お付き合いにいたるまで9
放課後、響子が玲香と共に生徒会室に到着すると、他のメンバーは既にそろっていた。
「お待たせ~、ホームルーム長引いちゃって」
玲香が元気よく挨拶をすると、櫂が立ち上がって迎えた。
「全員メンバーが揃ったね。議題に入る前に、今日からコアメンバーとして仕事をしてもらうことになった野崎響子さん、臨時メンバーだからみんな知ってるよね?これから受験生として忙しくなる中で、2年の二人に負担がかかりすぎるのは本意じゃないから、とりあえず3年としてできることをやりたいので、玲香の友達ということで野崎さんに加わってもらうことにしました。皆には昨日連絡したよね」
話を聞いていると、どうやら玲香以外にはこのストーリーが回っていたようだ。玲香が響子をコアメンバーとして引っ張ってきたような話なのに、玲香に話を通しておかなくて良かったんだろうか。
響子はぼんやりとそんなことを思いながら、頭を軽く下げるだけの挨拶をした。すでに面識はあるので、それで問題はないだろう。
玲香は櫂の説明で特に文句は無かったようで、ニヤニヤと響子に笑いかけながら、空いている櫂の隣の席へと行く。
他のメンバーも特に大きなリアクションもなく、響子に会釈を返すと早々に議題がスタートした。
「以上の点をそれぞれ担当が確認して次回の会合までに報告すること。・・・次回は定例だと明日だけど、不都合な人いる?」
櫂が周りを見回す。特に誰も異議を唱えないことを確認して、閉会となった。
櫂はメンバーが帰り支度をする中で、里中となにやら話しこんでいる。
響子はほっと安堵の息を漏らすと、すばやく鞄に筆記用具と手帳をしまい、生徒会室を出て行くメンバーの波に加わった。
「玲香、この後どこか寄る?」
最後尾の玲香にそう声をかけて隣に並ぶと、メンバー全員が「は?」といった顔で響子を見た。
その反応を見て響子は心の中で、やっぱり駄目だったか、と観念した。
この反応はやはり、と響子は状況を把握する。櫂は事情を話して、コアメンバーのフォローを約束させたのだろう。
響子の為に、あの小芝居を打ったらしい。
朝の里中の様子で、彼には事情を話してあるだろうと思ったのだが、先ほどの紹介でどこまで櫂がメンバーを抱きこんでいるかわからなかったので、全員が事情を知っているわけでもないのならば、このまま自然に帰る流れに持ち込めば、櫂もなにも言わないだろうと賭けに出たのだ。
こんな私情を持ち込んだ生徒会長にメンバー全員で協力するなど、随分仲がいいらしい。人様の恋愛にこんなに一生懸命なれるなんて、なんて素晴らしい友情。…自分と関係ないところでならば。
まあ、生徒会メンバーとしての隠れ蓑でくるんで、響子との交際をフォローしてくれるというのならば、断る理由はなにもない。
正直、櫂のファンやら恋人候補やらの嫌がらせをある程度具体的に想像できる響子としては、この交際は出来る限り秘密裏に、人の目に触れないように完結したい。
どうせ一定期間だろうし、というネガティブな現状分析も正直まだ心の中にあるので、一定期間隠し通せれば、この状況から開放されるだろうと期待している。
「響子には、まだ櫂から話があるみたいだから、今日は私先に帰るわ」
玲香はニヤニヤと笑いながら、他の皆と帰っていった。
里中も用事が済んだのか、玲香の後に続く。
ピシャリと響子にはやけに扉の閉まる音が大きく聞こえた。
振り返ると、櫂はまだ先ほどの席についたまま、響子を見ていた。
「用事って何かな?」
後ろめたさが出ないように気をつけながら、響子はとぼける。愛想笑いもおまけにつけておく。笑って誤魔化せるものなら、笑顔の一つや二つ安いものである。
