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A Staring Amber Lens

作者:
掲載日:2026/05/16

 十二月中旬、午後三時過ぎ。

 とある中古品販売店にて。

「ごめんね土岐くん。いきなり一時間もシフト伸ばしてもらって」

「いえ、特に予定もなかったので大丈夫です」

 申し訳なさそうに眉を下げる店長に、青年は爽やかな笑顔を作って首を振る。

「それ終わったらもう上がって良いからね」

「はい、わかりました」

 爽やかな返事とともに頷いて、検品の済んだものたちを手早くまとめる。

 土岐琥珀。長らくこの中古品販売店でアルバイトをしているこの男は、一見すると人当たりの良さげな一端の学生にしか見えないが、その実なかなかに人として抜け落ちているものが多い人間である。爽やかな外面に反して、誰もが少なからず持っている良心や倫理観、他者への配慮や共感がまるでないのだ。

 その代わりと言ってはなんだが、土岐には一つ、人にはない奇妙な能力が備わっている。

「あ、土岐くんもう上がり?お疲れ」

「はい、お先に失礼します」

 他のスタッフたちに挨拶をしながら、土岐はスタッフルームへ…と見せかけて、足早に家具コーナへと歩いた。

 一つ一つが場所をとる家具たちで狭くなったスペース。その中でも特に幅を取っているのは、一番手前に置かれたとある濃い茶のソファ。

 つい先ほど、他のスタッフが買取をして置いたばかりの商品だ。

「…」

 土岐は期待に満ちた表情で静かに右の手袋を外すと、そっと、ソファの背もたれに指を這わせる。

 途端に、土岐の脳内にフラッシュバックするかのように様々な情景が浮かんだ。

 見えたのは、恐らく男の視点。

 楽しげな感情で女の手を引き、このソファに倒れ込む瞬間。

 雑に床に放られる身に纏っていた服たち。

 けれど次の瞬間には、倒れ込んだ人物とは違う女が、ソファに座るこの視点の人物に向かって激しく怒鳴る姿。 

「っ…はぁ」

 だらりと力を抜くようにしてソファから手を離した土岐は、先ほどの期待とは打って変わって、落胆に満ちた表情でため息を吐くと、即座に手袋をはめ直して、バックヤードへと戻る。

 そう、これが土岐の持っている奇妙な能力。

 物や人に残った残留思念を覗き見る、サイコメトリーの能力だ。




 着替えを済ませて店を出れば、冷たい空気が服の隙間から入り込んでくる。

 土岐は腕にかけていたマフラーを首に巻くと、今日の店で覗いた記憶を思い出しながら歩き始めた。

 サイコメトラーというと、よく頭の中にとめどなく流れてくる他人の思考や感情、情景などに苦しみ、能力を忌み嫌っているような様子をイメージをされることが多いが、土岐は違う。土岐は生粋の覗き魔だ。中古品販売店でアルバイトをしながら他人の過去を面白がって覗き見しているくらいには、能力に対して肯定的、積極的な男である。土岐はあらゆる人間性と引き換えに得ているこの能力を存分に発揮して、日々好奇心のままに他人の過去を垣間見ている。

 ちなみに、本日土岐が覗いた中で記憶に残っている他人の過去ハイライトは三つ。

 一つ、途中でネタバレをくらったせいで最後まで開かれることなく怒りとともに持ち込まれた厚めのミステリー小説。

 二つ、永久の眠りを望まれ握られた包丁(最終的に未遂)。

 三つ、先ほど視た不倫相手と楽しんだソファ。

 である。

(一つ目はまぁ普通。二つ目は結構興味深かった。自殺を試みる人間の心理って、あんな感じなんだな。最後のは…マジでハズレだった。つまんないし、気持ち悪い瞬間を見ただけ)

 苦々しい顔をする土岐は、気を紛らわせるように大きく息を吸う。肺に送られた冷たい空気が少しだけ頭を冷静にさせたところで、これからの行動を確認するように土岐は自身の頭の中を整理し始めた。

 というのも、いつもならバイトが終わればすぐに自宅へ帰って適当に過ごしているのだが、先ほどスタッフルームで着替えていた際に少々事情が変わったのだ。用事ともいえないような、ほんの些細な所用ができたのだ。

「…」

 駅に辿り着いて改札を通り抜けると、土岐はいつも向かう自宅とは反対のホームへと降り立つ。


************************************


【河川敷で男性遺体 高濃度のアルコール検出】

 11月7日未明、○○市××区の△△川河川敷で○○市内の大学生の男性(21)の遺体が発見された。

 ○○署の調べによると、死因は低体温症によるものであり、体内から高濃度のアルコールが検出されたとのこと。外傷もなく、誰かと争った形跡も見られないことから、事件性はなく、酔った男性が自ら川の中へ入ったと見られている。

「…」

 とある昼下がり。

 ベッドの上でだらだらと、それでいて執拗に少し前の地方紙の一部を眺めていた土岐の耳に、スマホの着信音が届いた。

「…はい、もしもし」

『もしもし土岐?久しぶり』

「…あれ、今野?」

 ろくに相手も確認せずに電話に出れば、聞こえたのは高校の同級生の声。

『突然電話して悪い。今大丈夫だったか?』

「ああうん、大丈夫だけど。どうしたの?」

 土岐は記事に集中したまま、電話の向こうに問いかける。

『高校、三月に取り壊すことが決まったらしい』

 少し寂しそうな、低い声。

 土岐は一瞬だけ呆けた後で、すぐに思い出した。

「…ああ、そうなんだ。まぁ俺たちの卒業と同時に廃校になってからそのまま放置されてたし、変に残ってても特に意味ないから良いんじゃない?」

『はは、お前はそう言うと思ったよ。それでなんだけどさ、』

 土岐の言葉に笑いながら、電話越しの同級生は言葉を続ける。

『せっかくだから取り壊される前に、一回集まらないかって話になってて』

「?集まるって、集まって何をするの?」

『十中八九ただ騒ぐだけだろうな、学び舎との別れを惜しむっていう理由にかこつけて。小学生とは違って簡単に「遊ぼう」の一言だけで遊べなくなったから、何か取って付けた理由が必要なんだろ。おかげで当時学級委員だった俺にこうして片っ端から同級生に連絡を取る役目が回ってきてるんだ』

