全てに恵まれた私が、山賊令嬢を可愛がる理由
ディートフリート・オーゲルシュタインは倦んでいた。
帝国と王国の高貴な血を受け継ぎ、若くして大公という王族に連なる爵位も持っている。
王位を狙わせないための体のいい厄介払いだ。
色々と陰惨な事件や陰謀を潜り抜けた末に、敵にするには面倒だと放りだされ、それに甘んじた。
だが刺激的な日々から平和な生活になり、何もかも自由過ぎて飽きたのだ。
美貌は当然ながら、勉学も剣の腕も上々。
けれど、楽しいと思えるものが無い。
望めば何でも手に入るというのは、それだけで退屈になるものだと知った。
たった一つ望んだ相手は、指の間からすり抜けて行ったのだ。
そう、すり抜けて行ったくせにのうのうと目の前にいる。
「私の妻になる気になったのかい?」
「いいえ?」
マルセーリュ・レノアは悪びれない笑顔で返事を返す。
即答なのがまた憎らしい、とディートフリートは大袈裟に肩を落として溜息を吐いた。
陰謀の中、出会った彼女は肝の据わった令嬢で。
ディートフリートと同じ位に地位に固執しない性質だ。
欲しいと思っても、人の心は動かすのが難しい。
知ってか知らずか、マルセーリュはふわりと微笑んだ。
「でも、素敵なご縁を紹介に参りましたの」
「女衒でも始めたのか?淑女のやることには思えないが」
皮肉を言っても、マルセーリュはけろっとした顔で、紅茶に舌鼓を打っている。
更に、焼き菓子までぽしぽしと食べ始めた。
こういう気取らないところも、媚びのない所も気に入っているのだが、もう売約済みだ。
婚約者争いにディートフリートは負けてしまった。
「退屈しのぎに、猛獣を手懐けてみませんこと?」
「猛獣と、素敵なご縁が繋がらないのだが?」
「きっと、気に入ると思いますの」
質問には答えずに、確信したように笑うその顔は魅力的で。
思わずディートフリートは二度目の溜息を吐いた。
マルセーリュに紹介されたのは、エマニュエル・リノアール侯爵令嬢だ。
折角だから、大公家の伝手を使って調べてみたが、いわくつきの令嬢である。
彼女が猛獣、と表現していたのには理由があった。
幼い頃から甘やかされ、姉のエリシアの持ち物を奪う事を覚えたエマニュエルは、兎に角他人の物を欲しがるらしい。
それに、社交界披露での失敗談は誰もが衝撃を受けたという。
白と黒で構成される初心者達の群れの中に、派手な桃色が居たのでは目立ちもするだろう。
父である侯爵は止めたが、母である夫人が甘やかした結果、エマニュエルは酷い失態を晒したのだ。
美しい金の髪に桃色の瞳の可愛らしい少女だというのに、縁談は一つも来なかった。
当然の結果だが、侯爵夫妻はあわや離婚となる寸前だったという。
「ふーむ、なるほど」
確かに面白そうではある。
不謹慎だが、どうせ行く当てもないのだったら育ててみようか、とディートフリートは僅かに微笑んだ。
完璧に育ったら、親元に返すか、嫁ぎ先を探してやればいい。
「これを、自分好みに育てろと」
完璧な令嬢に興味はないディートフリートに、上手く躾けろと言っているのだ、マルセーリュは。
退屈しているのも、裕福なのも、ディートフリートを選んだ理由なのだろう。
きっと気に入ると言っていたマルセーリュの思惑に乗ることにしたディートフリートは、早速マルセーリュに宛てて手紙をしたためた。
一月後、マルセーリュに伴われてやってきたのは、確かに美しい令嬢だった。
桃色の瞳は零れそうな程に大きく、忙しなく屋敷の調度品を値踏みするように視線を動かしている。
「此処にあるものは欲しがってはいけませんよ」
「ほ、欲しがりませんわ!」
声を殺して言ったマルセーリュに、顔を真っ赤にしてエマニュエルが返事をする。
だが、返事を聞いてもマルセーリュはくすくすと笑った。
「だって、獲物を狙う目で室内をご覧になるのですもの」
「狙っておりません!」
いや、狙っていたよな?
