ジェシカの決意
その沈黙を破ったのはオズだ。
「あらあらお姫様、逃げ出すの?」
挑発に満ちた眼差しで笑って続けた。
「残念だわ、人質じゃ仕方ないものね。じゃ私、シンシアに鞍替えしようかしら?」
場の空気を読んでいないオズの暢気な声に、思わず俺は声を荒げる。
「ふざけんな!!!」
そもそもの元凶は、南の神殿でジェシカを金で売ったこの男だ。ジェシカを王として認めたなら、なぜあの場でジェシカを簡単に手放した。
しかも人質になったジェシカを用無しだと言い切った非情さに、わなわなと手が震えた。
さきほど「生涯ついていくわよ」とウキウキと言っていた口は、舌の根も乾かないうちに真逆の言葉を吐いている。
その思いはデビッドも同じだったようで射殺す勢いでオズを睨みつけている。
顔を赤くしたジェシカが、
「私を王に認めると言いながら、また裏切るのか。それはおまえの十八番か?」
怒りの口調で詰った。
「あら、お姫様、見くびらないでほしいわ。私もカンザス団もお姫様の子守をするために存在しているわけじゃないのよ。人質だというなら指を咥えて優しい騎士に守ってもらってなさいな」
まるで小さい子に言い諭すような口調でオズがせせら笑う。
その態度に我慢の限界がきた俺は、オズに詰め寄り頬を殴ろうとした、が。
「手出しは許さん!!!!!」
ジェシカの鋭い一喝が響き渡った。そのまま眼光鋭くオズを睨みすえて黙り込む。
対して、オズはニヤニヤと笑っている。
俺はジェシカの真意が分からなくて困って立ち尽くした。
しばらく無言でオズを睨んでいたジェシカは、
「シンシアを父上の庇護下に置け」
計るような口調でゆっくりと命令した。
「お安い御用よ」
即座に首肯して、にんまりと笑うオズ。
その様子に確信したのか、ジェシカは山猫のように眼を細めて笑った。
「・・・わざと汚れ役を買ったな?」
オズはニヤニヤと笑うばかりだ。
「おまえの考えが分かった気がする」
どんな結論に至ったのか、ジェシカの顔を見る限りでは分からない。
「父上が乗り越えられた道だ。王になるための儀式、試練だというなら私も乗り越えてみせよう。オズ、シンシアに鞍替えしたければいつでも去ってくれていい。止めもしないし恨みもしない」
ジェシカははっきりと断言した。
晴れ晴れとした迷いのない顔。
俺は意外な気持ちでジェシカを見つめた。
小さい頃から一緒だった、幼馴染だ。
俺とデビッドはジェシカとシンシアの遊び相手として、学友として小さい頃から一緒に育ってきた。
学校卒業後はデビッドは近衛に志願して、めきめきと頭角を現して今の近衛長官の座を手にしている。
対して俺は宰相の家の出とはいえ五男坊だ。家督が回ってくるはずも無く、父や兄たちの政務を助けて官吏兼、騎士となり、時折ジェシカの話し相手になっていた。
シンシアは姉思いで「ジェシカが女王になるなら、私はジェシカの盾になる」と剣の腕を磨き、馬を自在に操った。次女だから比較的自由に育ち、時には男装もして男のような言葉遣いで王宮を闊歩していた。
ジェシカはそんなシンシアが大好きで、言葉遣いを真似たり剣術を習ったりしていたが、次期女王としての責務やしがらみも多く、さらに非力であったからシンシアのようには振舞えなかった。
「女扱いするな」と、よくジェシカは言っていた。
女という枠にジェシカを押さえつけていたのは俺自身かもしれない。
守るべき存在であると信じていたから王宮が乗っ取られたとき、ジェシカの使命を全うさせてやりたいと一番に行動を移した。
ジェシカは女の子だから、か弱いお姫様だから、守ってあげないといけない存在だと思っていた。
だが、俺が守ってやると思っていたジェシカは力強い眼差しで、今“王になる”道を自分で宣言した。そんな彼女をとても綺麗だと思った。
仕方がない、惚れた弱みだ、ジェシカがオズを赦すのなら俺もオズを・・・赦せるのか?まあ徐々に・・・。
シンシアを国王の庇護下に置けば、カンザス団長が守ってくれるだろう。ジェシカは自由に動ける。
それに力強い味方、薬草に詳しいライアスが側にいる。ジェシカの左手の治療は彼に任せておけば安心だ。
そして、ふと思い出した。
「ヤエル・マーズで渡した砂金、あれでブライアンを先に暗殺出来ないのか?」
「あら、暗殺ならいつでも出来てよ?」
神経を逆撫でする言葉が返ってきた。この男は喧嘩を売っているのだろうか。
「でもジェシカは北の神殿に行くことを優先すると思うわ」
意味深に微笑むオズに、迷いを吹っ切った眼差しのジェシカが頷いた。
“どんな決意をしたのか知らないけれど、ジェシカが決めた道なら従うよ”
俺は溜息を飲み込んでワゴンに眼を走らせた。
「オズ、腹が減ってはなんとやら、なんだろう?」
お腹が空いたジェスチャーをすると、
「そうだな。オズの料理は絶品だ、頂こうか」
ジェシカがにっこりと笑った。
オズは「たくさん食べてたくさん太ってね。私が美味しく食べてあげるから、うふふ」と、お菓子の国の魔女のように冗談なのか本気なのか・・・、笑って料理を振舞っている。
その光景にライアスは安堵の表情を浮かべた。