19:魔獣の鈴
──『俺が大きくなったら、君を一生守る、だから──俺と結婚してくれ!!』
そう顔を真っ赤にして森で採った不格好な花束をくれたのは誰だったか。
あぁ、そうだ。クラウドよ。たしかあれは十歳の時だったはず。
エルナの森の心地の良い陽だまりの中で、私とクラウドは遊んでいた。その中で冒頭のセリフを照れ臭そうに彼は私に囁いてくれたのだ。いつも無表情だったクラウドがその時はらしくなく顔を真っ赤にして泣きそうになっていた。
一心に私を見つめてくるクラウドに幼いながらも私の乙女心が踊りだしたのだ。
単純に嬉しかった。私もクラウドが大好きだったから。「クレアは俺が守る」と優しく微笑んでくれる彼は私の英雄的存在だった。
しかし陽だまりが急に夜中になる。幼かったはずの私はいつの間にか成長して大人になっていた。
あれ? このドレス……。お母様の形見のドレス。太陽みたいに明るいお母様によく似合っていたらしいオレンジ色のドレス。このドレスは私のお気に入りでここぞという時に身に着けていた。
一番最近身に着けたのはスカー公爵家からヘイルとの婚姻の申し出があった日。おじい様からヘイルと結婚するかどうか意思を求められた。
私はどうするべきか迷っていた。
どうしてもクラウドへの想いを抑えきれなかったから、私はこのドレスを着て、その日の夜にクラウドに想いを伝えたのだ。
つまり今は……
──『すまない、クレア。俺では君を幸せにできない。君はスカー公爵家に嫁ぐんだ』
暗転。あの時ほど絶望した夜はない。あの時ほど泣いた夜もない。
私はクラウドに止めてほしかったのだ。スカー公爵家に行くなと言ってほしかった。
だから彼に自分の想いを告げた。でもクラウドは困ったように私の告白を断った。
数日後、私はおじい様にスカー公爵家へ嫁ぐと伝えた。
これ以上クラウドを困らせたくなかったし、貴族令嬢が結婚できないままではおじい様にも迷惑をかけてしまうと思ったから。
私はおじい様に内緒で出発予定の前日、夜中にブルースカイ家を飛び出した。おじい様に見送られてしまったら、寂しくて出発できないことを悟ったからだ。
でもクラウドにはそんな私の思惑はお見通しだったようで、見送りをしてくれた。「元気でな」と元気なく微笑むクラウドの顔は今でもよく覚えている。
スカー公爵家へ向かう馬車の中、小さくなっていくクラウドに私は泣きながら手を伸ばす。
あぁ、いやだ。離れたくない。あなたとずっと一緒にいたかったの。
クラウド、いや、私を止めてよ──!
「ッ!」
私は腕を伸ばしたまま、目を覚ました。今まで夢を見ていたようだ。一筋の涙が私の頬を伝う。
今、私は見知らぬ部屋の中にいる。驚いたことに目の前に半裸のゼファーがいた。しかもベッドの上でゼファーに押し倒されているような体勢だった。
ゼファーは驚いたように目を見開いて私を見ていた。まるで私が起きるとは思ってなかったかのように。
それに不思議なのは私の手足が動かないこと。満足に身動きもとれない。手足が痺れている? さきほど回復ポーションは飲んだはずなのにどうして?
そういえばあのポーションはゼファーに用意してもらったのよね。……まさか?
