決戦直前
「血が滲んでますね」
とライアスに指摘されて俺は、袈裟懸けにされた傷の痛みを思い出した。服の上からでもじっとりと濡れているのが分かる。水攻めで気が昂ぶっていたから、痛みのことなんて今の今まで忘れていた。生きるか死ぬかの瀬戸際では痛みが薄れるんだなと、他人事のように感じた。
オズはどこに隠し持っていたのか松明を取り出し魔法のように灯りをつけてみせた。薄明かりだったその場が一気に明るくなった。
包帯は真っ赤に染まり、ジェシカが痛ましげな表情を見せる。
ライアスが懐に忍ばせていた塗り状の薬草を塗布し、包帯を巻き変えてくれた。
ついでにと、ジェシカの左手も消毒して包帯を手早く巻き変え、その作業中に王位継承の夫候補の話をライアスが口にした。
国王に生まれたのは王女がふたりだけ。王子なら現国王のように外の世界から妃を娶ることも出来るが、王女の場合はセアルギニアの臣下から選ばれるのが通例だという。幼い頃から側に仕えさせて、18の誕生日を迎える前の王位継承の儀式で王女の真意を汲み取り真っ先に行動を移し、王女を守ろうとする意志の強い者。その者をカンザス団が認めれば次期女王の夫として認められる。デビッドも候補としては挙がっていたが、行動を真っ先に移したのはエイセルだった。デビッドは今一歩遅かった。そしてエイセルの行動をオズは認めた。認めたくだりは例のラズールでの騒動で流血沙汰を避けた剣舞、そしてあの場を収めた度量。あの騒動が起こらなければヤエル・マーズで襲わせるつもりだったという。
え?あの黒尽くめの三騎はまさか?
「あれ、配下なの。最初は襲わせるつもりだったんだけどあなた達に情が湧いちゃって、それに馬欲しかったし」
嗚呼、無情。
部下もまさか命令した次期団長に峰打ちされるとは思いもしなかっただろうな。少し気の毒に思った。
それにカンザス団に襲わせるつもりだったと軽く言っていたが、オズの化け物並みの強さを目の当たりにしているだけに、カンザス団に襲われなくて良かったと本気で思った。ラズールでジェシカが酔っ払いに絡まれて良かったと不謹慎にも考えてしまって、ごめんジェシカ。心の中で詫びる。
夫候補の話を聞き終えたジェシカは顔を真っ赤にさせた。
その顔を見て俺も尻がむず痒くなる。居心地悪いったらない。
デビッドは憤怒の色を濃くした。
「僕にも権利があったんだ。だったらなおさら諦めきれないよう!!!」
それをオズは鼻で笑った。
「でも坊やはね、ジェシカのことになると見境なく斬っちゃうでしょ」
デビッドは図星だったのか押し黙った。
「斬るのは簡単だわ、でも弱いことよ、余裕が無いわね。斬ることで火種や余計な闘争が生まれる。外の世界では国家間で紛争しているところもあるわ。血で血を洗う悲惨な状況よ。カンザス団は世界を股にかけて死の商人として暗躍しているけど、それで富を築くつもりは毛頭無いわ。むしろ平和解決したいと思っているのが本音。でも綺麗ごとでは解決出来ない部分もある、酷ね。だから表立っては行動せず裏で暗躍するの。それに私の美意識の問題だけど流血は美しくないわ。ジェシカが捕らえられた時、その身を守りきれなかったとエイセルを責めて斬ったわね。太刀筋に親友を斬ることへの迷いがあったけど、でも斬った。それが答え。分かるかしら?坊やは近衛長官としては優秀よ、でも女王の夫には向いてないわ」
バッサリと言い切った。
オズを射殺すように見つめていた水色の垂れ目が悔しそうに揺れ、唇をギュッと噛みしめた。
そんなこと言われても簡単に諦めきれるか、そんな叫びが聞こえてきそうな眼をしている。
ジェシカはなんと言葉をかけたらいいのか分からなくて戸惑った表情を浮かべた。
「さて、ジェシカ」迷いなくオズが呼び掛けた。
「この上が北の神殿よ。シンシアは国王の庇護下でジェシカの部屋はもぬけの殻。デビッドが内通したから間違いなくブライアンたちが北の神殿で待ち構えているでしょうね。カンザス団長が水攻めを仕掛けたから、死体が上がるのを待っていると言ってもいいかしら」
その言葉にジェシカの表情が引き締まった。
「ライアス、悪いけどここが安全だからしばらく身を潜めていてちょうだい。灯りを置いていくわ」
申し訳無さそうに言い灯りをライアスに手渡す。
「坊やはこの先どうする?ここまで連れてきたのは地下迷宮を見せたかったからよ」
極秘の地下迷宮の存在をデビッドに見せたかった真意はなんだろう、訝しむ視線を向けるとオズは底意地の悪い笑みを零した。
「ジェシカがこれから抱えていくものを知ってほしかったって気持ちがあるわね。運命共同体ってヤツね。理由は今は分からないかもしれないけれど、たぶんこのあとにでも分かるんじゃないかしら?」
何かを含んだ言い方。
「たぶんね、水攻めの張本人が上で坊やを待ち構えている気がするのよね、なんとなくそんな嫌な予感大」
水攻めの張本人ってカンザス団長が?なぜ?
う~んと少し悩んでいるような顔をして物騒な言葉を吐いた。
「ここに坊やを置いていてもライアスに身の危険が迫ったら困るから、やっぱり一緒について来てもらうわ。そして潔く団長に詫びることをおすすめするわ。死にたくなければね」