進退窮まる
階段を上り隠し扉を開くと、星空が見えた。どこだ、ここは。
北の神殿の内部かと思いきや、外だった。
王宮の厨房にいた時は午後の気だるげな陽光が燦々と降り注いでいたが、今はとっぷりと陽が落ちて満点の星が煌いている。初めて見るわけではないのに、星の輝きに思わず見惚れた。地下迷宮で水攻めに遭ったせいだろうか。
風が心地良くて、新鮮な空気を思い切り吸い込む。あー美味い。
木々や草や花の風に揺られてサワサワと奏でる優しい音が耳に心地良い。
当たり前の自然がこんなにも愛おしく感じるなんて、今の俺は情緒不安定なのかな?
だがそんな悠長な雰囲気では無いことをすぐに悟った。
場所は北の神殿の正面玄関前。玄関には篝火が焚かれている。
その篝火が照らすのは数名の黒服の驚いた顔だった。
突然現れた俺たちを指して叫ぶ。
だが次の瞬間、一様に呻いて膝からくず折れた。
立て続けに鮮やかな手刀を繰り広げ、黒服を昏倒させたのはやはりオズだった。
「本当は祭壇の近くまで行くつもりだったんだけど、水攻めで見当はずれの場所に出ちゃったわ」
詫びるように頭を下げた。
それを温かな微笑みで掬い取って、
「見当はずれではないさ。星空が綺麗で空気も美味しい。当たり前にある自然をこんなにも愛おしいと思ったことがない。この豊かな王国を守りたいと改めて強く思ったよ。だからこの場所に出れて良かった。ありがとう」
ジェシカが朗らかに返した。俺も同じことを思っていたので、それが嬉しくて思わず顔がにやけた。
オズはその言葉を噛み締めるかのように眼を細め、
「じゃあもうひと踏ん張りね」
とガッツポーズしてみせた。
そのまま北の神殿の正面玄関の木の扉を迷いなく押し開き、軽々と跳躍した。
神殿の中にも黒服はいて、オズが息ひとつ乱さない華麗な舞いを見せる。軒並み手刀で倒し黒服が折り重なった。
余裕な表情で手をパンパンと払い、
「祭壇はこの奥よ、急」ぎましょ、
と言いかけたオズの声を突然、切り裂いた甲高い音がひとつ。
空気を震撼させる衝撃音が天井に向かって一発鳴り響いた。初めて耳にする鼓膜を突き抜けるような音に腰が抜けそうになる。
音に驚き、しかし俺よりも素早くジェシカを庇い身を伏せたデビッド。さすが王族の身を守る近衛長官の役職に就いているだけのことはある。
ジェシカの安全を確認し俺も同じように身を伏せ、音の正体を確かめようと周囲を見渡す。
きな臭い匂いがその場を充満した。
ひび割れた天井には白い煙が揺らめきパラパラと石の粉が落下している。
その中でオズはビクともせず腕組をしてその場に仁王立ちしていた。不敵な表情を浮かべ、まったく動じていない姿に豪胆な精神に驚嘆する。
奥から現れたのは蛇のような目つきの男がひとり、ダグラスだ。さらに取り巻きが数名。
「生きてたか、裏切り者め」
忌々しげにダグラスは唾を吐き捨てオズを睨んだ。
ダグラスと取り巻きの手には見慣れない黒い塊が握られていた。あれはなんだろう。
と思っていると俺の隣の存在が哀れな声を張り上げた。
「ダグラス、僕とジェシカは違うんだよう!!騙されたんだよう!!助けてくれるって言ったじゃないかよう!!殺すのはエイセルとオカマだけだ!!」
はっきりとオカマと言われてオズの眼が据わったのが見えた。心なしか周囲の温度が二、三度下がった気がする。こ、怖い。
いやそれよりも今は、
「デビッド、やめろ!」
ジェシカの静止の声も聞かず嫉妬に狂った眼をしたデビッドは、彼女の華奢な手をしっかりと握り締めたままダグラスに向かって躙り寄ろうとした。
その姿をダグラスは鼻先で馬鹿にしたように笑い、手にしている黒い塊を向けた。
「おめでたい頭だな。おまえがなんの役に立つ」
嘲る声と共に黒い塊が火を噴いた。空気を震撼させる衝撃音は迷わずデビッドを射貫いた。
間近にいたジェシカが悲鳴を上げて身を竦める。その身が震えているのが分かる。
デビッドは身を転がして呻き、見る見る間に右の上腕が血に染まり、床に血溜りを作った。
俺はようやく黒い塊が殺傷の道具であることを理解した。
あれはなんという武器なんだろう。あんな飛び道具には到底太刀打ちできない。
そう思いながらも、すぐさま自分の服を破り止血のためデビッドの上腕をきつく縛った。その布切れも赤く染まっていく。思わず舌打ちが漏れた。
ダグラスは冷たくジェシカを呼んだ。
「ジェシカ来い。ボスがお待ちかねだ」
躊躇するジェシカに「次はあの男の足を撃つ」とダグラスは容赦なく脅す。
観念してジェシカはダグラスの言葉を呑んだ。
ジェシカの頭に黒い塊の先を押し付けて、
「おまえもだ、来い」
顎をしゃくってダグラスはオズを呼んだ。
「ブライアンはどこにいる?」オズの問いかけに「この先だ」とダグラスは祭壇のほうを顎で指し示した。
それを確認したオズはにんまりと笑って、ダグラスの言葉に無言で従った。
あの含み笑いはなんだ?と思ったけど、さすがにあの飛び道具の前ではオズも手が出せないのかもしれない。歯噛みしながらジェシカとオズの背中を見送る。
その場に残ったのはダグラスの取り巻きのひとり。俺たちに黒い塊の先を向けてきた。
刀傷を負っている俺と右上腕を撃ち抜かれたデビッド。どう考えても逃げ切れない。
嫌な汗を流しながら、進退窮まったかも・・・と天を仰いだ。