴィはライナーの胸に手を当てた。温かくて、少し鼓動が速くなっているのが伝わってきた。
「私も、あなたのこと愛してる。いつまでも、ずっと」
綺麗に並べられた無数の本と、遥か遠く闇の彼方まで続く本棚が見えた。一冊の本が開かれたまま床に落ちていて、その本が眩しく輝いたかと思うと、輝きの中から光の粒子が溢れ出した。粒子が集まり一匹の大きな鹿の形になると、二本の長い角が本棚に突っ込んで、ばたばたと音を立てて並べられていた本が床に落ちてしまった。騒がしい音が木霊して、廊下の奥へ響いていく。
寂々とした場所だった。遥かに続く図書館。無限の大きさを持つ、正しく無数の蔵書を誇る場所だ。鹿は、自分が無事に本の中から出てこられたことを確認した。整頓されていた本は犠牲になったが。
「久しぶりだね。とりあえず、その体は止めてくれないか。本が傷つく」
闇の彼方から一人の男が現れた。手には蝋燭の灯りを揺らめかせ、布地を幾重にも長身の体に巻き付けた風体で鹿に語りかける。
すると、鹿がそれに応えるように全身が光りに包まれた。光が収まるとそこには鹿ではなく、もう一人の男がいた。黒い髪に混ざる、同じく黒い一本の角を頭に生やしていた。伏し目がちな両目で、床に散らばった本を見つめている。彼は長身の男に何を言うでもなく、ただ黙って床に座っていた。年若い見た目だ。その風貌からは、年老いた長身の男にはない内に秘めた力を感じる。
「コリウス。どうやらお前は再世の実を持ち出したようだね。出しなさい」
「………」
「なんだ、何を苛立っている。お前が実を持っているのは分かっているんだ。本から出てきた時点でな」
コリウスと呼ばれた角の彼は、腰に提げた小袋を手に持った。
「これは俺が自分で作った物だ。お前の引き出しに入っている物とは別物だよ。アルゼイ」
「なに?お前が?」
長身の男、アルゼイはコリウスが嘘を吐いているのではないとその様子から悟った。アルゼイの知る限り、彼の部屋が荒らされた形跡はなかったし、コリウスが随分昔に部屋にやって来た時も不審な動きは特になかった。
「よく作ったものだ。何百年と丁寧に世話をしなくてはならんというのに……」
「それで、何の用だ?」
「何の用だとはなんだ。こっちは心配してやっていたんだぞ。本の世界に入るのは重罪だ。それも、そこの住人と接触することなんて尚更な。お前を見つけたのが私でなかったらどうなっていたことか。コリウス。お前、何年本の中にいたか分かっているのか?」
コリウスは少し考える。彼が思い浮かべたのは、初めて会った時のラヴィと、先程の結婚式の時のラヴィの姿だった。
「八年くらいか」
「全く、お前というやつは……」
コリウスは立ち上がり、床に落ちた本の中から一冊の本を探し当て、ページをぱらぱらとめくった。
コリウスは辟易した。本の世界も現実も、全く心休まる暇がない。
「おい、コリウス!お前また本の中に入る気か!」
「ああ」
「“ああ”じゃない!お前、今再世の実はいくつ持っている?!入る時にも出る時にも必要なんだぞ!」
袋から実を取り出すついでにコリウスは数を数え、答えた。
「あと五つだ」
「その実を間違ってもなくすな!さもなければ永遠に本の中から出られなくなるぞ!」
「分かっている」
コリウスは結婚式の挿絵が載ったページを開き、そこに覆い隠すように手の平を当てた。ラヴィとライナーの幸せそうな様子を思い出してしまいそうになり、コリウスは本から顔を逸らす。
「ああ、そうだ。アルゼイ」
「なんだ?」
「まあ、もう八年前のことだが。お前の引き出しの実、どれもカビて駄目になってたぞ」
「お前!やっぱり…、おい!コリウス!!」
怒鳴るアルゼイを意に関せず、コリウスが再世の実をかじると、その体が光の粒子に変わって。そのまま輝く本の中へと吸い込まれていった。
ラヴィと出会ったのは、まだ彼女が八歳になったばかりの頃。いつものようになんとなく図書館で手に取った本の中に入った俺は、特に目的もなくさ迷っていた。退屈な世界。時折戦争をしたり、物を奪い合ったり、下らないことばかりをしている。いもしない紅く輝く鳥の神様に熱心に祈りを捧げ、せっせと貢物を祭壇に置いてはカラスや虫に食い散らかされる。おかしな奴らだ。そんな派手で無駄にでかい鳥がいるものか。
さらにおかしなことには、奴らはそれを分かっている節があるということだ。いないと分かっているのに、いるという体裁で毎日過ごしている。誰もその実在を信じていないのだ。
たった一人、彼女を除いては。
一週間ほど経ち、世界を眺めるのにも飽き飽きしていたそんな時。俺はラヴィを見つけた。
森に迷い込んだ彼女を見つけた俺は、彼女を脅かしてやろうと巨大な毛深い鹿に化け、彼女の前に出ていった。
驚くだろうと思った。泣いて逃げ出すだろうと思っていた。