「あはは、お疲れ様」

 土岐は声だけ笑みを浮かべながら、大して感情も込められていていない労いの言葉をかけた。

 話によると、その集まりとやらは来週の日曜に開催されるらしい。日曜はバイトがあると土岐が言えば、時間も決まってないし適当に一日中だらだら食って喋ってるだけだろうから、バイトが終わって気が向いたら来てくれても構わないと言う言葉が返ってきた。

『というわけで、他にも連絡しなきゃなんねぇから切るわ』

「うん」

 土岐の簡素な返事を最後に、電話は切れた。


************************************


 この些細なやりとりが、だいだい一週間ほど前の話で、今日がその日曜日だ。

 スマホの画面に表示された通知を見れば、十五分ほど前、店のバックヤードに居たときに同級生から送られてきた『まだみんな騒いでる。今からでも全然OK。来い』とのメッセージ。

「…」

 土岐は静かに息を吐いた。

 本来、土岐はこの集まりに行くつもりはなかった。

 母校といえど大して思い入れもない上、そこまで懇意にしていたわけでもない同級生たちとの集まりに時間を割く意味がわからなかったからだ。

 しかし、先ほどスタッフルームでこの同級生からの通知を見た際に、少し廃校になった母校について思い返したことがあったのだ。

「…転落事故だったっけか」

 土岐の通っていた私立高校は、とある事件をきっかけに廃校が決まった。

 土岐が高校1年の頃、一つ上の学年で問題が起きたのだ。

 当時の土岐はてんで興味が無かったため詳しく知らないが、どうやら一人の男子生徒が窓から落ちて死んだらしい。

 その影響か、他にも何か理由が重なったのかもしれないが、もともと少なかった生徒数に加え次年の入学希望者が極端に減って募集人数に到底達しないという見込みになったことで、土岐が二年生に上がる前に高校は生徒の受け入れを辞めることを決定。そのまま土岐が卒業すると同時に学び舎としての役割を失ったのだ。 

 一週間前ほど前に連絡を受けた際には話半分で聞いていた土岐だったが、こうして思い返してみればなかなかに興味深く、面白いものが視れそうな出来事があったものだと、今更ながらに考え直したのだ。

(どうせ、家に帰っていてもあの地方紙の記事を見てどうしようもない時間を過ごすだけだし)

 ふと、一ヶ月ほど前の出来事を思い出す。

 まだ今ほど寒さが厳しくない中、一人段ボールを抱えて土岐の前に現れた少女との邂逅。白ウサギのような見た目をしたその少女は、驚いたことにマインドリーディングという特殊能力を持つ人間だった。

 能力に目がない土岐は最初、自分と同じように何かしらの能力を持つ人間と巡りあえたことにそれは舞い上がったものだったが、喜んだのも束の間、少女は土岐に対して悪魔のような所業をしてみせた。買取をして欲しいと面白い品物たちを店に持ってきては、覗き見た土岐の好奇心を散々に掻き立てたくせに、最後の最後で過去を見せないままに土岐を弄んだのだ。

 後日、テレビニュースとあの地方紙の隅で突き放すように真実だけを置かれた土岐の心情は、まさに「好奇心に殺された」という言葉に正しい。

「…はぁ…」

 土岐は苦々しい記憶を思い出しては、奥歯を噛みしめる。

(…まぁいい。気分転換に別なことをした方がいいし、この際壊される前の校舎で転落事故についての過去でも覗き見できないか試してみよう。今日の包丁みたいに、何か面白いものが視えるかもしれないし)

 再度冷たい空気を吸い込んだのと同時に、まもなく電車が来るというアナウンスが流れた。

 


 


「お、土岐っ、来たんだな!」

 駅を降りて歩くこと十分弱。卒業式ぶりに見た母校は、人気の無い寂しげな校舎と、色んな年代の卒業生たちで宴会場と化した校庭というコントラストの激しい光景が広がっていた。

「久しぶりだね今野。まぁ、声だけなら一週間ぶりだけど」

 飲み物を片手にこちらにやってくる同級生に、土岐も簡単に言葉を返す。

「あーっ、琥珀だ!」

「やば、久しぶりじゃんっ」

「えっ、と、土岐くんだ…うそ…」

 今野とのやりとりを見ていた数人が、ぞろぞろと土岐の元へやってくる。

「全然変わってないなお前!」

「そっちもね。そんな数十年ぶりの同窓会じゃあるまいし、簡単に変わったりしないでしょ」

「ま、それもそうかっ」

「あの、土岐くん。その、私のこと覚えてる?」

「久しぶりだね桜井さん」

「!…うん、久しぶり」

 猫被りでの積もらない会話もそこそこにしつつ、土岐は校舎を見上げる。

 校庭を背に左右二手に分かれている校舎。右手側が普段生徒たちが授業を受けていた教室棟で、左手側が特定の教科の授業や実験・実習に使用する設備が備えられた特別棟。

「…」

 土岐の視線がすっと動く。

 向けられたのは、右手教室棟の三階。

(俺が一年の時に一つ上だった先輩だから、二年生。二年生は三階の教室だし、多分あの辺だよな…)

 土岐はなぞるように校舎の窓を眺めながら、口を開く。

「…ねぇ今野」

「ん?」

「校舎の中って入れるよね?」 

「もちろん。ああでも、東の特別棟は無理みたいだけど」

「そうなの?なんで?」

「一部崩れてるんだと。どうせ取り壊すからって、そのままになってるらしい」

「そうなんだ」

「入るのか?」

「うん。せっかく来たし、最後だしね」

 土岐は変わらず人当たりの良い顔をして笑うと、空になった紙コップを捨てて、そのまま校舎へと足を向けた。




 先ほどの賑やかさとは一転、校舎の中はとても静かだった。

 廃校舎といえども放置されて長いわけでもなく、校舎の中は比較的綺麗でそこまで廃れているわけではない。それでもなぜかやけに劣化し寂れているという印象が大きいのは、恐らく人気が全くないからだろう。人が住んでいない家は傷みやすいというのはどうやら本当のようだ。