そんな響子の様子を見た瞬間、櫂が「はあぁぁあ」と盛大なため息を吐いて、両手の中に顔をうずめた。そのまま手は頭に行き、ガシガシと髪をかきむしる。顔はうつむいたままである。
「響子さんさ・・・、分かっててやったでしょ」
顔を上げた櫂の顔は、困ったような情けない表情で。眉毛がハの字になって、上目遣い。
美形の困り顔って、なんかすごく訴えてくるなぁ。
響子は誤魔化し笑いのまま、見惚れてしまう。
「僕さ、昨日すごく考えたんだよ。響子さん、目立つの嫌いでしょ。人間関係にやたら巻き込まれるのもいやでしょ。だから、隠れ蓑用意したんだ。生徒会室、格好の密室だし」
こんな簡単な設定ですべて誤魔化せるとは思ってないけどさ、と櫂は続けて響子を見た。
「だから、昨日の返事聞かせてもらって、二人で対策を考えたいんだ。これからの二人のこと」
真剣なまなざしを寄こす櫂の耳が真っ赤なのを響子は、ちゃんと気づいてしまう。
その意味するところも、きちんと分かってしまう。
天然少女になりたかったわ、と心の中で遠い目をしつつ響子は現状と櫂の気持ちを受け入れた。
自分と付き合いたい為に、できる限り良好な環境を整えようとしてくれる、その真摯な姿勢を無視できるほど、響子は冷酷ではなかった。
ここまで考えてくれる相手に、生半可な理由でその気持ちを拒否するようなことはしたくない。
「じゃあ、どうしたらいいか対策をたてましょ」
響子が櫂の隣の席に座ると、櫂は昨日の告白を彷彿とさせるような満面の笑みを浮かべたのだった。
「響子さん、最初のやつ、無視したでしょ、わざと」
櫂がおかしそうに言った。
耳の赤みは引いているが、表情は先ほどの表情のままである。うぬぼれていいのなら、おそらくは響子にだけ向けてくる、恋する男の表情。
「え、最初のって」
「お付き合いしよう、に対する返事」
昨日から、でも返事してないし、という言い訳を心のなかでしてきたことが読まれているかのようだ。
確信犯的にスルーしていた響子は、一生懸命「なにそれ」という表情を作る。ばれてるかもしれないし、ばれてないかもしれない。
素直に表情を出すほどの信頼関係はまだ作られてないから。
「返事が、欲しいな」
断言しているかのような告白だったくせに、しっかりと返事を要求されてしまった。
じっと見つめてくる視線が強くて、合わせることができずに俯いてしまったが、響子はなんとか小声で答えた。
「…はい」
なんだか妙に照れてしまい、顔に血が上るのが分かる。
答えた瞬間に、昨日の後ろ向きな感情よりも、もっともっと前向きな感情が強く湧きおこってきたので、響子は自分の気持ちに少しほっとした。
感情の波の少ない穏やかな高校生活は、とても心地よかったけど。
恋愛なんて、小説や漫画の疑似体験だったり、玲香の恋バナだったり、そんなので十分だったけど。
櫂を見た時に感じるほのかに暖かい感情や、他の男子生徒との接触でドキッとする瞬間の感情を、強く大きく育てようなんて思ったことなかったけど。
それでも。
やっぱりうらやましい時はあって。
傍からみていたら分かりきっていたような結果に一喜一憂しているのを見たり。
他のことなど手につかない状態になっているのを見たり。
正直、自分がそういう状態になりたくないなぁと思ったりしてたけれど。
その経験を乗り越えた姿を見て、ちょっとおいてけぼりな淋しさをどこかで感じたこともあって。
自分ひとりの時間はとても居心地がよくて。
やりたいことも沢山あって。
もちろん受験だって頑張るつもりで。
正直、一人でいる時のような気楽な時間が持てるのかどうか、とか。
集中力が続くのかどうか、とか。
やってみないと分からないのだけど。
それでもこの瞬間に感じた前向きな気持ちは、響子が今現在立っている位置から前に踏み出す一歩を、後押ししてくれた。