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監獄へ追放された悪役令嬢、絶品料理で冷徹監獄長の最愛の人になる。  作者: 月雅


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4/10

第4話:暗殺者と情熱の赤い煮込み


監獄の夜は、王都のそれよりもずっと深い。

セシルが厨房の特別料理顧問に任命されてから三日が過ぎた。

彼女は早朝の厨房で、一人静かに大きな銅鍋に向き合っていた。


背後に、音もなく忍び寄る影がある。

手入れの行き届いたナイフが、月明かりを反射して冷たく光った。


「あんたが、噂の悪役令嬢かい」


ハスキーな女の声。

セシルは振り返ることなく、木べらで鍋の中身をゆっくりとかき混ぜた。


「背後から近づくなんて、行儀が悪いわね。ヴェラ、と言ったかしら。女囚たちの元締めが私に何の御用?」


銀髪を短く刈り込んだ褐色の女、ヴェラは、低く唸るような声を漏らした。

彼女は王都の裏社会で名を馳せた情報屋であり、暗殺のプロでもある。

王太子派から「セシルの命を奪えば減刑する」という密約を受けて、この島に送り込まれた刺客だった。


「用件なんて一つだよ。あんたには、ここで死んでもらう」


ヴェラが踏み込もうとした、その瞬間だった。

彼女の視界が急激に歪み、膝がガクガクと震え出す。

強烈な立ちくらみに襲われ、ヴェラはその場に膝をついた。


「くっ……あたいの体が……」


「無様ね。あなたは極度の貧血、それに低血圧だわ。平民が不味い野菜ばかり食べて、血肉を補う努力を怠った末路よ」


セシルは冷ややかに言い放つと、小皿に真っ赤なスープを注いでヴェラの前に置いた。

立ち上る香りは、濃厚な肉の脂と、どこか鉄分を含んだような力強い芳香だ。


「……毒、かい?」


「毒よりもずっと効くわよ。さあ、食べなさい」


ヴェラは朦朧とした意識の中で、差し出されたスプーンを握った。

鼻をくすぐる香ばしさに、理性が負ける。

震える手で、赤い煮込みを一口、口に運んだ。


「――っ!?」


舌の上で、肉の塊がホロホロと解けていく。

使われているのは、島に生息する「鉄猪てついのしし」の首肉だ。

そのままでは硬くて到底食べられない部位だが、セシルは魔法で肉の繊維を組み替え、さらに「火焔草かえんそう」と共に煮込むことで、栄養素を極限まで活性化させていた。


「な、なんだい、これ。体が、内側から燃えるみたいだ……!」


ヴェラが驚愕の声を上げる。

一口食べるごとに、氷のように冷たかった彼女の指先に、ドクドクと熱い血が流れ込んでいく。

視界を覆っていた霞が晴れ、頭の奥の重だるさが消えていく。


「美味い……。あたい、今まで何を食ってたんだろう。こんなに力が湧いてくる飯、食べたことがないよ」


「それは鉄猪の血と肉に、魔力を完璧に結合させたからよ。あなたの薄い血を、この一皿が作り変えているの」


そこへ、騒ぎを聞きつけた看守のルドが顔を出した。


「お、おい! ヴェラじゃないか。何してるんだ!」


ルドはヴェラがナイフを持っているのを見て身構えるが、彼女の様子がおかしいことに気づく。

ヴェラは暗殺のことなど忘れたかのように、一心不乱に赤い煮込みを口に運んでいた。


「ルド、あなたも一杯どうかしら。朝の活力には一番よ」


セシルに促され、ルドも鍋から一杯分を掬い上げた。


「うわぁ、この肉、すごく弾力があるのに噛むとジュワッと肉汁が溢れる! それにこの赤いソース、ピリッとしてるのに後味がすごく爽やかだ」


ルドが感嘆の声を上げると、背後からさらに低い声が響いた。


「……朝から随分と騒がしいな」


監獄長のアラリックだ。

彼はセシルとヴェラの間に流れる奇妙な空気を感じ取りながらも、調理台に置かれた鍋に視線を向けた。


「ヴェラ、貴様、セシルを襲いに来たのではなかったのか」


アラリックの問いに、ヴェラは空になった皿を置き、力強く立ち上がった。

先ほどまでの蒼白な顔色は消え、頬には健康的な赤みが差している。


「……暗殺なんて馬鹿馬鹿しくてやってらんないよ。監獄長、あたいを決めてやった。今日からあたいは、このお嬢様のボディーガードになる」


「ほう?」


「あたいをここまで元気にした飯を、邪魔させるわけにはいかないからね。お嬢様……いや、シェフ。次の飯は何だい?」


ヴェラがナイフを鞘に収め、不敵に笑った。

セシルはフンと鼻を鳴らし、満足げに頷く。


「まずはその厨房の煤を落としてきなさい、ヴェラ。力仕事ならいくらでもあるわ。ルド、監獄長。あなたたちも、食べたらすぐに仕事に戻ってちょうだい」


アラリックは無言でスープを一口飲み、その完成度に驚きながらも、どこか楽しげに口角を上げた。


「……わかった。今日の視察は、これまでにないほど捗りそうだ」


監獄の厨房に、新たな「仲間」が加わった。

だが、セシルはこの程度の成功で満足してはいなかった。

彼女の目は、さらに先――この痩せた島そのものを変える計画を見据えていた。


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