「…」

 階段を上り三階に上がった土岐は、右側奥から二番目、『二年二組』と表示された教室のドアを開ける。

 静寂な教室内。単なる放課後とそう変わりない時間のはずだが、どこか違う静けさを纏っている。

「…」

 中に足を踏み入れる土岐は、迷わず窓の外に向かって歩いた。

 土岐の知っている転落死した先輩に関する情報は三つ。

 一つ、当時二年二組に在籍していた男子生徒であること。

 二つ、窓からの転落死であること。

 三つ、事件ではなく、事故だということ。

 驚くほどに情報が少ないがそれもそのはずで、土岐は元々他人に関心がない。ましてや自分と関わりのなかった人間の生死なんてなおさら興味を持つわけがなかった。当時大事になり学校全体で話題に上がったため土岐もなんとなく知っていたが、心底どうでも良いと無関心を貫いていたのだ。

 教室の奥、一番前の窓の前に立った土岐は、手早く手袋を外す。

 どの窓から落ちたのか定かでない以上、一つ一つ触れてみるしかない。

「…」 

 窓の縁にそっと触れる。

 見えたのは、黒板消しを叩いてチョークの粉を舞い上がらせたかと思えば、案の定咽せる一人の女子生徒の姿。

 なんてこと無い、放課後の一時。

「…ハズレか」

 土岐は冷静に手を離すと、隣の窓枠に指を置いた。

 見えたのは、朝早い教室で、窓を眺める二人の男女。

 お互いに頬を赤らめたかと思えば、二人の顔の距離がだんだんと近づき――

(ラブコメほどつまんないものはないんだよな。他人の恋愛事情とか何が面白いんだか)

 土岐は最後まで見る事無く手を離すと、呆れたようにさらに隣の窓へ手をつけた。

 ――待てよっ!

 ――離せアマノっ!

「…っ!?」

 土岐は目を見開いた。

「…は?」

 見えたのは、誰かの視点。

 一人の男子生徒を掴み、今にも窓から落とそうとしている。

 目の前で首元を掴まれている男子生徒は肩から上が窓から出ていて、必死にもがいている。

 しかし抵抗も虚しく、その身はどんどんと窓から乗り出されていく。

 ――さすがにこれは、抗おうかなと思うんだ。

 誰か、恐らく土岐の見ている視点の人間だろう。大して残念そうでもなく淡々と放たれた声がした。

 互いにもみ合うようにしていくうちに、次第に頭からどんどん下に落ちていき、腰も窓の外へ乗り出して、ついには足まで全てが窓の外に出て――

 ガッと、体が大きく揺れる感覚がした。

「…っ?」

 ――あーあ、やっぱり駄目か

 最後、またもや淡々とやる気の無い声が聞こえたかと思えば、突然体の奥底から力が抜けるような、ふっと全てがどうでも良くなるような感覚に苛まれる。

 同時に、映像も途切れた。

「…」

(…?最後のはなんだ?)

 土岐は首をかしげるも、すぐにはっとして、もう一度確かめるように窓に触れる。

「…男子生徒を、窓から落とそうとする人の目線」

 土岐はすぐにおかしいと気がついた。

(高校で起きたのは窓からの転落死。落ちた男子生徒は事件ではなく事故と判断。でも今視えたのは、一人の男子生徒を窓から突き落とそうとする人間の視点。視えた映像は途中までだけど、あの状態じゃきっと落ちてる。この高校で起きた人の命に関わるような出来事は、後にも先にもこの一つだけ。だから高校で起きた転落死の男子生徒は、今の映像の生徒と考えるべき。なら、これらの事実が意味することは恐らく…)

「…この男子生徒は、事故じゃなくて殺された…?」

 言いながら、土岐の表情ががらりと変わっていく。

 高揚。恍惚。歓喜の笑み。

(事故だったって話だったし、今日のナイフみたいに誰かの死への恐怖の感情とか視れるんだろうと思ってたけど、まさかこんなことになるとは…これはかなり、)

「…面白い」

 土岐はサッと踵を返し教室を出ると、廊下を駆け抜ける。当時であれば誰かしらの注意が背中越しに聞こえたであろうが、今ではもはや声を出す人すらおらず、吐く息の音と走る足音だけが土岐の鼓膜を揺らしている。

(知りたい、知りたい、確かめたい!この出来事の真相を!)

 土岐は絶えず、嬉々として思考する。

(窓から身を乗り出していた男子生徒は、「アマノ」と叫んでいた。ほぼ間違いなく人の名前だ。そしてあの状況と男子生徒の視線がこっちを見ていたことから考えれば、その「アマノ」というのは俺が見ていた視点の人間、つまり男子生徒を突き落とそうとしていた人物に当たるんじゃないか。それならあの転落死は事故ではなく事件になるんじゃないか?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()っ?)

「…ははっ」 

 (アマノという人物について、探りを入れてみよう)

 土岐はおもちゃ売り場を前にした少年のように笑った。




 土岐の期待は、呆気なく砕け散った。

「…え?」

「だから、その死んだ男子生徒がアマノ先輩なんだってば」

 賑やかな校庭。同級生たちの元へ戻ってさりげなく当時の転落死について聞いた土岐に、今野が呆れたように言葉を返す。

「天野虎白。当時二年二組の男子生徒で、窓から落ちて死んだ先輩。結構大きな話題になったんだし、名前はみんな知ってるはずだけど。なぁ?」

 今野の言葉に、周りに居た同級生たちが頷いてみせる。

「そ、うだっけ」

 土岐は混乱した。

 先ほど視た映像では、落とされる側が名前を呼んでいた。

 離せ、と叫ぶように言いながら。

 落とされそうになっている時に自分の名前を叫ぶやつはいないだろうし、その天野は土岐の見ていた視点の人物と考えるのが妥当。

 しかしそれならばあの後、男子生徒を落とそうとしていた方が転落死したということになる。それでは意味がわからない。なぜ落とそうとしていた人物が落ちることになるのか。

「…」

 土岐は読み取った過去を頭の中で反芻する。

(そういえば、最後に体が大きく揺れるような感覚があったような…もしかして、あの男子生徒が落ちたとき、あいつも一緒に落ちたとか?)

