発見の瞬間-櫂の視点-
僕の人生は欲しいものは手に入らないのに、似たようなものは押しつけられるような人生だったと思う。いくら似たようなものであっても、欲しいものでなければ、それはいらないものでしかない。
自分をいくらごまかしてみても、それは本当に欲しかったものとの違いをまざまざと感じるだけだった。
それでも、いろいろと僕の人生に関与してくる「いらないもの」を排除する方法をだんだんと身につけていくことに成功すると、一応は無難な人生を送れるようには、なった。
僕はいわゆる両親が年をとってから出来た子供で、物心ついたころは父親は大きな会社の取締役の地位にいた。当然待遇が良い分、責任も重いわけで、気がつくと海外出張や休日出勤など家にいる時間はあまりなかったと思う。
お金はあったので母親は僕を私立の保育園にいれながら、子供が生まれる前から続けていた趣味の絵画に打ち込んでいた。小学生になったら、午後はシッターがついて、いろいろな習い事や塾に通った。
そんな生活をしていたら、当然親とも疎遠になる。定期的に変わるシッターさんとも、相性がいい人とはそれなりに話しをしたが、親密といえるほどの交流があったわけではない。
折に触れて親切にしようと寄ってくる人は、いた。
その筆頭が父親の姉だという伯母だった。
最初はその親切がいわゆる家族の情からくるものだと思い嬉しかった。ただし伯母が訪問した際に起こる父や母との言い争う内容が徐々に理解できるようになってくると、その思いは裏切られた。
伯母は自分の夫の事業に必要な金の無心に来ているだけだった。心証を良くしようと僕に優しくしてくれただけだというのは、援助が断られた際にひどく冷たく立ち去るその態度で分かった。
小学生になると、家族と親愛の情を交わすことをあきらめ、友達にそれを求めた。
ただしその頃から僕の容姿は他の男子との違いが際立ってきたようで、自分が親友だと思っていた男の子が、実は自分にしょっちゅう話しかけてくる女の子が目当てだったと、ある日知った。
女の子は、僕が少しでも好意を示すと他の子たちを優越感を持って見渡し、隣にいる僕をみせびらかした。
僕は彼らに利益をもたらすために側にいるわけではなかったので、彼らの目的が分かってからは努めて冷静に、表面上は愛想良く、しかし一定以上は踏み込ませないようにした。
最初は「ひどい」や「そんなやつとは思わなかった」などと非難していた彼らも、僕が彼らの下心を見抜いているとわかると、踏み込もうとしなくなった。
表面上は愛想よく、しかしこちらの許す以上を求める相手には冷たく付き合うことで、僕の生活の平穏は保たれた。
彼女を見たのは、高校生活が始まって間もない頃のこと。
気さくに話しかけてくる玲香の友達ということだった。
彼女達二人が自分の中で他の女子と違う位置にいたのは、そのスタンスにある。
女性が自分に対して積極的に関わってくる時は、自分に何かを要求する時なのだが、それがなかったのだ。
玲香はとにかく恋愛を楽しむ達人で、自分に気の無い相手を対象にすることは時間の無駄だとちゃんと分かっていた。だから、当然自分に対してもなにも求めてこない。
気の無い相手から気を使わないアプローチをされるウザさも知っているようだった。まあ、何があったかは聞かなかったけれど…だいたい想像はついたから。
玲香が僕に話しかけてくる時、彼女が一緒にいることはあまりないようだった。
移動教室の途中とか、偶然のタイミングがほとんどだったと思う。
最初に一緒にいる彼女を見て、すぐに彼女が、玲香の他の友達のようにわざわざ僕に近づくタイミングを得るために一緒にいるわけではないことに、気付いた。
なぜなら、彼女の視線は最初、僕のことを素通りしたからだ。
その後、玲香が僕と立ち話を始めたことことに気づいて、仕方なく一緒に立ち止まる。(本当に、仕方なく、という感じだった。最初玲香が立ち度まったことに気づかずに、数歩先へ進んで、その後のろのろと玲香の側に戻ってきたのだ)
そこで初めて玲香の話し相手に興味が出たようで、チラリと視線を走らせる。
僕の顔を認めた瞬間、ちょっとびっくりした表情だったのを見逃さなかった。いつも女性は僕の顔を始めて見ると同じような反応をする。
けれど。
それだけだった。
テレビの中の芸能人を見るかのような無関心。
ただ、僕が「見た目がいい」と認識しただけの、それ。
だから、記憶に残った。
あとから聞いたところによると、玲香に「あれは誰か」と名前を聞いたらしい。
それ以前から玲香は僕のことを話題の乗せていたらしいのだが、顔と名前がいまいち一致してなかったことが、そこで判明したのだという。
人の顔を覚えるのが苦手、という彼女は、その後も何回か僕の顔を確認したらしい。
それから、彼女は僕の観察対象になった。
観察といっても、そんなにしょっちゅう目にする機会はなかった。
そもそも彼女は玲香と仲が良いにしても、四六時中一緒にいるような付き合いはしていないようだし、玲香も友達が多いのであちこちに出没する。
玲香と一緒にいない時は、クラスメイトと話をしていることもあれば、一人席で本を読んでいることも多いようだ。
クラスが違う僕は、必然的にその時間の彼女は見れない。何か用事をつけて、クラスを訪れてもいいのだが、特定の興味を外野に悟られると恐ろしいことになることは、中学時代に嫌というほど経験しているので、そこまでの行動を起こすことはなかった。
