カレーを求めて
しいなここみ食堂主催『華麗なる短編料理企画』の参加料理です。
1
「ピーン、ポーン、パーン、ポーン……」
広くもない部屋に昼を告げるチャイムが鳴る。
小さなオフィスビルの3階。
ある一角の席で、30代前半の男が小さなノートパソコンを閉じ、それにHDMIで接続された液晶ディプレイの電源を切ると、両手を上に挙げ「う~ん」と唸る。
「はぁ、もう昼か」
男は机に置いた水筒を飲もうとするが、既に空だった。
「1階の自販機で茶でも買うか」
コンビニや外の自動販売機より、このような会社のビル内の自動販売機のペットボトルは多少は安い。
こうして1階へ行こうとした男に、ある別の30代後半の男が笑顔でこの3階に現れた。
「うぇ~い、嘉礼ちゃん。昼さ、あのカレー店に行かない?」
「南さん、またあの店ですか? 毎日行ってない?」
「毎日じゃないよ。多くても週に3日だね」
「週1で充分常連でしょ」
どうやら、平日で最大3日は昼に通っているのが、この南巌治。
誘われた男は、嘉礼真更。
会社のビル近く。
歩いて5分ほどでインドカレー屋がある。
南も嘉礼もここのカレー屋が絶品だと思っているが、嘉礼は違った思いを持っていた。
「どこもかしこも、この種のインドカレー屋ばかり。ふつーの、っていうか『カレーライス』ってものを、俺は食べたいんだよな」
インドカレーと一口に言っても広大なインド。
各地で多種多様なカレーがあり、不思議と多分、今の日本ではこれらインド各地のカレーが楽しめる。
その代わりに、昔ながらの「カレーライス」を提供する店は少ない。
2
「南さん、俺は今日コンビニで買ってきたおにぎりでいいです」
そう言って、南巌治のつき合いを断る。
「本格的な欧風レストランなら、『カレーライス』が食べられるんだけど、行くのもめんどくさいよな。申し訳ないけどチェーン店や牛丼屋のカレーを食べたいとも思わないし、レトルトもいまいちだし」
昔ながらの定食屋や純喫茶ならありそうだが、嘉礼真更の生活圏内でこれらは無い。
結局、嘉礼が今一番手軽に食べられる美味しいと思うカレーは、やはり各種多様なインドカレー。
銀の器に入った赤や茶色や時には緑色のスープ状のカレーを、ナンやサフランライスと共に食べる。
だが、嘉礼が恋しいのは「カレーライス」。
「オヤジの作ったカレーは美味かったなぁ」
嘉礼は実家暮らしの時を思い出した。
それは土日や祝日。
こういった休みの日は嘉礼の父親が三食を作っていた。
別段、家事の分担とか、そんな高尚なジェンダー平等からではない。
単に嘉礼の父親は料理を作るのが好きだったから。
「俺は学生時代、ずっと飲食店でアルバイトしてて、まかないなんかも任されたんだ」
「就職活動時、本当に飲食店に就職するつもりだった」
「早期退職して、今でも自分の店を持ちたい望みは未だにあるんだよな」
この最後の言葉を発すると、すかさず嘉礼の母親が「冗談でもそれを言うのはヤメテ!」と返すのが常だった。
で、土曜日の夕食はカレーライスがメインのごちそうだ。
旬の各種の魚を捌いた刺身、ステーキ、サラダボウルに大量に盛られた野菜類は、オヤジ特製ドレッシングでいただく。
最後にカレーライス。
小さな缶入りのカレー粉を使い、スライスしたにんにくをバターで大鍋に炒めるところから始める、手の込んだ作り方。
具材はシンプルにタマネギ、ニンジン、牛ばら肉、ジャガイモ。
トマトなども絶妙な量で入れていた気もする。
嘉礼の父親は60歳で早期退職し、今は飲食店を開いている……のではなく、実家での農作業に精を出している。
祖父は既に他界し、高齢の祖母は農作業ができないからだ。
料理好きは相変わらずで、実家ではほぼ毎日父親が料理を作っている。
嘉礼の母親は料理下手で、レンチンできるものやスーパーの総菜がメイン。
嘉礼はこの母親似で、同じく家ではこの種のお手軽で済ませている。
3
嘉礼真更が自販機の茶とおにぎりを食べ終わると、暫しこのように昔を思い出していた。
実家には年末年始しか帰らない。
30日に帰るのだが、この日はフグ料理。
大晦日はすき焼きと各種刺身と年越しそばと決まっている。
夕食が豪勢なので、朝昼は簡単なもの。
そして、年が明ければ、おせち料理やカニや雑煮だ。
ある帰省した時に、嘉礼は父親にこう言った。
「ねぇ、父さんのカレーが食べたいんだけど」
「バカかお前は! 何で年末年始にカレーを作って食べなきゃならないんだ!?」
うむむ、オヤジのカレーを食うには、ゴールデンウィークや夏休みに帰省するしかないのか。
すると、4階が勤務室の南巌治が階段を上がりながら、声を出している。
「いや~、今日のキーマは美味かったね。1日ごとにおすすめが変わるから飽きないよ!」
ふぅ~ん、今日のおすすめはキーマだったのか。
やっぱり南さんにつき合うべきだったかな、と嘉礼は思った。
この日は金曜日。
朝から晴れ。定時で嘉礼は終業する。
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
