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2:祝福の雨

 スカー公爵家の屋敷の前にはヘイルの言う通り、帰りの馬車が用意されていた。不愛想な護衛に荷物を任せて私は少年と馬車に乗り込む。勿論、念のために愛剣はすぐ抜けるように身に着けている。

 ここから私の故郷であるブルースカイ領にたどり着くまでは……早くて三日というところかしら。それまで目の前のこの子と二人きりだということね。


 馬車が出発する。馬車の中で私はずっと俯いたままの少年を見つめる。少し臭いもする。道中、宿屋に泊まって身を清めてあげなければ。相当痒くて気持ち悪いだろうに。

 おじい様にお手紙も書かなければいけないし、色々やることは山積みだ。


 あらいけない、それよりまずは挨拶をするべきかしら?


「初めまして。私はクレア・ス……もう離婚届にサインしたからクレア・ブルースカイね。私はあなたのことをなんて呼べばいい?」

「……ゴミクズ」


 私は片眉を吊り上げる。そうか、そういえばあの馬鹿ヘイルもこの子の名前を忘れたって言っていたし、自分の名前を知らなくてもおかしくないか。

 物心ついた時からずっとそう呼ばれていたのかもしれない。


 こんな幼い子供になんて仕打ち! 屋敷を出る前にあの馬鹿夫婦にはやっぱりお灸を据えておいた方がよかったかもしれない。怒りがふつふつと湧いてくる。

 でも帰りの馬車の中でイライラしても仕方がない。私は少年が怖がらないように笑顔を心掛けた。


「あなたには新しい名前が必要そうね」


 さて、どんな名前がいいかしら。私はふと窓の外に目を向ける。いつの間にか外は雨だった。

 ポツポツと小雨が窓を叩く音を聞きながら、私はピンと思いつく。


()()()。あなたの新しい名前はレインがいいんじゃないかしら? どう?」

「レイン……」


 男の子は大きな瞳を私に向けて、ポツリと呟いた。初めてこの子を声をきいた。少年らしい可愛い声だ。

 私は彼が反応してくれたことが嬉しくて、喜々として名前の由来を語った。


「雨はじめじめして嫌だっていう人もいるけれど、私は好きよ。雨音は落ち着くしね。それに私の故郷では雨は祝福の証なの」

「しゅく、ふく?」

「そう。随分昔に私達の領土で酷い干ばつがあってね。餓死した人がでたくらい酷かったらしいのよ。でも当時の領民達が毎日祈りを捧げて、ようやく念願の雨がふって……その時から雨は私達ブルースカイ領の民にとっては祝福の象徴なのよ」


 私はそっと傷だらけのレインの手を握る。骨が浮き出た細い腕に胸の奥がきゅうっとつままれたような痛みを覚える。


「あなたもそう。あなた自身が尊い祝福なのよ。だから私はあなたをレインって呼ぶことにするわ」

「ぼくが? でも、とうさんもかあさんも、にいさんだって……ぼくをゴミクズだって、」

「あなたみたいな幼い子供をゴミクズ呼ばわりする悪人の言うことなんて本気にしちゃだめよ。もっと自分を大切にしなくちゃ!」


 「ね?」と微笑みかけてみると、彼は不思議なものを見るような目で私を見ていた。

 まだイマイチ私の言っていることを理解していないようだ。突然価値観を変えることは難しいでしょう。ならば彼が自分の尊さに気づくまで全力で愛でてあげなければね!


 その時。


 ──『()()()()()お前が立派な母親になれるわけないのにな!』


 不意に私の脳裏で先ほどヘイルに投げられた心無い言葉が再生される。

 私はつい笑顔を外し、ズキリと痛む胸を抑えて俯いた。


 勢いに任せて公爵家を飛び出してきたけれど、両親が物心つく前に亡くなった私にこの子の親が務まるのかしら。

 元夫の不義の子を育てるだなんてきっとおじい様にも大反対されるだろうし……。


 それによく考えたらレイン自身がそれを望んでいるのかしら。


 私は今更だけれど、ハッとなって慌ててレインの両肩を掴んだ。


「レイン。こうして勢いに任せてあなたを連れてきちゃったけど、本当によかったのかしら? あなたの本意ではないというならばスカー公爵家に帰すこともできるわ。あの馬鹿夫婦は私とおじい様に任せてくれれば、」

「…………」


 レインはぼんやりと暗闇を宿した瞳をこちらに向け、黙り込む。しばらくするとパクパクと口を開くが言葉が出ないようだった。

 今まで自分の意見や考えを聞いてもらう機会がなかったから上手く言葉にできないのかもしれない。

 それなら。


「大丈夫。ごめんなさい、そんな急に決めれることじゃなかったわね。あなたのこれからのことは一緒に考えていきましょう!」


 コクリ。小さく、でも確かにレインは頷いてくれた。私の提案を受け入れてくれたのだ。それならば私もこの子のためにできることを全部しよう。


 そして一つ気になったことがある。それはレインがスカー家の屋敷からずっと無表情であること。

 今までずっと甘えたいだとかお腹いっぱい食べたいだとかいう感情を押し殺して生きてきた反動なのかもしれないわね。


「ふぅむ。それじゃあ、」


 私はレインをひょいっと抱えて自分の膝に乗せ、後ろから抱きしめた。そして手持ちの鞄から道中のおやつにと持ってきたパンと水筒を取り出す。


「まずは子供らしく甘えてみるってのはどう?」

「…………あまえる?」

「そう、甘える。今はこれだけしかなくてごめんなさい。後でいっぱい美味しいものを食べましょうね」


 そう言って、私はレインに取り出したパンと水筒を渡した。レインはやはり戸惑ったように私とパンを交互に見ていたけれど……私の笑顔を確認するなり、恐る恐るパンをかじり始めた。

 もう少し何も食べずにいたら餓死してしまったのではないかと心配してしまうほど痩せているレイン。限界だったのだろう。彼は一口齧れば夢中になってパンを食べ始めた。水もしっかり飲み干す。


 私は食事に夢中なレインの頭を優しく撫でてみた。レインはビクリと身体を揺らす。ブルブルと小刻みに震えだした。


「あ……ご、ごめんなさい……」


 レインはそう小さな声で謝ってきた。どうやら怯えさせてしまったみたい。私はなるべく優しい声で返事をする。


「謝ることはなにもないわよ。あなたはこれからお腹がすいたらいっぱい食べて、悲しかったら泣いて、理不尽なことをされたら怒りなさい。我慢なんてもうしなくていい。まずは自分を大切にすることを覚えていきましょう」

「……!」


 レインは俯いたまま何も言わなかった。そのまま私がレインの頭を撫で続けていると彼は目を擦り始めた。

 私に寄りかかって眠っていいと言うと素直に眠ってくれた。

 レインの可愛らしい寝顔を見て、私は庇護欲が掻き立てられる。


「……少なくとも私の隣では眠っていいって思ってくれたってことよね」


 小雨の中、馬車は進む。私の故郷ブルースカイ領に向かって。


「おじい様とクラウドは元気かしら。私が養子を連れてきたとなったらさぞ驚くでしょうね」

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