プロローグ:今更返せと言われましても(3/8追加しました!)
それは、クロン・スカーが感じた初めての屈辱だった。
「兄さん、本気を出してくれてもいいんですよ。もう僕は“ゴミクズ”じゃないんですから」
そんな淡々としたレインの声にクロンはぎりっと歯が鳴るほど奥歯を噛み締め、地面の土を握りしめた。
この俺が、一瞬で負けた。天才だと勇者だともてはやされた俺が、たった一瞬で地面に這いつくばっている、だと?
クロンはぎぎぎ、と壊れた玩具のように顔を上げる。そこには双子の弟であり──かつて自分が「ゴミクズ」だと罵倒し、家から追い出したはずのレインが自分を見下ろしている。
その青空色の瞳の輝きが、憎たらしい。
スカー公爵家でも、魔法学園でも天才だと言われ続けた自分を見下ろすなんて許されない!
クロンは手のひらに自分が持てる全ての魔力を込めて──一直線に炎の矢を放った。風の魔力もこめているため目にも止まらない高速の矢だ。それをレインの目に打った。
今はとにかく目の前のレインを跪かせることしか頭になかったのだ。
女の悲鳴が響く。これは、レインの養母であるクレアの声だ。クロンはざまぁみろと口角を上げた。
──が。
「──いっ!?」
その時、クロンは背中を始めとした体の後ろ部分に激痛を覚えた。ザァアアアアアッという激しい音がクロンの聴覚を覆いつくす。
雨だ。激しい雨が、地面に這いつくばっている自分の全身を刺しているのだ。この突然の激しい雨は一度経験している。前回よりも、明らかに威力が増しているが……。
「がはっ……はぁ、はぁ……!!」
怒涛の雨で息ができない。顔を下に向けてやり過ごすしかない。土の味がする。
クロンが気を失いそうになったその時、雨はピタッと止んだ。薄れる意識の中、再び顔を上げるとレインの養母であるクレアがレインを抱きしめていた。
「レイン、もうやめなさい。もうこんな人たちに構わなくていいわ。十分この人たちも分かったでしょう。それよりあなたは早く休まないと。……ほら、もう家に帰りましょう」
「……はい、お母さん。それではこれで失礼します。兄さ……いや、クロン・スカー公爵」
「…………ッ!!」
今まで自分の背後にいたの父──ヘイル・スカーはここでようやく口を開いた。
自分がレインに攻撃されている間は何もしてくれなかったくせに。
「お、おい! 待てよ、本当にレインには魔力があったのか!? 一体どうやって魔力を開花させた!? 雨を降らせるなんて高度な魔法技術は聞いたことがない……! お前の仕業か、クレア!?」
「それをあなたに教える必要があるの?」
クレアの声は冷たかった。さっさとヘイルから離れようとレインの手を握ってこの場を去ろうとする。
ヘイルはそんな彼らを追いかけようとしたが、「うっ!?」と心臓を抑えた。
「くっ! あの時の誓約魔法か……! ちょ、ちょっと待ってくれクレア! レインと話がしたいんだ! 頼む、お、おおお俺が間違っていた! レインは俺の実の子だ、そうだろう? 俺はレインとやり直したいと思っている! 血のつながっていないお前よりも俺の方がレインの親にふさわしいはずだ! だ、だから……その子を返してくれないか?」
「……はぁ?」
ヘイルの言葉にクレアは片眉を吊り上げ、振り向いた。ヘイルはへらへらと相手のご機嫌をとるような情けない笑顔をクレアに向けている。
そんなヘイルを、クレアはせせら笑った。
「残念ね。レインは私の大切な息子であり、ブルースカイ家のかけがえのない宝です。この子の魔法が開花してから返せだなんて言われてももう遅いわ。さようなら、ヘイル・スカー。もうレインの前に現れないでくれる? ……行くわよ、レイン」
「はい、お母さん。さようなら、ヘイル・スカー公爵」
「あ、おい……! 待ってくれ、レイン! お、お前をゴミクズだと言ったのは悪かった! 家を追い出したのもすべて謝る! だから、だから……戻ってきてくれぇ──!!」
ヘイルの叫びは虚しくその場に響くだけ。
クロンは自分の父の情けない姿を最後に意識を失ったのだった。
胸に大きな屈辱の味を残して。




