悪魔の微笑み
腰の剣を握り締めたが、いまさら抜刀しても間に合わないことを瞬時に悟る。そのくらい力の差が歴然としていた。
万事休す!
諦めて髑髏の牙に飲み込まれる覚悟を決める俺に、オズは意味深に笑った。
今の今まで俺に狙い定めていた髑髏が唸り声を挙げて、その身を華麗に翻した。竜巻にも似た風が俺の頬を一瞬舐め、驚いて見返すと幅太の刃の残像が眼の端をかすめ飛んでいく。その白刃の残像は美しく旋廻し、黒尽くめの男たちの呻き声を重ねた。宙を華麗に旋廻した刀身は瞬く間に主の手元に収まり、白刃は流れるような動作で鞘に身を沈めた。
ヤエル・マーズで見たあの峰打ちを披露したオズに、歯噛みした。無様かもしれないがようやく抜刀出来た俺は、丸腰のオズに無言で切りかかった。その刃をオズはなんと両手で受け止めてみせる。合わせた掌の中に刃を受け止め俺の動きを封じたかと思えば、赤子の手を捻るように難なく、怪力でそのまま剣を奪い取り大きく放り投げた。刀身は入り口近くまで飛んでいき、どう見ても取り返せそうにない位置で転がった。
呆然と刀身を見つめていたが、次第に怒りがむくむくと膨れ上がる。
「それだけ強くてなにが弟子にしてくれだ!!!」
思考が暴れて憤怒の表情で俺は吠えた。続けて怒りに任せてオズに殴りかかる。それを難なくかわして、
「ジェシカの甘噛みは受け入れるけれど、エイセルの本気はごめんよ」
と、オズは怪力で俺の動きを封じ込めた。両手の自由を無くしたので、片足でオズを蹴り上げようとすると一瞬差で足をすくわれた。そのまま冷たい石の床になぎ倒され、腹ばいになった俺の両手を背に回されると身動きひとつ出来なくなった。
本気で悔しい。
「本当はラズール街のあの騒動に乗じて、あなたを殺すつもりだったの」
とんでもなく物騒な声が上から降ってきた。
「雇い主はエイセルの死を願っていたわ。私もそのつもりだった。でもあの剣舞を見て殺すのが惜しくなったの。今まで暗殺家業に身を置いて久しいけど、こんな気持ちは初めてよ。だからあなたの側にいたくて、カンザス団を抜けて弟子入りを決めたのよ」
オズの誇らしげな口調にイライラとする。所詮は裏切り者だろうが、と心の中で吐き捨てた。
「でもカンザス団は初志貫徹をモットーにしているの。前払い金をもらってトンズラするなんてカンザス団の名を汚すことになるわ。いくらあそこを抜けたといってもそれは暗殺の美学を汚すことだわ。だから雇い主の依頼を半分だけ叶えてあげることにしたのよ」
つまり最初から泳がされていたわけだ。
食べ物や変装で俺たちを信頼させ、行き先を聞き出し、ダグラスには秘密裏に連絡を取っていた。泉は副産物だったにしろジェシカは当初から報酬に含まれ、金目当てに同行していた。汚いやりくちだ。
「そうね、汚いわよ、暗殺業ですもの」
朗らかに笑ってオズが開き直った。その笑い声に腸が煮えくり返る。
重石のように背中にいた彼は俺の両手を片手で封じ込めたまま、優雅に俺の前に膝を着いた。
悪戯っぽい眼差しが絡みつくように俺を捉え、見慣れたにんまりと笑った口から、一言一言噛んで含めるように彼は言い放った。
「カンザス団はまだあなたを諦めていないわ。初志貫徹だからあなたを狙って第二、第三の刺客がやってくるわよ。あなた、ジェシカを助けに王城にたどり着く前に、どこかの草むらで首と胴が切り離されていることになるわね。そんなのあなたの本望じゃないしジェシカもきっと悲しむわ」
どの口が言うのか、大袈裟に彼はよよよ、と泣き崩れるような仕草を見せる。
「でも大丈夫。私があなたの盾になってあげるわ。前払い金を貰ったからには私の雇い主はエイセル、あなたよ。あなたをカンザス団の刺客から守って、約束どおりブライアンを殺して差し上げるわ」
昨日の友は今日の敵、今日の敵は金次第で友にもなるという、最低な理屈でオズは朗らかに言ってのけた。
忌々しいがこんなところで命を落とすわけにも、ましてやカンザス団の刺客に襲われるのも論外だった。噂のカンザス団には恐らくオズのような手練れがわんさといるのだろう。そんなのが本気で襲い掛かってきたら、いや実際、本気のオズの殺気を目の前にしたとき、俺は確実に死を直感した。恐らくカンザス団相手に勝ち目など無いだろう。オズの言うとおり草むらで恨めしく死を迎えそうだ。
ジェシカを敵に売り渡したこの男を、今この場でズタズタに切り裂いてしまいたいのが本音。だが、オズほどの手練れならば恐らくブライアンを殺すことなどわけもないであろう。
本音を飲み込み、オズの差し出した提案を前向きに検討する。いや、道はそれしか残っていないようだ。
裏切り者が再度裏切らない保障などない。身内に蛇を飼う感覚で、今度こそ本気で俺は悪魔と契約を交わした。
両手の戒めは解け、自由になった身体を起こすと、オズが嬉しそうに笑い、
「私、死ぬ気で頑張っちゃうから」
と、手を差し伸べてきた。
“今すぐ死んでくれ”と、邪険に振り払うと、俺の心を読んだのが少し傷ついた顔を見せた。
それでも気を取り直して、
「一生ついていくんだから」
と、冗談なのか本気なのか高らかに宣言している。
悪魔に魅入られてしまった不運を嘆いて、俺は力なく肩を落とした。




