1:最悪な離婚
「今、なんて言ったのかしら」
冷静を装って、私はそう言った。目の前のソファに座り、身を寄せ合う男女がそんな私をせせら笑ってくる。
「だから、お前と離婚すると言ったんだよ。もう必要な書類はすべてここに用意してある。あとはお前の魔力印をもらってしかるべきところに提出するだけだ」
よくもまぁ、つらつらと。ピクリと片眉を吊り上げ、ため息を吐き、目頭を抑えた。
そしてもう一度、目の前の馬鹿馬鹿しい現実を直視する。
意地の悪い顔をしている男女の男の方はヘイル・スカー公爵。
女性の方はサンドラ・ハミッド伯爵令嬢。彼女はヘイルの幼馴染で、見ての通りヘイルとはいい仲のようだ。
幼馴染の恋人だなんて大変ロマンティックで素晴らしいこと。……ヘイルが私の夫だという点を除いては。
この私、クレア・スカーは五年前にスカー公爵家に嫁いだ。ヘイルの父親が希少な私の光魔法の才に惚れこんで猛烈にアプローチしてきたからだ。
私の祖父は渋っていたが、私は祖父を心配させたくなくて、縁談を受け入れた。男勝りとよく言われる私がこの先ヘイル以上の貴族に見初めてもらう自信がなかったのも理由の一つだ。
だけど、今この状況を見るにそれは私の人生の中で最も大きな過ちだったみたいね。
「まさか栄えあるスカー公爵家当主であるあなたが堂々と浮気するとはね」
「俺の心は最初からお前にない。だからこれは浮気ではない」
「あら、そう」
鼻で笑いながらはっきりとそう言うヘイルに私は興味がなさそうに相槌をうった。
面倒なので彼の言う通りにさっさと離婚したい気持ちに駆られたが、まだ彼の意図が分からない内はいけないと我慢する。
「で、どうして突然離婚なんて言い出したの? 今までいくらでもそのチャンスはあったでしょう? どうして、今?」
すると二人は顔を見合わせ、「よく聞いてくれました」と言わんばかりに満面の笑みを浮かべる。機嫌よく傍にいた従者にドアを顎で指した。側近が指示に従ってドアを開けると──
美しい金髪の少年が静かに部屋に入ってきた。
少年は見覚えのある翠眼をもっていた。それは間違いなくヘイルから受け継がれたものだ。金髪の方も心当たりがある。今、目の前にいるサンドラと同じものだ。
ここまでくれば彼らが何をいいたいのか嫌でも理解できてしまった。私はふつふつと湧き出る怒りを必死で抑えつつ、頭の中で何度もヘイルとサンドラの首をぶった切る妄想をしてやり過ごす。
「俺とサンドラの子、クロンだ。サンドラに似て美しく、俺に似て精悍だろう?」
「馬鹿なのかしら? 浮気の証拠を堂々と私の目の前に持ってくるなんて! あなたがそんなに恥知らずだなんて知らなかった」
「はは。恥知らず? いいや、国中が俺を褒めたたえるだろうよ。よくこの子を産んだってな! 実際にこの子のおかげで俺はサンドラとの再婚が許された」
「は?」
私は思わず口を開けたまま固まる。ヘイルの父親であるシリアス様は「希少な魔力もちでもない、ただ顔がいいだけの女」だとサンドラを毛嫌いしていたはずだ。だからこそヘイルとの結婚を許さなかったし、私との結婚を強く推した。
そんな御方がヘイルとサンドラとの再婚を許した? 一体どういうこと?
私がそんなことを考えていると、サンドラがクロンの耳に何かを囁く。
その瞬間、クロンは私を鋭く睨みつけた。まだ子供だというのに、なんて恐ろしい目をするんだろうと思った矢先。
「きゃあ!」
紅蓮の炎の玉が凄い勢いで飛んできたので反射的に避けた。炎は背後に飾ってあった花を燃やし、一瞬で消し炭にする。
い、今の炎に当たっていたら私の顔は……そう思うとぞっとした。ふと右頬に違和感があってそっと触れてみると。
血だ。私は確かに炎の玉を避けたはずなのに、何故か頬が切られていた。炎の玉と同時に風の刃? それは風魔法で最も有名な攻撃魔法だけれど……まさか!
「気づいたか。お前が考えている通りだよ。この子は炎と風の二つの魔法を操る天才。そして──それはこの国の守護者であり英雄である“勇者”の素質があるということ!!」
ヘイルが声高にそう言い放った。
「お前が母さんと父さんを虐めている悪魔の女か! さっさとこの家から出ていけっ!」
「なっ」
おそらくまだ五、六歳であるクロンの口から私への罵倒が溢れてくる。その後ろでサンドラがニヤリとほくそ笑んでいた。子供になんてこと教えているのよ、あの馬鹿女!