「ねぇ、転落死したのってその天野先輩だけ?」

「そりゃそうだろ?天野先輩の名前しか上がってないし。誰か他にも転落死してたら、その人の名前が上がってないのは変だろ。どうした土岐、さっき校舎の中でどっかに頭でも打ったか?」

「…」

 土岐は頭を抱えた。

(もともと落ちそうになっていた男子生徒は落ちていない。見えた映像ではもう体のほとんどが宙に投げ出されていたっていうのに…どういうことだ?)

 出来事の点と点が上手く繋がらないもどかしさに、土岐は悶々とする。

――真相は見せません

 ふと、混乱する頭が、いつかのあの悪魔との雪辱の一幕を思い出した。

(…くそ、これは絶対に暴く)

 土岐はコップに注がれたお茶を一気に飲み干すと、不要な記憶を断ち切るように歩き出した。

「?どこ行くんだ土岐」

「ごめん。ちょっともう一回校舎を見てくる」




 教室棟三階、二年二組の教室。

 再度室内に足を踏み入れてからかれこれ十五分ほど。

 土岐は改めて全ての窓を確認した後で、今度は教室に置かれた机やら椅子やらを丁寧に触れて視ていた。

「…これもハズレか」

 しかし、一向に手がかりになるようなものは見当たらない。

 窓は先ほど視たもの以外特に情報になるようなものはなく、机も今のところ大した情報は覗けていない。一つだけ、何個か前に触れた誰かの椅子からは遠くの窓際の席に花瓶が置かれた机の様子が見えたが、見えた場所の席に触れても大したものは何も見えなかった。

(一年間で机や椅子の場所は何度も変わる。同じ場所だからって前と同じ机とは限らないもんな。それに、死んだ人の使っていた席なんて他の人も使いにくそうだし、下手すれば撤去されている可能性だって否めない…)

 土岐は顔を顰めつつ、順番に席に触れていく。

 終盤、廊下側から二列目、一番前の席に触れた時だった。

「…!」

 ふっと、体の全ての力が抜けて、思考がシャットアウトされるような感覚とともに、頭に映像が浮かび、音や感触が自分の中に溶け込むように再生される。

 先ほどと同じく、また誰かの視点。

 ――机に置かれた学級日誌にペンを走らせる手。

 ――正面に座る、窓から落ちそうになっていたあの男子生徒。

 ――『4月13日(金) 日誌担当者名:天野虎白』

 ――「あのな湊、僕は予知能力者なんだ」

 ――「見えた未来は変えられない」

 ――こわばった男子生徒の顔

 ――「信じるよ」

 ――「信じてこそ親友ってもんだろ」

 ――体の奥から震え上がるほどの笑いがこみ上げる感覚

 ――「あははっ!!」と溢れた笑い

 ――「どうやら今日、僕は親友に殺されるらしいんだ」

 ――窓に向けられる指

 ――「そこの窓から、落とされてね」




「…!?」

 目を見開いた土岐は、そのまま固まる。

 視えたのは、驚くべき転落死の真相。

 そして、それ以上に衝撃的な事実。

(予知能力者…)

「…っ、まじかよ…」

 土岐は手で顔を覆うと、机にうなだれる。

(天野虎白は、未来が見える能力者だった…!)

 手に力が込められる。

 土岐は、能力に目がない。

 自分以外の能力者に会いたいと、日々密かに希っているくらいには。

 あの悪魔のような少女でさえ、出会えたときには大層喜んだくらいには。

 けれど今ここで突きつけられたのは、どうしようもない事実。

 確かに、新しく能力者を見つけた。だがしかし、

(死んでんのかよっ…)

 トンッ、と、握られた拳が弱々しく机を叩く。

 まさに、文字通りの失望。

「…身近なところにいたってのに…」

 無関心を決め込んでいた当時の自分を、土岐は酷く恨んだ。

 




「…あ、いたいた」

 どれくらい時間が経ったのか、失意に陥り思考が停止した土岐の耳に、一人の低い男の声が届いた。

「…ああ、今野か」

 土岐はふらりと力なく顔を上げる。

「ここで何してんだ?」

「いや…特に何も。ちょっと入ってみようかなと思って入ったんだけど、なんか疲れちゃって」

 土岐は少し意識を取り戻して、今野に向き直る。

「ふーん?ま、そういやお前バイト終わりだったな。そりゃ疲れるか」

 気ままに背伸びをする今野が、軽い足取りで教室内に入ってくる。

「誰も居ない教室って、なんか変な感じするな」

「今野はどうしてここに?」

「いやお前のせいだわ。急に校舎ん中に土岐が行ってからなかなか戻ってこないじゃん?桜井だってずっとそわそわしてたぞ」

「?なんで桜井さん?」

「お前なぁ…まぁいいや。とりあえずもう良いなら戻ろうぜ」

 今野はため息をつくと、軽く土岐の肩を叩いて歩き出した。

「土岐は今彼女いんの?」

「いないよ」

「やっぱりな」

「うん」

「いやそこは普通キレるところだろ」

 教室を出てのんびりと廊下を歩く中、土岐は心底落ち込みながら、先ほど読み取った過去の出来事を反芻する。

(『天野虎白が窓から落ちて死んだ先輩である』…これは正しい。死んだのはあいつで間違いない。問題なのは『事故である』という部分…そこは間違いだ。事故じゃない、事件だったんだ。天野虎白は殺された。あの正面に座っていた、窓から落ちそうになっていた親友に。どうやって殺されたのかは、正直よく分からない。でも多分、窓に触れた時に読み取った、あの体が揺れるような感覚。そして、さっきの二つの言葉…)