「ゼファー? これはどういうこと? 何故私は動けないの?」
「い、いや……これは、その……」
私はゼファーを睨み付ける。今この体勢、状況で彼を疑わない方がおかしいだろう。
私の疑いの視線に耐えられなかったのか彼は諦めたようにため息をこぼして、前髪をかきあげた。
「ひとまず安心してください。グリムベアの毒は回復ポーションでちゃんと解毒しております。大切なあなたを死なせるわけにはいきませんから。しかし完全に回復されると困るので少し後に効果が出る痺れ薬を少々混ぜさせていただきました。慣れない調合をしたせいで薬の効き目が思ったより短かったですがね」
「はぁ!? ポーションに痺れ薬を混ぜるなんてどうかしてる! 一体どういうつもり!?」
敵意むき出しの私を見て、ゼファーは困ったように眉を下げて私の両肩に手を置いた。
まるで自分が小説の主人公であるかのような──自分に酔っているような顔をして、顔を近づけてくる。
「こんなこと俺だってしたくありません。しかしこうでもしないと平凡な俺じゃあ太陽のようなあなたは手に入らないのです」
「はぁ?」
「幼い頃からずっとあなたは俺の憧れでした。あなたと同じ視線に立ちたくて、必死に努力した。魔法学園に入学したのもあなたに追いつくためだった」
「さっきからなにを言って、」
「でも思い知りましたよ。俺がいくら努力をしても所詮俺は平民、平凡。眩しく優秀なあなたには追い付けない。俺には授業に置いて行かれないように睡眠時間を削って勉強することしかできなかった。そしてあなたに何のアプローチもできないまま学園生活は終わってしまった……本当に、悔しかったんです……」
ゼファーは身勝手な自分語りを演者のように語りだす。私は舌打ちしたいのを我慢しつつチラリと周囲をうかがった。
当然ながら愛剣は私の目に見える範囲にはない。
「ゼファー。今ならまだ目を瞑ってあげる。さっさと私から離れなさい!」
「それはできません。俺は──本当にあなたを愛しているんです! ちなみに助けを呼んでも無駄ですよ。ここは森の中、自衛団の隠し拠点。俺がクレア様を看病するといって他の団員は帰らせていますから」
「……こんなことをして私があなたのものになるとでも?」
「今は俺のものにならなくていい。でも子供が……子供さえいれば、あなたは俺のものになってくれるはずだ……。養子のあの子にだってあんなに優しかったですし……」
私は耳を疑う。
今、この男はなんて言ったの? 子供を利用して、私を自分のものにしようとしている?
心底腹立たしかった。子供を自分の物のように扱う考え方が、あのクズ野郎にそっくりだったから。
虫唾が走るとはまさにこのこと!!
ゼファーの太ももが私の足の間にぐっと割り込んでくる。
ゼファーは闇が宿った虚ろな目で私にニタリと不気味に笑いかけた。ゾクリと全身に鳥肌がたつ。
心の底から気持ちが悪かった。こんな奴を信じてしまった自分に腹が立つくらいだ。でも幸いなことに私は手足の痺れが少しずつマシになっている気がした。
ゼファーは薬の調合に慣れていないと言っていたわね。そのおかげかしら? ……よし、こうなったら!
「うわぁっ!? 目が……!」
私は光の魔力を手のひらに込めて、なんとか強い閃光を放つ手をゼファーの眼前に掲げた。光魔法の一つである目くらまし魔法だ。
あまりの眩しさにゼファーが目を抑え、ベッドから滑り落ちる。その隙に私は勢いよくゼファーの股間を蹴り上げて、まだ痺れが残る体を引きずって自衛団の隠れ拠点を出た。
痺れている体じゃ素早く動けない。そのせいでゼファーの怒鳴り声が背後からもう聞こえてくる。もう、なんなのよっ!!
怒鳴り声がどんどん近づいてくる!!
「もういい! 優しくしようと思ったんですよ! でももうわかりました。これからは優しくするのをやめますッ!! 俺に逆らったことを後悔してもらってから俺のものにしてやるからなぁ!!」
──チリンチリンチリンチリンッ!!
まただ。またあの鈴の音。振り向けばゼファーが紫色の鈴を垂らし、揺らしていた。
あの鈴はなに? 紫色に光ってるみたい。魔道具?
ドシン、ドシンと重い足音がする。嫌な予感がした。背筋が凍る。この殺気には覚えがあった。
「嘘、でしょう……」
その時、ろくに身動きのとれずに武器も持たない私の前に現れたのはあの巨大グリムベアだったのだ。




