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監獄へ追放された悪役令嬢、絶品料理で冷徹監獄長の最愛の人になる。  作者: 月雅


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10/10

第10話:世界で一番幸せな監獄レストラン


王太子ジュリアン率いる艦隊との騒動から、数ヶ月が過ぎた。

かつて「絶海の地獄」と恐れられた監獄島ヴェスペルは、今、全く別の意味で世界中の注目を集めている。


断崖の上に広がる畑には、瑞々しい「太陽トマト」が赤い実を実らせ、潮風に揺れる星屑麦の穂が黄金の波を作っていた。


「さあ、ルド! 手を休めないで。今日のディナーは王都からのお客様もいらっしゃるのよ」


セシルは眩しい日差しの中で、自ら育てたハーブを摘み取りながら声を上げた。

彼女の一人称は「わたくし」だ。

純白のコックコートに身を包んだその姿は、追放された罪人などではなく、この島の主としての気品に満ちていた。


「分かってるよ、お嬢様! オイラ、もうジャガイモの皮剥きなら誰にも負けない自信があるんだ!」


ルドは「オイラ」と笑いながら、丸々と太ったジャガイモを魔法のような速さで処理していく。

かつて青白かった彼の顔は、今や健康的な褐色の肌になり、腕には逞しい筋肉がついていた。


厨房の入り口では、ヴェラが鋭い眼光で食材の検品を行っている。


「シェフ、海神の昆布の出汁、完璧に取れてるよ。あたいが潜って獲ってきた甲斐があっただろ?」


「ええ、助かるわ、ヴェラ。あなたのその鋭い嗅覚、今では立派な料理人の武器ね」


ヴェラは「あたい」と照れくさそうに鼻を鳴らした。

彼女の貧血はすっかり完治し、今では厨房の用心棒兼、一番の味見役として欠かせない存在だ。


そんな活気あふれる厨房の奥に、独房から「更生プログラム」として連れてこられたジュリアンとエレンがいた。

二人は泥にまみれ、一生懸命に野菜の泥を落としている。


「……僕が、どうしてこんなことを。ああ、でも、早く終わらせないと今日のスープがもらえない」


ジュリアンの一人称は「僕」だ。

かつての傲慢さは消え、食事のために必死に働く一人の青年へと変わっていた。

隣のエレンも、不器用な手つきでカブを洗いながら呟く。


わたくしの浄化魔法、こんな風に土を落とすために使うものじゃなかったはずなのに……。でも、セシル様のパン、本当に美味しいんですもの」


聖女の力は、今では「食材の洗浄」という最も実用的な形で島の食卓を支えていた。

食を疎かにし、魔力に溺れていた二人は、この島で「空腹」と「満たされる喜び」を学び直している最中だった。


やがて、夕暮れが島を包む。

今夜のメインディッシュは、セシル特製の「魔導牛の赤ワイン煮込み・完結編」だ。


島を訪れた王都の全権大使や、病に苦しんでいた退役将校たちが、テラスのテーブルを囲んでいる。

そこへ、監獄長のアラリックが、給仕を兼ねて現れた。


「お待たせいたしました。本日のメイン、ヴェスペルの恵みです」


アラリックの一人称は「俺」だ。

彼は、セシルから差し出された皿を、一人一人の前に丁寧に置いた。


大皿の上で、ホロホロになるまで煮込まれた肉が、濃厚なソースに包まれて輝いている。

添えられたのは、焼き立ての星屑麦パンと、魔法で甘みを最大限に引き出した温野菜だ。


一口、大使が肉を口に運んだ。


「……おおっ! なんという口溶けだ! 噛む必要がない。肉の旨味がそのまま魔力となって、五臓六腑に染み渡っていく!」


「このソース、深いコクがあるのに後味は驚くほど軽やかだ。長年悩まされていた胸焼けが、一口ごとに消えていくのを感じるぞ」


「パンの香ばしさも格別ですわ。これが本当の『食べる』ということなのですね……」


客たちの感想が次々と溢れ出す。

誰もが笑顔で、そして真剣に、目の前の一皿に向き合っていた。

そこには、栄養失調で荒んでいた王都の面影は微塵もない。


食後のティータイム。

アラリックとセシルは、二人で海を見下ろす特等席に立っていた。


「セシル。王家から正式に書状が届いた。君の冤罪は完全に晴らされ、公爵令嬢としての地位を上回る『王立最高料理顧問』の座を用意しているそうだ」


「あら。それで、あなたは何と返事をしてくださったの?」


セシルが茶目っ気たっぷりに問いかけると、アラリックはふっと口角を上げた。


「俺は、『当レストランのシェフは、今後百年先まで予約が埋まっているため、王宮へ行く暇はない』と答えておいた」


「ふふ、正解ですわ。私、この場所が気に入っていますもの」


セシルはアラリックの腕にそっと自分の手を重ねた。


「ここはもう、ただの監獄ではありません。心を病んだ人が癒やされ、飢えた人が満たされる、世界で一番幸せな場所……『レストラン・ヴェスペル』ですわ」


「ああ。君の料理がある限り、この島は世界で最も輝く聖域であり続けるだろう。……俺も、君の隣でその手伝いをさせてほしい」


アラリックの言葉には、かつての冷徹な監獄長の面影はなかった。

あるのは、一人の女性を愛し、その料理に魂を救われた男の、誠実な誓いだけだ。


「ええ。明日も美味しいものを作りますわよ。……まずは、あなたの朝食からね」


セシルの言葉に、アラリックは優しく微笑み、彼女を抱き寄せた。


潮風に乗って、厨房からは楽しげなルドの声と、ヴェラの笑い声が聞こえてくる。

不味い魔力パンの時代は終わり、豊かな食の魔法が世界を塗り替えていく。


悪役令嬢と呼ばれたシェフの物語は、これからも美味しい香りと共に、この島で永遠に続いていくのだ。


(完)


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