なのに。
「こんにちわ」
泣きもしなければ、逃げもしない。どういう訳か彼女は笑って俺に挨拶をした。返事をしてしまいそうになったが、寸での所で飲み込んで。
「すごく大きいね、あなた。びっくりしちゃった」
今思えば、あの時一言でも何か言葉を発していたら、もっと違った関係になれたのかもしれない。ずっと鹿の姿のままで会わなくてもいい、もっともっと身近な存在に。
「お散歩してたらこんな所まで来ちゃったんだ。もうどっちに行けばいいのか分かんない。困ったなぁ」
でも、そうはなれなかった。なれなかったから、君は――――――。
「あれ、どうしたの?何処行くの?」
俺は気まぐれで彼女を案内してやろうと、森の出口に向けて歩き出した。ラヴィが俺の後についてきて、彼女は疲れていたようだったから背中に乗せてやると、すごいはしゃぎようで喜んだ。
木漏れ日で明るい森の緑が輝いていた。背中に乗るラヴィは俺の毛を撫でたり、寝っ転がってみたりしながら景色を見渡していた。
「鹿さんはいつもあそこにいるの?」
俺は首を後ろに回してラヴィに目を向け、それを返事とした。ラヴィにもそれが伝わったようで、嬉しそうに彼女は言った。
「じゃあ、私がまたあそこに行けば会えるね」
あの時の笑顔と、心地の良い笑い声が胸に焼き付いている。白い髪と、紅い瞳。人生で最も美しいと思える物を俺は見つけてしまった。外の世界でもこんなに美しいと思える物は一つとして在りはしなかった。静黙とした輝く森も、夜空に煌めく満月ですら、敵わない。
この子とずっと一緒にいたい。そんな風に思ってしまった。
この本の中とは違い、どこもかしこも鉄板と機械に囲まれた外の世界で、俺は両親や兄弟と毎日同じような退屈な日常を送っていた。兄弟はみんな将来の目標を見つけ、勉強したり体を鍛えたりと頑張っていた。
俺だけだ。俺だけが何もしていない。勉強も運動も精一杯頑張ってはみた。けれど、何の目標も持っていない俺には、どれも中途半端な結果しか出ないままだった。俺には足りていないのだ。他の奴らと違って、情熱とか、憧れとか、そういったものが。
でも、あの時。ラヴィに出会った時、俺の中に何かが芽生えたのを感じた。俺を突き動かす感情が。今まで俺に足りていなかったものが。
この子のためになら、なんだってしてやれる。そんな風に思えてしまう、情熱が。
「ラヴィ!ラヴィ!!」
暫く歩くと、遠くから声が聞こえてきて。ラヴィがはっと顔を上げ、大きな声で返事をした。
「ライナー!!」
後に知ったことは、その時ラヴィを迎えに来たあの少年がライナーという名であること。ラヴィの幼馴染であり、彼女と共に育ってきたということ。
そして、ずっとずっと昔から、ラヴィが恋い焦がれる男であるということだった。
「今度は何作ってるの?」
結婚式から一週間後のこと。ラヴィは夫となったライナーの下へ、珈琲を淹れてやって来た。彼女たちの自宅。元々ライナーが一人で暮らしていた一軒家。石でできたファントリア国ではごく普通の、良く言えば趣があって、悪く言えば古めかしい家だ。ライナーは家の裏にある小さな庭に机を置いて、高さ二メートル程の石材を前に何かを紙に書き記していた。石材は随分と削られ、何かを模した形になっていて。ラヴィはその形からライナーが何を彫ろうとしているのか勘付いた。
「鳳様の像。大きめのやつをさ、作ってみようかなーって」
「あ、やっぱりこれ鳳様なんだ」
机に珈琲を置きながらラヴィがライナーの隣に座り、広げられた紙を覗き込む。それを横目に見つつ、ライナーは彼女にお礼を言って珈琲を啜った。
「そう。最近は色々物騒だし、たまにはこういうのもね」
ライナーが本を一冊開き、とある絵をラヴィに見せた。この本の世界で広く、最も深く信仰されている宗教であるルーベウス教において主神として扱われる、赤い羽根と大きな体を持つ鳥の絵だった。紅の鳳。そのこの世の物とは思えぬ美しさと巨大さは現実離れし過ぎていた。事実、その鳥は誰かが考え出した空想上の存在なのだが。
「鳳様って難しいんじゃない?羽とか一杯あるし。大変そうだけど……」
「まあねぇ。……、実はこれ、本当は君と結婚する前に完成させたかったんだ」
ラヴィが「え?」と驚くと、ライナーは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「君ってさ、ほら。信心深いし、教会の鳳様の像の所によくお祈りに行ってるだろ?」
「……、へぇー」
話を聞きながら珈琲を啜るラヴィの顔がにやけていた。自分の好意を見透かされているのがたまらなく恥ずかしくなって、ライナーは顔を逸らす。
「行ってますね。毎日のように行ってますよ。それで?どうして像を彫ってくれてるのかな?」