――さすがにこれは、抗おうかなと思うんだ

――あーあ、やっぱり駄目か

(多分、天野の方が抵抗していたんだ。天野は未来が見えた。自分が親友に殺されると、窓から落とされて死ぬと、わかっていたんだ。だから動いた。窓で視たのは多分その一時。自分が殺される前に積極的に親友を手にかけようとしたのか、それとも抵抗の末親友の方が危険になったのかは、正直わからない。でも、そこはこの際どちらでもいい。経緯はどうであれ、大筋は決まってる。天野虎白は予知能力者で未来は変えられなかった)

 考えれば考えるほど落胆していくものの、土岐は思考を止めない。

(あいつの過去を読み取るたびに感じてた、全身の力が抜かれるような脱力感と、妙に感情が凪いで思考が止まるような感覚…あれは多分、諦観だ。普通、死ぬってなったら誰しも恐怖が強くなるはずだけど、あいつは予知能力者。未来は変えられないとも言ってた。知ってるがゆえの落ち着きと、変えられないとわかっているがゆえの諦めだっとするなら、納得がいく…)

「…き、土ー岐!」

 突然、土岐の思考を遮るように横から低い声が飛んで来た。

「…!ごめんなに?」

「なんだよ、全然話聞いてなかったじゃん。やっぱ疲れてんのか?」

 心配そうに顔色を伺う今野に、意識を戻した土岐は静かに首を振る。

「確かにそれなりに疲れはあるけど、大丈夫。ただちょっと考え事をしてただけ」

「あっそ」

「それで?何の話だっけ?」

「ぶっちゃけ、桜井のことどう思ってるのかって話」

 今野がニヤリと笑う。

 その顔を見て、土岐は自分が良からぬことを聞いてしまったことを悟った。

「聞き直さなきゃ良かった」

「おいおい、そりゃないだろ」

「あのさ、なんでそんなに桜井さんの話題を俺に振るんだ?」

「なんでって、お前、わかってるくせに。桜井がお前に気があるんだよ。桜井って高校の時からモテてたし、お前にとってもチャンスだと思ってさ。お膳立てしてやってんだよ」

 今野がからかうように肘で小突く。

「わぁすごい余計なお節介」

 土岐は心底呆れた様子で言葉を零した。




「あー、今野と土岐が戻ってきた」

「おかえりー」

「えりー」

 賑やかさを失わない校庭に戻る。

「おかえり土岐くん」

「あぁ、桜井さん。ただいま」

「土岐くんもあったかいお茶飲む?」

「ありがとう。貰おうかな」

 土岐が頷けば、視線の先で今野がこちらを見て笑ってるのが見えた。

(これだから恋愛脳の人間はウザいんだよな…)

 内心毒づきながら、土岐は渡されたお茶を口にする。

(…あったけー)

「急いで校舎の中に入っていってたけど、何か気になるものでもあったの?」

 土岐と同じにお茶を手にする桜井が、気弱そうに問いかける。

「ん?あぁ、まぁちょっとね。色々見て回ってた。最後だし」

「そっか」

 簡素な返事だけを口にして、土岐はざっと当たりを見渡した。

(…日曜とはいえ、人が多いな)

 母校との別れを惜しむ会という建前があるとはいえただ適当に騒ぐだけだというこの集まりには、意外にも多くの人たちが足を運んでいた。土岐の同級生たちはもちろん、先輩たちも寄って集って話をしていて、なかには一体何年の卒業生なのか、初めて見る顔の人たちもいる。

(こんな意味も無い集まりに来るとか、みんな随分と暇なんだ…いや、待てよ)

 土岐ははっとして、当たりを必死に見渡した。

「土岐くん?どうしたの?」

 隣にいた桜井が、不思議そうに首をかしげる。

「ちょっと、知りたいことがあって。会いたい人が居るんだ」

「あ、会いたい人…?」

「うん。えっと、なんだっけ…ああ、そうだ。『湊』っていう先輩なんだけど。今日ここに来てるのかな…」

 不安そうに顔を伺う桜井も知らずに、土岐は少しの光を戻した目で校庭に群がる人々を凝視する。

 今の今まですっかり忘れていたが、もともと土岐が教室に戻ったのは、窓で視た過去に関する違和感を解消するためだ。窓から落ちていた男子生徒はどうなったのか、窓に触れて視た映像と「転落したのは一人だけ」という同級生たちとの話のズレの違和感については、未だ何も明らかになっていない。

(あいつが天野の親友で天野を殺した人物であるという事実を知ったからって、無意識のうちに窓から落ちかけていたことについての違和感について詳しく調べようとしなくなってたけど、やっぱりおかしい。あんなに宙に投げ出された状況で普通助かるか?もしかして天野が助けた…は、あんまりなさそうな気がする。もう一回校舎に戻って調べるのも悪くないけど、多分あれ以上何も読み取れるものなんてなさそうだし、本人が居るなら本人に話を聞いた方が早い。先輩たちの中にいないか…?)

「…あの、土岐くん」

 目を光らせて辺りを見渡す土岐の横から、か弱そうな声が呼びかけてくる。

「ん?」

 視線を戻すことなく言葉だけを返した土岐だったが、次の瞬間、隣から思わぬ言葉が続けられた。

「湊って、湊颯太先輩のこと?」

「…え?」

 思わず土岐が振り向けば、俯き気味な桜井と目が合った。

「湊颯太先輩。さっき土岐くんが話してた天野虎白先輩の、親友なんだけど」

 土岐は目を見開いた。

「桜井さん知ってるの?」

 思わず突き詰めるように聞けば、恥ずかしそうに顔を逸らした桜井が首を振る。

「く、詳しくはないよっ?そんなに知らないし…ただその、私が天野先輩の彼女と仲が良くて、その延長で天野先輩ともよく話してたから、そのまた延長で湊先輩をちょっとだけ顔を知ってるっていうか…」

「そうなんだ。ちなみに、湊先輩が今ここに来てるのかはわかる?」

「ごめん、それはわからない。湊先輩はほんとまともに会話もしたことがないから…でも、多分、来てないんじゃないかな。その、天野先輩の転落死があったし、一個上の先輩たちはほとんど来てないから…」