「櫂ってさ、愛想いいからハーレム状態だけど、女子に対する態度は何気に冷たいよね」
廊下を歩いていた時に聞こえた声。僕のことを話題にしているらしい。
それは、玲香と彼女のものだった。
普段人気のない空き教室の中で、二人は放課後おしゃべりと楽しんでいるようだ。
ちらり、と廊下に視線を走らせ、人気のないことを確認した僕は、そのままそこにとどまる。
盗み聞きなどするものではない、きっと悪いことしかないから。
そう思っていても、なぜか耳は無心に会話を拾う。
2年たっても全く距離感の変わらない彼女の考えを少しでも知りたかった。
「そうね。隙を見せない態度は、すごいと思うわ」
冷静に彼女が答える。
「隙っていうかさー、もうちょっと回りに優しくしてもいいと思うのよね」
「十分玲香達には優しいと思うけど」
「いや、じゃなくて、私の友達とか…」
「また紹介しようとしたの?」
「あー、うん…」
「もうやめなっていったじゃん。玲香と違って明らかに櫂くん、迷惑してるよ」
彼女は普段、自分に話しかけたり、人がいる時には「委員長」と呼ぶ。それ以前は「相馬くん」と苗字で呼んでいた。
玲香と二人きりのときは、「櫂くん」と呼ばれているらしい。
他の女子がいきなり名前で呼びかけたりすると「僕達はそんなに親密な間柄だったっけ?」と心のなかで違和感と嫌悪感を感じるのに、不思議と嬉しさが沸き起こる。
それは、多分自分になついていない猫が、ある日突然見せた親愛のしぐさを嬉しく思うのに似ているのかもしれないな、と思う。
自分と親しくなるチャンスがありながら、そのチャンスを無視するような女子がいる。自分はそれが気になるぐらい自信過剰な人間だったのだろうか。
「えー、だって出会いは多いほうがいいじゃん。会ってみないと分からないことってあると思うし」
「それさー、普通の人だったらいいと思うけど、櫂くんはまずいよ。だって、多分親切に話しかけてるだけであっても、自分に気があるとか勘違いする女子多数いると思うし…」
「でも、せっかく可愛い子紹介しようって言ってるのに…」
玲香は自分の恋愛も好きだが、人の恋愛も好きだ。
折に触れて自分の周りの人間の縁結びをしようとする。
それを迷惑だと感じる人間がいることが信じられない。玲香にとって恋愛とは、楽しむものだ。
時折泣いていたり、落ち込んでいることもあるが、すぐにけろっとして新しい出会いの話をする。
そんな玲香の性格を良く知る彼女は、別の切り口で話をしたほうがいいと判断したらしい。
「…みんなに優しくする人って、本当に優しい人じゃないと思うよ」
「えー?」
急に変わった話題にきょとんとする玲香。理屈っぽい話や哲学的な話は苦手なのだ。
「だって、博愛主義者って一番身近で大切な人に、冷たい人だと思うもの」
「なんで?」
「だって、他の人にその優しさとか意識とか時間を使っているってことは、本来なら独り占めできるハズの一番身近な人のそれを奪ってるってことだよ」
「そうかなー。優しい人なら皆で一緒にいても、特別な人にも優しくできると思うけどなー」
「…そんな器用なことできる人なんていないよ。みんなと一緒なら、そんなものいらないし。その優しさで気の無い人まで勘違いさせるぐらいなら、いっそ冷たいほうが、優しいよ」
彼女の言葉はなぜか説得力があった。身近に博愛主義者がいるのだろうか。
「でも、最初から取りつく島もないっていうのは…」
「それは、万が一にも可能性がないってことが、最初から分かっていいんじゃない?」
「そうかなー。私ならチャンス欲しいけどなぁ。櫂だってもしかしたらその人のこと好きになるチャンス、逃してるかもしれないし」
玲香は恋愛のことになると、異常なほどの粘り強さを発揮する。勉強にもそれを発揮したらいいのにと密かに思っていることは、本人には秘密だ。
「…たぶん、そのチャンスがいらないんじゃない?私だったら、必要ないチャンスに時間使わないと思う」
その彼女の言葉が2年間の答えなのかもしれないと、ドキっとしながら聞く。
・・・やはり立ち聞きなんてするもんじゃない、と静かに立ち去ろうとしたときに、自分の心の声を代弁したかのような玲香の問いかけがあった。
「…じゃあ、響子が櫂と会う機会を作らないのって、必要ないチャンスってこと?」
「そんなことないよ。可能性のないのを、チャンスとは言わないでしょ。それに、この現状に何にも不満はないし」
彼女が僕に対して可能性を感じていない。
それは、ちょっとショックだったかもしれない。
けれど、気持ちが落ち込む暇も無く聞こえた玲香の声が、自分の心を浮上させた。
「櫂のこと、好きなんでしょ?」
それは問いかけというよりは、当たり前の事実を確認するような調子だった。
「そうね、好きだわ。期待を抱かせない冷たい態度をとれるところも。たぶん、男性としてもだけど、人として好きなんだと思う」
落ち着いた声の彼女の肯定は、自分が今まで持っているとは思っていなかった感情を自覚させた。
嬉しかった。
心が歓喜で満たされた。
見つけた、と思った。
自分の欲しいもの。似たものでは駄目なもの。
それを手に入れることをずっとずっと望んでいた僕は、この機会を逃すなんてことは、できなかった。
どうしようかと次の行動を考えながら、ひとまずその場を離れたその後に、交わされた会話など知らずに。
「人として好きだから、終わりのある男女としてのチャンスはいらないかも。今のままで十分だなぁ…」