それにしてもこれでヘイルが今、私に離婚を切り出した理由が分かったわね。
クロンは炎魔法と風魔法を使える。ヘイルの言う通り、この世界では魔法属性が二つ以上与えられた人間は「神の祝福」が多く受けられた者であり──神に選ばれた人類の守護者“勇者”としての素質があるといわれている。……なるほど、ヘイルの父がヘイルとサンドラの再婚を許したのはこの子の才能を手に入れたかったからね。
……もうどうでもいい。どうせ元々私の居場所なんてスカー公爵家にはなかったのだ。おそらくクロンの年齢を見ても、私とちょうど結婚した年ぐらいにヘイルはサンドラと子を成していたのだ。
本当に馬鹿馬鹿しい。私は勢いよく魔力を込めたペンでサインをして、「これでいい!?」とヘイルに突き付けてやった。
「言っておくけど、相応の慰謝料はもらうからね。後でブルースカイ家から正式な書類が届くから」
「あぁ、もちろんだ。愛する人と結ばれるためならいくらでも金は払ってやるさ。……これでようやく彼女と結婚できるわけだ。長かった……。これでもう堂々と君と愛し合える。随分と待たせてしまってすまない、サンドラ」
「あぁ、ヘイル! どれだけこの日を待ち望んだことか!」
熱い抱擁を交わす二人を背中に、私はさっさと部屋を出ようとする。一秒でもはやく荷物をまとめてこんな家を出ていきたかった。
だが、できなかった。部屋のドアを開けると、もう一人少年がいたからだ。勢いよくドアを開けたから少年はビクリと体を震わせて私を見上げる。その表情には怯えの色があった。
さきほどのクロンは身なりからして大切にされていると分かったが、目の前の少年はどうだろう。
頭や顔は煤だらけで、手足にはところどころネズミに齧られたあとがあった。あばら骨や鎖骨が浮き出ている。栄養不足なのが一目瞭然だ。少年は髪も瞳も黒に近い灰色だった。しかし私は彼の顔つきが少しクロンに似ていることに気づく。
「ねぇ、この子は?」
「これでもお前に情がある。なんせ五年も一緒にいたんだ。そんなお前にプレゼントさ」
「ヘイル。まさかとは思うけど、この子も、」
ヘイルは忌々しそうに少年を見た。今にも少年に唾を吐きかけそうな様子だ。
「勘がいいな。そいつも俺の子だ。だが、赤ん坊の時点で魔力なしと判定されたゴミクズだ。奴隷でもなんでも使え。俺からの餞別だ」
「──ッ!!」
ぞわり、とした。あまりのおぞましさから思わず愛剣を引き抜き、ヘイルに向ける。
「あなた、そこまで性根が腐っていたなんて!」
「なんで怒ってるんだ? 嬉しいだろ? 子供が欲しいと前に呟いたことがあったじゃないか。親がいないお前が立派な母親になれるわけないのにな!」
「ッッ!!」
私はこのままヘイルの首を切ってやろうとしたが、流石に子供の前ではできなかった。ヘイルはきっとそんな私を理解して煽っているのだろう。
怒りで震えながらも、私は剣を鞘に納める。そうして、胸元に提げていた十字架のネックレスを掲げた。
「じゃあ、誓いなさい」
「は?」
「今からこの子は私が育てます。でも、後になってこの子を返せと言われても困るわ。だから誓いなさい! この子が望まない限り二度とこの子には意図的に近づかないとっ! この子の親だと二度と名乗らないと、十字架に誓いなさい!! あなたたち馬鹿夫婦二人ともよ!!」
このネックレスは私のおじい様の誓約魔法がこもっている魔道具だ。この十字架に血を捧げ、誓い事をする。誓いを破った者はその瞬間に即死という、嘘や曲がったことが大嫌いなおじい様らしい魔法の代物。
ヘイルとサンドラは顔を見合わせ、私をまた嘲笑った。
「はっ、強がりもここまでくると必死だな。みじめで情けない女だ。そんなのいくらでも誓ってやる。そんなゴミクズを処理してくれるんならな!」
ヘイルとサンドラ、そして私は従者から受け取った針で指先を刺し、十字架に垂らした。十字架が青く輝き、確かに誓約が成立したのを確認する。
儀式が終わるなり、ヘイルはぱっぱっと埃を払うように手をふった。
「せめてもの情けに帰りの馬車と護衛は用意してやっている。さっさとそのゴミクズをつれていけ」
「最後に一つ。この子の名前は?」
ヘイルは心底興味なさそうに言った。
「忘れたよ。魔力がないと知ってからはゴミクズとしか呼んでいないからな」
それを聞いた瞬間、もうここに用はないと私は汚れた少年の手をとって部屋を飛び出した。