ディートフリートは思わず心の中で突っ込みを入れ、思わず噴き出した。
「やあ。私はディートフリート・オーゲルシュタインだ」
「初めましてお目にかかります。エマニュエル・リノアールです」
ぎこちない淑女の礼を執って、少し不安の混じる緊張した顔で探るように見てくる。
「あの……わたくしを侍女になさるのですか?それとも愛人に……」
「何故そう思う」
「お父様に言われました。社交界披露に失敗したお前には貰い手など現れないと。いっそのこと修道院へ行けと言われたのです。でも、修道院に行くよりはいいかと思って」
思わず、ディートフリートはそこでも笑ってしまった。
修道院よりマシ、と言われた事など今までの人生の中で無かったのだ。
「まあ、それは君の努力次第という事にしよう。私の言う事をきちんと聞いて、淑女として立派になればきっと貰い手も現れるよ」
「本当ですか?」
「ああ。教育はきちんと受けて貰うよ。厳しいからといって音を上げたら、修道院へ逃げるのもいいかもね」
逡巡したのは一瞬で、エマニュエルは首を左右にふるふると振った。
「修道院には行きたくないです。だって、綺麗な宝石も衣装も無いんですもの……」
物欲……!
そう、マルセーリュの唇が呟いたのを見て、三度目の笑いが起きた。
確かに、面白い。
勿論人によるとは思うが。
「一つだけ絶対に破らないと約束してほしい事があるんだ。エマニュエル嬢」
「な、何でしょう……」
不安そうにエマニュエルはディートフリートとマルセーリュを見比べた。
「君の欲しいものは出来る限り私が手に入れてあげよう。だから、決して他の人に欲しがってはいけないよ。もし、破ったら、私は君に何もあげない事にする」
「約束します!」
ぱああと花が開くように笑顔になるエマニュエルと、それを見てにっこりと頷くマルセーリュ。
約束をしたのはディートフリートだが、マルセーリュの罠に嵌ってしまった気もする。
それから一年。
婚約者として大公家に引き取ったエマニュエルをみっちりと教育した。
ディートフリートは学園には試験の時だけ登校して、煩わしい令嬢達の婚活からも逃れる事が出来たのである。
書面で婚約について交わしているが、表向きは公表していない。
まだ、エマニュエルを社交界に出せる程ではないからだ。
それに、途中で挫折した場合、約束を破った場合も含まれるが、その場合は親元へと返すと決めてある。
その代わり、婚約前期間の教育費や生活に掛かる全てを大公家が負担すると保証した。
嫁ぐことになったとしても、持参金も不要である。
教育の方針は、エマニュエルの欲求を利用して行う。
礼儀作法の授業は厳しい。
重い衣装を纏い、腰当で締め上げられた状態で優雅な所作を保つのは至難の業だ。
いつだったか口が災いしてマルセーリュに無理やり体験させられたから、分かる。
あれは、辛い経験だった。
色々と。
「何故、こんなにも大変な思いをしなくてはならないのでしょう……」
教師に厳しく仕込まれているエマニュエルの疑問に、ディートフリートは答えた。
「礼儀作法を知らない令嬢は夜会には連れて行けないからね。折角美しい衣装を仕立てても、華やかに着こなした衣装を披露する場が無くなるね」
「わたくし、死ぬ気で頑張りますわ!」
語学は、出来るだけ多く話せた方が色々と有利である。
「周辺の国の言語だけで宜しいのではないでしょうか……」
「そうだね。私は遠方にも旅に出たいから覚えたけれど、異国には異国の美しい物があって、この国では取引されていない宝石や布地、衣装もあるんだが……やはり現地へ行って見て見るのが一番だよ。けれど、言葉も通じない状態で異国には連れて行けない。残念だな」
「わたくし、命をかけて頑張りますわ!」
そんな風に、自分の意図しない所で色々と学んでいくエマニュエルを見るのは楽しかった。
外界と隔てているせいもあって、彼女の物欲は時折様子を見に訪れるマルセーリュの持参する菓子に向けられている。
心身共に疲れ切るまで学んでいるせいもあるかもしれない。
そろそろお茶会にも出し始めようと、まずはマルセーリュの手を借りる事にした。
実姉であるラルナス侯爵家に引き取られたエリシアと共に、三人でのお茶会を申し合わせたのだ。
広大な庭の一角、薔薇の庭園の中にある東屋で、三人の令嬢達は会した。
