STORY ONE
ガタガタっと音がする。
何だ?と思うけれど、ここは東京、隣近所の事は触れないにこした事はない。
しかし、やはり気になる為そっと耳を澄ました。
と、突然家の玄関前に何かがぶつかる音がし、飛び上がってしまう。
息を潜めて外の様子を窺うと、くぐもった声がした。
「いってぇ~・・・」
ハスキーな声。妙に気になり、更に様子を伺った。
「畜生~・・・、勤労学生なんだからしかたねぇだろよ!」
ハスキーな声が、誰とも解らない文句を言っていた。
どうする、僕?!
そんな思いが頭を擡げた。
どうするもこうするも・・・
あぁ~!!
僕は昔からお節介なのだ。
子供の頃から、人のいざこざに首を突っ込み、良く幼馴染のお兄ちゃんに怒られていた。
でも、染み込んでしまった性格はそうそう変えられる訳もなく今に至る。
腹を決め、そっと扉を開こうとするけれど
「あ、あれ?」
ドアノブを捻り力いっぱい押しても開けられない。なんだ?と思い再度押すと
「ん?」
外の声がし、ガタンと扉が開いた。
勢いで体まで外に出てしまう。バランスを崩してしまった僕はそのまま転びそうになり
「あわわわわ~!」
しかし、衝撃の代わりに何か大きな物に抱きかかえられていた。
「大丈夫か?」
驚きの籠ったハスキーな声が頭上からする。慌てて体制を直し、声の主を見た。
すらりと伸びた手足、180はあるであろう長身に、小さな顔があり、切れ長の涼やかな目が僕を捉える。幼馴染には負けるが、かなりのイケメンだった。
「あ、ありがとうございます・・・ってちが~う!!あんた人の部屋の前でうるさいんだよ!!」
恥ずかしさと、苛立ちで大きな声になってしまう。
切れ長な目がぱちくりとし・・・
「・・・俺家がなくなっちゃってさ」
何故だかにこりと笑い
「しばらく泊めて?」
これが、僕、須藤 秋葵と 木崎 雪都の奇妙な同居生活の始まりだった。
ぴぴぴ、ぴぴぴ・・・っと電子音がする。
朝を知らせる僕の目覚ましだ。
まだ眠い眼をこすり、カーテンを開けると明るい日差しが襲う。
そうして、隣の部屋からも、やっぱり電子音が聞こえてくる。雪都のアラームだ。
なかなか止まらないアラームに溜息をつきつつ部屋を出る。
そうして隣の部屋の扉をノックした。
「雪都さん、朝ですよ。雪都さん!」
いくら声を掛けても返事はない。これも何時もの事で、又溜息が出た。
奇妙な同居生活が始まり早くも1年が経とうとしている。
同居人の雪都は一向に新しい物件を探す事なく、居座り続けていた。
季節は冬。
寒い朝だった。
低血圧らしく、朝はめっぽう弱い雪都を起こすのも僕の日課になっている。
・・・まぁ、同じ大学に通っている、1つ年上の彼を無碍にもできず、頼まれてもいないのに起こしてしまうのは、昔からのお節介な性格が災いしているのだが・・・。
なかなか起きてこない雪都に業を煮やし、扉を勢い良く開けると彼はまだ真夜中だった。
気持ち良さそうな寝息を立て、布団を抱きしめるように眠っている。
起きる気配はなく、仕方なく近づき肩を叩こうとした、その時だった。
にょっと伸びた腕が、僕の腕を掴みそのまま・・・
「わぁ!!」
ぐいっと引っ張られ、ストンと雪都の腕の中に。
え?・・・ちょ、なに??
何が起きたのか理解できずにそのまま、固まる。
ぎゅ~っと抱きしめられ困惑した。
体がかーっと熱くなるのが解る。真近に雪都の整った顔があった。
あ、睫毛が長い・・・そんな事を思いながら、体を捩ろうとしたが雪都の顔が更に近づき・・・
「っん?!」
自分の口に何かが触れたと思うと、口腔内を犯される。
そのまま、視界がぐらりと揺れ、いつの間にか雪都の下に自分がいた。
何が起こったのか理解できず、犯されている口腔内がじっとりと快楽を運び抵抗も出来なくなった頃、ようやく口腔を解放され・・・
「おはよ、秋葵ちゃん」
ねっとりと耳をくすぐるハスキーボイスが聞こえた。
その瞬間僕の右手が上がり、パン!っと乾いた音が響いた。
「・・・てぇ~・・・」
雪都の呻き声を聞きながら、どうにかその腕の中から這い出る。
ふざけるな!と、まだドキドキしている鼓動を誤魔化しながら乱れた衣服を整え、ギッと雪都を睨み見た。
「朝から、彼女と間違えないで下さい。・・・いい迷惑です」
表情を消し、静かにそう告げると逃げるように雪都の部屋を後にした。
ハスキーボイスが 秋葵ちゃ~んと背後から聞こえる。
それを振り切るように、家を後にした。
人より小さい僕だけれど、歩幅を大きく取り歩く。
子供の頃から幼い顔立ちのせいか、妙に可愛がられるけれどあまりいい気はしなかった。
そんな僕を人並みに扱ってくれたのが、近所に住んでいた一つ年上のお兄ちゃん、各務 羽瑠だった。
羽瑠の事が大好きで、彼のそばにいたくてこの大学に進んだ僕は、毎日彼の姿を探す。
構内に入り、直ぐに彼を見つけた。沢山のシンパが彼の、・・・いや、彼らの周りを囲む。
羽瑠の横には不機嫌そうな顔をした、妙に綺麗な顔立ちの男がいたのだ。
彼の名前は 姫野 四季。
どうやら羽瑠のお気に入りらしい。
いつも僕がいた羽瑠の横は、今彼の物になっていていい気はしない。だから僕は彼が嫌いだった。
つかつかと、人の塊に近づきシンパどもを押しのけるように羽瑠に近づく。
「羽瑠さん!!」
声を大にして呼びかけた。
シンパどもも僕には道を譲ってくれる。そうして四季とは反対側の羽瑠の横に着いた。
「おはよ、秋葵」
羽瑠の低い声が耳に心地良い。
「あれ?・・・雪都は?」
今一番聞きたくないはずの名前にどきりとした。
そうしてさっきの口付けを詳細まで思い出してしまう。
僕は赤くなってしまった顔を隠すように下を向いた。その頭に大きな手が乗っかる。
「どうした?何時も一緒なのに」
そんな些細な事でも特別な気がして僕は急いで顔を上げた。
「何時も一緒なんて、そんな事ないよ!たまたま・・・」
その時だった。
次の言葉を紡ごうとした僕の声に被さる様にハスキーボイスが木霊する。
「秋葵ちゃ~ん!俺を置いていくなんて薄情だよ~」
間延びした雪都の声だった。
「雪都、おはよ」
羽瑠の声に雪都は笑顔を向ける。何故だかその行為にずきりと胸が痛んだ。
なんだ?これ?
