その計算は本当に合っているのか? 数学や物理世界における数値・数量化問題。
ド文系脳が語る、数学や物理学に対する疑問。
計算の前提として語られる数字の単位。
グラムにせよ、エネルギーにせよ、人数にせよ。
ひとつの単位が包括するユニットの大きさによって、そのひとつひとつの「中身」は大きく揺らぐ。
人間やその営みを定量として捉える。
計算を行う上では、やむを得ないことであるが、当然のことながら、個体差があり、それを「平均回帰」という信仰を用い、無視する。
1=1。
「1」の均質化が前提の上に積み重ねられていく計算。
そこに関わってくる係数もまた、同様の性質を持つ数値である。
これは物質や現象の「抽象化」に過ぎず、出発点をそのような曖昧模糊なものとしていると、当然、計算は狂う。
しかし、ここ最近の人類は、量子コンピュータの登場もあり、そろそろ「宇宙の真理」にも届くつもりでいる。「シミュレーション仮説」と呼ばれる「この世界は人類よりも高度な文明を持った存在によって造られた仮想現実なのではないか」という例のアレ。
実際に、そうであるかどうかは、この世界の最小ピクセルを発見すればいいわけだが、現在のところ、人類は素粒子を最小単位とし、それを発見しそうな兆しはない。
筆者の感覚からすれば、それも当然である。
宇宙を計算する時に使用されている単位は、おそらく様々な物を大雑把に包括するものが使われているのだろう、と考えるためだ。
「揺らぎの大きな単位」を使えば使うほど、計算は狂う。
それが宇宙の深遠にまで届くほどの計算であれば、初期の揺らぎが及ぼす影響は図りしえない。そこにさらに「バタフライエフェクト」が加われば、量子コンピュータをもってしても、答えの出せる問題ではない。―― と筆者は考えている。
そもそも「現実の数値化」自体が、感覚によるアバウトなものだ。
実体はアナログであり、数値はデジタルである。
デジタル変換される際に切り捨てられる「現象として取るに足りない部分」にこそ、数値化出来ないアナログの魂があり、それが「波の性質(=本質)」を持つ部分であると筆者は考えている。
ここを無視した上で、どれだけ計算を積み重ねようとも、それはあくまでも現実の上っ面を舐めただけの舌触りのものしか産み出すことしか出来ない。
将来的に登場するかもしれない、仮想現実で得られる「体感」には、この性質は含まれていない。「質感(=クオリア)」と呼ばれているものの正体を解き明かすには、数値化以外の計算方法が必要となるわけだが、それが体感であり、けっきょくデジタル化不能なものであると、ド文系脳の筆者は考えている。
◇
数字で現わせるものは、点描に過ぎない。
しかし、その点描に対する過度な信仰から、この世界には「最小ピクセル」が存在すると考え、シミュレーション仮説という考えにも至る。
ただし、人間も原子レベルでは、スカスカの集合体。
ある意味、点描で出来た存在ともいえる。
電子が人間を個としてつなぎ止め、その回転が時間を加速させている。
すべての感覚には、電気信号が伴う。
こういった部分を考慮すると、やはり何らかのプログラムの介在を感じるのも当然。これが「点描信仰」の根幹にあるのだとすれば、「卵が先か、ニワトリが先か」にも通じる、新たな哲学的なテーマが生まれてきそうな話でもある。
実際のところ、個人、個人が宇宙みたいなものであるわけだが(?)。
本文は、現在の物理学に興味のない人間からすれば、「何のこと言ってんだ、こいつ?」な話のオンパレードなので、Gemini先生に全文をコピペでぶち込んでいただければ、分かりやすい解説がもらえるかと存じますぅ(投げっぱなし)。