少し離れた所で、婚約者達を見守るように男達も三人で机を囲む。
「うちの婚約者が済まないね」
「いやいや。何ならその困った婚約者も引き受けるよ」
早速、マルセーリュを手に入れた幸運な男、かつては恋敵だったアレイスターが自慢してくるので、ディートフリートも切り返す。
「困った事に私の方が彼女に夢中でね。誰にも渡す気はないよ」
「そうだといいな。魅力的過ぎるのも困りものだ」
「いや、妹の恋愛話はそんなに聞きたくない。勘弁してくれ」
奪い合われるマルセーリュの兄、レストールは呆れたように言いながら手札を配った。
待つ間、勝負をしようという事になっていたのだ。
だが、そこに闖入者が現れた。
先程まで東屋にいたエマニュエルが、ディートフリート目掛けて歩いてきていた。
結構早い。
「どうしたんだろう?」
先に気づいたアレイスターが声を上げて、マルセーリュ達の方を見れば、彼女達は笑顔で見守っている。
ディートフリートの傍まで来たエマニュエルは、他の二人を気にしながら、こっそりディートフリートに言った。
「あの……ディートフリート様、欲しい物がございますの……」
そして、内緒話をするようにこしょこしょと耳打ちして、聞いたディートフリートは優しい笑顔を向ける。
「いいよ。明日買いに行こう。店を訊いておいで」
「はい!」
ぱああ、と輝くばかりの満面の笑みを浮かべると、頬を染めたエマニュエルは来た時と同じようにさかさかと東屋へと戻っていく。
それを見送りながら、ははあ、とアレイスターは感心した。
「確かに、貴方には似合いかもしれないな」
「まあ、まだ分からんが。私はもう物欲が枯れているからね。彼女の物欲が無くならないか心配だ」
「羨ましい。金持ちの悩みだな」
三者三様の感想を述べて、青年というにはまだ年若い少年達は遊戯に興じる。
時々目線を東屋に向けるが、少女たちは和やかにお茶を楽しんでいた。
「今日のお茶会はどうだった?」
「大変楽しゅうございました。マルセーリュ嬢もお姉様もお優しくて、素敵なお品も見せてくださって……それにマルセーリュ嬢は外商に来てくださるって言っておりました!」
あいつ、それが狙いか、と思わずディートフリートは微笑んだ。
エマニュエルの欲しがるものを買い与えるディートフリートから、円滑にお金を搾り取る気なのだと分かって、思わず笑んだのだ。
罠に嵌った気がすると思ったが、当たっていた。
だが、確かに、自分だけに我儘を言ってくるエマニュエルは可愛らしい。
勉強や舞踏も礼儀作法も頑張っている。
「折角だから、買い物ついでに衣装も仕立てよう」
「嬉しゅうございます!」
にこにこと満面の笑みを浮かべるエマニュエルに、ディートフリートも優しく微笑んだ。
本当なら好きな物を何でも、と言いたいが、それでは自分の様に退屈になってしまいそうで。
心から欲しい物や羨ましく思う物を買い与えようと、小さな頭を優しく撫でた。
「ディート様……ああ、早く、もう待ちきれませんわ」
「こらえ性の無い悪い子だね、エマ」
「ねえ、もう、焦らすのはお止めになって……」
二人の甘い睦言を聞きながら、家令が静かに言葉をかけた。
「閣下。流石に居間でその様な、誤解を招く行動はお慎み下さい」
「ああ、もうそんな時間か」
エマニュエルを膝に抱いて、その口に甘く蕩ける甘味を与えながら、ディートフリートは家令の後ろに佇んで笑顔を向けているマルセーリュを見た。
彼女は時々、外商として大公家へ足を運んでくれている。
そして、エマニュエルはささっと膝から降りて、頬を染めながら自分の髪を手櫛で整えた。
「お恥ずかしい所をお目にかけてしまいまして」
「いえいえ、すっかり寛いでいらっしゃる姿を見れて、安心致しましたわ」
エマニュエルももう十五になり、ディートフリートも十八歳。
婚約はディートフリートが在学中に公表され、そろそろ結婚をする年齢になっている。
このままエマニュエルは学園には通わせず、手元で家庭教師による教育を続ける予定だ。
学園を卒業できる学力は既に有り、諸外国語も未だ意欲的に学んでいる。
何せ、外国へ旅行に行って目新しい物を手に入れたいという欲求があるからだ。
今日も。
「まああ、素敵なお品ですわね、マリュ」
「ええ、エマにぴったりだと思ったの」
最初の挨拶以外は、言葉を崩して幸せそうにマルセーリュの持ってきた商品を手に取っている。