面白がって話を催促するラヴィは楽しそうに足を揺らす。そんな彼女に憎たらしさを抱きながらも、ライナーが口を開いた。その時の己の気持ちを彼女に伝えたくなってしまって、どういう反応が返って来るのか分かっていながらも、ついつい言ってしまった。
「いや……、教会に行くよりもさ…、僕の家でお祈りしてくれって……。そう言おうかなって……」
「ぶふっ」
「笑うなよ!」
「それ、それ!プロポーズだー!」
「可愛い可愛い」と連呼して腹を抱えて笑うラヴィにライナーは正直に言ってしまったことを後悔した。酷い仕打ちだ。
「あっははははは!うん……、でも、ありがとう」
「散々笑っといて……」
何を今更、と思うものの。ラヴィの笑う所を見ている内に怒る気もすっかり失せて。ライナーも諦めたように軽く笑った。ラヴィが淹れてくれた珈琲を飲みながら、晴れた空の下で彼女と笑う。こんな幸せが何時までも続けばいいのにとライナーは思う。お互いに身寄りの無い彼ら二人は、教会の孤児院に引き取られ、共に育ってきた。似た悲しみを知り、誰よりもお互いを知っている二人。ライナーにとってもラヴィにとっても、この結婚は運命であり、心からの願いであった。
「ああ、そうだ。今日の分の御供え物、教会に持っていかなきゃ」
「やっぱり、ラヴィは信じてるんだね。神様」
ライナーが珈琲を飲み干してカップを置いた。ラヴィは空を見上げながら、少し寂しそうに答えた。
「うん。信じてるよ。みんなが信じなくても、私はずっと信じてる。だって……」
二人の家の屋根の上。二人を見下ろせる屋根の縁に、一本の角を生やした一羽の小鳥がとまっていた。二人の会話が届かなくても、二人の様子はよく見える。
「私は神様に会ったから。小さい頃によく遊んでもらったの。最近はいなくなっちゃったし、そもそも鳥の姿じゃなかったけど……。でも、あの鹿さんは本当に神様だったんじゃないかなって思うの。姿を変えて、私と遊んでくれてたんじゃないかなーって」
二人をじっと見守って、幸せそうなラヴィに嬉しさと、何か寂しい想いを胸に抱き。
「だから……、だからね――――――」
やがて、何処かへ向けて羽ばたいた。
「私は神様のこと、ずっと信じてる」
「コリウス……。お前にとってその女はそんなに大事な存在なのか」
無限に続く図書館に、本のページをめくる音が響いている。本棚が立ち並ぶほの暗い廊下で、アルゼイが一冊の本を読み進めている。
「お前の両親がどれほどお前の帰りを待っているか知らないのだろう。お前があの家を出てからもう五百年は経った。気が変わるまでと思い、この図書館にお前を迎え入れたことは間違いだったのかもしれん」
後悔のこもった声である。低く、年老いた声である。
「昔からのよしみだ。少しの我が儘くらい聞こうじゃないか。だが……」
アルゼイは思い出す。五百年前、この図書館にやって来たコリウスは雨に濡れて、酷く深刻な様子でぼそりと言った。
「分からなくなったんだ。アルゼイ。俺は何をしたらいいのか。どう生きていけばいいのか。俺は……、何がしたいのか」
若者らしい悩みを持ってやって来たコリウスは、図書館にある本を読み耽るようになった。滅多に外に出ることもなくなり、ひたすら読書に没頭していた。あれから随分と時は流れた。彼は、この無数の本の中から答えを見つけることはできたのだろうか。
アルゼイは本をめくる。最初のページから順にめくっていき、小鳥が家の屋根から羽ばたく様子が描かれた挿絵のあるページに辿り着いた。
「お前は家に帰るべきだ。まだお前は若い。悩むことはいくらでもあるだろう。辛い思いもするだろう。しかし、それは全てお前にとって必要なことなのだ。だからこそ……」
アルゼイが次のページを開く。そこには、そこから先には―――――。
「お前は、現実を見るべきだ。本ばかり読むのではなく、お前のいるべき外の世界へ出ていくべきなんだよ、コリウス」
最後まで何も書かれていない、白紙のページが延々と続いていた。
アルゼイが鳥の挿絵のページをもう一度開く。すると、インクが紙から染み出すように、挿絵の下の文に続いて新たな文字が一人でに綴られ始めていた。
本の物語が進んでいくのだ。本の中にいるコリウスも巻き込んで、本は本来の結末に向けて刻一刻と近づいて行くのだ。
アルゼイが本を閉じた。本の背表紙には、その本の題名が書かれていて。アルゼイが持つ黒緑の本、コリウスが本の中に入ることで今直接体験している、その物語の名は。
“エレゲイア・ファントリア”
そう、書かれていた。
「その様子では、お前は知らんのだろうな」
「“エレゲイア・ファントリア”。この物語が、一体どんな結末を迎えるのかを」
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第一話 完