嘉礼はこのように晴れていて、金曜に定時に帰る時は、最寄の駅のひとつ前の駅で降りて、自宅のマンションまで歩いて帰る。
一種の運動不足解消だ。
だが、途上で飲食店に入ることが多いので、あまり効果は無い。
入る飲食店は決まっている。
個人経営の結構年季の入った蕎麦屋。
「しかし、この辺もカレー屋だらけだな」
ひとつ前の駅で降りた嘉礼は、駅周辺と途上のカレー屋を眺めながら歩いてきた。
もちろん、全てインドカレー屋だ。
仕事場所近辺だけでなく、自宅マンション近くでも、このようなカレー屋がある。
行ったことは数度ある。美味かった。
だが、年に1~2回ほど行けば充分だ。
この蕎麦屋に向かう。
入り口のメニュー表が変わっているので、自然と吸い込まれる。
それにはこう書かれていた。
「穴子天せいろ」
4
この蕎麦屋は季節ごとに天ぷらが変わるせいろ蕎麦が楽しめる。
春なら「桜エビのかき揚げ」。初夏なら「稚鮎天ぷら」。
このように天ぷらの内容が変わると、必ず入店する嘉礼真更であった。
店に入り、席に着いた嘉礼は「穴子天せいろ」を頼む。
金曜の夕とあって、瓶ビールと日本酒も頼む。
お通しとして、小皿に盛られた蕎麦あげとまいたけが、ビールと日本酒ともに出される。
嘉礼はビールを飲み蕎麦あげを食べながら、メニュー表を見ていた。
「んん……、『大人気カレーうどん』?」
この蕎麦屋。どうも「カレーうどん」を推しているらしい。
ずいぶんと通っているが、嘉礼は初めてこの事実を知った。
頭の中で「カレーうどん」が引っ掛かりつつ、嘉礼は穴子の天ぷらと蕎麦を日本酒と共に食べ、最後に蕎麦湯を飲みながら、改めてメニュー表を確認する。
唐辛子のイラスト付きで「少し辛め、大人気カレーうどん」
「次に来る時はこれ頼むかな。しばらく『穴子天せいろ』だろうから」
こうして嘉礼は店を出て帰宅した。
5
それから数日。
しばらく天候がぐずついていたのと、残業があったので、嘉礼真更の帰宅で降りる駅は最寄り駅。
金曜日。
久々の晴れと残業がなかったので、嘉礼はひとつ前の駅で降りて、あの蕎麦屋を目指すことを決めた。
「よっ、嘉礼ちゃん。俺も上がりだよ。どうする? 俺これからあのカレー屋に行くんだけど、一緒にどう? マハラジャビール飲もうぜ!」
「マジかよ、この人。昼だけでなく17時営業からでも、あの店行ってるのかよ……」
嘉礼は内心で南巌治に呆れる。
「俺こういった天気のいい日には、一つ手前の駅で降りて運動をしたいんです。では、お疲れ様でした~!」
「ピッ」とビルの正面入り口で社員証を当てて、嘉礼は駅へ一直線。
乗り換えはなく11駅目が嘉礼の最寄り駅だが、10駅目で当然降りる。
「よしっ! 『大人気カレーうどん』。どんなものか食べてみようではないか!」
進む歩きは本当の運動のように律動的な歩行。普段よりも3分以上は早く蕎麦屋に着いた。
ガラガラ……。
「まだ『穴子天せいろ』か。天ぷらが変わっていたら、そっちに目移りしちゃうからな。これはもう『カレーうどん』を食べろ、とカレーの神が仰ってるいるに違いない!」
お店の人がお茶を出し注文を聞く。
「瓶ビール、それとカレーうどんお願いします」
「あらっ、珍しいですねぇ。お蕎麦を頼まないだなんて。お酒はいいですか?」
「はいっ、酒はいいです」
カレーうどんに日本酒は流石にないだろう。
先ず出されたビールで早歩きした体を冷やす。
しばらくすると厨房の方からカレーの匂いがしてくる。
「おおっ、これは期待できるぞ」
程なくしてカレーうどんが四人席を一人で占めている嘉礼の目の前に置かれる。
「ネギがあるのか」
それはせいろを頼んだ時の蕎麦つゆに入れる薬味と同じ。
もちろん、わさびと大根おろしは無い。
ネギを入れずにまずはスプーンでカレーをすする。
「うまい……! カレーだけでなく鰹出汁の汁もあるからか。なるほど。だからネギがあるんだな」
ネギを投入して、今度は箸でうどんをすする。
太めのうどんにカレーが絡まり、バラの豚肉と玉ねぎをともにリフトする。
口内に入れると、改めてじんわりと辛さがやって来る。
「具材が違い、鰹の出し汁があるけど、このカレー単体の味は『オヤジのカレー』に近い!」
この辛さとアツアツにはビールがよく合う。
そして完食。
「ごちそうさまでした~」
6
「いや~、久々に『カレー』を食ったな!」
嘉礼真更は帰り道で色々と考える。
「そろそろ夏休みか。帰省しておやじのカレーを頼もうかな」
嘉礼は夏休みに実家への帰省を決めた。
そして、次の月曜日の昼。
「ピーン、ポーン、パーン、ポーン……」
チャイムが鳴ると4階から南巌治が現れる。
「嘉礼ちゃん、最近付き合い悪いよ~。今日もダメ?」
「いいえ、南さん。今日はあのカレー屋に行きましょう! 俺どうやら本格的にカレーに目覚めたようです!」
「どゆこと?」
「カレーだけでこんなに色々な料理が楽しめるのは素晴らしい。そんな感じ」
こうして嘉礼真更と南巌治はビルから出て、近くの行きつけのインドカレー屋に行くのであった。
カレーを求めて 了
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