月に一度、こうしてマルセーリュの目利きで集められた物を購入するのが何より楽しみらしい。
財布の紐はディートフリードが握っていても、エマニュエルが買いたい物は全て買ってあげるのだ。
そのエマニュエルに金を使わせる天才がマルセーリュである。
だが、その審美眼は確かで。
夜会に連れて行くエマニュエルは、さすが大公の選んだ令嬢と専らの評判だ。
質のいい装飾品に最先端の流行を押さえた衣装で身を包み、同世代の令嬢達からも羨望の眼差しを受けている。
三年前の酷い事件は、社交界から遠のいた期間にすっかり払拭されていた。
天真爛漫さを持ちながらも、礼儀作法を身に着けたエマニュエルは溌溂として可愛らしい。
政治と社交に身を置かなくてはならないなら必須だが、表情管理までは身に付けさせなかった。
知識のみに留めて、訓練はしない。
政治も社交も自分だけで事足りているし、やはり感情が露なエマニュエルに魅力を感じるからだ。
欲しい物を手にした時の嬉しそうな表情を見ていたい。
その点マルセーリュは表情と態度を使い分ける事が出来るが、天賦の才としか言いようがない。
そうあれと育てるのは難しいものだ。
エマニュエルはキラキラと目を輝かせて、色とりどりの布地を手で触って、宝石を色々な角度から見ている。
全部買っていいよ、と思うものの、言わずに見ていた。
いつもなら、全部頂きますわ!などと言い出すのに、今日は静かである。
ぼんやり淑女達の商談を見ていると、エマニュエルが何やら品物を分け始めた。
「こちらが要るもの、ですのね?」
「ええ、そう。マリュには分かるのね!さすがですわ」
どうやら品物選びが終わったらしい。
今回は全部、ではないのか、と不思議に思って見ていると、エマニュエルが胸を反らした。
「わたくし、選ぶ事を覚えましたの!やはり、珠玉の逸品を手元に残したいと思いまして!」
「まあ、残念……いえ、成長しましたのね、エマ」
今残念て言っただろ、と言いたかったが、ディートフリートは我慢した。
エマニュエルはその言葉に頬を染めて答える。
「だって、折角ディートフリート様から贈って頂けるのですから、価値ある物にしないと……」
「まあ、お熱いこと」
そんな事を考えているなんて、知らなかったディートフリートは一瞬固まった。
マルセーリュに見られたら揶揄う様な目で見られるか、と思ったが嬉しそうな優しい目で見られて、思わず口を覆う。
「うん、そうか。……じゃあ私が選んで贈る時は君の目に適う物を選ばないとな」
「わたくし、ディートフリート様が選んでくださる物なら何だって嬉しいです!」
頬を染めた可憐な婚約者に、真っすぐにぶつけられる好意は何とも恥ずかしく、照れ臭く。
無意識にディートフリートの頬も熱くなった。
「そうか、うん。それは嬉しいな」
「では、わたくしはそろそろ。また一月後に参りますね」
選んだ品以外を鞄に詰めて侍従に渡し、マルセーリュは家令を追い立ててさっさと部屋を出ていく。
ディートフリートは、優しくエマニュエルを呼んだ。
「おいで」
膝を叩けば、恥ずかしそうにその上にエマニュエルが座る。
もう欲しい物など無いと思って生きて来た私に、本人すら分からない欲しい物を用意出来るマルセーリュは天才かもしれない。
ディートフリートは新たな成長をしたエマニュエルに新しい課題をあたえる。
「新婚旅行は何処に行こうか」
きっと楽しい旅になるだろう、と思いながら。
ひよこは思うのですが、物語は人と人との出会いなので、正しい(悪い)相手に出会う事で、運命は変わっていくものだと思います。男だから女だからで物語を捻じ曲げる事はありません。たまたま、マルセーリュが手を貸したからの結果で、また年齢によっても相手によっても成長度合いも方向性も変わると思います。お兄様は…多分マルが動けば何とかはなると思いますが、今のとこリノアール侯爵家としては嫡男を廃嫡&傍系の後継を立てる形です。
マルセーリュに関してはもう少し書きたい話があるのでシリーズにして、時々短編として追加予定なので、宜しければまた読んで下さると嬉しいです。
茄子レシピありがとうございました!あと、ひよこが書ききれていない所まで読み解いてくださった方も居て感謝感激です。色々な感想ありがとうございました。
今日はネギトロ茶漬けを食べたひよこです。明日は桃食べます。