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ヤエル・マーズにて

 あのあとディアナンからラズールを突っ切り南下(なんか)し、一般にヤエル・マーズと呼ばれる森を抜けながら南の神殿に向かっていた。


 もとはこの辺り一帯河川(かせん)だったらしいが今はその名残を少し押し止め、鬱蒼(うっそう)と茂る森林地帯と()している。名残というのはこの森の真ん中にある湖のことだ。湖のことを人々は美の女神ヤエルに例えて名付けた。マーズは湖の周りに咲く小さな可憐な花のことだ。いつの頃からか湖と花を指した言葉が森の名前に変わり、その名は皆に親しまれていた。


 俺とジェシカ、オズはちょうど森林の中央のヤエルの湖で小休憩していた。

 ジェシカの美貌を隠していた布地は無く、気持ち良さそうに風を感じながら顔を(さら)け出している。


 その顔を見て、俺は眉を顰めて深い溜め息を()く。

 ディアナンの食堂で観念して「要求はなに?」と問いかけた俺に、オズはずばりと、


「詳しいことはよく分からないんだけど、追っ手から逃げているでしょ。あなたたち」


 と核心を突いて言った。ジェシカの無地の布地を軽く引っ張って、


「この格好で逃げていても怪しいだけよ。だから提案なんだけど、私に任せてくれたら王女様を街娘に変身してさしあげてよ。ジェシカも街娘になってみたいと思わない?それとも街の男がいいかしら?」


 カミソリのような眼光に茶目っ気が揺れている。

 そんな器用なことが出来るのかと、驚いてオズをまじまじと見つめる。

 ありがたいようなありがたくないような申し出に、ジェシカが眼を輝かせて飛びついた。


「街の男になってみたい」

 予想通りそっちかとを落とす俺に、


「絶対似合うこと請け合いよ。私、張り切っちゃうから」

 とオズも嬉しそうに眼を輝かせた。


 オズの手による変装は(うな)るほどに秀逸で、(またた)く間に変装したジェシカはどう見ても王女の面影(おもかげ)を残していない。()みひとつ無かった白磁(はくじ)の肌はこんがりと日焼けした色に、頬と鼻にはそばかすを浮かべ、オズの描き出す筆により見事な街の男に人相が変わった。さらに金髪と眉は栗色に器用に染められ、馴れた手つきできつめに髪を結い上げ、帽子を被り洋服を改めると本当に街の男に変貌を遂げた。


 最近の暗殺者は変身願望も叶えてくれるのか?オズの器用な一面を意外な眼で眺めた。


 初めての体験にジェシカは飛び上がって喜び、(さえぎ)る布地もなく自由に歩き回っている。オズもその出来栄えに満足しているようだ。


 “ジェシカの街娘姿を一目見てみたかったんだけどな”

 男になった横顔を眺めながら、本音がちろりと頭をかすめる俺。


 すると、俺の肩をぽんぽんと叩いて元気付けるように、


「大丈夫よ、これから機会は何度でもあるわよ。私もこんな極上の美人を化けさせるなんて初めてだから、今回一回きりなんてもったいないわ。ジェシカ、街歩きのときにはぜひ私を呼んでちょうだいね」


 眼をらんらんと輝かせてオズが甘い勧誘をしている。

 勧誘するオズは身の程知らずだし、次期女王となる身が街遊びに興味を持ち、味を占められても困るのだが、“ジェシカの街娘姿を一度は見てみたい”と思っている俺が一番危ないような気がした。甘い勧誘についふらふらと加担してしまいそうだ。


 隣でオズが「うふふ~ん、ふんふんふん」と鼻歌を歌いながら、皮の袋から布包みを三個取り出した。


「は~い、オズお手製ランチ~、食べて食べて~」


 いつの間に作ったのか、布包みの中には人数分の豪勢なお弁当が現れた。

 絶品だった鹿肉も当然のように入っていて、俺もジェシカも頬を緩めた。


「オズが王宮専属のコックになればいいのにな」


 ジェシカがぽろりと(こぼ)すと、仰天(ぎょうてん)の言葉が返ってきた。


「あそこは私も大好きな場所だわ。よく夜中に忍び込んでいるんだけど、良かったら今度お夜食をおすそ分けするわよ?」


 仮にも王城、衛兵の眼をかいくぐって真夜中の王宮の台所に忍び込むってどんな冗談だ?

 眼を丸くして、“いやいや話を大きく盛っているに違いない”と頭を振って考えを打ち消した。

 ジェシカは面白そうに頷いて「夜食、期待しているよ」と、不敵な笑みを浮かべているオズに約束を取り付けている。


 豪勢なお弁当に舌鼓(したづつみ)を打ち、お腹も満たされた。途方に暮れていた昨晩とはえらい違いだ。


 謎が多すぎるオズという青年は何もかも器用にこなし、ジェシカもそんな姿に早くも信頼を寄せているようだ。

 そんなオズが突然、人差し指を口元に当てて俺たちの動きを制した。


(ひづめ)の音がするわ」


 その声に耳を澄ますが、辺りは風に揺れる木の葉と鳥のさえずりが聞こえるばかりだ。

 オズは茂みを指差して「そこに隠れていてちょうだい」と、俺とジェシカに強めの口調で指図した。オズの鋭い眼光に少し躊躇したが、言われたとおりに従い茂みに身を隠す。


 ほどなくして遠くから(ひづめ)の音が三騎聞こえて、オズの耳の良さに驚嘆(きょうたん)した。

 その音はどんどん近付いてきて、俺は剣の柄に手を掛けたまま息を殺して全神経を注いだ。


 現れたのは全身黒尽くめの男たち。

 先程まで俺たちが小休憩していた湖で馬の足を止めた。同じように馬に水を飲ませ休憩をとっている。


 オズはどこに消えたのだろう、このままやり過ごすのかと思っていると、風の(うな)りと共に男の(うめ)き声が同時に三つ上がった。どんな芸当なのか、見覚えのある金の髑髏(どくろ)の柄が抜き身で、白刃(はくじん)が一点の曇りなく地面にまっすぐ突き立っている。側には昏倒(こんとう)した男たちの姿。


「お、ま、た、せ」


 背後から飄々(ひょうひょう)とした口調でオズが現れた。


「うふふ~、タダで馬が入っちゃった。嬉し~」にんまりと笑っている。


 突き立った白刃の煌きを無言で見つめる俺に、


「大丈夫よ。峰打(みねう)ちだから安心してね」と、金の髑髏を軽々と振り鞘に収めている。


 幅太の太刀(たち)で大の男を三人まとめて峰打ちで昏倒させるとは、俺よりもとんでもなく強いかもしれない、と直感した。もしジェシカがいなかったら恐らくオズは問答無用で、切り捨てていたかもしれない。

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