「…そっか。それも、そうだね」

 土岐は改めて落胆した。

(そりゃそうか…同級生が一人居なくなった学校なんて、そうそう楽しい気持ちで来れるわけがないよな…)

 落ち込む土岐に焦ったのか、桜井はなにやら慌てた様子で言葉を紡ぐ。

「あ、で、でも!」

「?」

「天野先輩の彼女なら今来てるよっ。湊先輩と話したいことがあるんだよね?多分、連絡先も知ってるんじゃないかな」

「…!」

 何という好機。

 土岐は真剣な眼差しで、桜井に頼んだ。

「…桜井さん。ちょっとその人、紹介してくれない?」




 少しして連絡が返ってきたという桜井について行けば、一人、静かに教室棟を見つめながら佇む女性を見つけた。

「こちらが、天野先輩の彼女の沢口美織さんです」

 一人の女性を前に、桜井が右手をそっと出して言う。

(ていうかあいつ、彼女なんていたんだな)

「美織先輩。こちらは私の同級生の土岐琥珀くんです」

「こんにちは」

 紹介してくれた桜井に合わせて、土岐も頭を下げる。

「…」

 天野虎白の彼女だという女性は、土岐を見定めるように厳しい視線を送ったかと思えば、ぶっきらぼうに口を開いた。

「…で、何の用?」

「あの、湊先輩について聞きたいことがありまして」

「…」

 向けられる視線が、一層鋭くなる。

「…紗奈、ちょっとこの人と二人で話したいの」

 土岐に視線を向けたまま、沢口は桜井に告げる。

「え?…」

 桜井は驚いたように声をあげると、不安そうに土岐を見つめた。

「少し話したら俺もそっちに戻るよ。ここまでありがとう桜井さん」

 土岐が笑ってそう言えば、桜井は静かに頷いた。

「わかった。また後でね土岐くん」

「うん、また」

 足早に去って行く桜井に軽く手を振ってから、土岐は冷たい眼差しを向ける沢口に向き直る。

「…」

「…」

「…あんた、紗奈の彼氏?」

「…え?」

 数秒の静寂を断ち切ったのは、沢口の突然の投げかけだった。

「いえ、違います。ただの同級生です」

 土岐が首を振れば、少しだけ視線の冷たさが和らぐ。

「そ?よかった」

(あからさまだな。まぁ良いけど)

「私ね、あの子のこと気に入ってるの。優しくて良い子だし、一緒にいて楽しいし」

「あ、はい」

(なんかいきなり始まった)

「だから感謝しなよあんた。あの子じゃなかったら断ってたんだから」

「?」

 土岐は首をかしげる。

「断ってた、とは?」

「湊のこと。聞きたいことがあるって紗奈に連絡させたのはあんたの方でしょ?」

 呆れたと言わんばかりにため息をつくと、沢口は酷く怒ったような顔で言葉を続ける。

「あの子に免じて今回だけは話を聞いてあげるけど、本当なら湊なんてもう思い出したくもないの。あんなクズな人間、私大っ嫌い」

「…え?」

 土岐は驚きの声を漏らした。

「仲が良かったんじゃないんですか?」

 桜井の話からすればそれなりに良好な関係ではあったはずだと頭に疑問符を浮かべる土岐に対し、沢口は嘲笑うかのように口角を上げる。

「はっ、そんなわけないでしょ。そりゃあ表向きでは体良くしてたけど、あんな最低な男なんて誰が好んで仲良くするかっての」

「ですが天野先輩とは親友だと」

「あぁ、それね。単に馬鹿にしてただけなんだよ」

「?馬鹿にしてた…?」

「そう。湊はね、ずっと虎白に嫉妬してたの。そばに居て親友だとかほざいておきながら、虎白のことをずっと妬んでた。勉強も運動も虎白の方がずっと出来てたし、虎白の方がずっと友達も多かったからね。劣等感でもあったんでしょ。でも自分は虎白と離れると何も残らないからって、お飾りみたいにいつもくっついてた。でも、虎白はそんな湊のことなんて、全部わかってたの。わかってて、ずっと馬鹿にしてた。虎白があいつのことを親友って呼ぶときは、いつも内心馬鹿にして笑ってるときなんだよ」

「…!」

 土岐は、机から読み取った過去の中の天野を思い返す。 

――「どうやら今日、僕は親友に殺されるらしいんだ」

(…わかってたのか。わかってて、最後まで馬鹿にしていたのか)

「あ、そういえば私の方からいろいろ話してたけど、聞きたいことがあったんだよね。なに?」

「!あぁ…」

 土岐は思い出したように顔を上げるも、どう話したものか思い悩んだ。

 自分はサイコメトリーの能力を持っていて、湊が窓から落ちかけているというのを視たのだ、なんて言ったところで、彼女が信じるわけがないのだ。

(適当な理由でもつけるか…)

「実は湊先輩と会って話したいことがあったんですが、卒業後に携帯を変えてしまって、連絡がとれなくて。もしも湊先輩の連絡先を知っていたなら、教えてもらえないかと思ったんです」

「…!」

 土岐の言葉に、なぜか沢口は困惑したような顔をする。

「まさか、本当に全部…」

「?どうかしましたか?」

「…ううん。なんでもない」

 沢口は首を振ると、土岐を試すように見ながらスマホを取り出した。

「湊の連絡先についてだけど、勿論知ってるし教えてあげられる。でも、教えたところで会えないよ」

「え?会えない?」

「うん。だってあいつ、死んでるもん」

「…えっ、死んでる?」

 体がガチリと固まる感覚。

 けれど、どこか上手くかみ合わない。

(どういうことだ…?あいつは転落したわけじゃないんだろ?ならどうして…)

「うん。ほらこれ」

 そう言って、スマホの画面がこちらに向けられる。

「…は?」

 土岐は文字通り、唖然とした。


【河川敷で男性遺体 高濃度のアルコール検出】


(…これは、この記事は)

 見せられたのは、かれこれ二ヶ月ほど土岐が執着しているあの地方紙の隅にあった記事。

 悪魔のような少女との邂逅の末、置き去りにされた真実。

「この男性ってのが、湊でね、」

「…違う」

「ん?」

「これは違います」

 土岐は咄嗟に否定した。

(違う。これは湊じゃない。だって、だってこれは、あの悪魔が見殺しにした男だ。湊があの男だなんて、そんなこと、あり得るわけがない)

