14-1:新たな才能
クレアとクラウドが街に出かけている間、レインはフォグと共にブルースカイ家屋敷から一番近い小さな森──エルナの森に来ていた。
小鳥のさえずりが聞こえる。少しだけ湿った土を踏みしめ、レインは緑溢れた森の中をフォグとともに歩いていた。
こんなに自然を間近に見たのは初めての経験かもしれない。キョロキョロと興味深そうにあたりを見回す。そんなレインをフォグは優しく見守っていた。
「どうだ? たまには自然も悪くないだろう」
「はい。緑がいっぱいです。昨日本で読んだ薬草もあります」
「ははは。屋敷にこもりきりなのも体に悪い。この森なら魔物も出ないしな」
フォグは自然に興味津々のレインに思わず笑いが漏れた。そんな彼に自分は何かおかしいことをしてしまったのかと困ったような顔をするレイン。
「あぁ、すまんすまん。ついお前が可愛くてな。森に目を輝かせる様子を見ていたら……わが娘、サニアを思い出すのだ」
「サニア。それはお母さんのお母様のお名前ですね」
「そうだ。あの子は平和なこの森が大好きだった。体調がいい時はよく日向ぼっこをして遊んでいたよ」
「……どんなお方だったのでしょうか?」
フォグはレインがサニアに興味を持ったことが嬉しい様子だった。髭を撫で、どこか遠くをぼんやりと見つめている。まるでそこに小さな少女がいるかのように。
「サニアは誰よりも明るくて、優しく……そう、名前の通り太陽のような子だった。自然とブルースカイ領をこよなく愛していた。病弱だったからあまり外には連れてあげれなかったが」
「話に聞いてみるとお母さんみたいなお方なんですね」
「ふふ、そうだな。サニアはクレアによく似ていた。懐かしいな」
風がそよぐ。魔人と恐れられているとは思えないほどフォグは優しい穏やかな顔をしていた。再び歩み始める。
しかしその顔に陰りができ、フォグは足を止めて俯く。いつも快活なフォグのこんなに悲しそうな顔をレインは初めて見た。
「本当にいい子だった。あんな終わり方をする子ではなかった……」
弱々しく独り言のように呟くフォグ。
フォグが意図して出した言葉ではなく、心に秘めていたものがポロッと漏れ出たような印象を受ける。
「クレアからサニアのことは聞いているか?」
「いえ。聞いていいのか分からなくて……」
「そうだろうな。サニアは病弱ゆえにクレアの出産に耐えられず、子供だけを残して亡くなった。父のウィンドの方もサニアの出産に立ち会おうと急いだ道中で襲撃されてしまった。クレアは当時のことをあまり詳しく知らないのだ。儂が敢えて聞かせないようにしていた。あの子に──辛い思いをさせたくなかったからだ」
あたりは静かだ。いつの間にか小鳥のさえずりが消え、土を踏みしめるフォグとレインの足音だけが響く。
「湿っぽい話になってしまったな」と沈黙を破ったのはフォグだった。
「ところでレイン。お前がブルースカイ領にきてからまだ半年も経っていない。慣れていない環境はきついだろう。お前はよく頑張っている。ゆっくり慣れていけばいい」
「はい。いつも見守ってくださってありがとうございます、おじい様」
おじい様。その言葉に思わず足を止めるフォグ。
少し照れ臭そうに頭を掻いた。
「無理して呼ばなくていいのだぞ?」
「いえ、無理ではありません。お母さんからいつもおじい様のお話は聞いています。いつも強くて逞しく、心優しいおじい様と家族になれて本当に嬉しいんです」
クレアが言葉を教えているからか流暢になってきた言葉遣いに、まっすぐフォグを見つめる青空色の瞳からは知性を感じられた。
そんなレインを見てフォグは嬉しそうに髭を撫でた。
「ははは。そうかそうか。欲しいものがあったらこのおじい様になんでもいうといい」
「いいのですか」
「なに、子供は甘えるのが仕事だ。儂は可愛いひ孫の望みをかなえられない情けないジジイではない」
レインは少し考え、「では、本を」と答えた。
「本だと? もっとこう、子供らしいものでもいいのだぞ?」
「いえ。今の僕には知識が必要なんです。そして大きくなったらこのブルースカイ家のお役に立ちたいんです!」
「そうか」
フォグは豪快にレインの頭を撫で、「では次は共に街の本屋にでも行こうか」と歯を見せて笑った。レインは目を輝かせて大きく頷く。
そんな二人の様子は実の曽祖父とひ孫そのものに見えた。
「魔法の方は順調そうではないか。いまだに複数の魔力回路があるのは信じられないが」
「それは……僕もです。でもたしかにこの体の中になにか大きな力が眠っているのは感じるんです。……でも、それがたまに怖くなることがあります」
「怖い? 何故?」
「父は──ヘイル・スカー公爵は力に貪欲だった。僕もいずれ父のようになってしまうんじゃないかと」
フォグは目を見開く。レインは俯いていた。そんな小さな背中をたたいた。
「心配ない。お前とバカーこうしゃ……こほん、スカー公爵とでは力を求める理由が違う。もっと自分を信じなさい」
「っ! はい、おじいさま。ありがとうございます」
そんな二人の平和な空間の中、フォグが足を止めた。しっと人差し指をたて、レインを静止させる。
レインはハッと気づく。近くの木に大きな獣の爪痕があることに。これは――魔物の縄張りの証!
「魔物だと? この森に? こんな小さい森に魔物など今まで見たことがないというのに! レイン、急いで馬車へ戻るぞ!」
「は、はい!」
ガルルッッ……!!
獣の唸り声。視界に影が差した──と思えば、いつの間にかレインは地面に尻をついていた。
頬に生ぬるいなにかがべちゃりとかかる。
数秒後、レインはそれがフォグの血だと気づく。
何者かが背後からレインに襲い掛かってきたが、咄嗟にフォグが左腕で庇ったのだ。
「ぐぅうう……! なんて速さだ!」
湿った森の土を、フォグの血液が濡らす。フォグは左腕を抑えながら、敵を鋭く睨んでいた。レインはフォグの視線をゆっくり辿る。
巨大な黒い魔狼がいた。四足歩行の状態ですら高身長のフォグより高い巨体、鳥肌が立つほど美しい黄金の瞳。毛先からは得体のしれない闇が怪しく揺らめいていた。
先日、レインはクレアから魔物の図鑑をもらったのだが、その図鑑には載っていない魔物のようだ。
レインは声が出なかった。思わず体を震わせながらその場で固まってしまう。
こんな至近距離で魔物を見たのは初めてだった。しかも頼りのフォグはレインを庇い、腕に傷を負っている。
「おじい様……! ぼ、僕……!」
「儂に構うな! 大丈夫だ、剣さえ握ることができればこちらのものよ。逃げなさい、レイン!! 早く! 馬車へッ!!」
フォグに怒鳴られ、体が震える。でもここで逃げられない。このままではフォグが――。
どうしよう、どうしよう。レインは頭が真っ白になった。




