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4:試練

 レインをブルースカイ家に迎え入れてから三日が経った。

 しかしここでとてつもなく大きな問題が私を待ち受けていたのだ。


「ごちそうさまでした」

「あら? レイン、食べないの?」

「はい。もうおなかいっぱいです」


 夕食時、レインはそう言うなり、そそくさと自室に戻って行く。

 私は眉をひそめた。


 レインったら……まだ三口しか食べていないじゃない。お腹いっぱいだなんてきっと嘘よ。育ち盛りの子供が到底満足するような量ではない。


 ここにきてからあの子はずっとそうだ。三口ほど食べてごちそうさまをしてしまう。最初はここの生活に慣れれば食欲も正常になっていくだろうと思ったけれど、違った。このままではレインはガリガリに痩せたままだろう。どうすればいいのだろう。


 ……と、そこで悩む私の様子を見ていたおじい様が嘆息する。

 

「クレア」

「はい、おじい様」

「今のままではお前はレインの母親になれない。よってあの子が腹いっぱい食事ができるようにケアをしなさい。あの子に向き合い、寄り添うんだ」

「向き合い、寄り添う……?」

「そうだ。それができるまでお前とレインの養子縁組の手続きは進めない。お前達はまだ親子ではないのだ」


 おじい様の言葉は私の心に深く突き刺さった。

 私とレインはまだ親子ではない。スタートラインにすら立てていないのだ。

 私は勢いよく立ち上がる。


「おじい様。私、レインと話してくる!」


 そう言って、ダイニングルームを飛び出した。目指すはレインの部屋だ。

 部屋の前で深呼吸をし、自分の頬を叩いた。レインと、向き合い、寄り添う! おじい様の言葉を噛み締める。

 準備が整ったらレインの部屋のドアをノックした。


「レイン、部屋に入ってもいいかしら?」

「……はい」


 小さな声だったが、確かに許可をもらえた。私はゆっくりとレインの部屋のドアを開ける。

 レインはおじい様が用意した魔法や魔力についての本を読んでいた。えっと……まずは会話を弾ませるべきよね。


「あら懐かしい! その本は私もよく読んでいたわ。イラストや著者のメモ書きにユーモアがあって面白いのよね」

「はい、ぼくもそうおもいます。ぼくはもじはよめないのですが、このほんのイラストはすきです」


 そうか。ろくな食事すら与えなかったスカー公爵家で文字を学ばせてもらっているわけがない。そりゃそうよね……。

 真剣に本の挿絵を眺めているレインに私は微笑んだ。


「じゃあ、私が文字を教えるわ」


 レインはぼんやりとした目を少しだけ開かせて、私を見上げた。

 困っているような、戸惑っているようなそんな瞳だ。やっぱり学ぶ機会を与えられてこなかったのだろう。 


「でも、その……クレアさん……わるいです。クレアさんのじかんをうばってしまいます」


 恐る恐るそんな小さな声が聞こえてきた。あのヘイルとサンドラの子とは思えない、謙虚で礼儀正しい子だ。

 でも「クレアさん」というレインの呼び方に寂しさを覚えてしまったのは顔に出さないようにする。


「いいの。私がやりたくてやりたいの。文字はいいわよ、この世にはワクワクするような物語がいっぱいあるの。一気に世界が広がるしね。どう?」

「ぼくは……」


 するとその時。


 ぎゅるるるるるるる……。

 レインのお腹の音が盛大に鳴ったのだ。

 私がぱちくり瞬きをしてレインの顔色をうかがえば、彼は顔を真っ赤にして俯いた。


「レイン、今のは、」

「ご、ごめんなさい……いやしくて、ごめんなさい!」

「い、卑しくてって……! そんなことないわ。お腹がすくのは当たり前のことなのよ! 今からシェフにごちそうを用意させるから!」


 そう言って、部屋を出ようとするけれど、レインは首を横に振った。


「ごめんなさい、もういりません」

「え? でも、お腹すいてるんでしょう?」

「い、いいんですッッ!!!!」

「ッ!」


 部屋にレインの大声が響いた。彼はハァハァと肩を上下させていた。こんな大声を出すレインは初めて見た。

 それに彼は胸を抑えながら、顔は真っ青で……なにかに怯えているような、苦しんでいるような……そんな様子だ。


「れ、レイン……」

「しばらくほうっておいてください」


 レインが私に背を向ける。明らかなる拒絶の証だ。

 私は今、レインに無理強いをしてしまったのかしら。ぐっと唇を噛み締める。


「ごめんなさい」


 そう言って部屋を出た。レインの部屋のドアに背中を預け、情けない顔を誤魔化すために俯いた。


「──クレア?」

「っ!」


 優しい低音にハッとして顔を上げれば、目の前にはクラウドがいた。ダメだ、今の情けない姿を彼に見せたくない。

 無理矢理口角を上げてなにごともなかったかのように笑ってみせた。表情筋がピクピクする。


「あら、クラウド。どうしたの? 今日は食事には顔を出さなかったけれど」

「今日は訓練が捗ってな。今から食べるつもりだ。それよりも誤魔化すな。なにがあった?」


 クラウドは優しい声で尋ねてくれた。その瞬間、私は涙がポロリとこぼれた。


 やっぱりクラウドにはかなわない。幼い頃から、彼は私の心を丸裸にする天才だったことを思い出す。その真紅の瞳に見つめられてしまえば、いつも頭が真っ白になってしまうのだ。


 私は素直にレインがろくに食事をしていないことについて話した。

 すると彼は考えるような素振りをする。


「レインの食事か。たしかに俺も気にはなっていた。ちなみに今日の夕食はなんだった?」

「たしか、メインは飛兎の丸焼きよ。あとはバターをたっぷり使ったパンに、ドレッシングたっぷりのサラダ」

「レインは長年ろくなものを食べていないのだろう。慣れていない油が多い食事はきついんじゃないか?」

「……その発想はなかったわ。たしかにクラウドも私がこの家に連れてきた時、あまり食べなかったものね」


 ふと私は微笑んだ。幼いクラウドを思い出したからだ。今では考えられないほど痩せていた幼いクラウドを(それでも年の割には筋肉質ではあったけれど)。

 今思えば、私がレインを放っておけなかったのはあの時のクラウドに似ていたからというのもあるかもしれない。


「クラウドの言う通りだわ。たしかに食事内容は課題ね。明日から……そうね、リリーベ草のスープなんかどうかしら。栄養満点であっさりとした爽やかな味だし」

「いいんじゃないか」

「アドバイスありがとね、クラウド」

「いや、俺は何も……。君の力になれてよかったよ。じゃあ食事にいってくる」

「ええ」


 クラウドはそっと私に背を向けて去っていった。その後ろ姿を見て、クスリと頬を綻ばせる。

 なんだかとっても嬉しいわ。昔に戻ったみたいで。もう二度と彼とはこんな風に会話なんてできないと思ってた。


 スカー家から結婚の申し出があった日。私は彼に振られてしまっていたから。


 ──『すまない、クレア。俺では君を幸せにできない。君はスカー公爵家に嫁ぐんだ』


 クラウドに振られた時のことを思い出し、胸を抑える。鼓動がらしくもなく跳ねていた。スカー家ではこんなに胸が熱くなることなんてなかったのに。

 私はため息をこぼすと同時に、


「私、やっぱりまだクラウドのこと……」


 そう言いかけてハッとする。両頬を叩いて弱気な自分を吹き飛ばした。

 ダメダメ、こんなの私らしくない! いつまでも昔の失恋を引きずってはいけないわ! 


 今、私はレインのためにできることはなんでもしなくては!

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