「なに?違くないけど」

 沢口は眉間にしわを寄せて言う。

「だって、高校の時と見た目が全然――」

「あんた、なんで湊が高校の時と見た目が全然違うってこと知ってるの?この記事、写真はないけど」

「…!」

(まずい、言葉をミスった)

「あいつが見た目を変えたのは大学に入ってからだし、卒業後に連絡が取れなかったって言ってたから高校以来会ってなさそうなあんたが知ってるのは、なんかちょっと変なんだけど」

「っ…」

 ぐうの値も出ない正論。

 事実、土岐は湊とほんのわずかな接点もない。高校の時だって顔すら見たこともなく、今日初めて知った存在である。

(さて、どうしたものか…)

 土岐が思考を巡らせる。しかし、先に口を開いたのは沢口の方だった。

「ねぇ、もしかしてなんだけどさ」

「…はい」

 どこか緊張したような表情に土岐が諦めて返事をすれば、放たれたのは衝撃的な一言。

「君、虎白が事故で死んだんじゃないって、知ってたりする?」

「…!!!」

 本日何度目の驚きか、土岐はついに言葉も出なかった。

「…どうしてそれを…」

「あーっ、なんだ。やっぱ君なのね…」

 思わず後ずさる土岐と同時に、沢口が崩れるようにその場にしゃがみ込んだ。

「…??」

「紗奈が連れてきたときからもしかしてとは思ったけど…うん、そうか」

 沢口は髪の毛をぐしゃぐしゃとさせると、勢いよく立ち上がった。

「ええっと、土岐琥珀くん、だっけ」

 先ほどまでの怪訝そうな態度とは一点、どこか緊張がほぐれたような、吹っ切れたような表情を見せて、沢口が言う。

「は、はい」

「ちょっと、場所を変えようか」

 




「ここに、仰向けになってたの」

 俯きながらコンクリートをみつめる沢口が苦しげに言う。

 教室棟の前。まっすぐ上に顔を上げれば、二年二組の教室の窓が見える。

「そして、虎白の上に重なる形で、湊が倒れてた」

「…っ!」

 土岐はようやく、点と点が繋がるような感覚を覚えた。

 シンプルな話だったのだ。

 土岐が最初に立てた推測は、何も間違ってなどいなかった。

 最初に窓から読み取った過去の中で感じた、体が激しく揺れる感覚。

「…湊先輩も、落ちてたんですね」

 『転落死』したのは、一人だけ。

 『落ちたのが一人だけ』、という意味ではなかった。

「そう。窓から落ちたのは湊と虎白、二人だったんだ。でも、死んだのは虎白だけだった」

 沢口は眉を下げながら言う。その手が力強く握られて震えているのを、土岐は見逃さなかった。

「虎白が死んだ日の朝ね、私、虎白が死ぬって知ってたの」

「…!」

「朝学校に着いてすぐ、先に来てた虎白から話したいことがあるって言われてね、二人で空き教室に移動したんだ。別れようって言われたよ」

「…」

 その言葉に、土岐は静かに悟った。

 天野虎白は、沢口に話していたのだ。

 自分にこれから起こることを。

「私びっくりしちゃって。急にどうしてって、すごく問い詰めたんだ。そうしたらさ、あの無愛想、なんて言ったと思う?『自分は予知能力者なんだ』、だってさ。自分は今日死ぬから、別れて欲しいって言ってきたの。私、信じられなくて。私と別れたくて馬鹿みたいな嘘ついてるんだって、怒って虎白のこと殴っちゃった。右の頬を思いっきり。絶対痛かったはずなのに、笑ってた。『うん。やっぱり見えた通りだ』って」

「…」

「殴らなければ良かったな」

 沢口は悲しそうに笑う。

 ここまで、土岐はひたすらに黙っていた。

 別に沢口の思いを馬鹿にしているつもりはない。否定するつもりもない。

 しかし、共感性の欠片もない男。

 大切な人の死に嘆き悲しむ人を前に自分も心を痛められるほど、正しく同情を持てるような人間ではない。

 そんな自分が何か声をかけようと口を開いたところで、出てくる言葉は建設的なものだらけになってしまう。感傷的になっている相手にそういった言葉は無意味でしかないことは、いくら人間性皆無な土岐でもそれなりに理解している。

「結局、私が駄々をこねたから、別れ話はうやむやになった。そしてそのまま放課後になって、虎白は湊と一緒に落ちて死んだ。湊は虎白の上に乗ってたからか、一時は意識不明の重体にまでなったけど、結局生きてた。厄介よね。クズに限って生き延びるんだから。でも、本当に厄介なのは、あいつが記憶をなくしたってこと」

「…記憶を、なくした」

「そう。病院で目を覚ましたあいつは、何にも覚えてなかった。窓から落ちたことだけじゃなくて、高校に入学してからの記憶全部。私も虎白も湊とは高校からの付き合いだったから、なんにも覚えてなかった。心底腹が立ったよ。虎白を殺しておいて、自分だけ綺麗さっぱり忘れて知らん顔で生きてるなんてって。何度この手で殺してやろうと思ったことか…でも、結局私が手を出す必要もなく、あいつは死んだ」

 わかりやすく顔を歪めたかと思えば、ふっと力が抜けたように笑う。

「去年の冬にあの記事が出て、私は湊が死んだことを知った。すごく嬉しかった。それに、やっぱり馬鹿だった。冬に酒飲んで、外出て凍死なんて。ほんと、お似合いの終わり方だよ」

 




