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ホームセンターでのアルバイトを続けながら就職先を探す日々に危機感を募らせる毎日だったけど、
たまに息抜きすることも必要と自分に言い聞かせ、以前飲み屋で貰った劇団の公演チケットにある公民館までやって来たのはいいけど、人の気配がなく中止になったのかと不安になり、開演時間まで近くのコンビニで時間つぶしをしていた。
大きな話し声とともに数人の客が入店してきたのを横目で見ていると、年齢も性別も異なる団体客の中に見たことのある顔を見つけた。あのおじさんだ。ぼくにチケットをくれた年配らしき人。やっぱり公演はあるんだと一安心できたぼくは、彼らの出て行くのを見計らい後をつけるようにして公民館までついていった。
入ってすぐに後悔と対人恐怖が起こり、足をすくませた。小さな公民館の舞台は客席と接近していて、パイプイスが十脚しかなく、十一人目からは立ち見で、恐ろしいことにその場の全員が、ぼくを除き知り合いだったことだ。
こういう小さな公演では、身内がチケットを買い、客席を埋めることは珍しくもないことだとそのとき知った。ぼくは真ん中のイスに座らされ、緊張のあまり吐き気を催してきたのを堪えるのに神経の大半を費やしていて、誰の優しい声も、楽しそうな笑顔もぼんやりとしか感じられないでいた。
もういいから、さっさと劇を始めてくれよ、と腹立たしくさえなり、四面楚歌の状況から逃げ出すこともできない臆病な自分に、いつも通りの自虐的な言葉を投げつけながら、目だけは劇の成り行きを追うふりを続けていた。その劇のストーリーは、おぼろげながらだけど、だいたいこんな感じだった。
――主人公の男が勤める会社に入社してきた若い女。美しい彼女はすぐに職場の注目の的となり、他の女の嫉妬を買うことになった。彼女のよくない噂が社内に広まると、興味本位の、下心丸出しの男性社員達に誘いを受け、それを断るとさらに有りもしない噂が立てられる。それを否定もしない彼女を主人公まで疑いの目で内心嫌悪する日々。
しかし、ある夜、残業が重なり、男が彼女に缶コーヒーを奢ったところで話は展開をみせた。女は静かに身の上を語り始める。社内で自分のことを皆が”ビッチ”というあだ名をつけて呼んでいることを知っている、と彼女が顔を上げた時、男はあからさまに目を逸らした。過剰な演出だとぼくには映った。
が、主演の女性が見せた寂しそうに笑う演技は、男の演技とは対照的に自然なものだった。その彼女がまた、視線を床に移し続けた。子供の頃から、両親に大切に育てられ、まんま箱入りのように成長をした彼女は、男という生き物がどういうものかをまるで知らず、大学時代に始めた付き合った男に失望させられ、さらに頼めばやらせてくれる女という嘘を構内に広められ、その頃から彼女はそういう目で周りから見られる人生を送り始めることになったのだと。
最初の噂は彼女に振られた男の腹いせだったものの、その手の魅惑的な噂と、容姿の良い女への、同性からの嫉妬心が手を組めば、それは強固な真実へともなり、世間知らずの彼女は抵抗も出来ず、泣くだけの毎日を送っていたという。
「その頃のわたしは本当に世間知らずで、男の人があんな風になるってことも知らずに、ほんと不用心過ぎるくらいで、今にしてみれば、隙だらけの簡単そうな女に思われていたのも、少しは納得できるんですよ」
その台詞が後でぼくの記憶に長いこと残っていたのは、世間知らずで痛い目を見たという苦い過去が彼女と重なったからだろう。けど、彼女のはあくまで劇だ。ぼくのは現実だから、と脳内で反発している自分がいた。
彼女の長い台詞が止むと、今度は男が語り始めたが、その台詞はぼくにはとても安っぽく聞こえた。男が頑張れという趣旨の言葉を並べ連ねたからだった。
ぼくに対しての励ましではもちろんなかった。劇中の彼女へのものだと理解していても、頑張れという言葉がぼくには我慢ならなかった。必死に彼女を励ます主人公を、鬱病だった時期にさんざんぼくを働かせようとした両親とダブらせて、あの当時の怒りを蘇らせ、頑張れっていうな、黙れ、喋るな、とそれは励ましの言葉にはならないことを、ここにはいない両親に訴え続けていた。