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初めての仕事場へ向かう日の朝、ほぼ不眠の状態で起き、朝食もとらずひたすら襲いかかる不安に耐えながら、いてもたってもいられず、結局三十分も早く仕事場に着いてしまい、近くのコンビニで立ち読みして時間をつぶし、職場の雰囲気なんかを想像しながら自分を落ち着かせようと必死だった。
従業員用の出入り口に向かう人が見え、ぼくもおどおどと後をつけるように店内へ入っていった。店長の名前は前もって聞いていたので、近くにいた年配の従業員に尋ね事務所まで連れて行ってもらった。
店長はぼくの父親くらいの年齢で、ぼくの名前を聞くと「ああ、はいはい。聞いているよ」そういって笑ってくれたので、ぼくの緊張もいくらかほぐれた。店長の後をつけるように朝礼を済ませ、ぼくの担当する売り場の責任者を紹介され、その後はずっと責任者のおじさんに作業を教わりながら一日が過ぎていった。
仕事内容は同じだったから、なんとかミスもなくその日を終えることが出来た。ぼくにしては珍しいことだった。たいてい初めての場所での仕事は頭が真っ白になって自分でも予期せぬミスをしているものだったけど、少しだけ以前と違う心の余裕を仕事中に感じていたからだろうか。ぼくも少しは成長しているのだと自覚できる良い出来事だった。
しかし、初日に感じる疲労感は以前と変わらず、もう眠いとか疲れたとかいう表現では追いつかないくらいだった。脳が衰弱しきっているという表現でもまだ足りないくらい、ぼくは一切の思考ができなくなるほどで、自宅に帰り着くとそのまま玄関先で横になってしまった。
気がつけば夜中で、あわてて風呂にだけは入り、食事は取らず床についたが、明日のことを考えるとまた不安ばかりが増し、脳は疲れて眠りたいのに眠れない、最悪の状態でまたほぼ不眠のまま次の朝をむかえることになるのかと考えると、余計に不安が募る。
何も脅えることは無いように思えるけれど、この不安は一体何に対する不安なのか、疲労のピークのぼくには考える余裕はなかった。頭の中で、眠ろう、眠ろう、と念じるほどに意識が冴えていくのが憎らしかった。
時間が過ぎて行くにつれ、忘れていた今日の些細な出来事が頭の中で活動を始め出す。すれ違いざまに挨拶をした同年代の男が挨拶を返さなかったとか、ぼくに作業を教える係の先輩が同じことを二回訊いただけなのに面倒くさそうな顔をしたとか、どれもぼくの主観でしかなかったのだけど、どうしても自分が他人に嫌われているのではないかという疑いをぬぐい去ることはできなかった。
これも以前からぼくの中にある悪い習慣だった。きっと他人はぼくのことをそれほど気にかけてはいない。今日出会った人達だって、たまたま応援にきた若者くらいにしかぼくを覚えてはいないだろう。
ぼくは自意識過剰なところがある。それは理解し、納得も出来ていた。ぼくはその他大勢の人間。大丈夫。うまく周りに溶け込んでいる。普通だ、ぼくは普通の人間だ、と気がついたら呟いていた。
いつか、自然に仕事をこなし、異性と出会い結婚し、子供が出来て家庭を持ち、だれもがそうするように人生を過ごしているはずだ。大丈夫、ぼくは普通だ。生きていける。
そうやって自分に言い聞かせているうちに、こころが穏やかになり少しずつ眠りに近づいていく感覚がぼくの意識を緩やかに閉ざしていった。