 その後も、土岐は沢口から事件について洗いざらい話を聞いた。

 当時の状況について調べようにも、転落した二人のうち一人は死亡、もう一人は記憶喪失という状態でどうしようもなく、結果的に事故として扱われたこと。

 全てを忘れている湊に窓から親友を失ったことを話すのは苦だと判断されて、湊も一緒に落ちたことは話題に出さないこととされたこと。

 その結果、虎白が一人で転落死したという話になって広まったこと。

 湊は卒業まで病院にいたこと。

 卒業後はほとんどの同級生たちと交流がなかったこと。

 最後の最後まで、少しも記憶が戻らなかったこと。

「今日、来て良かったよ」

 にこりと、快活な笑顔が土岐を見る。

「本当は来るつもりがなかったんだけど、最後だし、ここが取り壊されて虎白が死んだことも綺麗になかったことにされちゃうのかと思ったら、なんか悔しくなっちゃって。でも、結果的に君にも会えたし、こうしてちゃんと話も出来た。ありがとね。なんか随分とすっきりしたよ」

「こちらこそ、お話聞かせていただいてありがとうございました」

 土岐も控えめな笑顔を浮かべながら、頭を下げる。

 その姿に満足そうに頷くと、沢口はくるりと体を翻した。

「さー、寒くなってきたし、最後にまた温かい飲み物でも飲んでから帰ろっと」

 校庭に戻る後ろ姿を少し眺めた後、土岐も校庭に戻ろうと足を一歩踏み出す。

 しかし、すぐに踏みとどまった。

「…」

 地面を見つめる。

(…ここからは、なにか見えるかな)

 手袋を外す。

 静かにしゃがみ込んで、土岐は地面に触れた。

「…っ」

 全身が叩きつけられる衝撃。

 同時に走る激しい痛み。

 歪み、眩んでいく視界。

 そして、

 ――おまえがいなければ、俺が…

 ――あはっ、

 悔しそうな、怒りと嫉妬に満ちた声。

 そしてやっぱり、力が抜けたような笑い声が聞こえた。


「…はっ…はぁ…」

 土岐は思わず、地面に倒れ伏した。

(…やべぇ衝撃。ここまで反動が来るのは初めてだな)

「…これが、死ぬときの感覚か」

 地面に体を預けたまま、ぼんやりとする意識のなかで、土岐は他人事のように呟いた。

「と、土岐くんっ!?」

「どうした土岐!」

 ふと、遠くから名前を呼ぶ声とともに、ぱたぱたと走る二人分の足音が近づいてくる。

「…あぁ、今野、桜井さん」

 土岐はゆったりと体を起こして、手袋を嵌める。

「大丈夫っ?」

「やっぱお前、体調悪いんじゃねーの?」

「大丈夫だよ。ちょっと貧血でふらついて。転んだだけ」

 立ち上がろうとした土岐の手を、今野が力強く引き上げる。

「ヒヤヒヤさせんなよな。ここで倒れるとか洒落になんねぇって」

「あはは、ごめん」

「あっちで少し座ろう。何か食べた方が良いよ」

「うん」




「美織先輩と話はできた?」

「うん。おかげさまで。計らってくれてありがとう」

「ううん。役に立てたみたいで良かったよ」

「ほら土岐、こっちも食えよ」

「いやもう要らないんだけど」

 簡易的に置かれた椅子の一つに座りながら左右に座る同級生たちと軽いやりとりをする土岐は、一人ひっそりと考えを巡らせる。

 今回、土岐は覗いた過去についての全容を明らかにすることができた。

 知りたいという好奇心に従うままに、見事に全てを暴いてみせた。

 けれど、どうにも気が晴れない。

 自分の望んだとおりに全てを知ることが出来たにも関わらず、どうにも満足感がないのだ。

 なぜなのか。その答えは明確である。

 皮肉なことに、今回事件の全貌を暴いたことで一つ、大きな雪辱が土岐の元に戻ってきたからだろう。

(…湊が、あの記事の男だったとは…こんな形で繋がってくるなんて考えてもなかったな)

 一ヶ月前にも感じた悔しさが、じわじわと土岐の中を浸食していく。

(…あいつに、もう一度会わないと)

 長い黒髪をさらりと揺らして、さぞ楽しそうに手を振りながら去って行くあの後ろ姿を思い出す。

(どうにかして接触を図りたいけど…あの悪魔は今どこにいるんだ?)

「大丈夫だって」

「で、でもその…」

「ほら」

「う、うん…あ、あの、土岐くんっ」

「ん?」

 ぐるぐると巡っていた思考をストップさせて、土岐は横を見る。

「その、良かったら連絡先とか、交換できないかな…?」

 隣に座る桜井が、両手で紙コップを持ちながら、控えめに言葉を紡ぐ。

「…連絡先」

 土岐は、繰り返すように呟いた。

「…そうかっ!」

 ガタリと、音を立てて立ち上がる。

「っ?」

「今度はどうした土岐」

(…そうだ、その他があった!)

「と、土岐くんっ?」

「ありがとう桜井さんっ。そうだ。連絡先だ」

 土岐は適当に椅子を戻すと、カバンを手にしてすぐさま校庭を走り出した。

「えっ?」

「おまっ、どこ行くんだよ!!!」

「ごめん、用事を思い出したから、もう帰る。またいつかっ」

「はぁっ!?」

 困惑する二人に手を振りつつ、土岐は廃校を後にする。

(連絡先なら、知ってるじゃないか!)



 中古品販売店の自動ドアが開く。

「いらしゃま…って、土岐くんっ?どうしたの?」

「あ、山中さん。すみません。ちょっと店に忘れ物しちゃったみたいで、ちょっと取りに戻ってきました」

 流れるように嘘をつきながら、土岐は買取カウンターに立つ山中に内心失敗したなと考える。

(山中さんが居たか…これじゃあタイミングが悪いな。タブレットが使えない…仕方ないな。休憩室のパソコンから見るか)

 裏のスタッフルームへ向かって、店の中を早歩きで進む。

(…よし、誰も居ないな)

 静かにドアを開けて中へ入った土岐は、人が居ないことを確認するやいなや、そそくさとパソコンに向き直った。

 逸る気持ちを抑えるように、データベースを凝視する。

「…あった」

 土岐は画面に表示された番号をしたり顔で見つめると、静かにメモ用紙を取り出して、ペンを走らせる。

「…ははっ」

 土岐はようやく、今日一番の満足感と期待に胸を弾ませた。

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