自問自答しつつ雪都を睨む。
「薄情だぁ~?失礼な!!」
僕はそう捨て台詞を吐きながら、人だかりから離れた。
バイトを終え、帰路に着く。
本屋のバイトは案外に肉体労働でかなり疲れているけれど、夕食を作らなきゃいけなくて、自宅の近くにあるスーパーに立ち寄った。
雪都は今までどうやって1人暮らしをしてきたのかわからない位家事全般が出来ない。
まぁ、もてる雪都の事だから、女にやらせていたに違いないのだが・・・。
だから同居生活を始めてから、家事は必然的に僕の仕事になっていた。
今日は朝からある意味凄く疲れてしまったから、簡単な物にする。
食材を篭の中にほうり投げながらレジに向かった。
食材の入ったエコバッグは妙に重い。
ずっしりと肩に荷物が食い込んだ。
疲れた体を引きずりながら、なんとか部屋の前まで辿り着く。そうして家の鍵を開けた。
シーンと静かな部屋。
何時もならもう帰っていてリビングのソファーにだれているはずの雪都の姿が見当たらない。
あれ?っと思い、彼の部屋をノックしたが返答はなかった。
―――――― なんだ、出かけてるのか・・・
妙な脱力感に、はっとなりながら、
「さて、作るか」
なんて独り言で誤魔化し作業に取り掛かった。
食材をエコバッグから出し、リビングの机に並べる。そうして、順番に食材を刻んだ。
今日は冷ご飯が結構あるから五目チャーハンにする。
手際良く食材を炒め、仕上げに水溶き片栗粉を投入するとあっと言う間にとろみが付き始めに炒めておいたチャーハンに掛けた。
香ばしい香りが僕の鼻空を擽る。
ぐーっとお腹が悲鳴を上げた。
今すぐにでも食べてしまいたい欲求をぐっと堪えて、出来上がった2人分の夕食にラップをする。
そうして玄関を盗み見た。
しかし、雪都が帰ってくる気配はない。
しかたなくリビングのソファーに腰掛け、読みかけの単行本を手に取った。直ぐに本の世界にのめり込み文字を追っていく。
あっという間に読み終わってしまった。そうして時計を確認し、驚いた。
もう日付が変わっている。
雪都は?と思い玄関を仰ぎ見るけれど、帰って来た形跡はない。
一応、と思い彼の部屋をノックし、やはり帰っていない事を認識する。
携帯を開いて見ても、彼からの着信はなかった。
何故だかとっても悲しくなって涙が浮んだけれど、零れる前に拭う。
そうして冷めてしまった五目チャーハンを無言で平らげた。
美味しいはずのチャーハンが、しかし何の味もしなかった。
朝になり、何時もの時間に目が醒める。
隣の部屋からはけたたましいアラームの音がしていた。
―――――― 帰って来たんだ・・・
そう思うけれど、リビングに出、昨晩作ったチャーハンがそのまま机に置かれているのを発見した時、誤魔化したはずの涙が零れた。
ぽろぽろと頬を伝う涙に自分の気持ちを認識する。
ただの同居人ならば、わざわざ食事など作らなくいい。
アラームが聞こえたからといって起こす必要もない。
寝ぼけてキスされてもうろたえる事もない。
つまりこれは 恋 なのだ。
自覚してしまえばもうどうしようもない。
ただ、雪都に逢いたくなくて、急いで家を出た。
いつもより随分と早い登校になってしまったけれど、しかたがない。
ほとんど人気の無い構内を歩き、やっぱり人気の無い中庭に辿り着いた。
何時もは無駄に噴水が湧き出ており、学生で賑わっているはずの中庭。
ぐるりと周りを垣根の様に囲う木は桜だ。
春になれば薄い桃色の花が咲き乱れ、学生が集う。
僕はその中でも一際見事な姿を見せる桜の木の下に腰を降ろした。
2月の風は肌を刺す様な寒さで、しかし、煮えきった僕の頭にはちょうど良い。
溜息を吐きながら、仕方なく読みかけの単行本を広げた。




